番外編10リーゼロッテ母と妖精姫と太陽の天使と宵闇の女王

 学園1年生の夏休みの直前、王都のリーフェンシュタール邸にて。

 リーゼロッテは、彼女の父であるブルーノ・リーフェンシュタール侯爵に、ひとつの【おねがい】をしていた。


「お父様、今度の夏期休暇中、私の友人を領地の城に滞在させる許可を、いただきたいのですが……」

 リーゼロッテのその申し出に、ブルーノは首をかしげた。

「リーゼロッテの友人であれば、私はかまわないが……。その子はいったい、どちらの家の子だ?先方の許可はとれているのか?」


 父のもっともな疑問に、リーゼロッテは一瞬言葉につまる。

「いえ、その……、彼女は、私と同じ時期に学園に入学した、庶民の女生徒です。先方と呼べる家はありません。学園に来る前はご母堂と2人だけで暮らしていたようですが、そのご母堂すら、現在は行方不明だそうで……」


「それは……」

 自分の娘リーゼロッテと同じ、まだ年若い少女の身に降りかかっている、あまりに過酷な事態。

 自身も恵まれた環境で育った、なにより4人の娘の父であるブルーノは、その悲劇に言葉を失った。


 そのまま考え込むような表情で沈黙している彼を、リーゼロッテは不安げな表情で見つめる。


 やがて、覚悟を決めたかのように、ブルーノはひとつうなずいた。

「わかった。その子のことは、我が家で保護しよう。滞在に必要なその子の身の回りの品も、リーゼロッテが揃えてあげると良い。いっそ夏期休暇だけと言わず……、と言いたいところだが、それは本人の意思も確認しながら、だな」


「ありがとうございます」

 リーゼロッテはそう言いながら、深く頭を下げた。

 それから彼女はゆっくりと頭をあげ、ちらりとブルーノを見上げると、あえて伏せていたひとつの事実を告げる。


「ただ、あの子、一点だけ問題がありまして。

 ……小柄な、ピンク色の髪の、とっても愛らしい少女、なんです」

「ヨゼフィーネには絶対に会わせるな」

 リーゼロッテがみなまで言い切る前に、ブルーノは非常に険しい表情でそう断言した。


 リーゼロッテは心得た表情で、父にうなずいて返す。

「やはり、そうですよね。彼女、お母様の描く【妖精】そのもののような、可憐な少女なんです」


「それで、しかも、その子を守る家はないのだろう……? そんな逸材をヨゼフィーネが見つけたら、どんな手を使ってでも、専属モデルとして囲い込むぞ……!」

 険しい表情でそう言って震えたブルーノに、リーゼロッテは憂い顔で同意する。

「そうでしょうね……。しかもおそろしいことに、彼女はあまりに素直というか、人を疑うことを知らないというか……。食事かなにかでつられ、あっさりお母様に囲われてしまいそうなあやうさがあるのですよ……」


「中身までそれほど素直なのか……? それは、本当に、ただの庶民の少女なのか……? ヨゼフィーネが悪魔に魂を売り払って呼び出した、幻想生物などではなく……?」


「ではなく、です。普通に人間の両親から生まれたらしいですよ」


 自らの妻、あるいは母であるヨゼフィーネの、異常なまでの【ピンク髪の少女】に対する執着を知る2人は、言葉を交わす毎に顔色を悪くしていった。


 庶民であり、現在は保護者すらおらず、性格も素直なピンク髪の少女フィーネ

 その存在がヨゼフィーネに露見すれば、間違いなく彼女は狂喜乱舞する。

 寝食も忘れ一心不乱にフィーネの絵を描き続け、しあわせそうに過労で倒れるまで 、絶対に止まらないだろう。

 もちろん、それに付き合わされるフィーネも、無事なはずがない。


 そんな嫌な未来予想図がはっきりと描けてしまった父と娘は、同時にため息を吐いた。


「……お母様は、どうしてあれほど、小柄な少女やピンク髪の少女、愛らしい雰囲気の少女を好むのでしょうか? 偏執と言って良いまでの熱意ですよね? それこそ、悪魔に魂を売り払ってしまいそうなまでの」

