第5話 脅迫する舌 ②
第一別宅の前で瑠奈は足を止めた。敷地内の散歩をするのはよしとしても、たかだか知れた範囲だ。日差しも弱いし、屋内でくすぶっているよりはまだしも救われる、と考えたのだが、実際に歩き始めると、浅薄な思いつきだった気がしてならない。
横に並んだ蒼依が、瑠奈の顔を覗く。
「やっぱり門の外に出たいよね」
「うん」と瑠奈は頷いた。「せっかくの夏休みなのに。外出が解禁になる二学期を楽しみにするしかないか」
「二学期が楽しみっていうのも、なんだか切ないよ」
そう言って蒼依は苦笑した。
「しかも」瑠奈は繫いだ。「遊びや買い物、登下校も、特機隊の警護がつくっていうんだから」
「やんなっちゃうよね。でもあたしは、瑠奈がいるから平気だよ」
「それはわたしだって同じだよ」
訴えた瑠奈は、ふと、前庭の東の端に目を向けた。
作業員たちはまだそこにいた。工具類を片づけているのが見て取れる。五人のうちの一人は女だった。
「女性作業員もいるんだね」
瑠奈が言うと、蒼依もそちらに目を凝らした。
「輝世会では、ああいった仕事で女性が活躍できるんだ」
感心したように言う蒼依を見て、瑠奈は危惧を覚える。
「蒼依……」
思わず眉をひそめた瑠奈に、蒼依は顔を向けた。
「大丈夫大丈夫」蒼依は笑顔を浮かべた。「あたしの意思はぐらついていないから」
「え?」と瑠奈は首を傾げた。
「あたしが目指すのは、輝世会じゃなくて特機隊」
絶句しそうになるも、瑠奈はなんとか口を開こうとした。
「そういえば」先に口を開いたのは蒼依だった。「さっき、おばさんがあたしの部屋に様子を見に来てくれたの」
「お母さんが?」
寝耳に水とはいえ、別段、不思議なことではない。
「うん」蒼依は頷いた。「それでね、あたし、おばさんにも打ち明けたんだ」
「将来の目標のこと?」
「そうだよ」
当然のごとく答える蒼依だが、瑠奈はその先が気になった。
「お母さんは、なんて言ったの?」
「おばさんは瑠奈や尾崎さんからもその話を聞いていなかったんだね。でもあたしの話を肯定的に受け止めてくれたよ」
「肯定的?」
「うん。自分で納得できるのなら、それを目指しなさいって。瑠奈は心配しています、って伝えたら、なぜだか笑っていたけど」
「そう……」
ここで否定的な態度など見せられず、瑠奈は小さく頷いた。真紀や恵美に肯定的に受け止めてもらえた蒼依は、少なくとも精神的には安定しているのだろう。流れに任せるしかない。諦念を覚えたそのときだった。
一台の白い車が正門のほうからコンクリートの道をゆっくりと走ってきた。SUVである。特機隊の車らしい。本宅の車寄せを通過したそのSUVが、助手席側を瑠奈たちに向けた状態で停止した。
乗っているのは運転手の男だけだった。服装からすると特機隊隊員のようだが、見覚えのない顔だ。
助手席のドアガラスが下がり、運転手が上体を助手席寄りに傾けて瑠奈たちを見た。
「えーと」二十代前半らしいその若い男が口を開いた。「神宮司瑠奈さんと、空閑蒼依さん?」
「はい」
瑠奈が答えた。
「ああ、写真どおりだ」男は笑みを浮かべた。「君が神宮司瑠奈さんだね。ぼくは、第六小隊に配属されることになったヤハギというものなんだけど……特機隊専用のガレージってどこにあるのかな?」
尋ねられて、瑠奈は答える。
「この先を左に……この建物と隣の建物との間を通って行ってください。隣の建物が分駐所なんですけれど、特機隊専用のガレージはその裏にあります」
「ああ、そこが分駐所か」ヤハギは前方を見て頷いた。「わかった。ありがとう。挨拶は、あとで改めて」
助手席のドアガラスが閉じ、SUVはゆっくりと動き出した。
「今の人が補充された隊員? 一人だけなの?」
SUVを見送りながら蒼依が問うた。
そうしているうちにも、SUVは左折し、第一別宅の陰に入ってしまう。
