第7話『そうして彼女に、恋をした』

 第一試合、俺たちの通う高校うちの対戦相手は、出場常連の名門校。

 うちも県内ではそこそこ強いが、去年は甲子園まではいけなかったし、あくまでもそこそこだ。

 6回まできたところで、負けムードが確定してきた。既に0-7。たぶん、初戦敗退だ。


「……あー、やっぱり、俺、帰ろうかな」

 俺が思わずそういえば、小林さんはきょとんと小首をかしげた。


「ここで見てくんじゃなかったの?」


「そのつもり、だったんだけど。

 なんか……、泣きそう。

 なっさけねー……」

 これは、たぶん負ける。

 そのせいか、自分があの舞台に立てない悲しさとか、野球部員あいつらの悔しさとか、たぶんそれだけじゃないけど自分でもわからないなんだかぐちゃぐちゃしたものぜんぶが、涙の形をとって溢れだしてきそうだ。


 とりあえず、俺はまだふっきれてなかったんだということだけは、わかる。

 情けない。


「じゃあ、なおのこと、うちで見ていきなよ。

 遠藤くん、一人暮らしじゃん」

 そう、俺は諸事情により一人暮らしだ。

 一人暮らしの男の家に行ってもいいとか、小林さんは警戒心が無さすぎる。

 なんて、そんなどうでもいいことを考えてないと、本当に泣きそうだ。


「ひとりさびしくなんか泣かせねーよって?

 小林さん、おっとこまえー」

 わざと茶化して言った言葉は、震えてしまった。


「君の泣き顔なんか去年さんざん見たんだから、今さらよ?」

 そういってふにゃりと笑う笑顔を見て、とうとう涙腺が決壊した。

 たしかに去年、散々、泣いた。

 俺は去年まで野球部で、あいつらにまじって甲子園を目指していて、なのに去年の地区大会の途中で肩を壊して、まあそれだけじゃないけど、野球をやめた。


 ずっと野球しかやってこなかった俺は人生終わったくらいの気持ちになって、色々あって。


 そうして彼女に、恋をした。



 ――――



 幼い頃から、野球が好きだった。

 中学教師の父は野球を昔やっていて、今も野球部の顧問をやっている人だ。

 その影響か、姉俺妹の3人きょうだいのうち真ん中、唯一の男児の俺は物心ついたときにはキャッチボールを仕込まれていたし、よく野球観戦に連れていってもらったりもした。


 小学校でも中学校でも野球をやって、高校進学のときも、野球の強さで進学先を選択した。

 県内ではそこそこ強い高校が、おばの住むマンションの近くにあった。

 同じマンションの別フロアに、かつて祖母が亡くなるまで住んでいた、おば所有の部屋があったので、そこに一人暮らしするかたちで、進学を決めた。


 おばは独り身でばりばり働いている人でお互いにあまり干渉しないが、実家の母親は専業主婦でたまにこちらに世話をしに来てくれるし、俺も家事はある程度覚えたので特に不自由はしていない。

 家族と仲が悪いわけではないが、長期で女だらけの実家に帰ってもなにをしたらいいかわからず、なんとなく疲れるだけなので、この夏休みも帰省は1週間だけの予定だ。

 小さい頃から野球ばっかりで、誰かと遊んだり家族と過ごしたりという時間を持たなかったからかもしれない。


 それほどまでにうちこんでいた野球をやめて、ただぼんやりとなんとなく死なないでいただけの去年。


 転機は秋、球技大会のときだった。


 バレー、バスケ、卓球、ソフトボールの中から誰がどれに出場するかをクラスで話し合っていたとき。


「遠藤もう野球部じゃねぇからソフトボール出れるじゃん!」


 ふいに誰かがそういった。

 その部活の部員は出場禁止、野球部はソフトボールもダメ。

 というのはたぶん全員が楽しめるようにもうけられたルールなのだろうけど、その穴をついて勝てるものなら勝ちたいというのも自然な考えだろう。

 実際中学までやってたけど今は部活に所属してない奴らなんかがよく活躍していた。


「遠藤出たら勝ち確定だな!」


「おおー、フルでピッチャーやってもらえりゃ誰も打てねんじゃね?」


「3年にも勝てたりして」


「誰が遠藤のボールキャッチすんだよ」


 ざわざわざわと、勝手な期待がクラス中に広まっていった。

 いや、俺の肩壊れてるし。

 まあ日常生活に支障がない程度には回復してきたし本気で長時間やらなきゃ平気だろうけど、フル出場はさすがにきつい。

 まあ途中で負ければ試合数はそこまででもないが、正直負ける気もしない。

 俺も、たぶん視界に入ってきた担任も、どう止めようかとまごついていたそのときに。


「あ、遠藤くんも放送部だから、フルでは出られないよー」

 そんな、はきはきとしたよく通る声が、教室を支配した。


「……え、いつから?」

 それは俺も知りたい。

 彼女の友人が問いかけたその声に、クラスの中心人物で、そういえば放送部に所属しているといっていた小林さんが、にっこりと微笑んで、当たり前のようにこういった。


「昨日から。

 遠藤くんいい声してるから、私が勧誘したの。

 さすが元野球部、腹から声が出るね!」


 ええー、とか、もったいねー、とか、色々な声があちらこちらからあがる中、小林さんはちらりと俺の方をみて、いたずらっ子のように笑った。


「まあまあまあ!

