はじめましてをもう一度
@araki
第1話
ぽつりと、何かが肌に触れた気がした。
途端、殴りつけるような雨が降ってくる。周囲が白く霞むほどの勢い。とても家までたどり着ける気がしない。
「っ……」
思わず舌打ちするが、それで当然止むわけもない。空しさがただ増すだけだった。
――仕方ない。
柊は小さくため息をつく。それから避難できる場所はないか、辺りを見回した。
すると傍の公園、そこに一台の客車が置かれている。全体的に古びた外観。恐らく、運用終了となった車両を展示物として流用したものだろう。
目を凝らせば、入口の引き戸が少し開いている。どうやら中へ入れるようになっているらしい。
これ幸い、と柊は公園に入ると、一目散に車両へ駆け寄る。たどり着いてすぐに錆びた後部ドアをスライドさせ、そのまま柊は中へ飛び込んだ。
「……ふぅ」
膝に両手を突いて息を整える。服は重さを感じるほどに濡れてしまっている。これ以上雨に打たれなくて良かったと考えるべきだろうか。面倒だから風邪は引きたくない。
柊は車両の側壁に横付けされた座席に腰を下ろす。背もたれに身体を預けると、天井を仰ぎ見る。
――タオルでも持ってこれば良かったな……。
やがて、これまでの疲れが押し寄せてくる。柊は静かに目を閉じた。
「はい」
不意に何かが顔にかかる。感触から察するに、恐らく厚手のタオル。どうも、と微睡みの中で内心礼を言った。
直後、背筋に震えが走った。
「!」
柊はとっさに顔にかかったタオルを剥ぎ取り、周囲を確認する。
すると柊の目の前、そこに一人の少女が立っていた。
少女はじっとこちらを見つめている。空っぽの左手に対し、もう一方の手にはなぜか携帯ゲーム機が握られている。随分前の機種。おまけに全体が傷だらけだった。
「………」
柊は無意識のうちに身を引く。
すると、少女はくすりと笑みを漏らした。
「なに怖がってんの。知らない仲じゃないでしょ?」
少女は柊の手にあるタオルをもぎ取る。それから片手でこちらの頭を無造作に拭き始めた。
確かに、彼女とは初対面ではない。
初野 晴。片田舎に押し込められていたあの頃、その時間の大半を共有した幼なじみだった。
――でも。
それはもう五年も前の話。あれから一度も顔を合わせたことがなかった。
「着いた途端、こんな天気でさ。びっくりしちゃった」
気がすんだのか、頭から手を離した晴は柊の隣へ座る。それから、ゲーム機のスイッチを入れた。
「……いやいや」
今まで固まっていた柊はおもむろに首を振る。あまりに突然で理解が追いつかない。そばでは晴が平然とゲームを始めている。信じられない。
「まず言うことがあるだろ」
「久しぶりみたいな? 別にいいでしょ、私と柊の仲だし」
「じゃなくて、それ以前にお前――」
「堅い堅い。そんなの私らの柄じゃないって」
面倒事を掃き捨てるように片手を扇ぐ晴。その視線を依然としてゲーム画面に注いでいた。
良くて自由奔放、はっきり言えば傍若無人。あの頃と寸分違わず同じ彼女だった。
柊は思わず苦笑を漏らした。
――これは何訊いても無駄だな。
尋ねるべきことは山ほどあるが、この少女はそのどれもに興味を示しはしないだろう。そういう存在なのだ。
「………」
黙々と、晴はゲームを続ける。
会話はなく、車内に沈黙が流れる。聞こえてくるのは天井を打つ雨音と、晴のゲームから漏れるBGMだけ。正直、手持ち無沙汰だった。
柊はポケットに手を突っ込むと、小型のミュージックプレイヤーを取り出す。長い間お世話になっている愛機。サポートも切れてしまった型落ちの品だが、音質はあれからほとんど変わっていない。大切な品だった。
すでに繋いであるイヤホンを両耳につける。それから、再生ボタンを押した。
「何聞いてんの?」
途端、片耳のイヤホンが晴にかっさらわれる。そして止める間もなく、彼女は自分の耳につけてしまった。
すると、晴は顔をしかめた。
「なにこれ」
「ジャズだよ。ブルートレイン」
「ませちゃって。まだそんな歳じゃないでしょ」
「歳は関係ないだろ。別に好きで聞いて――」
「ちょっと貸して」
今度はプレイヤーごともぎ取られた。
晴は鼻歌交じりに片手で端末を操作する。慣れた手つき。元は彼女の物なのだから当然といえば当然か。
「なんだ。あるじゃない」
間もなく、今まで流れていた音楽が途切れる。次いで聞こえてきたのは、聞き覚えのあるメロディーだった。
「何の曲?」
「忘れたの?」
プレイヤーに入れてるのに、と晴は呆れた顔を見せる。
「このゲームのBGM。一番盛り上がるシーンでかかるから愛着あるんだよね」
「なら今やってるんだろ。別にかける必要ないじゃないか」
