22「親となり」

 藤北館・奥座敷(親家の寝室)。


 戸次親家は布団の上に文机ふづくえを置き、苦しい表情を浮かべながら震える手で書状に花押かおうしたためていた。


 体調が思わしくない中、字を書くよりも起き上がているのが困難だった。

 本文は右筆ゆうひつが執筆しているが、花押かおうだけは当主である親家自らが記さなければならないもの。


 安東家忠が側で補佐ほさをしていたが、流石に手出しは出来ない。


 時間をかけて花押を書き終えると、家忠を呼び書状を手渡した。


「家忠よ。早急に沓掛殿の御家族、並びに木付殿へ、急ぎ届けてくれ。して、しかと沓掛の御家族は戸次家が責任を持って面倒を見ると伝えよ」


かしこまりました」


 家忠は小走りで退室していくと、部屋のすみひかえていた賀来治綱かく はるつなが声をかける。


「親家殿、ご無理をなさらずに。少し横になられた方がよろしいのでは」


「御心配をお掛けして申し訳ございません。しかれども、これは戸次家当主としての責務でございますので。まだ十時や由布たちにも文を書かなければなりませんので」


「左様で。ならば、わたくしめは薬湯やくとうでもせんじて参りましょう」


 賀来は腰を上げて、退室していった。

 部屋には親家のみ。

 次の書状に花押を書こうとした時だった。


「父上」


 呼びかけられた方を向くと、部屋前の廊下に孫次郎が胡座あぐらを組んで座していた。


 親家は厳しい目つきで孫次郎をにらみつける。


「‥‥出ていけと、言っただろう。なぜ、そこに居る?」


「父上がお怒りになられた理由が解り、もうひらきに参りました」


「‥‥」


 黙したまま孫次郎を見る。

 発言を許されたと思い、孫次郎は口を開く。


「‥‥父上は、討死うちじにとなった者の“御家族の代わり”にお怒りになられたのだと」


「‥‥誰ぞの入れ知恵か?」


「己自身で気付き‥‥いえ、お梅に言われて気付きました。お梅が、もし身共が父に怒られていなかったら代わりに怒っていたと」


「そうか‥‥。たしか、お梅の兄上も此度の戦に参じてくれていたのだったな」


「存じ上げていましたか?」


「この身は参陣出来なかったのだ。誰々がさんじてくれたかは、充分知る時はあったからな。それで、お梅の兄の消息しょうそくは?」


「戦いに不慣れな者たちは後備あとぞなえとして後方に待機させていましたので、おそらく無事であり、今は馬ケ嶽城の守備を受け持っているはずです」


「おそらくか‥‥」


 ビクっと身体を震わせる孫次郎。

 戦いに不慣れな者々を後軍に待機させていても、血気けっきはやって、後軍から抜け出し、馬ケ嶽城攻めに参じていたかも知れない。


 もしそうだとしたら、お梅や親家に伝えた内容が虚言きょげんとなってしまう。

 孫次郎の身体中に脂汗が浮かび上がる。


「‥‥まあ、良い。家忠に藤北の者たちについては一通ひととおり聞いておる。後軍にひかえていた藤北の者たちは指示通りに待機しており、負傷者は出ていないとのことだ。それに馬ケ嶽城を攻め落とした後に家忠が負傷者を確認して、与次郎らしき人物については何も言っていなかったから、“おそらく”無事であろう」


 その言葉に孫次郎は安堵するものの、最初から負傷者や犠牲者を正確に把握していれば良かったのと強く内省した。


 親家はまぶたを閉じて、再び開いた時、いつもの優しさにあふれる眼差しで孫次郎を見つめる。


「孫次郎。此度こたびの戦いは我ら戸次家の名誉の戦いであったが、戸次とは関係無い方々も参陣してくれた。参じてくれた所以ゆえんは、これまでの御恩や恩義の為。または、ただ単に恩賞を目当てだったかもしれない。所以は人それぞれであろうが、人の信や義をないがしろにしてはならぬ。人の死の恨みは恐ろしい。此度の弔い合戦もそうだ。因縁の元となる。ゆえに、討死した者やその家族に、礼と義を尽くさなければならぬのだ」


