フラーゼ家のタウンハウス⑤

 ステラはテーブルセットの椅子に腰掛け、店主が戻ってくるのを大人しく待つ。

 足をブラブラさせていると、暇だと思ったのかジョシュアが話しかけてきた。


「ステラはお酒に強い?」


「飲んだ事がないので分からないです」


「あれ? そうなんだ。栄養の為に麦酒あたりを飲んでいるかと思ってた」


 彼の発言は少し興味深い。

 最近では状況が変わってきているのだが、昔はお酒が食事と一緒に出されるのは普通だったらしい。

 比較的安価に作れる酒は、水分であり、栄養源だったからだ。

 ジョシュアは育ちが良さそうに見えるが、彼の家では奢侈品ではなく、栄養としてお酒を飲んでいたのだろうか。


 疑問が顔に出てしまったからなのか、ステラが質問する前に彼は事情を話してくれる。


「父がアルコールが弱いくせに、酒好きでさ、酔っ払ってよく母に殴られてたんだ。だからオレの前で飲酒するときは『栄養の為~』とか言ってたんだ。結局肝臓やられて死んだから笑っちゃったよ」


「ジョシュアも弱いんですか?」


「強くはないかな。アルコールを大量に飲むとある事ない事ペラペラ喋ってしまう」


「そうですか」


 適当な会話をしていると扉のベルが鳴り、店の中に大男が入ってきた。

 手に持っているのは酒樽なので、業者なのかもしれない。

 彼は乱暴な仕草で樽を置き、怒鳴り声を上げた。


「店主はどこだ!? 出て来い!」


 テイスティングの準備をしていた店主が慌てた様子で戻り、目を丸くする。


「ロン、何で戻って来た? さっき売った量じゃ足りなかったか?」


「あぁ!? 量なら充分だ! お前がワインにしこたま水を混ぜ込んで、俺に売りつけやがったんだからな!」


 ロンと呼ばれた男は言い放った後、店主の胸倉を掴みかかった。

 いきなりの荒事にステラとジョシュアは目を見合わせる。

 ロンが言っている事が正しいなら、この店でブランデーを調達するのはやめた方がいいと思われるだけに、二人のやり取りが気になる。


「ワインに水!? そんな悪事を働くわけがないだろう! よし、その樽に入っているワインを俺にも飲ませてくれ!」


「今更なにを言ってやがる!」


「寝耳に水なんだよ!」


「うるせー! ワインに水を入れるに飽き足らず、次は耳の中に水だと!?」


「バカもんが!」


 馬鹿だ阿呆だの応酬になってしまった。これでは埒があかない。

 ジョシュアも同じ事を思ったのか、二人の間に割って入った。


「しょうがないなぁ。店主、オレにその樽のワインを飲ませてよ。こういうのは第三者が確かめた方がいいでしょ?」


「兄ちゃん、アンタが試飲してくれんのはいいけど、適当な事言いやがったらただじゃおかねーぞ!」


「オレは君達どちらの味方でもない。さっさとオレ達の用を済ませたいだけだよ。店主、グラスを持って来て」


「あ、ああ。分かった!」


 店主は再び奥へと走って行った。この分だとステラが頼んだブランデーのテイスティングなど忘れてしまっているに違いない。店主はグラスを片手にすぐに戻って来た後、ロンの酒樽からコルクを抜き、コックをグッと差し込む。

 そして豪快に樽を傾けてグラスの中にワインを注いだ。


「色が薄い……ですね」


 赤ワインと言うには薄すぎるが、ロゼワインの可能性もある。

 試飲でどういう判定が下されるのかと、ステラはドキドキしながら見守る。


 ジョシュアはグラスの中身を一口飲んでから断言した。


「この赤ワイン、水で割られているね」


「ほらな!! この店の悪評を王都中に広めてやるよ! もう二度とこの店には客が来ないと思え!」


 勝ち誇るロンに店主の顔色は青ざめる。


「やめてくれ! そんな事をしたらお前の普段の悪行を言いふらす!」


 再び言い争いを始めてしまった二人に、ステラは流石に辟易としてきた。

 そこである提案をしてみる。


「私がこのワインを元通りにしてみせます」


 ジョシュアを含めた男性三人がギョッとした表情をした。


「そんな事出来るのか!?」


「おそらく……。うまくいったら、もうこの件で揉めるのはやめてほしいです。いいですか?」


 店主とロンは揃って微妙な顔をしたが、渋々といった感じに頷いてくれた。彼ら自身落とし所が分からなくなっていたのかもしれない。


「大丈夫……?」


 半笑いで問いかけてくるジョシュアにステラはハッキリと言った。


「あの、出て行ってもらえます??」


「えー……」


 スキルを使用するところをあまり見られたくはない。

 彼の雇い主側であるポピーの望みが彼女好みのフレグランスの獲得なので、ジョシュアを警戒する必要はないのかもしれないが、念のためだ。


 ジョシュアは何か言いたそうな顔をしたものの、変に食い下がらずにドアから出て行く。


「店主さん! 清潔な桶を二つ用意して下さい!!」


「お、おう!!」


 どうやってワインを元通りにするのかと言うと、単にスキルを使って水を抜くだけだ。


 店主は早急に準備を整えてくれ、店内の中央に大きな桶二つと件の酒樽が並んだ。

 ステラはまずは酒樽からコックを外し、その中身を桶の中に注ぎ入れる。


 樽の中からドバドバと出てくるワインは、桶に入れてもやはり色が薄い。

 その色合いから脱水する分量を考え、右手に力を集中させる。


(スキル発動! 『物質運動』)


 『物質運動スキル』は、ステラ自身使いこなせていないと感じるのだが、どうも指定した対象の状態を変化させるようなのだ。今まで試してみたところ、氷なら水に、水なら水蒸気に、などの効果は確実にあり、シスターアグネスからは絶対に人に向かって使ってはいけないと口すっぱく言われている。

 今はこのスキルを利用し、液体から気体へと変化させるつもりだ。

 物質運動スキルは対象を指定できるという優れものなので、水割りワインの中から水のみを指定する。


 ステラが心の中で念じると、紅い液体が波打ち、モワモワと水蒸気が立ち上がった。

 それを逃さないように力加減を調整して、手の中に集める。

 球状になりゆく水蒸気を目の当たりにした店主とロンが感嘆の声を上げる。

 正直気が散るので黙っていてほしい。ここで水蒸気を手放すと店の中が湿っぽくなってしまうのだ。


(ええと、次は……液体に)


 再びスキルを使用し、空いている桶の上で集めた水蒸気を液体に戻す。

 ジャッと流れ落ちたのは無色透明の、正真正銘の真水のはずだ。

 うまくいった事に満足し、ステラはニンマリと笑った。

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