03「連なりて」


 雷神を斬り伏せた声望は豊後に響き渡ったが、その代償は大きかった。


 かみなりを直撃した影響か、親守の下半身に麻痺をわずらいい、思う通りに動かせなくなっていた。


 現代的に診断をしたとするのなら神経を損傷したのだろうが、当然、この時代では未知なること。


 何ヶ月経過しても症状は回復せず、雷神の呪いや祟りだとも世間でささやかれた。それならばと寺の住職、神社の神主にお祓いをして貰ったが効果は無かった。


 親守は居館の藤北館で床に伏せる日々に激しく後悔して、悔し涙で布団を濡らしていた。


 足が動かせないであるのなら、駆けることも馬に乗ることも戦場に赴くことも出来ない。

 つまり武功を立てられず、戸次家の再興がついえてしまう。武家の子に生まれたにも戦場に出られないのは、この上なく恥辱であった。


 主家・大友家の為に勤められないのであれば、自分がこの世に生きる意味は無かった。

 義弟に家督を譲り、憂い無く切腹しようとも覚悟を決めた時だった――


「親守、何処におるか?」


 勝手知ったる我家の如く、どかどかと足音と立てて、貫禄のある壮年の男性が室内に入ってきた。

 その者は大友家の二十代目当主であり主君…大友義鑑おおとも よしあきであった。


「お、御屋形おやかたさま!? どうして、こちらに?」


 上半身を起こし布団から出て折屈しようとしたが、義鑑は静止させると親守の側に腰を落とした。


 主君による下の者の家への来訪は滅多めったなものではない。

 もし招き入れるとしたら、御成おなりと云い、家主やぬしは言葉の通りにご馳走ちそう‥‥家の財を投げ打ってでも海や山の幸を取りそろえ、余興よきょうを催したりと相応なる準備をしなければならなかった。


 大友家と戸次家……同じ祖を持つ一族であり遠い親戚の間柄だが、戸次家は庶流しょりゅう

 先の失態しったいで大友一族の中では低い扱いになっており、主君の義鑑がわざわざ府内から戸次家に訪れるほどでは無いのだ。


「見舞いだ。話しは聞いた。なんでも雷神を叩き斬ったらしいな。府内でも話題になっておるぞ。で、その戦いで受けた傷が思わしくないみたいだが?」


「……はい。足が麻痺まひしており、動かすことができません」


「医師はなんと?」


火傷やけどは完治しているのですが、この足の麻痺についてはなんとも解らず、さじを投げられた始末です」


「そうか……! どうして泣いている?」


 親守は瞳から大粒の涙が溢れていく。

 主君義鑑が見舞いに訪れてくれた感謝と、この足の麻痺では、これからのいくさ働きが出来ない無念むねんが混ざり合った感情が溢れ出たのである。


「御屋形さまの御心遣おこころづかい、真にありがたく……恐悦至極きょうえつしごくにございまする。しかし、この身体では御屋形さまの為にも、お家の為にも奉公はままなりません。おのれ不甲斐ふがいなさに悔しくて……悔しくて……」


