第24話 再会の誓い


 旅館に戻ると、物音を立てないように注意して部屋に入った。



 眠っている美輝を起こさないよう、静かに帰り支度を済ませ、書き置きを残して部屋を出た。


 一階からは話し声や、微かな足音が聞こえる。


 誰かに見つかったらどう言いわけしようかと考えていたけれど、誰にも気づかれずに旅館から出ることができた。


 夏祭りで取ってもらったヨーヨーは、窓際にぶら下げたまま持ってこなかった。

 これから色をつけていくというのはこういうことだったのかと思うと、持ってくる気になんてなれない。



 宿から少し離れた場所で立ち止まり、帰る方法を調べてみたが、田舎の始発がそんなに早い時間にあるはずもない。


 行き場をなくしてあてもなく彷徨っていると、昨日来た駄菓子屋にふらりと辿り着いた。


 首元のトンボ玉にそっと触れると、冷たいガラスの感触が伝う。


 これの元の持ち主である葵ちゃんは、『その時がきたら会いにいく』と言った。


 あれはこのことを暗示していたのだろうか? だとしたらちょっと悔しい……。



 駄菓子屋の前で足を止めて立ち尽くしていると、店のシャッターがガラガラと音を立てて開き、その音に体をびくっと震わせた。



「いらっしゃい」



 シャッターを片手で支えた葵ちゃんが、まるでわたしが来ることをわかっていたかのような口調で言う。



「わたしが来たって、どうしてわかったの?」



 葵ちゃんに訊いたのに、奥から見覚えのある猫が顔を出して「ナア」と返事をした。



「この子が教えてくれたのよ……。ふわあああああっ……あふぅ」



 欠伸を晒して葵ちゃんが言ったこの子とは、わたし達の前に何度も姿を見せた猫のことだった。


 わたしをからかっているのかと、すこしムッとして頬を膨らませてみせるが、葵ちゃんは気にせずに続ける。



「あ、これあたしのなんだって? ありがとう。この色すてきね、気にいったわ。琴音ちゃんが取ってくれたの?」



 そう言って取り出したのは、昨夜の神社でこの猫に奪われたヨーヨーだった。



「それは怜が取ったもので、わたしが預かってたの。ていうか、猫の言葉わかるの?」


 猫が教えてくれたなんて本気で言ってるの? 巫女は猫を使い魔にでもしているの? それじゃまるで魔女だ。


 葵ちゃんはわたしの疑問を小馬鹿にするようにくすくすと笑うと、問いかけには答えずに言った。



「そんなとこに突っ立ってても仕方ないでしょ。あがって朝ご飯でも食べていきなさいよ」



 行く宛もなかったし、少しばかり文句を言いたい気分にもなったので、「お邪魔します」と少々無愛想な挨拶をしてから、家の中へとあがらせてもらう。



 古い家屋に田舎の部屋。六畳ほどの和室には床の間に掛け軸が飾ってある。



 こんな朝早くに、昨日初めて会った恋敵の家で朝ごはんをいただくなんて、わたしはなにをしているんだろう。


 ふいに自分のしていることがおかしく思えた。


 やっぱり変だ。



「あの、やっぱりわたし帰ろうかな。朝早くにごめんなさい」


「なに言ってんのよ。まだ電車も動いてないでしょ。それにあなたも、あたしに話があるんじゃないの?」



 どきっとして台所に目を向けると、葵ちゃんはトントンと包丁を刻むリズムに乗せて、鼻歌を歌い始めた。



 なんて鋭い人なんだろう。でも、考えてみるとわたしが勝手にヤキモチを妬いているだけだ。これのなにをどう話せばいいの? 惨めで、情けなくて、かっこ悪くて、言えるわけがない。



「先に言っておくけど、結弦とはなにもないわよ」



 ……え? もしかして心読まれた? なにをどこまで知ってるの? これも猫が教えてくれた、なんて言うつもり?



