第弍章 1「帰宅」2


 中に入ると、奥にはもう一人女の子がいた。

 彼女の名前は「無神(むがみ) 幸(さち)」。

ゆりの実の妹で、クロにとっては義理の妹になる。

短い焦げ茶色の髪に桃色の花の髪留めを付けた、小さくてかわいい女の子。現在小学4年生の現役JSである。


「あ、お兄ちゃん!」


 小さな女の子がこんな時間まで起きていいのかという指摘はあるが、クロはそんなことを気にかけるような人間でもない。だからこそ、そのままのノリでこう言った。


「あ、幸……ただいま」


 椅子に腰かけて手を組み、顎に手をついたその姿はさっきまで一緒にいたあのダメ所長のことを思い出させる。

 だが彼女は、そんなことを思ったクロに対して怒りをあらわにこう言った。


「ねえ、お兄ちゃん。遅くない?」


 さらに、険しい顔でクロを見つめる。


「ああ、その、ごめん」


「約束、覚えてるの?」


 約束……? その二文字を聞いた瞬間、クロは固まった。


 見覚えのないその言葉、一体何の約束をしたのだろうか。数秒考えても答えが見つからない。最近は任務で忙しかったため、日常のことなどあまり覚えていないのが現状。仕方がないの五文字で収めてしまいたいがそういうわけにもいかなかった。


「約束……」


「うん、約束」


「そんなのしたっけ?」


 すぐに幸の顔がギラっと変わった。小学4年生の不良顔、恐らく世界で5番目くらいに怖いものとでも言ってもおかしくないレベルのキレ顔だった。


「は? したよね⁇」


 全く見覚えのないクロにとってはただの理不尽な質問である。そんな風に幸と約束なんてした覚えがない。何か大事なことを忘れている気もしなくはないが、頭の奥深い所にしまっているのか、どこかで落としてしまったのか。何とか思い出そうとするも、結局分からなかった。


「ごめん、覚ええてない……」


「は? まじ?」


「うん、」


「ひどいよ、お兄ちゃん!」


 すると途端に涙を浮かべ始めた。


「え、な、なに? 約束約束、えーっと、約束って、覚えてないよ……」


 流石に泣きだされてはクロもじっとしていられず、


「うーん、なんだっけ。あー、えっと、あれだよね?」


「あれ、あれだよ! お兄ちゃん、昨日言ったじゃん!」


「昨日? うーん……」


「そういえば、確か……遊びに行くとかなんとか……?」


 そこで、ゆりが証言した。


「え、そんなこと言ったの、僕?」


 その証言に少しびっくりして口を開いたが、すかさず幸が、


「言ったよ! お兄ちゃんが学校終わったら、私と札幌駅でお買い物するって言ったじゃん‼」


 刹那、あの情景が思い浮かぶ。


 昨日の夜、幸と同じ布団で眠りにつく前。


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『ねえ! お兄ちゃん!』

『ん?』

『私、学校で着る秋の服ないからさ、買いに行きたいんだよ! 一緒に行かない?』

『あー、いいよ。学校終わったらな』

『うん! 約束ね!』

『うん』


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 この一シーン。


「思い出した?」


 涙目の幸がクロを見つめて言った。


「うん、ごめん」


 もうしらない! と言わんばかりの顔で訴える幸、可愛くて罪悪感が大幅に加わっていく。


「バイトで、その……今日、あったの、覚えてなくて……」


 頑張って弁明したいクロも対抗するが、


「そんなの知らない! だって行くって言ったじゃん‼」


 幸の意志は固く、もう弁明はできるはずもなく、


「ごめん、その……ごめんなさい」


「お兄ちゃん!」


「なに?」


 急に呼びかける幸にクロは驚きつつ、


「じゃあ、明日いい?」


「明日?」


 明日は金曜日、一応学校はあるが仕事の予定は幸いなことになかった。最近の仕事の生き抜きには良いことなのかもしれないと思ったクロは少し間を開けて言った。


「……いいよ、分かった、行こう」


 その返事にさっきまでの泣き顔が晴れて、


「うんん! 忘れたら絶対に、許さないんだからね‼‼」


一蓮托生、恐らくこれも運命なのだろう。

 そんな可愛い約束をした後、ゆりの美味しい手料理を食べて、その美味しさに浸りつつお風呂に入り、布団に入った。

 クロはいつも義妹の幸と一緒に寝ているので、隣にはすやすやと寝ている可愛いお顔がこんばんは! していた。

 そんな可愛さ可愛さ可愛さが溢れまくる綺麗な義妹は本当にクロの誇りでもある。


「じゃあ、おやすみ」


「クロ君、幸と楽しんできてね」


「うん、楽しませるよ、ゆりも行きたいか?」


「わたし? いいよ、それに今年受験だし勉強あるし、ごめんね」


「ああ、大丈夫だ。じゃあ楽しむね、二人で」


 優しさ溢れるゆりは小さな声で、


「うん、ぉやすみ」


「おやすみ」


 朝4時にして、クロとゆりはようやく就寝した。


 2時間後の6時、部屋に差し込む日差しで目が覚める。

 小鳥のさえずり、なんてするわけもなく。ただただ明る太陽の光だけが小さな部屋を包んでいた。耳には、ゆりがフライパンで目玉焼きを焼く音が永遠と入ってくる。パジャマ姿のゆりはまた違う良さがにじみ出ていたが、そんな美しい姿に見とれる時間はない。


 昨日の仕事のおかげで自分の宿題がまだ終わっていない。

 英語と数学のテキストの課題、英語の和訳と数学のデータの二つである。クロは昔、日本語でさえも話せない人間であったが、今はゆりのおかげですべての学問が達者になってきている(地理は苦手です)。


「ああ、数学だるい」


 英語は仕事の関係でたまに海外に行くことがあるのでまあまあ得意科目であるが、数学は普通。30分何とかペンを走らせてギリギリ終わらせることが出来た。


「終わったー」


「あ、クロ君。宿題終わった?」


 するとエプロンを制服の上に来たゆりが言ってきた。


「うん、ご飯できた?」


「あ、うん、今日はちょっと手抜きだけど……」


 さすがに2時間弱しか寝てないゆりの目の下には小さなクマが出来ている。


「いいよ、大丈夫」


「えへへ、ごめんね」


「ゆりの料理は美味しいから全然いいよ」


 優しい言葉に彼女は頬を赤らめて、


「ん、ありがと……」

 

 席に着きゆりの料理を数分で食し、すぐに全身黒の制服をを着て、赤いネクタイをキッチリ締める。


「クロ君、準備できた?」


「ああ、できたぞ」


「幸は?」


 夜一緒に寝た幸は朝見るといなくなっていたことを思い出しクロは言った。


「ん? あ~幸は今日、早めに出て行っちゃったよ、クロ君との約束がすごく嬉しかったんだろうね」


 朝6時にはもう登校している……早すぎないか?


「早……」


「ほんとよ、私が止めても我慢できないから行くって言っちゃうんだもん」


「大丈夫なのか?」


「……たぶん、公園で遊んでるんじゃないの?」


「にしてもなぁ」


「幸なら大丈夫よ」


 少し不安が残る、そんな思いも胸の内に秘めて玄関の扉を開けた。

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