番外編2『2人で祝おう』

 

 友人がいたさっきまでは、なんとなく【いつも通り】だったのだけれども。

 2人きりになってしまった今の教室には、こそばゆいような、なんともいえない沈黙が流れている。


「……えーと、じゃあ、帰ろう、か?」


 俺の声は情けないことに、少し震えていた。

 いやだって。両思いとか。小林さんがカノジョとか。これから放課後デートとか。

 あらためて意識してしまうと、なんというかなんというかだ。


「うん、帰ろう!

 ……なんか照れるね」

 どうやら俺と似たような心境らしい小林さんは照れくさそうに笑うと、俺の隣にそっと寄り添い歩き出した。


 俺は彼女の歩幅に合わせてゆっくり校舎の外へとむかいながら、去っていったやつにすべての罪をなすりつけようと試みる。

「あいつがバカップルとかいうからいけないんだよ……。

 昨日はあんま実感なかっただけかもだけどここまで恥ずかしくなかったし。

 そんな急激に俺らの関係が変わるわけでもないだろうし」


「たしかに私たち今までも放課後はだいたいいっしょに帰ってたし、たまに寄り道したりもしてたし、普段の過ごし方でいえば今までとそんなにかわることはない、のかなー?

 だけど……、だけど、なんかこう、ね!」


「わかる!でもたぶん“なんかこう”の部分を明確な言葉にすると更にどツボにはまるやつだこれ!」


「たしかに!よしこの話題これでおしまい!やめやめやめっ!」


 変なテンションになった俺たちは、それをごまかすように笑った。

 あちらの世界をのぞき見て実況解説ではやしたてていたときには思ってもみなかったが、好きな人と両思いだの、付き合うだのということは、案外大事件だ。



 ――――



「……はっ!これじゃあ、前とあんまり変わんない!!」


 小林さんがそういきなり叫んだのは、帰路も帰路。

 高校の近所のドーナツ屋でぐだぐだと宿題をやったりやらなかったりくだらない話をしたりして、さてすこし暗くなってきたから家まで送っていくよとなって、今。


「あー、確かに。ダチと過ごすのとあんまり変わらないテンションだったな」


 おかしい。

 校門から出た時点ぐらいまではものすごく緊張していたはずなのに。

 同じ高校のやつらがそこここでくっちゃっべってるような雑然としたドーナツ屋の空気にひたるうちに、いつの間にやら普通に楽しくなってた。

 楽しいのはいいことだが、普通というのはよろしくない。それこそ先ほど友人が言っていた【倦怠期】とかいうキーワードが浮かぶ。

 小林さんといっしょにいられるなら場所はべつにどこでもいい、というのは、きっと俺だけの心境だろう。

 むしろ俺がどこでもいいんだから、もう少し女の子が喜ぶような店に行くべきかもしれない。もっと価格帯が高くて静かなカフェとか。


「あー……、今度はもうちょっと特別感あるとこ行く?」

 けれど俺に尋ねられた小林さんは、難しい表情で首を振った。

「んー……、たぶん、そういうんじゃない。

 というか、私は遠藤くんといっしょにいたいだけで、場所とかそういうのはわりとどうでもいいし」


「……」

 同じことを考えていた、というのは嬉しいけれど。

 それをはっきりと言葉にするのは恥ずかしいと思って黙っていた俺は、なんていったらいいのかわからない。

 ところがふいにじわじわと、小林さんの頬が赤く染まってきた。

 彼女は自分の発した言葉の意味を今理解したのかもしれない。


「……私、今、けっこう恥ずかしいことをいったね?」


「や。いいと思います」


「やーもうなんで敬語ー!うん、私が変なこといったからだねー!」

 ぱたぱたと自分の顔を仰ぎながら、小林さんは叫んだ。

 ダメだ俺がうまく返せなかったせいで彼女に恥をかかせている。


「ごめん。いやその、俺も行き先はどうでもいい、と思う。

 ほらその過ごし方というか……、こういうただの帰り道でも、たとえば手をつなぐ、とかすると、きっと、恋人らしくなる……、か?」

 俺も耳が熱い。

 けれど羞恥を押し殺してそって左手を差し出してみると、おずおずと小林さんも右手をこちらにのばしてきた。


「あー、そういうことかもしれない……」