「うん」
頷いた瑠奈は、仁賀が復帰しても第六小隊の員数は元に戻るだけということを伝えた。
「ふーん」蒼依は首を傾げた。「セキュリティが強化されるぶん、人手を節約する……そんな感じかな?」
「そうかもね」
曖昧に答え、瑠奈は東の端の作業員たちを見た。あらかたの工具類は片づけたようだが、別の機材を準備してる。
「まだ終わらないみたいだよ」
蒼依が言った。
「散歩するにも気がそがれるなあ」そして瑠奈は蒼依を見た。「蒼依んちでゲームでもしようか?」
「しかるべき決断だね」
そんな蒼依の笑顔が、瑠奈には嬉しかった。
二人は第一別宅へと入った。
「神津山市内の山間部の集落で巨大な化け物を見た」という噂が今朝になってSNSの一部で囁かれ、小野田と恵美のコンビが現場へと急行することになった。投稿された関連記事は返信コメントも含めて特機隊本部の専門部署によってすでに削除されている。目撃したのは地元で農業を営む三十代の男で、軽トラックで現場を通過した際に目撃したのだという。軽トラックに同乗者はおらず、目撃者はこの一人ということだった。
小野田はこれらの概要を出発前に恵美から聞いたが、目撃されたのが巨大な幼生だとすれば、難易度の高い仕事になるだろう。木島の采配により、念のため、神津山市南東部の海岸地区を巡回している三上と佐川も現場に急行することになった。もっとも彼らが現場に到着するのは、小野田らより五分以上はあとになるだろう。
山の麓に沿う南北に延びる県道を北上していた四号車は、
沈黙に耐えきれなくなった小野田は、ダム湖を通過した先の水池の集落に差しかかったところで、ついに口を開いた。
「おれたちのことで変な噂を立てられているのを、尾崎は知っているか?」
「知っていますよ」
ハンドルを握る恵美は答えた。そんなにあっさりと言葉にされたら、質問の中身を把握していないのだろうと勘ぐりたくもなる。
「尾崎とおれのことだぞ」
「はい」恵美は頷いた。「お互いに惹かれ合っているとか、陰で付き合っているとか」
言葉を見失いそうになった小野田は、大きく息を吐いて気持ちを落ち着けた。
「まるで気にしていないようだな」
「たかが噂です。気にしても意味はありませんし、時間の無駄でしょう。面と向かって訊かれたらそのときこそは、そんなことはありません、と答えます。それよりも、泰輝くんや本郷梨夢さんの安否のほうが気になりますが」
たしなめられたふうでもあるが、むしろ、小野田は安堵していた。これで本題を切り出すことができる。
「もちろんあの二人のことは、おれだって気にしているさ。でもな、単に心配するだけじゃなく、手がかりなど見落としたことがないか、それを考えている」
「わたしも、同じことを考えていたんです」
「だから尾崎は、神宮司邸を出発してからずっと、むっつりしていたのか?」
「そうですが」
答えた恵美が、小野田を一顧した。
後方へと流れていく山里の景色を眺めながら、小野田は言う。
「それこそ無意味だし、時間の無駄だ。一人で考えるのは、答えを導き出すのに遠回りとなるぞ。大場隊長のこともあって、みんなの気持ちが沈んでいるんだ。一人で悩んでいると、気が滅入りやすいし、考えも進展しない」
「はい」恵美は頷いた。「小野田さん言うとおりです」
反駁はなかった。とりあえずは納得してもらえたらしい。
「まあな、自分で言ったことだけど、おれも一人で考えていたんだし、今、それを反省している」
「わたしも気持ちを改めます」
「それでだ」小野田は要点にふれる。「一号車の爆発事故……いや、爆発事件でおれが気になったのが、正門での一号車の動きなんだ」
「一号車の動き……」眉を寄せた恵美が、ふと、思い出したように頷いた。「前後に行ったり来たりしていました。というより、前進しようとしても押し返されていたような感じでした」