 ぽつり、と、リーゼロッテが呈した疑問に、ブルーノはひとつ重いため息を返すと、沈痛な面持ちで口を開く。

「……それが、ヨゼフィーネの理想で、大切な思い出で、絶対的な美の基準だから、だな。

 過去に長くヨゼフィーネの絵のモデルを引き受けていた少女が、性格はともかくとして、妖精のような方だったんだ」


 性格はともかくとして……?

 そんな疑問のこもったリーゼロッテの視線に、ブルーノは苦笑いを返した。

「ああ、いや、あの方は決して性格が悪いわけではない。こう、二面性というか深みというか、そこがむしろ神秘的で美しいとヨゼフィーネは言うくらいで……。

 まあ、とにかくヨゼフィーネの描く【妖精】のような少女が、昔、確かにいたんだ」


「……あの絵の方が、実在した、のですか?」

 リーゼロッテは、そっと尋ねた。


 愛らしく美しい桃色の髪の少女を幻想的に描いた【妖精】シリーズ。

 画家ヨゼフィーネ・リーフェンシュタールの代表作群であり代名詞ともなっているそれら。

 ヨゼフィーネは、【妖精】を描くときは、とてもつらそうで、苦しげで、“こんな偽物、描きたくない。でも、偽物でも追い求め続けなければ、とても生きられない”と泣きながら、筆を取る。

 かと思えば、少しでもその妖精に似ている要素を持つ存在を見つければ、狂喜し執着する。そして熱中して絵におさめたかと思うと、ふいに“違う”と嘆き、また泣く。


 危険なほどの、常軌を逸した執着。


 だから、今までリーゼロッテを含む子どもたちは、絶対に【妖精】の話題には、深く触れないようにしてきた。

 ヨゼフィーネ自身も、自分から語ることはしなかった。


 そんな風に、ブルーノも含め家族一同これまで言及を避けてきたヨゼフィーネの【妖精】。


 ブルーノはゆっくりと、そんな彼女のことを語りだす。

「ヨゼフィーネの【妖精】のモデルである彼女は、あの絵と同じか……、いや、それ以上に、美しい人だよ。生きて動いていることが不思議なほどの、作り物めいた美しさだったな。万人が褒めたたえ、大金を積んで欲するヨゼフィーネの絵ですら、ヨゼフィーネ自身が“あの子の美しさには到底足りない、納得がいかない”と断言するほどの、な。

 リーゼロッテも、その人の幻想的で可憐な美を讃える声を聞いたことが、あるだろう。マルシュナー公爵家の妖精姫、だよ」


「……お父様のお兄様の、奥様、ですね」


「そう、その人だ。当のマルシュナーに兄上と引き裂かれ、失意のあまり失踪してしまったが、ね。

 ……正直、あの方が帰ってくる、もしくはあの方を捕まえる可能性さえなければ、滅ぼしてしまいたい程度に、私はあの家を恨んでいるよ」

 ブルーノの言葉に、父の亡き兄への思いを十分に知っているリーゼロッテは、沈痛な面持ちで目を伏せた。

 ヨゼフィーネにもブルーノにも特別な存在であったであろうその人が、行方知れず。

 その事実に、リーゼロッテはなんと言えばいいのかわからない。


 そんな重たい空気を振り切るように頭を振ったブルーノは、苦笑いをしながら口を開く。

「まあとにかく、そういうわけだ。私たち夫婦にとって特別な、ヨゼフィーネの【妖精】。その彼女と似た特徴を持つその少女は、絶対に、ヨゼフィーネには会わせない方がいい。何が起こるかわからないからな」


