第伍章 4「秘密保持3」
4 秘密保持3
たったの3時間だった。
短くて、短くて、とても小さくて。
自らに設けた時間はとても;:@;。。@l。。「。「、「ll。「。:だった。
ナナは愛銃を拾い上げる。「M9FS」と「デザートイーグル」の二丁。
どこか軽い、今にでも消えてしまいそうな二つの銃を両脚のホルダーに入れる。
「じゃあ、行こうか」
「ええ、そうね」
二人のセリフが聞こえた。
理由は不明だが、ナナの眉間には皺が帯びていた。
「なあ、」
彼の一言が小さな控室に響く。缶やペットボトルが散乱したその部屋で音が重なり、跳ね返り、壁と壁、床と地面。反射係数を増幅させた音モ塊ノが耳へ向かう。
「手は出さないでくれよ、あいつらには」
別に、思うことなどあるわけがないし、二人に信頼を寄せているから――とかそういう意味で言ったわけではないのは確かだ。でも、仮にも自分の家族だった人間を他人に殺させたくはない。彼が自分自身の手で壊してやりたいのだ。世界のために、日本のために、そして何より未来のために。これからもたらす死は受け継がれる。
「分かった。でも、君が手こずったら容赦しないから」
優しさ?
勘違いだ。先ほど、彼の心配の言葉が優しさなのではと言ってしまったようだが、とんだ間違いだ。彼はただ、この組織の行く末だけを気にしていたにすぎない。ナナが失敗し、秘密が蔓延すれば終わり、あらゆる情報が洩れれば、国ごと消滅しかねない。だからこその曲がりに曲がった優しさもどきを口にしたに過ぎない。
ナナは頷いた。ただ、頷いた。特別な感情など抱かずに、やることをやるだけなのだ。彼の生の意義は人を殺めることにある。
さあ、行こう。
――ヒロインを殺めた後の物語に向かって。
無言。静寂の夜に包まれながら三人は走る。
ビルの隙間、小さな路地を駆け、あちこちに散乱する何もかもを蹴り飛ばして進んでいく。派手であり単純であり複雑。一貫性に欠けるその動きには違和感が見て取れる。壁を駆けあがり一気に天井へ。何本と重なり合う建物の高低差を光のように越えていく。
ふと視界に映る鼠や野良猫が目の前を通り過ぎる彼らに驚き、牙をむこうとするがその瞬間には消えている。圧倒的速さ。装備がないのだろうかと客観的に判断してしまうほどの俊敏さは圧巻、彼らが暗殺者と言われる所以の動きだった。
瞳の色は暗く、顔の色は白く。
闇に埋もれるその服装は、まさに死神。ありとあらゆるものに死を届ける神。その代行が彼らである。格好つけても、つけなくても。彼らはプロ、殺し屋としての技術は世界の頂点に君臨する。比べてしまえば殺人鬼など怖くはない。一流の技術は嘘をつかない、何より覚悟が違う。死と多く向き合う者はより躊躇しなくなる。兵役で招集され、いざ戦場に向かってノイローゼになるような使えない人間とは違う。躊躇、慈悲、憐み。そんな気遣い紛いは存在しない。
たった二分。あっという間の時間だった。
当たり前のように真っ暗の病院を視認すると、彼は言った。
「二人はここで待機。俺が裏口から侵入し殺害を開始する。三分経っても戻らなかったら左右に分かれて突撃」
「「はい」」
真っ黒。声色は淀んでいた。
「では、作戦開始」
始まった。
言葉と同時にナナは天空に飛び出した。
ビルの屋上からの大ジャンプ、天を舞う彼はまるで烏。翼を広げて一気に滑空、時速数百キロの空気の衝撃は重みが違った。全身に撃ちつける酸素の弾丸は皮膚から骨へと伝わっていく。血液のように体を循環して、殻のように乖離する。
烏の舞は数秒で幕を閉じ、殻は緊急搬送口にとあるカプセルを投げ込む。
一気に射出する煙の様なものに目を向けながら彼は息を止める。
途端、医者や看護がバタバタと倒れていく。
ジエチルエーテル。昔、化学の授業で習った揮発性があり、甘い臭気を持つ無色透明の液体。教えてくれた先生は匂いを嗅いで気を失ったことがあると言っていた元麻酔薬だ。
全員が倒れたこと確認したところで、無呼吸で突破。
一気に階段を駆け上がる。彼女の病室は六階。一段一段を噛み締めずに、踊り場から踊り場へ、兎の如く飛び跳ねる。無論、可愛くなどない。彼は目つきの悪いただの黒兎だ。
一瞬だった。
文字通り、瞬く間だった。
時計を確認し。まだ一分。表札には「無神ゆり」と書かれており、数時間前に訪れていた病室は何も変わっていない。ほんの少しの会話が頭の中に溢れる。少しだけ気持ち悪い。殺すときは常に無心、平常心を保たなければならない。でなければ照準も狂ってしまう。
一度、大きく深呼吸を行った。