「そうだ。目に見えない何かに押し返されていたようだったな。現に池谷は、いくらアクセルを踏んでも車は前に進まなかった、と証言している。しかし、一号車と四号車のセンサーにも神宮司邸のどのセンサーにも、幼生の反応の記録はなかった。それに、一号車に仕掛けや故障など、不審な点もなかったし」
小野田は一号車爆発事件の直後に、神宮司邸の敷地内に設置されているセンサーや特機隊専用車のセンサーなど、第六小隊管轄のすべてのセンサーを列挙し、それらの記録の一つ一つを確認した。しかしどの記録を見ても、一号車が爆発した瞬間とその前後の時間に幼生の反応は残されていなかった。念のため恵美やほかの隊員たちにも見てもらったが、結果は同じである。
「つまり」恵美は言った。「不可視状態の幼生が押し返していたわけではなかった、ということです」
「なら、幼生以外の透明な何かが一号車を押し返していたか、もしくは後ろから引き戻したか、上下左右のいずれかかその全方位から固定していた、などと考えられるよな」
小野田が説くと、恵美は首を傾げた。
「幼生以外の何か? たとえば、ショゴスとか?」
「それはわからないが……なあ尾崎、長屋で遭遇した巨大なハイブリッド幼生を覚えているよな?」
「はあ……それが何か?」
問い返されるのを期待していた小野田は、すぐに答える。
「あいつの脳は尾の先端にあったが、センサーグラスの反応はいまいちだったよな。ほんの一瞬しか脳の位置を表示しなかった」
「それは、尾が素早く振れていたからです。その早さにセンサーの機能が追いつかなかった――」
正面を向いたまま、恵美は目を見開いた。
「状況によってはセンサーの機能が追いつかないことがある、ということだな」
小野田が言うと恵美は頷いた。
「素早く動く幼生が一号車の爆発事件の現場にいたかどうか、それはわかりませんが、なんらかの事情でセンサーが幼生を見失っていた可能性はあります」
「それも考えられる要因の一つ、ということだ」
「ほかにも何かあるんですか?」
「尾崎はおれに教えてくれたよな? 神宮司邸の敷地の外周に泰輝くんの結界が張られている、と」
「一号車は結界に押し戻されていたと?」
恵美の横顔が驚愕を浮かべた。
「あの結界の中に入れないのは?」
小野田の問いに恵美は答える。
「魔道士……というか、泰輝くんが仲間と認めていない魔道士と、泰輝くん以外の幼生ですね」
「そういうやつが一号車にしがみついていた可能性はない、とは言えないだろう?」
「まさか」
「なんらかの事情でセンサーの機能が追いついていなかったとすれば、一号車の屋根に幼生がしがみついていたとしても、おれたちはそれに気づくことができない」
「なんというか、イメージしづらいですね」
そう言いつつも、恵美は真剣な面持ちで小さく頷いた。
「確かに、イメージしづらいかもな」小野田は言った。「いずれにしても、今のおれに推測できるのは、ここまでだ」
悩みは分け合ったはずだが、行き詰まってしまえば、元の木阿弥だ。
車内は再び静寂に包まれた。
スマートフォンでの対戦ゲームの一戦目が終了した。自分で作ったキャラクターを戦わせるという類いのゲームだが、接戦の末に勝ったのは蒼依だった。上機嫌の蒼依は先ほどまでの体調不良はどこへやら、二戦目の対戦を申し出た。しかし瑠奈は蒼依の体調が気になり、少し休もう、と訴えた。
「しょうがない、休んであげる」
ベッドの端に腰を下ろしていた蒼依が、高圧的な笑みを浮かべた。
「ありがとう」
勉強机の椅子に着いていた瑠奈はそう返し、出そうになるため息をこらえながら室内を見回した。この部屋は山野辺士郎事件において特機隊に保護された蒼依に割り当てられ、それ以来、そのまま彼女の自室となっている。無論、家族と暮らしていた以前の自宅が懐かしいに違いないが、蒼依はそれなりにこの部屋を気に入っているらしい。