 縁側で気持ちよさそうに顎を蹴る猫を見て考えていると、ジューっと鉄板にたまごを落とす軽快な音が響いた。同時にいい香りが鼻腔をくすぐってくる。



「これはあたしの想像だけど」



 たまごを炒める音に負けないようにか、葵ちゃんの声はさっきより少し大きい。



「結弦は、あなたに、もう一緒にいられないとか、そんなこと言ったんじゃない?」



 図星だ。どこに間違いがあろうか。句読点でいちいち声が大きくなるのが、呆れられているみたいに聞こえて感じが悪い。



「でも、その言葉の意味をあなたはわかっていない」



 なにそれ? 嫌味? わたしはちゃんとわかってる。

 結弦はもうわたしを好きじゃなくなったから、葵ちゃんのことが好きだと気づいたから、だからわたしに別れを告げたんでしょ。



「ちゃんとわかってるよ。あなた達がどれほど仲がよかったかなんて。昨日の見たら、わかるもん」



 不貞腐れ気味な声で、ささやかな抵抗を試みる。



「ほらわかってない」



 朝ごはんを運んできた葵ちゃんが、両手に乗せたお皿をテーブルに置いて、またもや呆れ気味な口調で言った。



 なにが、『わかってない』なの。そっちこそわたしの気持ちをわかってない。


 わたしは益々ぶすっと不貞腐れた。



「残り物でごめんね」



 そして用意してくれたメニューへの謙遜。性格がいいのか悪いのかわからない。


 玉子焼きはたった今作ってくれたもので、お皿の隅にはお漬物が添えてある。葵ちゃんはそのまま台所へ戻ると、次は具沢山のお味噌汁を持って来てくれた。


 これが昨日の残り物なのかな……。



 気づけば朝ごはんの話に戻っている。この子のペースに翻弄されちゃだめだ。



「あ、ありがと」



 続きを聞きたいのに、次々と運ばれてくる残り物と称したおかずに言葉が詰まってなにも言えない。


 里芋の煮っころがし、ふきの青煮、アジの干物、梅干しと焼きのり。……どれもおいしそう。



 最後に山盛りのごはんがどんっと置かれたところで、違う疑問が湧いた。



「あの、他の御家族のかたは?」


「お父さんとお母さんは海外出張中でいないわ。おばあちゃんは畑よ。いただきまーす」



「そうなんだ……」と呟いて、わたしも両手を合わせて、「いただきます」と言い、用意してくれた朱色のお箸を手に持った。



「琴音ちゃん、結弦ってさ、そんな簡単に違う子を好きになるような人だと思う?」



 葵ちゃんがお箸で上手に持ち上げた里芋を、ひょいっと口に入れて言う。



「懐かしい幼馴染みと再会したくらいで、恋人を捨ててその子に走るような人?」


「ううん……」



 首を横に振ると、玉子焼きをひと切れ口に放り込む。


 わたしの家の味付けとは違い、天門家の玉子焼きは甘かった。悲しいはずなのに、その甘くて優しい味わいに顔が綻ぶ。



「もし仮に結弦がそんな奴だとしたら、あたしは結弦を軽蔑するし、結弦もそれをわかってるわよ」



 またなにも言えなくなったわたしは、ごはんを海苔で巻いて無理やり口に詰め込んだ。お腹が膨れてくると、徐々に気持ちが上向いていくのを感じる。



「結弦に本当の理由を聞いてごらん。今ならまだ間に合うわよ」



 まるで結弦がなにか隠しているような言いぶりだ。


 わたしは里芋をお箸で突き刺し、口に放り込んで訊ねた。



「葵ちゃんは、なにか知ってるの?」



 大きな里芋に口をもごもごさせていると、葵ちゃんはずずっとお味噌汁をすすり、ほぅっとため息をつくように息を吐いた。



「直接知ってるわけじゃないわ。でも、わたしの考えが正しければ、おそらく今日のお昼がリミットなんでしょうね……」



 葵ちゃんは黙々と朝ご飯を口に詰め込んでいく。もう一度お味噌汁に口をつけてお椀を置くと、わたしのほうへ体を向き直して言った。



「琴音っ!」


「はいっ!」



 突然強い口調で名前を呼ばれて、驚いて返事をする。



「結弦のところに行ってあげて。そしてもう一度、ちゃんと話を聞いて。彼の心を救ってあげられるのは、あなたしかいないの。もうあまり時間はないけど、今ならまだ間に合うわ」



 わたしを睨むように言い放つ葵ちゃん。その瞳はなにかを託すような鋭い眼光を覗かせている。



 でも……。



「そんなこと言ったって、わたしは結弦に振られたんだよ。これ以上未練たらしいことしたくない」



 葵ちゃんは首を垂れて、はあーっと大きなため息を吐いて言った。



「だ、か、ら! あなたほんとに結弦に振られたの?」


「え……?」


「あなたと別れたいとか、あなたのことが好きじゃなくなったとか、他に好きな子ができたとか、結弦は琴音にそんなことを言った?」



 結弦の言葉を思い返す。


 あのとき結弦は、なにがあっても生きる約束をわたしに求めた。それを約束する代わりに、わたしも結弦に生きてそばにいることを約束してほしかった。

 それを結弦は、できないと言った。



「そのときの結弦どんな顔してた? つらそうじゃなかった? それはあなたに別れを告げたから? そうじゃないとしたら、他になにか理由があった。そう思わない?」



 確かに結弦は決意の奥に、苦しい表情を見せていた。



「きっと今、一番つらいのはあなたじゃないわ」


「まさか……」



 一連のやりとりの不審な点に気がつくと、手に嫌な汗が滲んだ。



「もしかして結弦は、生きる約束ができなかったの? 今ならまだ間に合うって、そういうことなの?」



 声が震える。


 いつの間にか朝ごはんを食べ終えた葵ちゃんは、目を瞑ってお茶をすすっている。



「ねえ教えて。葵ちゃんはなにを知っているの?」



 湯呑を両手で持ったまま、ゆっくりと口を開いた。



「葵でいいわよ……。そっちの結弦を救ってあげられるのは、あたしでも美輝ちゃんでも怜くんでもない。きっと、琴音だけなのよ」



 葵ちゃんは悲しそうに微笑んでいる。

 その言葉を聞いたわたしは、荷物を抱えてすっくと立ち上がった。



「あーあ、こんなに残してくれちゃって」


「ごめん、葵。でもわたし、行かなきゃ」



 葵はふうっとため息をつくと、少し嬉しそうに言った。



「いいわよ。その代わり次会ったら奢ってね。たとえ、あたしが忘れていたとしても、ね」


「もちろん! 朝ごはん残しちゃったけど、おいしかったよ。ありがとう」



 行け行けと言わんばかりにひらひらと手を振っている葵に、「また会いにくるね」と告げて、わたしは旅館へと元来た道を走った。





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