肺に溢れる空気を鮮明に感じて、感情という形のない何かを彼は捨てる。
目を開き、手を握り締め、銃を掴む。
そして、彼は扉を開いた。
すると、彼女は起きていた。
窓を開け、闇に紛れた彼女の黒髪は風に乗って靡いている。絶え間ない心地よい風がその小部屋を循環していた。
彼女の綺麗な横顔もこれでお預けだろう。彼はひしひしと緊張を感じる。
すると、月に向けられていた目線がナナ――いや、クロに映った。
「えへへ……へましちゃったね」
彼女は笑っていた。
銃を片手に持つ少年を見てもなお、ニコニコと笑っていた。
「その、なんか、ごめんね」
一体、何のことだろうか。その言葉の意味を理解などできなかった。
「ねえ――クロ君だよね?」
知っていた。
ゆりは知っていた。
驚きがクロの体を締め付け、もはや言葉も出なかった。
「知ってるよ、私。ちょっとびっくりしたけど、昔からの疑問が晴れてなんかすっきりしたんだ……」
昔からの疑問? いつの話だろう。
一度もそんなことを言ったことはない。
「クロ君って、昔から一日中いないときあったもんね。私の家で暮らしていたときも、お父さんは習い事って言っていたけど、私には何か教えてくれなかったから少し疑問だったんだ」
確かに、彼がこの世界に加担したのは齢九歳。
彼女の家に居候していたときにはもう、暗殺者になっていた。
「やっぱりそうだったんだよね、ちょっと期待していたんだけど――現実っていつも非情だもんね」
笑う顔は、笑っていない。
「でも、さ」
彼女は無表情に変わる。
「私はいつもクロ君の味方だよ、どんなに悪い人になったって、私はいつも一緒だよ……だから、ぁ……ぅ、何かあったら言ってよ――ね?」
すぐに笑った。
漫勉の笑み、よく見ると彼女の肩は震えていた。目の前に訪れた恐怖に震えながらも彼女は彼を気遣い、思いやり、それを言葉にしていた。
力が抜けた、落ちそうになった銃を――――それでも、やらなければならない。
人の生き死になど何度も体験した。
人じゃなくても、動物も虫も植物も。
すべての死を行い、感じ、立ち会ってきた。
今更、一人の死など考えてなるものか、殺すことが彼の意義なのだ。生きる意味は、彼の任務は、暗殺者になった彼に対する責務は、それを執行し続けること。
いずれ死ぬ命、今奪ってしまっても変わらない。地球四十六億年の歴史と比べれば小さいものだ。だから、躊躇してならない。やらなければならない。
優しさも、思いやりも全部は無駄。
要らないものは捨ててしまうのが世の道理。
殺すことは道徳に反する? じゃあ生きるな。
たったそれだけのことだ。
道徳など、人間が作り出した偽善。
偽りの善に意味などない。
彼は感じる。
震えながら笑う、そして涙を流す彼女の表情を目に焼き付け、彼女の表情を感じた。頬を伝わる優しい涙。唇は小刻みに揺れて、負けないようにと握り締める右手からは血が出ている。
弱弱しく光る真紅の眼光は暗闇の中でもはっきりとしていた。
たった一人、孤独に死と向き合っている彼女は月光に照らされ、その震えが一段と分かりやすい。
「ぅ、うぅ……ご、めん」
死を恐れる。
肌から感じる恐怖の感触は、あらゆる経験よりも不快で怖いのだろう。
今にも飛び出してしまいそうな心を押さえつけ、泣き叫びそうな唇を強く噛み締めて彼女はそこに存在していた。
クロは銃を手にした右手を持ち上げる。
リロードの音が小さく伝わり、銃口を彼女の眉間に合わせる。
途端、彼女の方は大きく跳ね上がった。
我慢の限界が、そこまで達していた。もしかしたら、もうはみ出していたのかもしれない。表面張力で耐えていた悲痛に彼女が震えている。
重い、右手が物凄く重かった。まるで車でも持ち上げようとしているかの様なくらい激しい重圧を感じる。指が痛い、腕が痛い、肩が痛い。頭痛さえ感じてしまう。
今まで体験した何もかも薄れてしまいそうなくらいの、とてつもない重みを感じる。
——だが、許してはならない。
——世界の秘密を知った大罪は在るのだ。
——絶対に、消さなくてはならない。その罪を根本から叩き潰さなければならない。
《ありがとう……さようなら》
刹那。
凄まじい轟音が小さな空間に鳴り響いた。
パアアアアァアアアアアアアアアアアアァアアアアアアアアンンンン‼‼‼‼‼
彼が射出した鉛弾は直進する。
風を切る、空間を切る。淀んだ空気を切り裂く。
一秒の千分の一の時間が、永遠に感じられる。
なぜ長いのだろうか? 分からない、理解できるわけもない。
長い、大きい、ここで発生した何もかもが大袈裟に感じられる。