「いいの。気分だよ気分」
晴はプレイヤーを自分のポケットに突き入れると、そのままゲームを再開してしまう。しばらくあれは戻ってこないに違いない。
「ちなみにどんなゲームだったっけ」
「ほら」
晴はこちらに身を寄せると、画面を見せてくる。左隅に表示されたプレイヤー名『HARU』の文字。そして中央、そこに映る映像には見覚えがあった。
「ああ、最後に貸してたやつか」
「あれ、くれたんじゃなかったっけ?」
本気で驚いた表情を見せる晴。呆れた。ゲーム機ごと頂くつもりだったのだろうか。
「というか、まだやってたのか」
「なんだかんだね」
晴ははにかみに近い笑みを零した。
「途中中断したこともあったけど、結局再開しちゃった。エンディング見るたび行けるとこ増えるから、やりがいあるんだ」
やりこみ要素がとにかく多い、それがこのゲームの売りだったはずだ。
「並行世界を巡るみたいな内容だったよな、確か」
晴は頷いた。
「主人公は壊れちゃった自分の世界の代わりを求めて、色んな世界を旅するの」
「で、主人公HARUが今行ける場所は?」
「ついさっき14になったとこ」
「なんだ、あと一カ所で踏破じゃないか」
「あっ、そうなの?」
このゲームの解放可能な世界は全部で15。その各フィールドはグラフィックがとても精細に作り込まれていたため、ただうろうろするだけでも充分楽しめた気がする。
「お気に入りのエリアとかある?」
「そうだなぁ……」
晴は少しの間操作をした後、改めてこちらに画面を見せた。
「ここ、とかかな」
画面を覗き込むと、そこには一面花畑の光景が映し出されていた。
「思わず見とれちゃうんだよね。事情を知っちゃうと哀しい景色なんだけど」
苦笑を零す晴。そこで生きる命はいずれ花になる、そんな設定の世界だったはずだ。それでも、どうしようもなく目を惹きつけられる光景だった。
――あれ。
ふと、いつの間にか雨音が消えていることに気づく。もう止んだのだろうか、そう思いつつ柊は顔を上げる。
そして、固まった。
「……え」
正面の窓、その向こうに一面の花畑が広がっている。色とりどりの花が咲き誇る光景。それはゲーム画面に映し出された絵と似ている――どころか、まったく同じだった。
柊はただ呆然としていた。
「驚いた?」
不意の声に隣を見れば、晴と目が合う。その口の端には隠しきれない笑みがあった。
「晴がやったのか?」
「それだと犯人みたいじゃん。そこはおかげって言ってほしいな」
「一体どういう仕掛けで……」
振り返ると、後ろの窓にも同様の景色が映っている。風に吹かれて時折花々が揺れるその様には確かな現実感があった。
「理屈的な話? さぁ」
「さぁって……」
「そこらへんは本当に分かんないんだって」
晴は肩をすくめる。それから、手の中のゲーム機を指さした。
「これをやってたらいつの間にか別の場所にとんでてさ。色々試したら、私がリアルに想像できる場所に行けちゃうみたいで。不思議だよね」
「その一言で片付けてちゃっていいのか?」
「いいんじゃない? 使えるものは使わないともったいないよ」
特に問題も起こってないし、と晴は笑う。なんと無責任な。
ただ、そう思う反面、
――まあ、こんなところか。
柊の中で腑に落ちるところがあった。ここまで来たら、道理を考えても無駄。むしろ今は、このおかしさを楽しむべきなのかもしれない。
「ちょっと外に出てくる」
「いってらっしゃい。でも、ひとつ注意」
「なんだよ」
「一度出たら戻れないから」
眉をひそめる柊に対し、晴は話を続けた。
「片道切符なの。この車両を降りたらそこが自動的に終着駅。骨を埋める覚悟をしてね」
「なんで、って訊いても無駄だよな」
「察しが早くて助かります」
色々なところがブラックボックス。不可解をまるごと放っておく潔さに呆れを通り越して感心してしまう。
――都合のいい設定だな。
柊は思わず苦笑する。けれど、これくらいがちょうどいい塩梅なのかもしれない。
気を取り直して、柊は尋ねた。
「他の場所にも行けるのか?」
「うん」
晴は頷く。そして、誇らしげに自身の手の内にあるゲーム機を掲げた。
「とりあえずゲーム内のフィールドはひと通り。お手本が目の前にあるしね」
それから、車窓には様々な景色が映し出されていった。
ある時には、見渡す限り真っ青な草原が広がった。
「ゴロゴロし放題だね」
「昼寝ばっかしちゃいそうだ」
「まだ居眠り癖抜けてないの?」
「そこは相変わらずだな」
「つまり今も落書きし放題ってことだね」
「……お前の傍では二度とうたた寝しないから」
またある時は、周囲のあちこちに熱帯魚が泳ぎ回っていた。