 放送部なら仕方ないだろ、仕事があるんだから。

 お前らもズルしようとしなーい。な?」

 担任がそう場をおさめて、クラスメイトも、俺も、なんとなくその流れに従って。

 俺は無事に午前中だけですべての試合が終了する予定のバスケに出場することになった。



 ――――



「……俺、昨日から放送部だったんだ?」

 放課後、放送室へと向かう小林さんを追いかけて、そう声をかけた。


「今日からでもいいでしょ?

 1日くらい誤差だよ誤差」

 そういってくすくすと笑う彼女に、いやまだ入るとは言ってねぇけどとは、なんとなく言えなかった。

 正直、その笑顔に見とれてた。


「ま、すぐやめてもいいから、とりあえず入部しなよ。

 いいよー、放送部。

 放送の仕事しなきゃだから、球技大会どころかあらゆる行事サボり放題!

 部活週一だし。

 当番もあるけどそれはかったるかったら私代わるし」

 そういって、部室として使われている、奥の放送室につながる部屋の扉を、彼女はあけた。


 にこにこと微笑んだままの彼女は、扉をおさえて俺を見上げている。

 入れ、ってことか。

 部室に、部活に。


「……助かる」

 ぺこりと頭を下げて、俺は中へと入った。

 その日は火曜日で、今日の当番は2年の先輩2人だということで、その人たちに挨拶をした。

 明日他の部員にも紹介すると言われて、その場で入部届けを書いた。

 そのままそれを顧問のところまで届けて、さて帰ろうかとなったときにたまたま自宅の方向が同じだと判明した俺たちは、並んで帰ることにした。


「怪我人にフルで出ろって、みんな鬼畜だよねぇ」

 けらけらと笑いながら、ふいに彼女がそう言った。

「まあ、だいたい治ってはいるんだけどな。

 でも、助かった。ありがとう」

 俺が頭を下げたら、小林さんはぽんぽんと軽く俺の二の腕のあたりを叩いた。


「いえいえ。

 実は本当に、遠藤くんいい声だなーって思って前から目をつけてたんだよ?

 ほら体育会系の人らって、特に野球部って、腹から声出るじゃん。

 だから、私は遠藤くんが放送部に入ってくれて、すごくうれしい!」

 そう言いながら心から嬉しげに微笑まれて、つい、魔が差した。


「声、か。

 こんなのでも残ってよかったっていうか、こんなんしか残らなかったっていうかだけど、な」

 うっかりと、そんなネガティブな言葉を、口から漏らしてしまった。


「ははっ、ネガティブだねぇ!」

 慰めてほしがるようなみっともない俺の言葉は、即座に小林さんにそう笑い飛ばされた。

 笑い飛ばしてくれて、よかった。


「……でも、肩が故障したからって、他のすべてまで失われたわけじゃない、でしょう?」

 ふいに、静かに、彼女はそういった。

「野球って、選手がすべてではない、んじゃない?

 コーチだって、マッサージの人だって、それこそアナウンサーになって実況したって……、今まで遠藤くんが積み重ねてきた努力と経験は、どこかで活かせるよ」


 いつも教室の中心できゃあきゃあとはしゃいでいる、どちらかというと騒がしいイメージしかなかった彼女が、静かな声音で語ったそのことばは、じわり、と俺の胸の深いところに届いた。


「……そうか」


 なぜかこの瞬間、医者の診断を受けたときにも、部活をやめたときにも、一度も流れなかった涙が、ぼたぼたと、溢れてきた。

 そのまま無言で、ただ並んで歩いた。


「……ここ、私の家。

 タオルとティッシュとお茶とお菓子くらいは出すよ」

 そういった彼女に手をひかれるままに、彼女の家に入った。


 駄目だ。

 ただのクラスメイトなのに。

 迷惑をかけるわけには。


 さすがに理性のどこかでそう警告する自分がいたが、ただ黙って側にいてくれる存在が、有り難くて。


 俺は非常識にも、そのままほぼ他人の家の玄関でうずくまり、泣いて、泣いて、それこそ野球にかけた年月分くらい、泣いた。

 そして泣き終わった頃には、もう、彼女のことを、好きになっていた。

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