すると、急に銃が軽くなった。今度は木の枝でも手にしているような感覚が指の先から脳へと伝わる。するするっと力の抜けた右手が落ちていくと同時に。
彼女は後ろに倒れていく。
その最中、眉間は砕け、紅が飛び散っていく。
いつも以上に、ゆっくりと飛散するその紅は、真っ白な見えぬ何かを帯びていた。見るだけでも張り裂けそうな高ぶり、全身が震えあがる光景。
虚無が広がる。
儚く散っていく彼女の命。
「2:56」
彼は、その惨劇を無表情で眺めていた。
そこからと言えば普通だった。違うのは待機していたのがニヨンとテンであったことと、影の部隊「S3」の遺体掃除と証拠隠滅が困難になることだけだった。ただ、ナナは「B3」の暗殺者で、やるごとだけをやるのが仕事。片付けなど後の奴らが勝手にしてくれる。気の緩んだ表情で三人は「PARALLEL」へ戻っていく。
「やったんだな」
「ああ、」
心の整理がついているわけがない。
テンの言葉にも、後ろでがやがやしているニヨンにもいちいち耳を向けている余裕はなかった。むしろ、怖いのだ。自分自身で家族を殺したのに涙一粒すらも出てこない。
彼は本質を分かっていない。
いつも通り報告を済まして、時刻は「23:00」
妹が待っている。もしかしたら寝ているかもしれない。
この大罪を隠して、僕は彼女に顔を向けられるのだろうか。
——考えても、考えても。
答えが出てこない。今までは悩んだこと、何一つなかったっていうのに、重い、痛い。ぐるぐると回ってぐちゃぐちゃと混ざる思考に頭がうなされていく。
小さなアパートの決して大きくはない一室。
彼はその扉を掴む。
ガチャっ
「え?」
鍵が開いていた。
なぜだ、幸が鍵を閉め忘れることなんてない――――という考えに至っていた俺は、なんて惨めな人間だろうか。
俺は気づいていなかった。俺はとある大事なことを見ていなかった。
目を背け、考えず、欺瞞と偽善に浸っていたのかもしれない。
自分のいる組織の残酷さに気づけていなかった。
身内の人間を殺した暗殺者を簡単に帰宅させるだろうか? その周りの人々に知られるというリスクがあることを考えたのか?
否。
俺は歩みを進める。
ゆっくりと一歩一歩、進めていく。
病室など比にはならない固く重い雰囲気が平然と存在している。
ドアノブに手を掛けたその時、
(ぉにぃちゃ、ん……)
ドアノブを一気に捻って、中に入ると。
顔面蒼白の妹が地を這っていた。
俺は言い寄った。
彼女の上半身を抱きしめ、首を支える。
「おい‼‼ 大丈夫か‼」
返事がない。呼吸が小刻みになり、額からは熱が発していた。
「幸‼‼ こっちを見ろっ」
すると、彼女のつぶった瞳が薄っすらと開く。
(おにぃ……しん、じゃ、ぅのぉ……kな)
辛い、見るだけで伝わるその苦しさ。
「死なない、大丈夫だ、頑張れ‼‼」
彼女は涙を流す。たった一粒の涙が静かに流れていく。叫びたいのだろう、痛いのだろう、たった十才の少女が大きな何かと戦っている。
(ぃや、だ……よぉ)
俺は何度も叫んだ。
死なない、死なせてなるものか。こんなにも小さい少女がここで終わっていいはずがない
彼女の目は閉じていく。さっきまで握られていた左手も力が弱まっていく。
「待て! まだだ、行くな‼‼‼」
ボタッ。
「う、う、う……あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ‼‼‼‼‼」
なぜだろうか、今更失うものないと思っていた。
そんな俺が瓦解する。
痛い、苦しい、悔しい、辛い。何もかもを壊したい。
嫌だ、嫌だ、嫌だ。
待ってくれ、戻ってくれ、こんなはずではなかった!
なぜ、なんでなのか、何なんだ。
この痛みはなんなんだ。
ふざけるな、何をした。
彼女たちが一体、何をした!
俺が一体、何をやったんだっていうんだ‼
そこで、僕は手のひらを見た。
洗って消えていたはずの、真っ赤な血が今の俺には見えていた。
綺麗な紅色の血、乾いたどす黒い血。
「ああ、そうか」
と。
今更、気づいた。
俺は人を殺した殺人鬼だったのだ。
<後書き>
長らくお待たせしてしまいすみません。
読んでみて分かる通り長く、重要なお話です。
すごく悩みました。
ヒロインを殺すことがここまで辛いとは思っていませんでいた。
さあ、どうする?
クロは支えのない世界でどう生きる?
バットエンド? そんなもの壊してしまえ。
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