キョウチクトウ

みやび

セミ、うるさいな。

 そんな夏の日にありがちな文句を心の中で溢しながら、僕、日日樹たちごりいつきは外を見ていた。

 場所は学校の教室。昼休みになり、生徒たちがスマホでゲームするなり、談笑に興じるなりする中、日日はただ1人、机に座って窓から外を見ていた。

 スマホはあいにく充電が一桁台にまでなっていた。まあ、昨日充電し忘れた事が原因だが。

 じゃあ昼寝でもしようか、と机に突っ伏してみたものの、彼の席は窓際、しかも外は木がたくさん生えていることもあって、窓を閉めてもセミの大合唱が耳に入り、とても寝れたもんじゃなかった。

 せめて二重窓にしてくれればいいものを…

 日日はまた心の中で愚痴りながら、ただ景色を見ていた。

 「よお、ニッチー。随分と陰気じゃねえか。まるで死にかけのセミのようだぞ。」

 そう声をかけたのはクラスメイトの宮下。色黒の肌に短髪、そして長身といかにもスポーツマン的な感じの男だ。

 「僕は今まさに、そのセミ達に悩まされてる所だよ。」

 「何だよ、夏休み間近なんだから、もっとハイになろうじゃねえの。」

 「僕はそこまで陽気じゃない。」

 ガハハ、と宮下は笑った。

 「それよりさニッチー、八奈見やなみいるだろ?あの別のクラスのアイドルのやつ。」

 宮下は言う。

 「うーん…あ、あの八奈見さんのこと?」

 「八奈見といったら1人しかいねぇだろ。この学校に何人八奈見がいると思ってんだ。」

 宮下は呆れたように言った。

 「いいだろ別に。さほど興味がある訳ではないし。」

 「これだからお前は…。ま、お前らしいな。」

 宮下は妙に納得した感じだった。

 「そんなことより、今日いるらしいぜ。八奈見。」

 宮下は少し興奮した口調で言った。

 「え、今日来てるんだ。てっきり仕事かと思ったよ。」

 「お?少しは興味あるってか?ニチニチも隅に置けないねぇ。」

 「こんな俺でも、アイドルが学校にいるという興味だけは少しだけ持ち合わせてるんですよ。」

 日日は少し気怠そうに言った。

 八奈見凪沙なぎさはこの学校の生徒であり、同時に国民的アイドルグループのメンバーの1人として活動もしている。その美貌とキャラのせいか、現在ではバラエティ番組でも活躍しているのをたびたび目にする。

 普段は仕事のため、学校を空けることが多い彼女だが、この日は来ているとのこと。

 「しかしどうしたんだろうな。急に学校に来るなんて。」

 宮下は率直な疑問を口にした。

 「そんな不思議なことでもないだろ。一応この学校の生徒なんだから。」

 「まあ、そうっちゃそうだけど…。」

 宮下はなんだか腑に落ちない感じだった。

 「そんな気になるなら本人にでも聞いてみたら?せっかくいるんだし。」

 日日は少し悪戯っぽく言った。

 「で、出来る訳ねぇだろ!そんな易々やすやすと…。」

 宮下は意外にも弱気だった。

 「なんだ、お前ならいけそうな感じだったのに、意外だな。」

 日日は少し驚いた。

 「だってよお…アイドルだぜ。そんな簡単に話掛けられるかっての。」

 そう言って、宮下はため息を吐いた。

 日日は宮下の意外な生態を知りつつ、席を立った。

 「お、どこ行くんだ?」

 「飲み物買ってくる。」

 「ちょうどよかった。じゃあ俺の分も…」

 「所持金1人分しかありませーん。」

 宮下を軽くいなし、日日は自販機へ向かった。

  

 ◇


 「あ、八奈見さんだ。」

 見知らぬ女子生徒の声が聞こえたが、八奈見凪沙はそのまま歩き続けた。こんな風に声を掛けられるのは慣れてるし、いちいち反応してたらキリが無い。

 「あ…行っちゃった。」

 「なんかテレビで見るのとイメージ違うね」

 「ファンサービスってやつ?」

 「いや、ただ単に疲れてるだけかも…」

 後ろから何か聞こえるが、構わず歩く。歩く姿は彼女がただの女子高生ではないことを感じさせる凛としたオーラが滲み出ていたが、彼女の脳内は8時間ぶっ通しで接客を任されたアルバイトと同じくらいの状態、つまり倦怠感で満たされていた。

 久々に仕事がひと段落ついたので、ちょっと学校に行くだけ行ってみようと思ったら、これである。まあ本当は別に行かなくてもいいのだが、だからといって他にやることもないので、今に至る。