 義鑑はしばし黙っていると、自分の膝にパシーンと叩いて音を鳴らした。


「こんな所で伏せ続けてるから、弱気になるのだ、気分転換がてらに外の景色を見に行かんか?」


「し、しかし……」


 足を動かせないのだ。外に出歩ける訳がない。相手が主君でなければ、「ふざけるな」と怒鳴りつけただけではなく、叩き斬っていただろう。


「歩けないのであれば……こうするのだよ」


 突如、義鑑は親守を布団から引張り出すと、背負せおったのである。


「お、御屋形さま! な、なにを!?」


「さあ、参るぞ!」


 義鑑は親守を背負せおいて藤北館を出たのである。


 この時代の主君の地位は遥か高く、家臣ですらも気軽に話しかけられる相手ではない。ましてや実の子でない親守が主君の義鑑に背負われるというのはありえないことであった。


 親守を背負う義鑑の姿に、警護けいごに付いていた近習たちが驚きの声をあげては、右往左往と戸惑っていた。普通の反応だ。


 近習がすぐさま義鑑の側に駆け寄り、膝を着いて話しかける。


「御屋形さま、何をなさっているのですか?」


「なーに、親守に外の景色を見せてやろうと思ってな」


「でしたら、私共が戸次を背負い……お、御屋形さま!?」


 近習たちの言葉を無視して歩き出す義鑑の後を仕方なく黙って付いていくしかなかった。

 親守は忸怩じくじたる思いにさいなまれていた。


 歩けない姿どころか主君に背負われている姿を他者に見られるというのは、武家の者としてあってはならない。


 家臣が主君の手を煩わせてしまっていけないのは当然として、自分が傷を負っていても主君を背負うべきである。近習たちが殺気立っているのが肌で伝わってくる。


 今すぐ腹を切らなければとならないと気持ちが駆り立てしまう。

 しかし主君の背中で暴れる訳にはいかない。地に置かれた時にでも、速やかに切腹するつもりだ。


 藤北館周囲を散歩するだけだと思っていたのだが、義鑑は坂道さかみちを登っていく。目指す先は鎧ヶ岳のようだ。


 鎧ヶ岳には行きたくなかった。


 雷に打たれた恐怖を思い出すからではなく、幼い頃のように駆け巡れなくなってしまった身体に惨めさを感じてしまうからだ。

 周りの景色を見ないようにと義鑑の背中に埋める。


 義鑑は親守の心情を察することはなく、どんどん山を登っていく。

 重い荷物を持って斜面を登るのは、とても大変である。それに整備されていない山道。岩もそこら中に露出して転がっている。平地の府内で暮らす義鑑にとっては不慣れな場所に悪戦苦闘であろう。額から滝のように汗が流れ、息遣いも荒くなっていく。


 それが、より親守を苦しめる。本来なら自分が御輿みこしを担ぐべきである。自身の足を動かせなくなっただけではなく、主君に苦労をかけさせている。家臣として断じて許容きょようできないものであった。


「さあ、着いたぞ。親守、顔を上げよ」


 義鑑が云った。

 親守はおもむろに顔を上げると――鎧ヶ岳の北の方角には、多数の田んぼが点在する大分平野が広がり、府内の町並み、その先に別府湾に、沖ノ浜(瓜生島や久光島)、そして国東半島の陸地が見えた。


 鎧ヶ岳の頂上に二人は立っていた。日が傾き夕暮れの時刻だったが、見晴らしがよく、幼き頃より見知った風景で何度も見てきたが、何処までも澄み渡り、ここまで明瞭めいりょうに見えたのは初めてだった。


「どうだ、親守。お主の足が悪く歩けなくとも、この景色を眺めたであろう」


「で、ですが、それは御屋形さまが、ここまで……」


「そう、わしがここまで背負ってきたからだ。親守……わしとお主とは、主君と家臣の間柄だが、元を辿れば大友家と戸次家は同じ大友の血を引く……言わば家族だ。家族ならば背負ってやっても何の問題もなかろう。それに覚えてないかもしれんが、お主が赤子の時に、こうして背負ってやったのだぞ。あの頃と較べたら重かったが、まだまだお主を背負ってやれるぞ」


 不意に景色がぼやけだしてしまう。

 先ほどの無念の涙ではなく、自分の為にここまで山道を登り連れてきてくれた感謝の思いがこみ上げてきた涙だった。


「泣くな、親守。足が動かせなくとも、お主が望むのなら、わしがこうして背負って、この景色を見せてやろう。遠慮無えんりょなく頼るが良い」


「どうして……どうして、私なんかの為に?」


「この府内……。いや、この豊後の地は、お主の戸次家を始め、臼杵、吉弘、志賀。あの由布岳の先にある筑前の国にいる立花、高橋。そして肥後の菊池。これら氏族は大友の血筋と縁がある。お主たち家族が居てくれて、大友家を支えてくれたからこその景色だ。ゆえに、わしもお主たちが居なければ、この景色が観れなかったと云っても良い。感謝するぞ、親守よ。この景色をこれからもわしに観せてくれ」


 足を動かせなくなったしても義鑑は親守自分を必要としてくれているのを強く感じた。


勿体無もったいなきき、お言葉です……」


「して、これから何を望む?」


「御屋形さまの為に……大友家の為に、まだ奉公ほうこうを勤めて参りたいです」


「そうか。ならば励むが良い。足が悪くとも何かすべはある。このように誰かに背負われていくさに出ても良いだろう。遠くから矢を放つも、大声で兵を鼓舞こぶするもある。泣く暇があるのなら考えるのだ。お主にはまだ、その頭が、その手が。そして、わしがいるのだ。忠義を尽くしてくれるのなら生きるがよい!」


「はい……」


 親守は泣いた。赤子のように泣きじゃくる。

 かつて赤子の時に義鑑に抱っこして貰ったことがあるが、当然、親守は覚えてはいない。義鑑だけが知る思い出。


「そうじゃ。この度の雷神討伐の褒美ほうびをまだ与えてやってなかったな。よい頃合いだ。お主に偏諱へんいを授けよう。鑑……鑑……鑑連あきつら。鑑連でどうじゃ」


鑑連あきつらですか?」


「あの由布岳のように連なり、いつまでも大友家と戸次家が続いていくようにと込めてな」


戸次鑑連べっき あきつら。偏諱、ありがたく頂戴いたします」


 この時代、偏諱……主君などの上の者からの名前を一字を下賜かしされるのは名誉であり、その者から認められたという証明であった。


 穏やかな風が吹き抜け、親守ちかもり改め、鑑連あきつらの頬をそっとなでたのであった。



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