「承知しました。では、私どもは、お父様とお母様とは、日をずらして領地に戻りますね」

 しっかりと請け負ったリーゼロッテに、ブルーノは笑みを返した。

「お前なら大丈夫だとは思うが……、その子のことは、ヨゼフィーネ、いや、すべてから、守ってやりなさい。家も、騎士も、なんだって動かしてかまわん」

 過酷な状況にある少女への同情もあるだろうが、ブルーノにとっても特別な【妖精】に対する思いを重ねての部分もあってのことだろうその言葉に、リーゼロッテは、ただしっかりとうなずいて返した。



 ――――



 そんな、夏休みの前にした父との会話を思い返しながら、リーゼロッテは、母の帰宅を待っていた。


 ジークヴァルトのリーフェンシュタール城来訪、エリーザベトの襲撃、フィーネとブルーノの邂逅、それから、フィーネをブルーノとヨゼフィーネの養女とするまで。

 その全てに、リーフェンシュタール侯爵夫人であり当事者の1人であるはずのヨゼフィーネは、不在であった。


 暑さも人の多さも苦手とし、頑なに人里に降りてくることを拒否し続けていたヨゼフィーネは、“エリーザベトが今リーフェンシュタール城にいる”という報せのひとつで、山のアトリエから、馬を走らせてきたらしい。


「エリーザベトが、ここにいると聞いて!!」

 そう叫びながら、談話室の分厚いドアをけ破る勢いで現れたヨゼフィーネに、彼女と初対面のフィーネは目を瞬かせ硬直し、彼女をよく知るブルーノ、リーゼロッテ、エリーザベトは、笑顔で彼女を歓迎した。


 男装の麗人。そんな表現がしっくりくる、貴族婦人としては珍しく肩口で切り揃えられた金髪が印象的な、エメラルドグリーンの瞳の、すらりと背が高い、細身の美女。

 そんなヨゼフィーネは、その長い足でまっすぐにエリーザベトの元へと向かうと、ひしりと彼女に抱きつきながら、叫ぶ。

「おかえり、エリーザベト!もう2度と、君のことを放さないからな!!」


「わー、ただいまヨゼフィーネちゃーん。ひさしぶりー。えー、それって、これからは、私もこの家に住んでいいってことー? ヨゼフィーネちゃんが、私を養ってくれるの?」

 軽くハグを返しながら、おっとりと図々しいことを尋ねた母に、フィーネはぎょっと目を見開いた。

 ところが当のヨゼフィーネは、うっとりとしあわせそうに頷いている。

「ああ、もちろんそうさ。衣食住はもちろん、どんな贅沢もすべて、エリーザベトの望みは、私が叶えよう。私の絵を売り払って稼いだ金も、クライアントとの人脈も、エリーザベトが好きに使ってくれてかまわない」

「え、ちょ、」

 フィーネが思わず口を挟もうとしたが、ヨゼフィーネは、それを流す勢いで、熱を帯びた声音で、朗々と続ける。

「私は君と再会できる今日この日のために、今まで生きてきたんだ! いつかエリーザベトの役に立てるためと、醜く肥え太った豚どもだって美化して描いて、クソの展覧会のような茶会にも舞踏会にも出て、雌伏の時を過ごしてきた。ああ、エリーザベト、相変わらず君は、この世で最も美しいな……!」


「えー、そんなに言うほど好き? 私の見た目」


「当たり前だろう! でも、見た目だけじゃない。エリーザベトのその、底知れない美しさの笑顔……。そこに籠る、どんなに【見て】も見通せない神秘性、芯の強さ、絵では伝えきれない、君の美しさ! それを、私は死ぬまでには描きたい。私の短い生涯のうちにその一片、ほんの欠片だってとらえることができれば、私は美の神に勝利したと言えるだろう……!」


「お、お母様、落ち着いてください!」

 今度はリーゼロッテが、ヨゼフィーネの暴走を止めるべく、そう叫んだ。

 ところがヨゼフィーネは、益々興奮した様子で、それに反論する。

「落ち着けるわけないだろう! 何年ぶりだと思ってる!? そもそも、エリーザベトは、私の特別なんだ!

