フラーゼ家のタウンハウス③
朝食後、ステラは邸宅内にあるポピーの部屋に連れて来られた。
豪華な内装の中に溶け込む婦人は、高く編み上げられたプラチナブロンドの髪に花や小さな人形等を盛り付けており、かなり独創的だ。ステラの三倍程もあるふくよかな肉体は、レースまみれのドレスを身に纏っている。
ステラが名を名乗ると、彼女は鷹揚に頷き、聖ヴェロニカ修道院のロゴが入った瓶を手に取った。
「お前がこのN105 041525の『聖ヴェロニカの涙』を作った修道女と聞いたが、間違いないか?」
「はい。この者がそちらの『聖ヴェロニカの涙』を製作した__」
「黙りな! お前に問うているのではないわ!」
ニコニコと説明し始めたジョシュアに、ポピーは目にも止まらぬ程の速さで扇子を投げつけた。ジョシュアはそれを顔面で受け止め、パタリと倒れてしまう。
彼女の意に沿わない言動をとったら、自分も扇子の餌食にされるかもしれないので、ステラはブルブル震えながら必死に頷く。
「リ……リボンの端に『St』の文字が書かれているのでしたら、私が作ったもので間違いないです……」
「ふん。ちゃんと書かれておるわ」
リボンをヒラリと弄んだ彼女は何を思ったのか、瓶を封じているコルクを抜き取り、ハンカチの上に中身の液体を垂らした。
たちまち爽やかで、甘酸っぱくもある香りが部屋中に広がる。
「この香りを初めて嗅いだ時、幼き日の思い出が蘇った。家での窮屈な日々を厭い、脱走したのだ。その時に出会った遊牧民の雄がこの様な香りを漂わせていた」
「恋をしたんですか?」
ステラは言った直後に、地雷を踏んだと気が付き、顔を青くする。しかし……。
「ち……違うぞ!! 私は……私は……ああ!!」
ポピーは両手で顔を覆ってしまった。
顔面を真っ白に塗りたくっているので、顔色は良く分からないが、もしかして恥ずかしいのだろうか?
彼女は苦しげにゼイゼイ言い始める。
さすがに心配になり、ステラは彼女の背中をさすってあげた。
「ぐ……ぐふ……。恋などではない。断じてな! だが……、あんな風に自由になりたいと思った。せめて心だけでも……」
なんて事だろう。ポピーの気持ちが痛い程分かる。
修道院で廊下の掃除をするだけの日々を送っていたステラは、心の奥底で自由を求めていた。
湧き上がる親近感。気がつけばポピーの身体をガシッと抱き締めていた。
側に控えている女性達が騒めく。
「ぐっほ!? な……何をする!?」
「ポピー様の気持ち、分かります! 庭に吹き抜ける風になれたら、空を飛び回る鳥になれたら、どんなにいいかと思うんですよね!?」
「おお、そうだとも!! これ程話が合う女とは始めて会った!! 俄然お前に頼み事をしたくなったわ」
「オリジナルのフレグランスの調香ですか?」
「ああ。お前が作った『聖ヴェロニカの涙』も悪くないが。もう少し野生的なニュアンスが欲しい」
「野生的……」
「嗅ぐだけで、腹の奥底からエネルギーが湧く様な香りだ。細かい注文はつけない。お前の感性で調香してみろ」
ポピーと話しているだけで、何故だかヤル気が出てきた。
一領地を治める領主の奥方をやっているだけあり、人を動かす才があるようだ。
(力強く香るフレグランス……、私も嗅いでみたいな……)
ステラはポピーから腕を離し、その右手を両手で包んだ。
「私に任せて下さい!! きっと素敵なフレグランスを作ってみせます!」
「頼んだぞ」
もしかすると、この仕事はステラが生きてきた中で一番やり甲斐があるものになるかもしれない。
ポピーとの出会いは、そんな予感を強く感じさせてくれた。
◇
「ビックリしちゃったよ。オレが気絶している間に、君ってばあの気難しいポピー様と打ち解けてしまってるんだもん」
ポピーの部屋を辞した後、ステラはジョシュアに連れられ、フレグランスの材料や着替えの服を買いに、繁華街へとやって来た。
まずその人の多さに驚く。そして見た目の多様さにも。
今まで地方都市の修道院で引き篭もっていたステラは、一緒に暮らす修道女達や、時折訪れる業者の男達としか会わない。それゆえに、通りに溢れる人々の姿にカルチャーショックを受けている。
ステラは思わず立ち竦んでしまったので、ジョシュアが一人で喋りながら離れて行く。
「オレの話聞いてる? ってあれ!? ど、どこに!?」
彼は返事が無い事に慌てたのか、若干コミカルな動きで辺りを見回し、ステラを目に留めた。
そして直ぐに来た道を戻って来る。
「ビックリさせないでよ。ちゃんと付いて来てくれる?」
「世の中にこれだけ人が多いだなんて知りませんでした。神様はこんなにたくさんの人々の祈りをちゃんと聞き届けてくださっているんですね」
「大半の祈りはスルーされちゃってると思うけどね。取り敢えず足を動かす! いいな?」
「分かりました」
(あ、今の隙に逃げられたのか……。でも、もうポピー様の願いを叶える事にしちゃったしな)
自分の要領の悪さに呆れてしまうが、生まれもったものなので仕方がない。
ジョシュアはステラの逃亡を恐れたのか、並んで歩く事にしたようだ。
二人連れ立って最初に行ったのは、ドライハーブを取り扱う店。店内に入ると様々なハーブが混ざり合ったいい香りが漂っていて、気持ちが安らぐ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます