第伍章 3「秘密保持2」 2

 「PARALLEL」 会議室1


 ナナは一人で座っていた。

 クハやゴロは怪我で一時的に前線を離れることになった。勿論、ここの研究機材と医療スタッフのおかげで通常の数分の一の時間で回復ができるため、二人ともすぐに復帰できるのだが、その間にも暗殺任務は日々受け付けなければならない。どんなにこなしても、リストの名簿数が減るわけでもないのだ。意外にもその正体を知ってしまう者が増えてしまう。まさに、ジレンマである。

 すると、扉がガチャッと開く。

「『No,007』 ……ですね?」

「ああ」

 今日は所長の姿はなかった。代わりに自分よりも何個も下の役職の女がやってきたのだ。真っ黒なスーツに水色のネクタイをびしっと決めた短髪の女。手にはバインダーがあり、その上に一枚のリストの印刷と、標的の写真が載っている。

 またか、と。ため息すらもつく暇などなかった。

「今回の任務は一名の殺害です。もしも、その行為が見られてしまったら必ずその本人も殺害してください。見たらわかると思いますが、彼女……えー、目標γとでもしときましょうか? γは病院で入院中です。退院日は明日なので今夜に任務を遂行してください。今は十七時なので、四時間後に出撃してください」

「了解」

 ゆりとの面会はできるなと心の中でほんの少しだけの安堵が気の緩む表情に変わって表れた。

「では、資料を」

 そして、すんなりとバインダーを受け取り、その内容に目を向ける。


 刹那、彼の時間が止まった。


 止まったというよりも、感覚時間がとても遅くなったと言ったほうがいいのかもしれない。この瞬間から動きたくない気持ちが増幅したのか、その思いに彼の脳は従順だった。途端に、異常な吐き気ととてつもない怒りが込み上げてきた。


 普段なら常に無感情で任務を遂行する彼からは思い浮かばない表情。あまりの感情の表れに紅潮した顔、だがどこか蒼白に見えるような気すら感じてしまう。怒りと気持ち悪さの混在が彼の表情上で成り立っていた。

 元凶、それが示す、その資料の内容は予想なんてできるわけのない最悪なものだった。


『No,10056 NAME 無神ゆり  札幌支部正面の防犯カメラより、昨日17:05 『No,007』とその他内部の役人を視認。 『No,007』 本名無神クロとの義理の家族。詳細は不明。 本人が殺せない場合、命令は『No,024』『No,010』に移行。』


 強烈な吐き気に苦しみ、目玉が飛び出るような眼球の痛みにも襲われる。

 痛い、痛い、痛い。

 心が痛いというのはこういうことなのかもしれない。感情とはこういうことなのかもしれない。常に無感情で生き、どんなことにも興味を示さない彼の内に秘める何かが爆発しようとしていた。自分自身の家族を殺すのはさすがに心に来るのか……という。



 そんなつまらない幻想を、君たちは想像しているのではないか?



 実際は違う。

 現実と理想は相反するように、幻想と実現は違う。

 彼は感情に飲まれるような役立たずではない。むしろこの道に入ったときから、すべてを承知していた。うどの大木になる気もさらさらない。自分の周りに蔓延する人間は全部が敵、圧倒的な四面楚歌なのだ。

 集まった三人は幻想と同じ説明を聞き、同じ資料を受け取る。

 するとすぐに、テンがナナに向けて言い放った。

「おい、お前、今回はやめとけ。さすがに嫌だろう?」

 中止はない、絶対なのだ。だからこその心配。彼は優しい口調でそう言ったが、そんなものは最初から必要ではなかった。

「了解」

 決してテンにむけられていたことではない。その言葉はスーツの女に向けられていた。

「え、大丈夫なの⁇」

 続けてニヨンが驚嘆したが、ナナの目は曇っていなかった。むしろ、前だけを見据えた表情でその資料を受け取り、綺麗に折ってポケットにしまい、彼は部屋の扉を開けていた。



 その後の四時間は感情も殺して、一人で病院に向かった。

 一日ぶりに会ったゆりの目は昨日よりも穏やかで、なおかつ手も温かった。明日には退院できるよ、という歓喜の言葉に軽く頷いて、他愛もない話をする。今日の授業はどうだったのか、水原や孝介は何をしていたか。どうにも言えるはずがないほどにつまらない内容。一時間経つとバイトと言って、帰る支度をし始める。制服のブレザーを抱えて、リュックを背負うと、彼女が言った。

「その、幸は先に帰ったから、今日はご飯作ってくれるそうだよっ……それでさ、ちょっと耳」

 弱弱しく言った彼女のセリフの通りに耳を近づけるクロ、彼が瞬くほんの一秒、「大好き」という言葉とともに彼女のあたたかい身体とクロのつめたい体と触れ合う。柔らかい女の子の体を感じて男としての高揚感が増していく……はずだが、彼は違った。そんな会心の一撃を狙った女の子のハグに「ありがとう」なんてつまらないセリフを残して、閑散とした病室を後にした。


 帰り道、別に悲しくもない。何も感じない。

 いつも通りの話だ、普通に普通に普通に殺して、ただ帰るだけ。そう定められたシナリオをなぞっていくのだ。仮面の男との会話を通して芽生えかけていた感情という名の心の扉に、もう一度鎖が縛られていく。絡まって締め付けて、心が徐々に曇っていく。

 幼少の時と同じように、言葉のなかったときに、彼女と出会う前の頃のように。

 彼は退化していた。

 それは、いずれ後悔するかもしれない、とてつもない犯罪に手を染める三時間前だった。



《後書き》

 まさかの任務はどうでしたでしょうか?

 心が痛むような内容に泣ける方はいたのかなぁ。。。こんな長い作品を読んでくれたのは嬉しいです。編集抜きにして、この作品は6月中には確実に完結します。完結と言っていいのかはわかりませんが書籍化という願いのためにいろいろな伏線を残しています。

 では、次回の悲しき任務にて会いましょう!

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