スマートフォンをベッドの上に置いた蒼依が、おもむろに立ち上がった。
「ねえ、瑠奈」蒼依の表情は曇っていた。「大場さんが亡くなったこと、大場さんの家族に伝わっているのかな?」
思いも寄らない話題を持ち出されて、瑠奈は逡巡した。
「わからないけれど……でも遅かれ早かれ、訃報は届くはずだよ。ただ、理由はねつ造されるはず」
「だよね」と返した蒼依が、窓際に歩み寄った。
蒼依の精神はかなり不安定なようだ。昨日の爆発事件で被ったダメージが癒えきっていないところにゲームでの疲れも重なったのだろう。今日はもう休ませてあげよう――瑠奈はそう思った。
「工事、もう終わったみたいだよ」
外の様子を見ていた蒼依が言った。
「そうなの?」
スマートフォンを持ったまま立ち上がった瑠奈も、窓の外を眺めた。
本宅の二階と打って変わり、前庭の全景がよく見えた。東の端には誰もいない。分駐所の先のほうまでは窺えないため、黒いワンボックス車の有無は確認できなかった。
「外に出ようよ」
訴えて、蒼依は瑠奈に顔を向けた。
日差しがないのは救いかもしれない。スマートフォンの時計を見れば、正午までまだ三十分はある。
「気分転換しようか」瑠奈は言った。「散歩して、そのあとは本宅で一緒に昼ご飯を食べよう」
蒼依は笑顔で「うん」と頷いた。
第一別宅の外に出て東を見ると、分駐所の先に停めてあったワンボックス車はすでになかった。東の端には、やはり人の姿はない。
瑠奈と蒼依が最初に向かったのは、第一別宅の裏だった。そこにも、作業員たちの姿とワンボックス車はおろか立哨の隊員の姿もなかった。工具類などもすっかり片づいている。
特機隊隊員が立哨に就く位置で瑠奈は足を止めたが、蒼依はつかつかとその先に進み、木立を覗いた。別に見ていけないわけではない、ということを思い出した瑠奈も、蒼依の隣に移動した。
「ふーん」と声にしたのは蒼依だった。「ほかの場所と同じ感じだね。たったこれだけを設置するのに時間がかかる予定だった、っていうのが、なんか変」
「センサーの在庫がなかったから、それが揃うまではこれまでと同じく立哨で警備するしかなかったの。でも、人員が足りなくなったから、早急に設置せざるをえなくなったんだよ。本来とは違うルートで部品を揃えて、どうにか間に合わせたんだって」
そう説明しながら、瑠奈はセキュリティシステムの設置状況に目を向けた。
木立の奥に立つ一本の木の幹に、バンドによって握りこぶし程度の楕円形の物体が取りつけてあった。二メートルほどの高さに設置されたそれが、高感度センサーだ。その上に視線を上げれば、同じ幹の地上四メートルほどの位置にマッチ箱程度の物体が取りつけてあった。これもセンサーらしい。蒼依の言うとおり、それらは敷地内の各建物の外壁や、樹木、塀などの要所要所に取りつけてある装置と同じものである。
「たぶん、もっといろいろと設置したはずだよ」
瑠奈はそう付け加えた。
「じゃあ」蒼依が瑠奈に肩をすり寄せた。「ここの地面の下にも、ほかの場所と同じようにセンサーを埋めたのかな?」
「そうだね。ほかのところと変わりないと思う」
足元を見下ろしながら答えた瑠奈は、顔を上げ、周囲を見回した。足元の土の中に地中レーダーが埋設されているだけでなく、目には入らないが、おそらく無数の小型カメラがあちこちに設置されているはずだ。
「監視カメラも増やされたとか?」
そう尋ねた蒼依に見透かされた気がし、瑠奈は苦笑する。
「おそらくね」
ひととおり確認した二人は、池の鯉に餌をやろうか、ということになり、その場を離れようとした。そして南に振り向いた二人は、目の前に立っている一人の特機隊隊員を見てのけ反った。
「ああ……声をかけていいものか、悩んでいたんだ」
恐縮するその隊員は先ほどの「ヤハギ」という青年だった。彼は改めて「
