第32話『どーしても叫びたい』

 

 ジークヴァルトとリーゼロッテの思いが通じ合うのを見届けた小林さんは、歓声、というよりはもはや意味のわからない奇声を発していた。


「ひゃはー!もひゃー!ひゃははははははははひゃーっほう!」


 ぴょんぴょんと飛び跳ねながらそういった彼女は、この上ないほどの笑顔だった。

 とりあえず嬉しいらしいことだけは、わかる。それ以外はさっぱりわからないともいう。


「ほんと、よかったなー。でもちょっと落ち着こうかー?」

 俺がそう声をかけても、彼女の奇声も奇行も止まらない。聞こえていないのかもしれない。


 俺もさっきまで、というか、ゲームをやっている間には、テンションがあがって小林さんと『いえーい』とか言い合ってハイタッチくらいはした。

 けれども、どうも嬉しさが限界値を超越したらしい小林さんが解説を放棄して画面の前から離れ、万歳をして、とびはねて、くるりくるりと謎の踊りをおどりだしはじめたあたりから、逆に冷静になってしまった。

 俺がセーブをして電源を落としても彼女の感情の爆発はとまらず、いったい何分くらいたったのだろうか。

 まあ、今日は土曜日でここは小林さんの家だから、どれだけ謎の歌を歌っていようと謎の踊りをおどっていようと、俺が若干寂しい以外の問題はなにもないのだけれども。


「ひゃはっ……、あ」


 ふいに、ぐらりと、バランスを崩した小林さんの下に、反射的に、滑り込む。


「……おっ、とと」

 しりもちをつきかけた彼女の背中と、ふとももの辺りをなんとか支えることには成功したが、膝立ちでうけとめようとしたせいで、完全には受け止めきれずに、俺もいっしょに体勢を崩してしまった。床にぶつけた肘と膝が地味に痛い。


「ごめん!」

 小林さんがそう言いながら慌てたように俺の腕の中から抜けだし、床に座りなおして俺に向き直る。

 ほんの一瞬だったけど、やわらかかった。


「ごめんね遠藤くん、はしゃぎすぎた!うけとめてくれてありがとう!どっか痛いところとかない!?」

 せわしなく俺の腕、肩、顔に視線をやった小林さんはそう尋ねてきたが、肩も腕も問題はないが肘と膝が若干痛い。いわないけど。

 あと心臓がどうにかなりそうなくらいに俺と小林さんとの距離が近い。


「や、俺は平気。小林さんは平気?つか、落ち着いた?」

 両手を上に掲げて平気アピールとこれ以上は不必要に触れないアピールをしながら俺がそう訊くと、小林さんはふわりとかわいらしい笑顔でうなずいた。

 さっきまでのあやしげな笑顔も実に楽しげだったが、やっぱり普段どおりのこの表情の方が、個人的には好きだ。


「うん、ちょっと落ち着いた!でもまだ完全には落ち着いてない!嬉しすぎる!

 あの、もうなんか、あれ、『リーゼロッテと、ジークヴァルトが!とうとうくっついたよー!!』って、全世界に伝えたい!せめて全校放送したい!文化祭の【どーしても叫びたいこと】で叫びたい!!」

 小林さんは、きらきらとした笑顔で、1か月後、11月の半ばに予定している文化祭のわが放送部のだしもの、【どーしても叫びたいこと】のコーナーに言及しながら、その嬉しさを俺にあらためて伝えてきた。

 そのコーナーではまず文化祭当日、生徒や来場者の中からどうしてもなにかを伝えたい・叫びたいという人を募る。そして放送部員のインタビューにこたえる形式でその伝えたいことを叫んでもらって、録音。よっぽどまずくなければすぐに全校に流す。

 各クラスや部活の催しの宣伝がほとんどだが、たまに告白をしたりするやつもいるコーナーだ。


「いやいや、みんなリーゼロッテのこともジークヴァルトのことも知らないから。誰それってなるから」

 内容はいたって個人的なものでもかまわないのだが、さすがにゲームのキャラクターがくっつきましたというのはどうかと思い俺は否定の言葉を口にした。

 しかし、そういえば去年二次元嫁への愛を叫んだ男子生徒がいた。なしではないかもしれない。


「んじゃーあれだよ、さっきのシーンをラジオドラマにする!私がシナリオにおこす!」

 ところが【どーしても叫びたいこと】のコーナーはあっさり諦めたらしい小林さんは、また別の提案をしてきた。

 文化祭での放送部のもうひとつの出し物はラジオドラマに決定したが、まだシナリオは決まっていない。

 11月には新人大会があるし、元々うちの放送部員はさほどやる気に満ち溢れていないのでみんなで後回し後回しにした結果だ。


「え。いやまって。さっきのやつを?……本気で?」

 今誰かがこのシナリオがいいとゴリおせばそれに決定しそうな空気ではあるが、さすがにさっきの糖分過剰なやつはどうだろう。

 そう思った俺がそっと尋ねると、小林さんはいくぶんか冷静さを取り戻したらしい表情になって首をかしげた。

「……ちょっと、はずかしい、かもしれないね?」

 ちょっとじゃない。


「いや、さっきのやつを再現させられるとか一種の拷問だし、そのシナリオやろうっていったらたぶん言い出しっぺがヒロインやれよっていわれて小林さんがリーゼロッテ役だと思う……」