 そもそも私は、元来が人嫌いなんだ。プライベートぐらいゆっくりさせてよ。大体、液晶画面の中でいつでも会えるだろう。「みんながイメージしてる社交的な八奈見凪沙」に。

 そう心の中で愚痴ってみても、だからといって周りに伝わるわけではない。まあもう、分かってることだけど。

 「あ、なぎちゃんだ!おーい!」

 また別の声。ああもう、うざったい。それはもう、指先にくっついた接着剤のような。

 しかも何でその名で呼ぶのだ。私、あんたとそんなに親しい関係でもなかろうに。ああもう、鬱陶しい。鬱陶しい。鬱陶しい鬱陶しい鬱陶しい。

 頭の中で渦巻く憂鬱を糧に、八奈見は廊下を足早で駆け抜けた。歩を進めていくうち、やがて人気ひとけの無い中庭にたどり着いた。頭の中が暗い青色から、だんだんと白にリセットされてく。

 「ふう…とりあえずひと安心…かな。」 

 ほっと一息。とりあえず何か飲もう。出来ればいつもの微炭酸飲料を…。

 「…ん?」

 ふと中庭の端のところに目が止まった。そこは木や草が生い茂っていて空間が深緑に染まっているのだが、そこにポツンと白い花が咲いていた。

 確かこれは…キョウチクトウだ。

 キョウチクトウ。竹みたいな細長い葉と花の形が桃に似てることが特徴の花である。漢字表記でも夾竹桃きょうちくとうと書くぐらいだ。ただし桃と違って、花は白だが。

 こんなところにあるなんて珍しい。きっと種が風に飛ばされて、ここにたどり着いたのだろう。

 わぁ…キョウチクトウなんて久々に見たなぁ…。以前は道路沿いにも植えられてたけど、すっかり刈り取られちゃったし。

 八奈見はすっかり目の前のキョウチクトウに魅入られていた。その目はまるで、子猫をでる子供のようだった。

 綺麗だ。花弁は汚れがないかのように白い一方で、葉はまるで刺々しい。二つの異なる雰囲気が、絶妙なまでにマッチしている。

 でも、この花は…

 「何してんの?」

 「うわぁ!?」

 突然掛けられた声に驚く八奈見。

 振り返ると、冴えないくせ毛の男子がいた。


 ◇


 飲み物を買った帰りのことだった。

 目的の微炭酸飲料を手に入れ、教室へと帰る途中ふと窓に目を向けると、‘‘彼女‘‘がいた。

 ふうむ、「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」ということわざがあるが、まさに彼女にピッタリだった。植え込みにかがんだ姿もなかなか美しい。