 親家は咳払せきばらいをして、一呼吸を置く。


「‥‥孫次郎よ。そもそも此度の戦を御屋形大友義鑑様が、我ら戸次家に任せたと思う?」


 今更と思いつつも孫次郎は答える。


「それは曽祖父・親貞公が馬ケ嶽城で討死となった因縁の地。だから弔い合戦という大義名分を‥‥」


「たしかに、廿五年前の馬ケ嶽の因縁があったから都合が良かったと言ってしまえばそれまでだが‥‥。お主も見聞けんぶんした通り、馬ケ嶽城は藤北より遠く離れている。移動や兵站へいたんなどを考慮すれば、此度協力してくれた木付や吉弘に出軍要請をした方が無難ぶなんだ。普通の軍師なら、そう申し出る。にも関わらず、御屋形大友義鑑様が、わざわざ戸次に軍立ちを御下命ごかめいくださったのは、御屋形様たちの約束だったからだ」


「御屋形様‥‥たち?」


 親家は少し間を取り、話しを続ける。


「少し、昔の話しをしよう‥‥」



   ■□■



 戸次親家は幼い頃より大友義鑑の父・大友義長の小姓、そして近習として仕えていた。


 時の幕府(将軍)により勘気かんきをこうむり、本貫地の所領を没収されて落ち目になっていった戸次家ではあったが、義長と歳が近く幼馴染おさななじみという間柄だったのもあり、目にかけてくれていたのもあった。

 主人と家来の間柄よりも友達や兄弟のような二人で、良好な関係を築いていた。


 時は流れ、あの将軍跡目争いによる大内とのいくさ

 豊前国の要衝ようしょうだった馬ケ嶽城を落とされ、そこを守備していた祖父・戸次親貞は自害し果てた。


 その報せが府内――親家に届いた時、親家はせきを取るように腹を切ろうとしたが、大友義鑑の父親・大友義長が止める。


「ならぬぞ。それはならぬぞ、親家!」


「止めてくださるな、親匡ちかただ(大友義長の初名)様。拙者せっしゃも馬ケ嶽に駆けつけて祖父に加勢しなければいけなかったのに、やまいでままならず、槍を振るうことができなかった‥‥。本来なら祖父と共に城をまくらにする運命だったのです。軍場いくさばに出られない武士など如何に無用なものか。それがしのお気持ちをご理解いただけないでしょうか」


「今ここでお主が腹を切ったところでなんの意味も無い。犬死以下の行為こういぞ」


「‥‥しかし、どちらにしろ、此度の敗戦の責を取らなければなりません」


「そうだろうな。だが、戸次家に厳しい沙汰さたがあろうとしても出来る限り取り計らう」


「そのよう恣意的しいてきな物言い‥‥宿老たちに何を言われるか」


「構わん。有能な家臣‥‥いや、友の一人を守れずに、何が大友の当主だ。親家、約束する。必ずや戸次家の名誉挽回めいよばんかいする機会が訪れたのなら、必ずや、いの一番にお主、戸次家に命じる。もし俺の代で訪れなかったとしても、子や孫の代の時に訪れたのなら、戸次を主軍として出軍を命じる。故に、その時が来るまでどんなことがあろうと耐えて、準備をおこたるな」