 ブルーノとエリーザベト、2人の命が同時に危険にさらされている場面であれば、私は、“ブルーノなら、自力で生き延びてくれるって信じてる。ごめん!”と謝罪しながら、エリーザベトを守る。ああ、生きていてくれてよかった、私の妖精姫……!」


「あははー、ありがとー。

 ……私が妖精姫とか呼ばれるようになったの、絶対にヨゼフィーネちゃんのせいだよね」

 感激に涙を浮かべるヨゼフィーネを軽く受け流したエリーザベトは、少し疲れた表情で、そう漏らした。


「エリーザベトは、実際、妖精かつお姫様だが」

 真顔でそう断じたヨゼフィーネに、エリーザベトは淡々と返す。

「私、一応公爵家の生まれではあるけど、妖精ではないよ。それに、もう、姫って年でもない。

 あ、そうそう、ちょうどそんな年の子を、紹介しなきゃいけないんだった。ね、いったんちょっとだけ放して? 私、ヨゼフィーネちゃんに紹介したい人がいるの」


「ん、むぅ、正直嫌だが……。まあ、エリーザベトが言うなら……」

 ヨゼフィーネはそう言いながらしぶしぶ腕を解き、なんとか2歩ほど後ろに下がった。

 それを見届けたエリーザベトは、あまりの勢いに5歩下がって固まっていたフィーネを、手招きする。

「ほら、フィーネちゃん、私の隣においで。大丈夫。ヨゼフィーネちゃんは、マナーにはうるさくないから」

 母であるエリーザベトの言葉に、フィーネはおずおずと前に進み出て、彼女の隣に立った。

 エリーザベトはフィーネの背中に手を添えると、自慢げな笑顔で告げる。

「はい、こちらが半月前からこの家にお世話になっていて、この度ブルーノとヨゼフィーネちゃんの養女になった、私とアウグストの娘、フィーネちゃんだよ。よろしくね」


「よ、よろしくお願いします、ヨゼフィーネ様」

 そう言ってぎこちなく頭を下げたフィーネに、ヨゼフィーネは返事も返さず、目を限界以上に見開いたまま、硬直している。

「…………」


 ブルーノが事後承諾で大丈夫だと言うから書類は既に提出してしまったが、やはり、この急な話には、無理があったかもしれない。

 今更そんなことを考えたリーゼロッテは、焦った様子で、ヨゼフィーネに呼び掛ける。

「お、お母様? 大丈夫ですか? ……あの、実は、もうフィーネとの養子縁組届けは出してしまったのですが、やはり、勝手にしてはいけなかったでしょうか? お母様? ……お母様?」


「え、え、え、やっぱまずかったですか? 今から撤回しときます?」

 フィーネも慌ててそう尋ねたが、やはりヨゼフィーネからは、なんの反応も返ってこない。

 エリーザベトは、冷静にヨゼフィーネの顔を観察している。

「んー、いや、たぶんこれはそういうんじゃないと思う。……フィーネちゃん、笑顔!」


「え!? え、え、……笑顔っ!」

 エリーザベトの突然の指示に、一瞬戸惑った様子のフィーネだったが、輝く笑顔を披露した。


 次の瞬間、ようやくまばたきをして、息を吐き、ゆるりと動き出したヨゼフィーネは、うんうんと頷きながら、滔々と独り言つ。

「……あー、わかったわかった。なるほど、私は死んだんだな。そうだな。私が、エリーザベトのいない世界で生きていけるわけがなかったんだよ。むしろ、幻覚?とうとう私は気が触れたか。はは、納得納得。エリーザベトが帰ってきて、こんなにかわいいアウグストの忘れ形見が存在していて、しかもその娘が私たちの養女だなんて、そんな都合のいいこと、あるわけないよな。わかっていたわかっていた。これはきっと、私の見ている走馬灯だな。むしろ夢か?ならば、二度と覚めて欲しくない。このまま死ねるなら、本望なんだけどな。ああそうか、天使はこんな姿をしていたのか……」

