第11話馬車の中で

 

 リーゼロッテはアルトゥルとフィーネによる診断で“ただ眠ってるだけ”とのお墨付きがもらえたので、このまま自宅まで送り届けることにした。

 彼女を迎えに来たリーフェンシュタール侯爵家の馬車に、彼女を抱きかかえたまま乗り込む。

 侯爵家の護衛は私に代わってリーゼロッテを運ぶと申し出てきたが、断った。すやすやと安心しきった顔で私に甘えて眠るリーゼロッテを手放すつもりも、ましてや他の男に任せるつもりも、一切ない。

 正直、腕が疲れてきたが、これは譲れない。


 リーゼロッテと、2人きり、馬車の中で、しかも彼女は眠ったまま。

 どぎまぎしないといえば嘘になるが、不埒なことをするつもりはない。


「……それで、いにしえの魔女とは、伝承に残る【大いなる災厄】、【邪悪の黒】とも呼ばれる古の魔女のことで、間違いないのでしょうか」

 馬車が動きだして少したった頃、私は、こっそりと神々にそう問いかけた。

 そう、この場にいるのは私たちだけだが、神々に見られている。不埒なことなどできるわけがない。いや、見ていなければなにをするというわけでもないが。


『そうです』

 コバヤシ様がこたえてくださった。


『ごめん、リーゼロッテの手記でいくとまだ魔女が出てこない時期だから、まだ説明の必要はないと思ってました。

 リーゼロッテは、これから魔女と波長が近いということでその肉体を狙われていきます』

 コバヤシ様が淡々とした声音で語るおそろしい事実に、思わずリーゼロッテを抱く腕に、力がこもった。

『リーゼロッテは魔女の干渉により心が死んでしまうと、体を乗っ取られ、異形のバケモノへと変じ、そしてフィーネを殺そうとする。フィーネを殺したあとは、この国を。この国を滅ぼしたあとは、この世界を。

 それを止めるためには、リーゼロッテを殺すしかないという悲劇が、ゲームのシナリオです。

 そしてその悲劇を防ぐ鍵は、ジーク、あなたにあるんです』


 私が、鍵……?意味がわからず首をかしげると、コバヤシ様がくすりと笑った。


『というのも、リーゼロッテが、どこまでもジークのことが好きだから。

 ゲームではジークに突き放されて、闇に堕ちる。他の誰かに非難されても糾弾されても彼女は悪役令嬢らしく不敵に振る舞うけれど、ジークだけは駄目。

 逆にいえば、あなたが嫌わない限り、リーゼロッテは大丈夫です』


 そこまで、思われているのか。

 私に突き放されると、心が死んでしまうほどに、好かれていると。

 自分の頬が朱に染まるのがわかる。


『っていうのをあんまり早い段階でいうとさ、押し付けがましいっていうか、だから世界のために恋をしろって言ってるようなものだから、言いたくなかったんだけど……。

 でも、もう、大丈夫、ですよね?』


 確信したようなコバヤシ様の言葉に、もうはっきりと自分が赤面しているのがわかる。少し悔しい。

 だって、それはつまり、既に私が自発的に恋をしていれば、大丈夫だということで……。


「……まあ、大丈夫、ですね。

 行動原理がわかれば、びっくりするほどかわいいです」

 悔しいけれど、認めた。認めざるを得ない。リーゼロッテは、かわいい。

 今さら、嫌ったり、突き放したりなど、あり得ない。


「それにしても、古の魔女、か……」


 古の時代から、世界のあちこちで災厄を撒き散らしてきた魔女。肉体を滅ぼされてなおリーゼロッテのような被害者を出してはこの世界に繰り返し黒い影を落としてきた、邪悪そのもの。

 そんなおそろしいものに狙われているという自分の婚約者の少女を、いずれ私の妃となる彼女を、ただ強く、抱き締めた。



 ――――



「で、殿下……!?リーゼ!?

 も、申し訳ありません!」


 リーゼロッテの自宅には、彼女の父、リーフェンシュタール侯爵がいた。

 私がリーゼロッテを抱きかかえている姿を見た彼は、驚愕したのち、頭を下げた。

 なぜ彼がここにいるのかと思いながら、私は彼と挨拶を交わす。なんでも私がこの家に向かっているときいて、慌てて出迎えに帰って来たらしい。悪いことをした。


「リーゼロッテは、学園で気を失ってしまったのだ。今は眠っている。

 リヒター伯爵家のアルトゥルに診てもらったが、少し精神と肉体に疲れがでていて、深く眠っているだけとのことだから、安心してほしい。

 このまま彼女の部屋へと連れていく」

 私がそう締めくくると、侯爵は慌てたようにぶんぶんと首を振った。


「いえそんな!これ以上殿下のお手を煩わせるわけにはいきません……!

 おい、誰か!」

 侯爵が家人へと声をかけるのを、首を振ってやめさせる。

「いや、私の婚約者を、他の誰かの腕に預けるつもりはない。いいから部屋へ」


 私の言葉をきいた侯爵は、ぽかん、と、あっけにとられたような表情で固まってしまった。

 わが国の将軍でもある彼がここまで隙だらけになるとは、そんなに変なことを私は言っただろうか。

「……」

 しばらく呆然としたまま私の顔を見ていた彼は、無言のまま、じわりとそのリーゼロッテによく似た紫の瞳を、涙でうるませた。


「!?ど、どうした侯爵」

 慌てた私が声をかけると、侯爵はそっとその涙を指先で拭いながら、口を開いた。

「いえ、その、色々込み上げてくるものがありまして……」


「ああ、そうか。父親としては、思うところがあるか……」

 いくら婚約者といえど、未婚の娘を抱き上げたまま私室へと入り込もうとする輩など、泣くほど嫌で当然だ。仕方ない、誰か女性か、いっそこの彼女の父にでもリーゼロッテを託すべきだろう。


「いいえそういうわけではございません!

 あまりにも嬉しいというか感慨深いというか、……その、この子は、夢を叶えたのだな、と」

 意外なことに、彼は私の言葉を否定し、そしてわけのわからない言葉を続けた。


「夢?」


「ええ。リーゼが5歳のときの話です。私だけがきいた、彼女の夢が、あったのです。

 それから、それが叶わないとなんとなくわかってはいても、口にしてはいけないとわきまえてはいても、どうしても諦めきれなかった、ずっと夢中で追いかけた夢が、あったのですよ」

 それは、具体的にはどういう夢なのだろう。

 首をひねる私に、侯爵はただ優しく微笑んだ。教えるつもりは、ないらしい。


「……よかったな、リーゼ」

 そう言って愛娘の頭をふわりと撫でた彼は、城でみかける将軍の顔とも、社交界でみかける侯爵の顔とも違い、ただの1人の、父親だった。


「ああ、すみませんこんなところでひきとめまして!

 リーゼロッテの部屋はこちらです、どうぞ」

 侯爵はそう言って歩きだした。

 ぱっと空気を変えられてしまって、今さら結局夢とはなんだったのかは、きけない雰囲気だ。


『結局5歳のときの夢、とは……?』

 どうやらエンドー様にもわからなかったらしい。

『手記に載っていた例のアレですね。

 ただ我々の口からバラすのは、野暮というものでしょう』

 そんなコバヤシ様のお言葉に、すこし焦れったい気持ちになった。


『なるほど、あれは本人の口から言わせるべきですね』


『そうですね』


 けれど、そう、えらく楽しそうに実況と解説が続けられるのをきいた私は、ああ、これはまたリーゼロッテがかわいいやつなのかと、たのしみな予感に胸をおどらせた。


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