「いえ、気にしないでください」
若い隊員を不憫に思い、瑠奈は笑顔で返した。
「新しく設置されたというセンサーを見ていたのかい?」
矢作は二人に問うた。
「はい」蒼依が答えた。「でも、ほかのところのと、何も変わらないみたいです」
「まあ、そうだろう。でもゆくゆくは、結界の状態を感知できるセンサーも増設されるらしいね」
言って矢作は、曇天の空を見上げると、感慨深げに目を細めた。
「何か、見えるんですか?」
尋ねた蒼依も空を見上げると、瑠奈も顔を上げた。空は灰色の雲に覆われているだけで、特に変わった様子は見られない。
「結界、だね」
矢作の一言を受けて、瑠奈と蒼依は顔を下ろした。
「結界が見えるんですか?」
今度の問いを放ったのは瑠奈だった。
「ああ、見えるよ」答えて矢作も顔を下ろした。「泰輝くんの結界がね。それから、そのずっと上には、うっすらとだけど、神津山市に張られた結界も見える」
さも当然のごとく説かれ、瑠奈は返す言葉を見失った。蒼依も茫然自失の色を浮かべている。
「幼い頃に覚醒した瑠奈さんや、まだ覚醒していない蒼依さん、二人とも見鬼なんだったね。実は、ぼくも見鬼なんだよ」
無論、そんな答えで瑠奈や蒼依が納得できるはずがない。真っ先に意義を呈したのは蒼依だった。
「たとえ見鬼であっても、結界を目視するなんて不可能なはずです」
「見えるんだからしょうがないよ」
矢作は肩をすくめた。
「じゃあ」瑠奈は問う。「空閑隼人さん以上の能力を持つ見鬼、ということですか?」
「空閑隼人くん以上かどうかはわからない。ただ、結界が見えるようになったのは、訓練を受けた成果さ」
「訓練を受けたって、見鬼としての訓練を、特機隊でですか?」
瑠奈が重ねて尋ねると、矢作は首肯した。
「幼生の気配を察知したり、不可視状態の幼生を視認したり、そういった能力を伸ばす目的と、まだ覚醒していない能力を呼び起こす目的で、訓練を受けた……というか、受けさせられたのさ。ただ、ここに赴任するに当たって、訓練は途中で終了となった。ぼくは特機隊に入隊して八カ月だけど、見鬼であることが発覚したのは、つい最近なんだ。だから訓練期間は一カ月程度だよ」
矢作によると、大阪市に分駐所を置く特機隊第二小隊に属していた彼は、今から二カ月前、一体のハイブリッド幼生を追っていたという。その際に弾みでセンサーグラスが外れてしまったが、不可視状態となって逃走する敵を裸眼で目にし、そのいきさつを第二小隊隊長に報告したのだ。
「見鬼であることが発覚してからのおよそ一カ月間は、正規の任務に就く時間よりも見鬼としての訓練を受ける時間のほうが多かったんだ」
特機隊隊員の中に見鬼がいても不自然なことではない。そして、上層部が着目するのも順当な成り行きだ。しかし解せないこともある。瑠奈はそれを問う。
「訓練って、どんなことをするんですか?」
「詳細は言えないけど、生けどりにした小型のハイブリッド幼生を使うんだ。不可視状態になったそれを視認する、という訓練だよ」
「それって」瑠奈は眉を寄せ、蒼依を見た。「蒼依や隼人さんの小さいときにも、小型のハイブリッドを使って実験したんだったよね?」
神妙な趣で「うん」と答えた蒼依は、矢作に視線を移した。
矢作は続ける。
「不可視状態になったハイブリッドを見る側のぼくが、さまざまな環境下に置かれるんだ。高温の中とか低温の中とか……まあ、いろいろとあったけど、それ以上は機密事項にふれるから言えないな」
「もう一つ訊いてもいいですか?」
瑠奈は確認を図った。
「内容によるけど、とりあえず、どうぞ」
矢作の言葉を受けて、瑠奈は改めて問う。
「結界を見るための訓練は、どんなことをするんですか?」
「西日本のある場所に、古代中国から渡来した魔道士の作った結界があってね、そこでの訓練を受けたんだ」