 ヨゼフィーネの両頬をエリーザベトが掴み、言葉を止めさせた。


「ぜーんぶ、ちーがーうーよー。現実ぅー」


「いひゃい」

 むにむにと頬を伸ばされ縮まされしたヨゼフィーネは、そう言いながらまたたきをした。

 ようやくまともな意識を取り戻した様子のヨゼフィーネに、エリーザベトはため息を返す。

「うん、これ、現実だからね。そんなわけで、これからよろしく。この子、学園に通ってるから、夏休み終わったら、王都の別邸に住まわせてもらうことになると思う。私もそっちについていこうかと思うけど、ヨゼフィーネちゃんはどうする? 人里嫌いだよね?」


「王都に行く。王都っていうか、それはもはや理想郷。悪魔に魂を売り払ってでも、行きたい。人が多かろうが空気が汚かろうが筆をとりたくなる自然が遠かろうが、かまうものか。え、え、え、むしろ、い、いっしょに住まわせていただいていいのか? この美の化身のような2人と?」


「猫かぶってる時の母はともかく、私はそんなでも……」

 エリーザベトの興奮を宥めるように、フィーネが口を挟んだ。


「何を言っている! 君は、太陽だ!!」


「……ほ?」

 突然の強い反論に、フィーネは首をかしげた。


 ヨゼフィーネは、フィーネにぐっと一歩顔を寄せ、説く。

「エリーザベトは、美しい! 幻想的な、今ですら少女のような、いっそ現実味がないほどの美しさだ! まさに妖精! 対して君は! まさに太陽! 真夏の太陽の美しさ! 鮮烈で強烈な愛らしさ! かわいさの暴力! どこまでも明るく周囲のすべてを照らすようなその」

「ヨゼフィーネ、ステーイ!」

 ブルーノがそう叫びながら、ヨゼフィーネを抱き上げ、止めた。

「うわっ……!?」

 抱き上げられたヨゼフィーネは、三度またたきをすると、そっとブルーノに問う。

「……わ、私は、また、やっていた、か……?」


「ああ、やっていた。見ろヨゼフィーネ、フィーネさんがこわがっている」

 そっとヨゼフィーネを床に立たせながら告げたブルーノの言葉に、ヨゼフィーネはおそるおそる、フィーネの表情を伺う。


 細身の女性とはいえ、かなり上背があるヨゼフィーネ様を、片手でひょいって、すごいなぁ。


 実際のフィーネは、そんなことしか考えていなかった。

 けれど、そんなことを考え、呆然としているように見える彼女を見たヨゼフィーネは、頭を抱える。

「あ、ああっ、太陽の天使の、空の美しさすべてをそこに閉じ込めたかのような瞳が、く、曇って……! わ、私は、なんてことを……」


「変わってないねぇ! 2人とも!」

 けらけらけらと笑いながらそう言ったエリーザベトに、リーゼロッテがそっと尋ねる。

「母と父のコレは、昔からなのですか……?」


「うん、昔っからー。ヨゼフィーネちゃんが暴走して、ブルーノが力業で正気に戻すか撤退させる、いつものパターン。夜会なんかでも、よく見たよ。似合いすぎるドレス着てきた女の子とかに、ヨゼフィーネちゃんがぐいぐい行きすぎたりして……。毎回毎回、ブルーノがひょいひょい持ち上げてた!」