 それにしても、あんなところで何をしているのだろう。ここからだと具体的な様子はわからない。まさか野良猫みたいに粗相している訳ではなかろう。

 そんなわけで、ただ単純に何をしてるか気になったので、声を掛けてみたところ、相手は大いに驚き、おまけに警戒の目を向けてる。

 まあ、まず向けるよね。しかも面識のない、こんな陰オーラ丸出しのメガネ男子に声掛けられれば。

 「誰アンタ…?」

 あ、喋った。てかホントにテレビと違うな。「テレビの中の八奈見凪沙」なら、演技でもない限り、相手に向かって素で「アンタ」とは言わないだろう。

 てゆうか彼女が声を掛けたことに、正直言って、少々驚いている。てっきり、黙って逃げ出すのかと思っていた。

 「あー…」

 思わず情けない声が出てしまう。いかんいかん。

 「自分は2年3組の日日樹たちごりいつきって言うんだけど…」

 「タチゴリ?タチゴリタチゴリ…うーん…」

 「あ、姓は日が2つで『たちごり』って読むの」

 「あ、そうなの。ふーん」

 八奈見は何か探るような目つきで見てくる

 「…ニチニチってあだ名付けられてそう。」

 うっ…言ってくれるな。この女。

 「…何?」

 「え?」

 「いや、最初に声かけといて用無しってのはないでしょうよ。何か用でもあるの?」

 八奈見は威圧感ある口調で迫ってくる。そんなところも美しい。

 「あ、ちなみにあたしは八奈見。八奈見凪沙ね。…まあ、言わなくても分かるだろうけど。」

 八奈見はなぜか自己紹介しつつも、僕に警戒の目を向けている。

 「いやちょっと、そんなところで何してんのかなって思っ…あ。」

 ふと、僕の目に、白い桃のような花が目に映った。

 綺麗な花だ。しかし、どこか鋭さを感じさせるものがある。多分、この葉がそうさせているのだろう。竹のように、鋭利な葉が。

 僕は一瞬、その花に魅入られてしまっていた。何故かはわからない。でも、それはまるで、非行に走る喜びを知ってしまった優等生のような、そんな気持ちだった。

 ーーこの花は、魅入られてしまうくらいの危なさを持っている。

 「キョウチクトウっていうの。」

 後ろから掛けられた八奈見の声で、僕はハッとなった。

 「桃のような白い花と、竹のような鋭い葉が特徴なの。あと大気汚染にも強いから、都市緑化に利用されてもいるの。」

 頼んでもないのに、八奈見はこの花の解説をしてくれた。

 「へぇー…」

 「何その興味なさそうな感じ。せっかく解説してあげたっていうのに。」

 八奈見は少々不満そうだった。

 「いやその…詳しいんだなって。花、好きなんだ?」

 「まあね…おばあちゃん、花が好きだったから、その影響で…」

 八奈見は少々俯き加減に行った。少し照れが見えるのは気のせいだろうか。

 そんなことを思いつつ、僕はその「キョウチクトウ」とやらに手を伸ばしてみた。

 「それ、毒あるよ。」

 「えっ?!」

 突然、八奈見が言うもんだからまた情けない声が出てしまった。しかも右手を勢いよく引っこめるというリアクション付きで。

 「剪定した時に出る白い液が毒なの。しかもかなり強力だから皮膚に触れただけでも炎症を起こすし、それを燃やして出た煙にだって毒が残る。」

 「・・・。」

 「どうしたの?」

 「いや、何かピッタリだと思ってさ。」

 「ピッタリ…?」

 「いや、この花さ、ちょっと危険な感じがしたんだよね。んー、雰囲気は綺麗だけど、よく見たら危ないというか、何ていうか…。」

 僕は次につなげる言葉を探す。ヤバい、出てこない。

 「・・・。」

 八奈見は黙っている。あ、ドン引きされちゃったかな。

 「…分かっちゃったんだ。」

 「え?」

 「この花、キョウチクトウの真実的なものを。」

 八奈見は薄ら笑いを浮かべている。それはまるで、自分の教え子が自力で数学の答えを導き出し、それに満足している教師のようでもあった。

 「えっと…。」

 このパターン、どう返せばいいんだろう…。

 「それよりもっ!」

 突然、八奈見が声をあげた。

 「その飲み物ちょうだいよ。私もちょうどそれ飲みたかったの。」

 そう言って八奈見は、僕が持ってる微炭酸飲料を指した。

 「ホライゾンデューでしょそれ。程よい柑橘系がおいしいやつ。」

 その通り。甘すぎない味、強すぎない炭酸が特徴の飲み物、それがホライゾンデュー。僕の大好物でもある。

 「あ、これ?でも…。」

 これは自分の、と言いかけた時だった。

 八奈見はいきなり僕のホライゾンデューをひったくった。

 「んな!?」

 そして缶のプルトップを開け、のどを潤しにかかった。

  ―いきなりが過ぎる!それ130円もしたのに!

 学生にとって、130円はそこそこ値が張るものである。

 「ありがとさん。美味おいしかった。」

 彼女が缶を渡す。それも空き缶であった。つまり飲み干したのであった。

 「ゴメン。間接キス期待した?」

 彼女が言う。

 「は?」

 いきなり何言い出すんだこの人。 

 「残念ながら、全部飲み干してしまいましたとさ。」

 「いや、別に望んでないけど。」

 「あ、そう。ま、やったらやったで厄介なことになるだろうけどね。」

 「どういう意味だ。」

 「そういう意味。」

 なんだこの会話。

 「はいこれ。」

 そう言って八奈見は、ポケットから何かをつかみ、それを僕に手渡してきた。それは130円だった。

 「ホントにありがと。これでまた自分の買えるでしょ。」

 勝手に飲んだくせによく言うよアンタ…。まあ金返してくれただけまだいいか。

 「ついでになんだけど。」

 八奈見は、自分のスマートフォンを出した。

 「連絡先、交換しない?」

 「は?」

 この日2回目の「は?」である。

 だって相手は八奈見である。あの学生アイドルとして有名な八奈見凪沙である。そんな彼女に、いきなり「連絡先交換しよ。」なんて言われたら僕だってこんな声も出るわ。

 「何よ?不満?いいじゃん私だってクラスメイトの連絡先ぐらいほしいもの。」

 そんな理由かいな。でもだからってなんで僕なんだ。ちょっとこの場で親しくなった感じなだけだぞ。意味が分からん。

 「うーん…、じゃあ、はい。」

 でも、僕はスマホを差し出していた。理由はわからない。でも、別に交換してもいいかな、そんな気になっていた。何でだろう。本当にわからない。

 「りょーかいっ。じゃあ、これをこうして…。」

 八奈見が交換手続きをした。それはすぐに終わった。

 「はいっ、これで終わり。じゃあお仕事行かなきゃいけないから。」

 彼女はさっと踵を返し、構内へ駆け戻っていった。

 中庭に僕だけが残される。スマホを見ると、新しい連絡先があった。

 そのプロフィール写真は、アザミの花だった。

 


 

 

 

 

 

 

  


 

 


  

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

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