クサイモノに銃声
霜月秋旻
クサイモノに銃声
状況は今、極めて深刻である。私は窮地に陥っている。あたりは静まり返っている。今、私に救いの手を差し伸べてくれる者は誰一人としていない。私は最早、立ち上がることも出来ない。立ち上がった瞬間、すべては終わる。私が今まで築き上げてきた清純なイメージが一気に、ジェンガのように崩壊するだろう。それだけは避けたい。なんとかこの状況を打破する策を練らなくてはならない。
私は神を憎む。今日は大切な日なのだ。思いを寄せる彼女との初デートだ。一目惚れから始まり、今までアプローチし続けようやくデートまでこぎつけたのだ。ようやく一緒に映画を観ることが叶ったのだ。だというのに、神は残酷な試練を私に与えた。
今、私の隣には彼女がいる。私の隣で、私と一緒に映画を観ている。映画に夢中だ。映画の中で犯人に銃を突きつけられている、刑事役の西島秀年に夢中だ。彼女は西島秀年の大ファンらしい。正直、少し嫉妬している。しかしそんなことは今、どうでもいいことだ。今、私はものすごく、オナラがしたい。
犯人は今朝食べたポテトサラダか、さっき寄ったファーストフード店で食べたフライドポテトか、そのあとに飲んだコーヒーか、いずれにしても原因を作ったのは私自身だ。神を憎むのは筋違いな話なのかもしれない。神は乗り越えられない試練など与えないと誰かは言った。つまり今のこの状況、この試練も乗り越えられるはずである。しかしこの静まり返った映画館。スクリーンの中では今、緊迫したシーン。この状況でオナラをしたものなら、観客全員の注目を浴び、彼女に恥をかかせることなる。そして彼女は私を軽蔑するだろう。彼女と会うのも今日で最後かもしれない。そして彼女の口から、私の今日の珍事を彼女の友人達に暴露されることだろう。後ろ指さされる毎日をこれから過ごすことになるかもしれない。
私の腹は、ガス爆発まで最早一刻の猶予もない。さようなら愛しの彼女、そしてようこそ醜態の瞬間。限界だ。さあ観衆ども、私の豪快なオナラの音をじっくり堪能するといい!
と次の瞬間、スクリーンの中で銃声が放たれた。耳を覆いたくなるような轟音が、私のオナラと共に響き渡る。息をのむ観客達。銃で犯人に撃たれ、その場に倒れこむ西島秀年。私の隣で彼女は顔の下半分を両手で覆った。ショックだったろう。少し涙ぐんでいた。まわりの観客達も、同じしぐさをしていた。この映画館内、ほとんどが西島秀年目的で観に来ているのだろう。スクリーンの中で倒れている西島秀年を観て、殆どの人間が悲しんでいる。
しかし今、私は内心ガッツポーズだ。勝った!運は私に味方してくれたのだ。私のオナラの音は、さきほどの銃声にかき消されて誰にも気付かれなかったのだ。ありがとう銃声、そしてざまあみろ意地悪な神。映画を観に来て今日ほど清々しい気分になった日はなかった。
銃で撃たれた西島秀年は生きていた。そして犯人は無事確保された。ハッピーエンドで映画は終わった。彼女も満足そうな顔をしていた。
しばらく座席に座ったまま余韻に浸る観客達。私の付近にいたカップルや友人グループの間では、映画の感想が飛び交っていた。もっとも私は映画に集中できなかったが、なんとか困難を乗り越えることが出来た。
「なあ、そういえば西島が撃たれたとき変なニオイしなかったか?」
「あ、わかる!してたしてた!くさかったよな」
「すんごい臭くて思わず鼻と口ふさいじゃったよ」
背後から聞こえる男共の声に、私は早くその場から逃げたくなった。やはり音は消せても、ニオイを消すことは不可能だったらしい。
「ねぇ、さっきオナラした?」
隣にいる彼女が突然私に尋ねた。
「凄いニオイで思わず涙ぐんじゃったの。ねえ、オナラした?」
真顔で尋ねる彼女に、私は返答に困った。さあ、更なる試練の始まりだ。
クサイモノに銃声 霜月秋旻 @shimotsuki-shusuke
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