第29話夢の(sideリーゼロッテ)

 ここ数日の殿下は、異常なくらいにわたくしを気にかけている。

 自宅には彼の直筆のメッセージの添えられた花や宝石が連日届き、学園で会えばすかさず声をかけられる。たとえ誰とともにいるときでも、私を最優先にして。

 そんなことは、平等と和を重んじる彼にはあり得なかったことだ。


「リーゼロッテ、君は感謝祭ではどんなドレスを着たい?

 パートナーの私とデザインを合わせた方がいいだろうし、私から新しいものを贈らせてもらおうと思っているのだけれど、なにか希望はあるかな?」


 今も。放課後、大事な用があるといって私を自身の馬車に同乗させてまで、こんなことを尋ねてきた。これが、大事な用なのだろうか。


「私としましては殿下の品位を損ねるような下品なものでさえなければ、なんでもかまいません。けれど、そんなことはわざわざ私が口をさしはさまなくても、当然に対応していただけることでしょう?」

 かわいげのない言葉を冷静ぶって口にしながら、私はひそかに混乱と動揺をしずめようと苦心する。


 リーフェンシュタールの分邸は王宮にほど近いところに構えているから、方角としては同じでも、こんな風にともに帰ることなんてこれがはじめてだ。

 馬車というのは、こんなに狭いものだっただろうか。ちょっと、私たちの距離は近すぎるのではないだろうか。


「そう、私はどこかに金色はいれたいなと思っているんだ。私の目と、君の髪の、色だから」


 そういって殿下は私の髪を一房持ち上げ、くるりくるりともてあそぶ。


「髪が、乱れますので、おやめください」

 距離の近さに呼吸が苦しくなった私が絞り出すようにそういうと、殿下は愉快げに微笑んだ。

「ああ、ごめんね。そうだね、君の髪を乱すのは、また今度にしよう」


 殿下はそう言って、ぱっと私の髪から手を離した。朝、メイドが3人がかりで念入りに巻いてくれた髪は、即座にくるりともとに戻ったが、“また今度”という不穏な響きに私の内心の動揺は、かえってひどくなった。


 髪を、乱す?……どうやって?


「私をからかうのは、やめてくださいませ!!」

 変な妄想をしそうになった自分への叱咤もこめて私がそう叫ぶと、殿下はとうとう声を出して笑いはじめた。


「くっ、はははっ!ごめんね、リーゼロッテ。

 あまりにも君がかわいいから、つい」

 心にもないことをおっしゃったであろう殿下を、ただ無言で睨みつける。

 私がかわいいだなんて、あり得ない。

 夜会などで殿下以外の殿方にお世辞を与えられることはよくあるが、そんなときでも私にむけられる言葉は、せいぜい【美しい】だけ。

 私がフィーネやファビアンくんのようなかわいらしさとは縁遠いことは、悲しいくらいに自覚している。


「君は、世界で1番かわいいよ、リーゼロッテ」


 私に睨まれた殿下は、ふわりと微笑みながら、そう言った。


 嬉しい。恥ずかしい。悲しい。悔しい。


 色々な感情がいっぺんにわき出てきてわけがわからなくなった私は、ぷいと殿下から顔を背けて、流れる外の景色を睨みつける。

 ああ、本当に、悲しくて悔しくて苦しい。

 だって、殿下がここ数日妙に私を気にかける理由も、今の言葉のわけも、すべてはきっと、同情だから。

 私が最近また変な夢を見ているから、そのせいで私の様子が、おかしいから。


 きっと婚約者としての義務感か、リーフェンシュタールへの配慮かだから、変な期待をしてはいけない。


 彼の笑顔と言葉で悔しいくらいに浮かれてしまう自分の恋心をどうにかしずめようと、そう自分に言い聞かせた。



 ――――



 ああ、今日も、この夢か。


 すっかり慣れた悪夢の気配に、無感動にそう思った。

 真っ暗な闇の中、しゃべることもできず、自分の体の感覚すら曖昧で、あの不快な声だけが響く、嫌な夢。


「あなたは本当に、かわいげのない女」


 ええ、知っている。でもね、王妃を目指すなら人に隙を見せないくらいでちょうどいいの。


「あなたのことなんて、誰も愛さないわ」


 いいえ、私には家族がいる。


「すべてあの子に、フィーネに奪われる」


 おあいにくさま。彼女は逆に私に日々たくさんのものを与えてくれているわ。


「悔しいわね?」


 いいえ。


「悲しいわね?」


 いいえ。


「妬ましいわね?」


 いいえ。


 この声に心を揺さぶられた時期もあったけれども、幾度も繰り返すうちに、すっかり慣れた。

 相変わらず反論の言葉は口には出せないけれど、自分の中で明確に否定できる程度には、慣れた。


「あの子さえいなければ……。そう思うでしょう?」


 いいえ。あの子がいてくれなければ、私は悲しい。


 私は、くだらない、聞くに耐えない、不快な言葉を、いつもの通りに聞き流す。動揺なんて、してやるものか。


「あなたの愛するあの男だって、きっと心変わりする。そうしてあの子の手をとり、あなたをすてる」


 けれど、その言葉だけは、聞き捨てならなかった。


 ふざけるな!!

 あの方は、そんなことはできない!!


 あの方がいかに己を律して、あの方がいかに心を殺して、あの方がいかに孤独に耐えて、それでも国のために生きているか、お前は、なにも、わかっちゃいない!!


 あの方のことを、愚弄するな!!


「え……?」


 声が、とまった。

 私の怒りが、届いたのだろうか。


 私は、リーゼロッテ・リーフェンシュタール。

 誇り高きリーフェンシュタールの娘。

 この国の王太子の、ジークヴァルト殿下の、后となる人物。

 彼を守るため、女神の寵愛を与えられた存在。

 今、ここで、反撃しないだなんて、あり得ない。


 そう自分を鼓舞するにつれ、自分の体の感覚が、闇に溶けていたそれが、はっきりと戻ってくる感覚がした。


「え……、うそ……」


 不快な声は、動揺をみせた。

 ああ、


「ひっ……」


 声の主が、古の魔女が、息をのむ。

 私はそいつを、切り捨ててやろうと、



 ――――



「……ふざけるなよ、古の、魔女」


 朝目覚めていちばんに私が口にした言葉は、そんなものだった。

 逃げられた。

 目をあけ、その姿を見て、そして切り捨ててやろうと思った瞬間、声の主は逃げ出し、その結果私は目を覚ましたようだ。


「ああ、本当に、腹立たしい……!」

 私はそう叫びながら、ベッドから立ち上がった。


 私は、誰がなんといおうと、この国の王妃になる。ジークヴァルト殿下と、結婚する。

 愛されなくともかまわない。

 私が勝手に愛するだけだ。

 私が勝手に愛して、一方的に慕って、国なんていう巨大なものを背負わなければならないあの方のことを、支えさせてほしいと思っているだけだ。

 私は負けない。フィーネにも、古の魔女にも、誰にも。


「それを、どうやら当の殿下にもわかっていただけていないというのは、……悔しい、わね」


 ふいに思い出した、ここ数日様子のおかしい私の婚約者のこと。

 私は魔女をはねのけられる、見くびるなと、伝えたい。伝えるべきだろう。そうすれば、きっとこの心臓に悪い日々は、終わる。


 悔しさと怒りのままに、私はひとつ、決意した。

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