「‥‥かしこまってそうろう


 親家が頭下げると、瞳に溜まっていた大粒の涙がとめどなく零れたのだった。


 その後、将軍家跡目争いが決着し、大内との戦も終結した。

 大友親治・義長は、大内との関係修復を図るため、一部の家臣たちが大内との戦を“独断で強行した”と転嫁したのである。

 その一部の家臣に戸次が含まれており、大内が納得いくように処罰が行われた。


 当然、戸次家が独断で戦をする訳が無く、大友家の命令に従ってのこと。

 加判衆を除斥じょせきされ、戸次家の地位は底に落とされた。


『俺が無力だった。すまない、親家‥‥』


 義長から詫びられたが、親家は処遇しょぐうをおとなしく受け入れて汚名をかぶった。


 それが大友家にとって最善であり、義長が必ず名誉挽回を与えてくれるからと信じていたからだ。



   ■□■



「名誉挽回の機会は義長様が御存命ごぞんめいの時にはおとずれなかったが、約束は義鑑様に受け継がれていただき、此度の馬ケ嶽城攻めの出軍を命じてくれた。あの時の約束を果たしてくれたのだ」


「その様なことが‥‥」


「わしと御屋形様たちだけの約束だったからのう。覚書おぼえかきなどを取り交わしておらん、ただの口約束。だが、その約束を果たしてくれると信じて疑いはなかった‥。いや、あれは“信じる”というものではないな。あれこそ“”だった」


 親家は背を伸ばして姿勢を正すと、目を見開き、孫次郎を見つめる。


「此度の戦を‥‥勝戦かちいくさとなったのは、出軍のご機会を与えてくださった御屋形様の義理立て、落ちぶれた戸次に残り仕えてくれた松岡や井手たち御家来衆に、由布や十時、藤北の方々。そして宇佐や木付、沓掛殿と数多の方々が懸命けんめいに戦ってくださったお陰だ。それをきもめいじておくのだぞ」


かしこまりました」


 孫次郎は深々と頭を下げ――おのれを恥じ入る気持ちが沸き出て、自己嫌悪にさいなまれた。


(此度の戦において、俺は何を成したのだ‥‥。ただ、『かかれ』と叫んでいただけだったに過ぎないのではないか‥‥。もし父上が病気でなければ‥‥。もし父上が居なければ‥‥)


 親家が居なければ、弔い合戦も軍立ちも、そして勝利も成り立っていないのかもしれない。


 ふと孫次郎を思う。

 よしんば御屋形様が約束を守ってくださり、子の自分に出陣を命じたとしても、どれだけの人が集まり戦ってくれるのだろうか。


 今になって‥‥いや、今だからこそ、親家が大きく見えた。


 孫次郎はおもむろに顔を上げて、親家を刮目かつもくする。


「‥‥父上のように成る為には、如何いかがすれば良いのでしょうか?」


 その言葉に親家は少しだけ頬を緩んでしまい、やがて視界がにじんでしまった。


「‥‥そうだな。お前も知っての通り、わしは病弱なものもあり、人前に立ち、武などを示すことが出来ない弱い人間だ。そんなわしが唯一出来たことが、全ての人やことに対して、見守ることだった」


「見守る?」


「そうだ。ただ見るのではない。見守るのだ。見守るというのは、どういうことか解るか?」


「より見る‥‥注視ちゅうしする‥?」


「そうだな。見守るというのは人によって様々なとらえ方ができるだろう。わしの見守るは‥‥」


 親家は文机ふづくえに置いていた筆を取り、紙上一杯に大きく『親』と書いた。


「この字の通りだ。親という字は“木の上に立って見る”と書く。上に立つ者だからこそ周りを見渡すことが出来、逆に目立って見られてしまう。また“親”は大友・戸次の通字とおりじであるが、この名はわしに誇りとほまれ、そして信条を与えてくれた。親のように見守る。みなの“親”となりこそ、人となりであれと思っている」


「親となり‥‥」


 孫次郎は頓悟とんご(一気に悟りを開くこと)のようにハッとし、頭のタンコブに手をあてた。

 これまで親家がどのように人とせっしてきたか光景が過ぎっていく。


「だから、御家族の代わりに‥‥その者の親となって、お怒りになられたのですね」


「‥‥うむ」


 親家は噛みしめるように静かにうなずいたのであった。


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