 俺が冷静にそう指摘すると、小林さんはなにかを思案するように中空を見上げ、口を開いた。


「んー、そしたら遠藤くんがジーク役やってくれる?」


「……まあ、小林さんが、リーゼロッテ役やってくれるなら……、やる、よ」

 というか、むしろ小林さんがリーゼロッテ役をやるならば、その相手役の座はなにがなんでも奪い取る。

 すげー恥ずかしいだろうけど、そんなこといっている場合じゃない。


「……くぅっ、悩む……!」


「悩む余地あった!?」


 頭まで抱えながら悩む小林さんに、俺は反射的にツッコんだ。


 どんだけリーゼロッテとジークのことをみんなに伝えたいんだと俺が密かに戦慄していると、小林さんはふるふると首をふり、口を開いた。


「いや、私遠藤くんの声好きなんだよ。低くて、やわらかくて、太く響くような声で。

 甘いセリフとか言わせてみたーい録音したーい永久保存してエンドレスリピートしたーいと、それこそ放送部にひっぱりこむ前から思ってた。というか今も常に思ってる」


 そういった小林さんは、いたって真剣な表情だった。

 いや、俺は小林さんがききたくなったらその都度好きだ愛してるって言ってもいいんだけど。なんて思えど、実際に声に出せるほどの勇気はなかった。

 侯爵令嬢と王子様のようには、できないみたいだ。あらためて、あいつらに感心する。


「ほら、この前の球技大会の実況でも、遠藤君、うまいとかいい声してるとか主に女の子たちに言われてたじゃん?

 私だけじゃなくて、遠藤くんの声のファンかなりいるとみるし、マジで需要あるんじゃないのかな」


 なんにもいえずに気まずく視線をさまよわせた俺に、小林さんはまっすぐに追撃をかましてきた。


「小林さんだって解説うめぇし声きれいだっていわれてたじゃん……」

 俺がもごもごとそんな言葉を口にすると、小林さんは照れくさそうに笑った。

 そもそも小林さんは見た目がきらきらとかわいらしい女の子な上に性格が大天使なので、元々モテる。声だけ評価された俺よりも、遥かに。


「楽しかったよねー、球技大会」

 小林さんが笑顔でいった言葉に、俺は半月ほど前に行われた球技大会を思い出していた。



 ――――



 半月前、9月の末に行われた球技大会の男子バスケの決勝戦で、俺と小林さんは、実況と解説をつけた。


 といっても、あらかじめ決まっていたわけじゃない。

 体育館のステージわき、二階部分にある放送ブースから眼下のバスケの試合を観戦しつつ、ふざけていつもゲームをやっているときのノリで2人で実況と解説をつけていたら、顧問に「それすごくいいから決勝だけでも流せ」といわれて、だ。


「い、いよいよはじまりました、男子バスケ決勝戦!

 対戦カードは1年3組と2年5組、まさかの最高学年が不在となったこの試合、制するのはどっちだ!?

 実況は、えー、私遠藤と」


「解説は私小林でお送りいたします」


 俺がやけくそ気味に切り出したそんな言葉からはじめた実況と解説は、意外なことに、好評だった。

 所詮は素人な上に下調べも足りず、途中何度も噛んだしぐだぐだになった場面もあったが、緊張のせいで空回り気味の俺を小林さんが冷静にフォローしてくれたおかげだと思う。


「いやー、2人ともうまかった!すごい盛り上がってたよー。

 そんでなんか若干夫婦漫才感あったね!」


 最初にそんなコメントをクラスメイトの1人からもらったが、会う人会う人だいたいそんな感想だった。

 そして決勝ということもありかなりの人数が見に来ていたらしい試合で実況と解説をつけた俺たちは、放送部の名コンビとして校内ですこし有名になった。

 それに付随して『放送部2年の遠藤と小林は付き合っている』とかいう噂も同時に広まり、現在では全校生徒、どころか教師陣にまで認知されているようだ。

 それだけ息のあった実況解説だったということらしいのだが、悲しいかな、実際のところは付き合っていない。

 というか、むしろ変な噂のせいで逆にうまくいかなくなったらどうしてくれるんだというのがここ最近の俺の悩みなのだが、以前から俺の片思いのことを承知している放送部員たちは、「は?もういいかげんにさっさと告れば?」と雑に突き放してくるばかりだ。

 当の小林さんは俺と噂になって嫌だとも嬉しいとも表にださずにいたっていつもの通りだし、というか、さっき抱きとめたときにも俺の声が好きだといったときにもぜんっぜん照れてなかったし……。


 今の関係性も大切で、心地がよくて、これという決め手もなくて、いま一歩が踏み出せないでいる俺は、あらためて、彼ら彼女らの勇気に賞賛を送りたくなった。

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