「よりどりみどりだね」
「と言っても、どうせ世話しないじゃないか」
「大丈夫。きっとボランティアさんが――」
「今度は金取るから」
またまたある時は、限りない宇宙に浮かんでいた。
「どこまで続いてるんだろうね」
「ずっと膨張を続けてるんだってさ。だから果てはないらしい」
「ならラッキーだね」
「どうして?」
「だって宇宙人に会える可能性がどんどん上がってるってことじゃん」
「まだ持ってたのか、その夢」
「もちろん。まだ期待してるよ」
全部、心惹かれる世界だった。
ただ、外に出てみたいとまでは思わなかった。
「微妙?」
「面白いとは思った。だけど一度の権利を使うほどかと思うとな」
「目が肥えてらっしゃる」
「単純に優柔不断なだけだよ」
また景色が変わる。
途端、柊は眉をひそめた。
「戻ってきたのか?」
「うん。元の場所」
窓の向こうに移るのは見覚えのある公園の景色。雨は相変わらず降り続いていたが、その勢いは心なしか弱まっている。
晴は立ち上がると、座席に座る柊の方へ手を差し出した。
「もうネタ切れ。だから降りよ?」
「ああ……」
柊はその手をとろうとする。
けれど、やめた。
「どうしたの?」
「俺は降りない」
「なんで? 元いた場所に戻るだけ――」
「いやだって」
柊は肩をすくめた。
「ここは俺のいた世界じゃないだろ?」
晴は手を下ろし、そのまま俯いてしまう。
柊自身、気づいてはいたのだ。目の前の彼女が自分の知る晴ではないことくらい。
なぜなら、
「俺の知ってる晴はあの日死んだんだ。土砂崩れに巻き込まれてな」
あの日も激しい雨だった。家族ぐるみで行った旅先から帰る途中、二人の乗っていた車は突然降ってきた土砂に巻き込まれた。
その事故で柊を除く全員が亡くなった。それは、晴も例外ではなかった。
「………」
少女はおもむろに顔を上げる。そして、
「ばれちゃったか」
いたずらが見つかった子供のように舌を出した。
「でもさ、今ここにいる私と柊はちゃんと生きてる。ここでだって別に――」
「悪いな」
柊は首を横に振った。
「なんだかんだ愛着があるんだよ。あいつのいた世界にな」
辛い記憶ばかりの世界だが、あの頃の思い出が残るのも確かにそこなのだ。見限るのはまだ少し、忍びない。
「……そっか。なら、連れ込みようがないね」
「連れ込むつもりだったのか?」
「まあね。柊がいた方が断然楽しいから」
この五年で思い知ったしね、と少女は言葉を零す。そのまま一人で後ろの出口へ向かっていった。
そして扉の取っ手に手をかけた時、彼女は振り返った。
「またね」
次なんてない。それでも。
「ああ、また」
直後、全てがホワイトアウトした。
やがて、雨音が戻ってくる。目を開けると、正面の窓の外、そこは今も雨の降る公園だった。
座席に座るのは柊一人。少女の姿はやはりなかった。
「……都合のいい夢だことで」
どうせ白昼夢の類だろう。ただ、
――悪くはないかな。
くすりと、柊は笑みを漏らした。
柊は走っていた。向かうのは昨日雨宿りした車両。
いつも肌身離さず持っていたプレイヤーがなくなっていた。ポケットに入れていたはずだが、眠りこけていた時に落としてしまったのかもしれない。
――抜けてるな……。
やがて車両にたどり着くと、そのまま開いている入口へ駆け込む。直後、
「やっと来た」
不意に聞こえた声。柊はとっさに声の方へ振り返った。
そこにいたのはイヤホンを両耳につけた少女。その手にはあのプレイヤーが握られていた。
柊は呆然としていた。
「あれは夢だったはず……」
「勝手に夢にしないでよ」
思わず漏れた呟きに、少女は不満げな声を漏らす。
「あれから考えたんだけどさ」
少女は座っていた座席から腰を上げると、すたすたとこちらへ歩いてくる。
「別に連れ去る必要はなかったなと思って」
やがて柊の正面に立つと、少女はこちらを見上げた。
「こうして会いに来ればいいだけだし」
彼女のまっすぐな視線が柊を貫く。
ようやく動揺から覚め、柊はかぶりを振った。
「でも、俺はお前とあいつを同一視することは――」
「いいって。むしろ好都合だし」
少女の言葉に柊は訝る。すると、少女は微笑みを浮かべた。
「はじめまして」
そう言って、少女はこちらに手を差し出した。
「初野 晴です。友達になってくれると嬉しいな」
柊はしばらくその手をしばらく見つめていた。
やがて苦笑を漏らす。そして、その手を握った。
「桜田 柊。こちらこそ、よろしく」
はじめましてをもう一度 @araki
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