「そう、ですか……」

 消沈したリーゼロッテを気にすることなく、エリーザベトは続ける。

「ブルーノは昔からヨゼフィーネちゃんのことが大好きで、よく面倒見てたんだよね。結婚のときも、ヨゼフィーネちゃんのご両親は“うちの娘なんぞに、侯爵夫人はとてもつとまりませんので”って、反対したけど、それをブルーノが“未婚のお嬢さんを、幾度も人前で抱き上げた私以外の誰が、お嬢さんと結婚すべきだと言うのですか。どうしても責任を取らせていただけないとおっしゃるならば、私は自害する他ありません”って押しきったんだよ。それも、ヨゼフィーネちゃんの在学中に、籍をいれた勢いで!」


 昔馴染みの打ち明け話に、ブルーノは、実に気まずそうな咳払いをした。

「ま、まあ、私たちのことはいいんだ。とにかく、これから同じ家に住むのだから、少しは落ち着きなさい、ヨゼフィーネ。抑えきれない衝動を覚えたら、それは絵にぶつけるんだ」


「承知した」

 ヨゼフィーネは、真面目な表情で、しっかりと頷いた。


 エリーザベトはそんな夫婦をにやにやと眺めながら、改めて問う。

「じゃあ、話を戻してあげるけど……。フィーネちゃんがこの家の養女になるの、ヨゼフィーネちゃんも賛成ってことでいい?」


「当然だ。賛成賛成大賛成だ。反対する者は……、全力で、斬れ。斬ってくれ、ブルーノ」

 ヨゼフィーネに名指しされたブルーノがしっかりうなずき、リーゼロッテもそれに続いた。

 リーフェンシュタール侯爵夫妻と、その長女。

 彼らに認められたフィーネは、照れくさそうに頬をかいている。


 そんな家族を優しく見つめるエリーザベトは、ゆったりと告げる。

「ありがとね。……実はね、フィーネちゃんの名前はね、私が、大好きなヨゼフィーネちゃんからとって、つけたんだよ。ってことで、フィーネちゃんってばもう実質ヨゼフィーネちゃんの娘みたいなもんじゃない?

 フィーネちゃん、ヨゼフィーネちゃんとだけは、血縁はないけど……。いつかは、そんな感じで家族として受け入れてくれたら、嬉しいな」

 照れ笑いで締め括られた言葉を聴いたヨゼフィーネは、すっと真顔に変じた。


「……ブルーノ」


「なんだ?」


「私の個人資産に関しては、すべて養女のフィーネに継がせるとの遺言を作成しても、問題ないか?」

 どこまでも真剣な声音で、ヨゼフィーネは尋ねた。

 訊かれたブルーノは、あっさりと頷いて返す。

「ああ、別にかまわないよ。リーゼロッテにも、アデリナにも、カトリナにも、ツェツィーリエにも、生まれたときから少しずつ、リーフェンシュタール家から各個人名義に資産を譲渡し、運営し、軌道にのせているしな。むしろ、そうしてくれると、ちょうどいいくらいだ」


「ちょうどよくないですけど!?」

 フィーネが思わず叫ぶと、ブルーノは首を傾げた。

「え? ……ああ、安心してくれ。ヨゼフィーネは、これでも案外、名の知れた画家なんだ。だから、個人資産と言っても、管理人をきちんとつけているし、安定して潤沢だ。それに、きちんと、リーフェンシュタール本家本流の財産は別にある。将来的に、そちらはすべて君の……」


「逆! 逆! 逆ぅ!! 私だけ少なくない? じゃなくて、養女になったばっかりの私に、そんないきなり全財産とか変だしおそれおおいって話で……、ママも、笑ってないで、止めて!」

 フィーネは必死に声を張り上げるも、エリーザベトは軽く手を振って返す。

「無理無理無理! ヨゼフィーネちゃんは、1回スイッチ入っちゃったら、とまらないもの! ああ、モデル代として、今から逐次せしめるのでもいいかな、ヨゼフィーネちゃん?」

 いたずらっぽい笑みで話を振られたヨゼフィーネは、力強く宣言する。

「ああ、言い値で払おう! ブルーノ、この前断ったけど食い下がられてる、馬鹿みたいにデカい絵の依頼、受けるぞ! 他も、金払いがいいものから受けてくれ! 私は急に稼ぎたい!」


「あはは、だってさ! やったじゃんフィーネちゃん、もう一生お小遣いには困らないね!