 そんな言葉と同時に重なった彼女の手は俺と同じように少し震えていて、華奢で、すべすべしていた。

 ヤバイ。手汗とか大丈夫か俺。


「……うわー、これはデートだぁ……」

 小林さんが小さな声でそうつぶやいた瞬間、じわりと手に汗がにじんだ気がした。


「ヤバイなんだこれ照れる。つかごめん俺手汗大丈夫?」


「大丈夫!というかたとえ出ててもよくわかんない!たぶん私も……」


 そのときふいに目と目が合った。


「……っ!」


 そして互いに同時に視線をそらす。

 手をつなぐ、だの、目と目があう、だのごときでなんでここまで照れてるんだ俺。バカか。

 いや小林さんが照れてるのはかわいいけど。

 いつもどこか飄々としていてあんまり俺のことを意識していない気がした、というかぶっちゃけ異性として見られているのか疑問だった彼女が照れているというのは、ものすっごくかわいいけど!

 ちらりと彼女の顔を盗み見たら、恥ずかしそうな、困ったような表情でうつむいていた。


「…………」

 なにか俺から別の話題を振って空気を変えるべきか。

 でも今まで2人きりのときって、いったいどんな話をしていたんだっけ?


 ……ああ、そうだ。リーゼロッテたちだ。

 今まで俺たちは主人公じゃなくて、ただの実況解説で、しかも厳密には2人きりって感じじゃなくて、だからぽんぽんと言葉が出てきていたのかと、ふと気がつく。

 あちらの世界のみんなを助けるつもりでいたけど、助けられていたのは俺だったのかも知れない。

 でなければ、小林さんの自宅に彼女と2人きりで俺の心臓が止まらなかった理由に説明がつかない。


「リーゼロッテたち、今頃どうしてるかな……」

 その言葉は、すんなりと俺の口から漏れ出て行った。

「リレナの声すらもいきなりきこえなくなっちゃったしねー……」

 小林さんも自然な声音でそうつぶやくと、ふうと物憂げなため息を吐いた。


「あのあとまじこいゲームも、すっかり元のただの乙女ゲームに戻っちゃってたし……。

 もう、あのリゼたんやみんなには、会えないのかな……。

 せめて、お別れくらいは、言いたかった、なぁ……」

 沈んだ彼女の声に、のどの奥が、ぐっとつまった感触がした。

 失敗した。

 この話題を彼女に振るのは、まだ早かった。


 昨日、久遠桐聖さんと解散してから小林さんの家に行き、何度か2人でゲームを起動させてみた。

 けれど結果としてはあの奇妙なセーブデータはまるで最初からそこになにもなかったかのように消失していて、画面の向こうには決められたセリフを再生するだけの、生きていると感じさせてくれない彼ら彼女らしか、存在していなかった。

 小林さんは、そんなゲーム画面をみつめながら、ただ涙を流していた。

 表情は抜け落ちて、言葉もなく。

 常日頃全力の感情表現をする饒舌な彼女のその様子はそれだけ彼女のショックが大きいことを示しているかのようだった。


「でもほら、ジークとリーゼロッテの結婚式には呼んでくれるってリレナも言ってたしさ!

 確かにこんないきなり実況解説小林さんの役目がおしまいってのも寂しいけど、その、これからもゲームしてればまたなにかの拍子にいきなりあっちの世界とつながるかもだし、その……」

 俺はどうにか彼女を慰めようと言葉を重ねるが、小林さんはゆるゆると首を振った。

「でも、そのゲームをしてれば、が、ちょっとしんどい、かも……。

 ジークとリゼたんには会いたい。けどさ、会いたい会いたい会いたいって思ってまたゲームをして、他人行儀な、血の通ったあの子たちとは違うあの子たちが出て来て、ああ……ってなるのかなって思うと、さ……。

 まじこいは大好きなゲームだったけど、もう、あんまり起動したくない、かも……」

 そんな言葉を口にしながら小林さんはどんどんうつむいていき、俺とつないだ手からもだらりと力が抜けていく。


 イヤだ。

 そう、反射的に思った。       

 彼女がこんな風に沈み込むのは、みたくない。

 彼女があんなにも大好きだと俺にすすめてきたゲームを、嫌いになってほしくない。

 彼女にどうにか、笑ってほしい。


 どうしたらいい?

 どうすべきだ?