「古代中国の人が作った結界って、ここだけじゃなかったんだ」
蒼依が驚愕の声を漏らした。
「まあ、この件もこれ以上は言えないけどね」
矢作は言うが、瑠奈は訝しさを感じ、それを口にする。
「二つの訓練のあらましを聞きましたが、どちらも十分に機密事項のような気がします」
「あたしもそう感じた」
蒼依が追従した。
「やっぱり、不審に思ったか」矢作は苦笑した。「実はね、あらかじめ、その程度なら君たち二人に伝えてもかまわない、と本部からお達しがあったんだよ」
「どういうことです?」
瑠奈はさらに訝しく感じた。
「泰輝くんならぼくが見鬼であることを見抜くだろうし、そうなったら、ぼくが見鬼であることは君たち二人の知るところとなるはずだ。そして君たちはおそらく、いろいろと知りたくなる。新設されたセキュリティシステムの実態を見に来たくらいだしね」
そう言われてしまえば、ぐうの音も出ない。瑠奈はもとより、蒼依も言葉を返さなかった。
「だからさ」矢作は続けた。「探りを入れられる前に可能な範囲で教えておいたほうがいい、というお達しを上層部はくれたんだ。言い方を変えれば、これ以上は知らないほうがいい、ということだね。まあ、君たちに話すことに関しては、あらかじめぼくから会長に断りを入れておいたけど」
「お母さんに?」
瑠奈が目を丸くすると、矢作は頷いた。
「許可は得たけど、ぼくが見鬼であることや、見鬼の訓練を受けたことを知って、会長も驚いていた」
「そうでしたか」得心はいったが、また新たな疑惑を抱いてしまい、瑠奈は問う。「もしかして、矢作さんはうちの結界や神津山市の結界の状態を把握するために第六小隊に配置転換されたんですか?」
「確かに、それもある。結界感知システムが設置されるまでは、その働きをぼくが担うわけだ。でもぼくは、ほかの隊員と同じ任務にも就くよ。もちろん、通常の任務では見鬼の能力を活かさなければならない」
「通常の任務で見鬼の能力を活かす……って、たとえば?」
瑠奈が尋ねると矢作は頷いた。
「たとえば、専用車のセンサーはルーフの内側の四隅に一つずつ搭載してあって、結果的に上下を含む全方向をカバーできるんだけど、センサーグラスの場合、構造上、顔を向けている方向を中心として上下左右のそれぞれに四十五度の範囲しかカバーできないんだ。でも覚醒した見鬼ならば、背後に幼生がいたとしてもその気配を感じ取ることができる」
具体的な例を挙げてもらったが、瑠奈の抱く疑惑はさらに募ってしまう。
「まさか特機隊は、わたしの見鬼としての能力を強化したり、蒼依の能力を覚醒させたり、そんなことまでしないですよね?」
自分の声に険があるのを瑠奈は悟った。たたみかけてしまったが、自分たちにとっては重要なことである。
「特機隊が君たち二人を利用するかもしれない、という懸念があるわけだね?」
「当然です」と答えて横目で見ると、蒼依が深刻そうな趣で矢作を見つめていた。もし蒼依が特機隊に畏怖を感じたのなら、それはそれで将来の目標を考え直す契機になるかもしれない。いずれにせよ、今は話を切り上げたほうが良さそうだ。
「上層部はそこまで考えていないよ。だいいち、君のお母さんが許さない」
とりあえず、瑠奈は矢作のその言葉を信じることにした。しかし蒼依の表情は、まだ和らいでいない。
瑠奈が話を切り上げる旨を口にするまでもなく、打ち合わせがあるとのことで、矢作は第一別宅の前のほうから分駐所へと向かった。それを見送った二人は、本宅の裏から反時計回りに敷地内を歩くことにした。
未だに特機隊という組織に心を開いていないが、上手に付き合っていかなくてはならないだろう。改めてそう感じた瑠奈は、蒼依と並んで木立を右に見ながら歩いた。
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