 ねーねー、ヨゼフィーネちゃーん、私も、久しぶりに、綺麗なドレスとか着たいなぁ。流行のやつぅ」


「すぐに仕立てさせよう! フィーネ嬢のものもいっしょに!」


 ぽんぽんと話を進めるエリーザベトとヨゼフィーネの間に、フィーネが割って入る。

「悪女! ママの悪女! ヨゼフィーネ様、たかられてますよ!?」


「そこは、エリーザベトに貢げるしあわせを享受させていただいていると、言って欲しいものだな!」

 そう大真面目に返したヨゼフィーネは、エリーザベトに向き直り、瞳を潤ませる。

「……君が着てくれる、君のためのドレスを用意できる日が、来るなんて。それが幸福でなくて、なんだと言うんだ。……ほ、本当に、本当に、……生きていてくれて、よかった。君の笑顔がまた見れて、私は、それだけで……」

 もはや、ぼろぼろと涙を溢しながら、ヨゼフィーネがそう言った。


 エリーザベトは、そんな彼女をそっと抱きしめ、やわらかな笑顔で、囁く。

「ありがとうね、待っててくれて。これから、また、よろしくね」

 その言葉に、ヨゼフィーネは何度も頷きながら、抱擁を返した。


 身長の関係上、どう見ても、抱きしめられているのはエリーザベトだ。

 けれど、長いこと迷子になっていた小さな子どもが、千里の旅路の果てにやっと会えた母に縋りつくかのように、わんわんと泣き崩れるヨゼフィーネは、どこか小さく見えて。

 どちらが抱きしめているのか、抱きついているのか、よくわからない。

 そんなふしぎな抱擁は、長く続いた。


「…………お姉様、私、この空気を壊すのも嫌なんですけど、どうしてもヨゼフィーネ様に言いたいことがあります」

 フィーネがそっとそう言うと、リーゼロッテは小首を傾げた。

「あら、なにかしら?」


「絵のモデルとか、無理です。言い値で払うとか言われても、お金の問題じゃなくて、長時間じっとしてるのがまず無理ですし、なんか、恥ずかしいですし……」


「ああ、そういうこと。うちの娘になった以上、ある程度は諦めてもらうしかないのだけれど……。まあ、あまり長時間の拘束はしないように、父と2人で言い聞かせるわ……」


「あ、お姉様たちもいっしょなんですか? それならまあ……」

 2人がこそこそとそんな会話を交わしていると、泣き崩れていたはずのヨゼフィーネの瞳がゆらりと揺れた。


「……太陽の天使と、宵闇の女王……?」

 ぐりん。

 そんな不気味な動きで、ヨゼフィーネは首を2人に向け、不穏な響きのそんな言葉を口にした。


「ヨゼフィーネ様……?」

「お母様……?」

 ヨゼフィーネのただならぬ様子に、太陽の天使フィーネ宵闇の女王リーゼロッテは、なんとなく身を寄せ合いながら、首を傾げている。


 その光景を見たヨゼフィーネは、かっと目を見開いた。

「リーゼロッテの美しさは、もう知り尽くしたものと思ったが……! なるほど、お前の夕焼けから夜空へと変わる一瞬を切り取ったかのような輝きの瞳は、殿下の光そのもののような瞳との対比も美しいが、フィーネ嬢の空色と並べても映えるな? 紫と空色といえばブルーノとアウグストの印象が強かったが、その色が静と動が逆になったかのような娘たちに宿ったことで、また」