「……ああ、そうだ。

 ウザイタイプのカップルになろう」

 そう思いついたと同時に、言葉になった。


「……へっ?」

 小林さんはぱっと顔をあげて、わけのわからないだろう俺の提案に、ぽかんとした表情で首をかしげている。

 俺はなんだか楽しくなってきて、彼女の手を少し強く握り締めて、にやりと笑って見せた。


「クリスマスも年末年始もバレンタインもホワイトデーも、イースターも海の日も山の日もハロウィーンもお互いの誕生日もそういうの、ぜんぶ、2人で祝おう!」

「う、うん、いわおう、ね……?いや全部は厳しくない?」

 俺の頭がわいたかのような提案に、戸惑いながらも同意してくれる小林さんは、本当にいい子だと思う。


「それだけじゃなくて、付き合って1週間記念とか、1ヶ月記念とか、ああそうだ、今日ははじめて手をつないだ日だから来年の今日とか、そういうのもいちいち祝おう」


「むしろ増やすの!?なんで……」


「そういう日にはさ、2人でまじこいをやろうよ。

 もちろんお互いの都合もあるから全部をその当日祝うってわけにはいかないだろうけど……。

 今日は記念日だからリーゼロッテの顔を見ながらケーキ食べよう、みたいなノリでさ、これからもちょいちょい楽しくゲームをやってみない?っていう、提案、なんだけど……」


 思いついた瞬間は、これだ!と思ったが、段々と言葉にするうちに自信がなくなってきた。

 俺の提案をきいた小林さんは、ぽかんとほうけている。


「いやその、なんつーか、あのリーゼロッテたちを求めてとか悲愴感漂う感じじゃなくて、あのゲームを起動することは楽しいイベントにした方がいいと思うんだ!

 最初にあっちとこっちの片思いが共鳴したのがきっかけってんなら、あっちとこっちがまた同じ感情になったりしたら、同じように道が通じるかもしれない、だろ?

 それだったら、絶対しあわせな気分でいたほうが、確率が高い、と思う。

 だって、あいつらは【最高を越えた最高のハッピーエンド】をむかえたんだから!

 だからこじつけなんでも、記念日記念日ウザイタイプのカップルみたいにはしゃいで、楽しんで、その場にまじこいがあればもしかしたら……!」

 俺が必死に言い訳を重ねると、じわ、と、小林さんの瞳が潤んだ。

 ヤバイ。この涙はどういう意味だ。


「そう、か……。そうだよね……。そうだよねぇ……!」

 焦って言葉が出てこなくなった俺の耳に、嬉しげな彼女の声が届いた。

 へにゃりと笑った拍子に一粒だけこぼれた彼女の涙を、きっとジークだったらスマートにハンカチを差し出したりできるんだろうなぁと思いながら、そっと指で拭う。


「ありがと、遠藤くん。

 そうだね、あっちはめっちゃハッピーになってるはずだもんね!私たちも楽しくいなきゃだね!

 そしたらきっと、またあのみんなに、会えるよね!」

 やっと小林さんが見せてくれたいつも通りの晴れやかな笑顔に、俺はほっと安堵の息を漏らす。

 きゅっと俺の手を握り返しながら歩く彼女の足取りは、とても軽やかになってきた。


「よーし、記念日記念日って祝いまくるタイプのカップルになろう!

 それで記念日には2人でゲームをしよう!私たちの付き合ったきっかけで、大事な思い出だもん!

 あの子たちに会いたいって気持ちは消せないだろうけど、それでもそれだけじゃなくて、付き合いはじめの頃を思いだそうね、はーと、的な……」

“はーと”と声に出しながら小林さんは左手の指先で宙にハート型を描いたが、途中ですんと真顔になって、それから沈黙した。

 かわいかったのに。やめちゃうのだろうか。


「うわこの表現すると本当にウザイな……。ウザカップルだ」

 いきなり冷静になってしまったらしい。

 小林さんはぽそりとそんな言葉を口にしたが、ふるふると気合を入れなおすように首を振ると、にっこり笑って俺をみた。


「でもいいや、ウザカップルになろう、ね!

 ウザカップルのウザイベントとして、これからもまじこいを楽しんじゃおう!

 まずはさっそく、今日は【はじめて手をつないだ記念日】!!

 ケーキ……は、さっきドーナツ食べたからやめといた方がいいかな?いや買ってくべき?なんでもいいや、祝うぞー!!」


 俺の手ごと天に拳を突き上げた小林さんが、笑いながら走りだした。

 一歩遅れそうになった俺も慌てて走り出すと、なんだか楽しくなってきて、2人でけらけらと笑う。

 ああ、しあわせだ。

 きっとあいつらも、今こんな気持ちに違いない。そうだといい。

 そしたらクオンがいなくても、【ゲーム】が終わっても、きっといつか……。




 結局次に俺たちがジークに会えたのは、付き合って1週間記念日のこと――。

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