「ヨゼフィーネ、ステーイ!!」

 再びブルーノが吼え、ヨゼフィーネを抱き上げた。


「わわっ……! ……私は、また、やっていたな?」


「ああ、やっていた」


「申し訳ない、フィーネ嬢。ありがとな、ブルーノ」

 冷静に戻ったヨゼフィーネがそう言ったところで、ブルーノが彼女を床に降ろした。


「……これ、言い聞かせる、で、どうにかなるものなんですか……?」

 一連の流れをみたフィーネが不安げに問うと、ブルーノはぎこちなく頷いた。

「ど、どうにかしよう。その、ヨゼフィーネは一度抱き上げれば、意外とすぐに冷静になるはずで……」

 弱々しく途切れた父の言葉を、リーゼロッテが引き継ぐ。

「ただ、母を抱き上げられる父は、不在のことが多いから……。いざとなったら、全力で走って逃げてちょうだい。母は体力はないから、すぐに振りきれるわ」

 2人の言葉に、フィーネは、ひきつった笑みを返すことしかできない。


 その様子を見たエリーザベトは、パッと顔を両手で覆い、どこかわざとらしい調子で訴える。

「えーん、ヨゼフィーネちゃん、さっきから、フィーネちゃんとリーゼロッテちゃんのことばっかりほめてて、ひどーい。やっぱり、若い子の方がいいんだわー」


「ち、ちがう! 私の至高はエリーザベトだ! 信じてくれ! そりゃフィーネ嬢もかわいいし、娘たちのことは自分の娘だから相応に愛しているが、絵にしたさは、エリーザベトがぶっちぎりだから……!」

 わたわたとそんな言い訳をしたヨゼフィーネは、エリーザベトの嘘泣きをすっかり信じている様子だ。

 ヨゼフィーネの関心を自分に集めるエリーザベトの作戦は、成功しているのだろう。


 それに安堵のため息を吐いたフィーネは、ふと、部屋の隅で哀愁を漂わせる存在に気づき、声をはる。

「……あ! ヨゼフィーネ様! 侯爵様が、魂抜けてます!」

 その言葉で、パッとブルーノに視線をやったヨゼフィーネは、今度は、魂が燃え尽きてしまったかのようにうなだれている彼に、焦る。

「え!? ……あ、ち、違うぞ!? ブルーノのことも、愛してるぞ!? それに、恋愛感情という意味では、ブルーノが私の唯一だからな!? ただその、絵にしたさはあんまりないっていうか、私は基本的に少女専門の絵描きだからというか……!」


「えー、じゃあ、おばさんになっちゃった私は、用なしかぁ……」


「ちが、ちがう! エリーザベトは、私の唯一の永遠だ!」


「唯一、か……。では、私が神の前で君と誓った永遠は、なんだったんだろうな……」


「ふぉっ!? あ、や、さっきも言ったが、私が恋愛感情を抱くのは、後にも先にもブルーノだけで、それは永遠に変わらなくて、その、種類が違うというか……! ただ、私の中の美のイデアはエリーザベトであり、それは加齢ごときではゆらがないと言いたくて……」

 消沈した様子のエリーザベトとブルーノの間を、忙しなく視線をさ迷わせたヨゼフィーネは、必死に言い訳を続ける。


「あは、はははははっ!」

 ふっ、と割り込んできたフィーネの笑い声に、みなの視線が集中する。

「いやぁ、にぎやかですねぇ、リーフェンシュタール家。正直、侯爵家の跡取り養女なんて、本当に私に勤まるのかなって不安があるんですけど……。けど、なんか今、このおうちの家族になれたら、楽しそうだなーって思いました!」

 爽やかにそう言ったフィーネに、侯爵夫妻らしい威厳があるとはいえない言動だったヨゼフィーネとブルーノ、そしてその娘のリーゼロッテは、すこし恥ずかしそうに、けれど一同とても嬉しそうに、笑った。

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