プロローグ②

「ごめんよ。素で驚いちゃった。えぇと……、コレを作ったのは君だと言っていたよね? 本当なの?」


 少年は青いリボンがかけられた小瓶を持ち上げる。そのリボンには遠目からでもシッカリと『St』の文字が見て取れた。


「そうで__」


「シスターステラ。今すぐ貴女の部屋に行きなさい。夕食時まで出て来ないでください!」


 シスターアグネスはこれ以上ステラが話すのを望んでいないのか、怖い顔で一喝した。まるで宗教画に描かれている悪魔の様だ。


「え……でも……」


 自分が去ってしまったら、劣悪な『聖ヴェロニカの涙』を制作した犯人を逃す事になるのに、いいのだろうか?

 それに、少年との話が宙ぶらりんになるのも気になる。

 彼の方を向くと、困った様な表情でステラを見ていた。

 放置するのは礼儀に反すると思われる。


 戸惑うステラにシスターアグネスは追い討ちをかけた。


「早くしないと夕飯抜きです!」


「ヒェェ!? それは嫌です!!」


 朝まで空腹で過ごす苦痛と、少年に対する礼儀を天秤にかけたら、一瞬で取るべき行動が決まってしまった。


「それでは、ご機嫌よう……」


 静まり返る室内にペコリと頭を下げ、談話室から退室する。

 少年には申し訳ないが、空腹には勝てなかった。




「シスターアグネス、凄い剣幕だったな。お客さんは怪しい素性の人?」


 人の素性は見た目によらないのだと聞いた事がある。もし彼がステラのスキルに気が付き、利用してやろうと考えるタイプの人なら、シスターアグネスのあの態度は納得出来る。

 なにしろ、ステラは修道院に預けられた最初の春に賢者から有難いお言葉をいただいているのだ。

 「このスキルは死体の山を作るだろう」と。

 平和の為に祈りを捧げるのを使命としているこの修道院は予言を不安視し、聖女へのレールを外すだけでなくステラの存在を世間から隠す事にしてしまった。

 だからステラは“良識ある大人達“に従うのを望まれている。



 翌日、いつもの様にホウキとチリトリを持って回廊へとやって来たステラを待ち受ける者がいた。


「こんにちは。シスターステラ」


 繊細なレリーフが施された柱に、ベージュ色の髪の少年が背を預けていた。

 昨日談話室に来ていた客人だ。

 目の前に立たれると、随分と身長差がある。

 『聖ヴェロニカの涙』の件が片付いていなかったのかと、冷や汗が流れる。


「ここは男性の立ち入りが禁止されているエリアなのですが」


「談話室と目と鼻の先なんだから、大した違いはないよ。それよりちょっと話そう」


 昨日は優し気に見えた風貌が、今は何故か恐ろしい。

 彼の紅茶色の瞳が光の加減で紅く見え、人外じみている。


 コツリコツリと革靴の底を鳴らしながら歩み寄る少年から離れたくて、ステラは一歩二歩と後ずさる。

 壁に背中がくっついたら終わりな気がする。


「院長さん達は、どうしても君をこの修道院から出す気はないみたい。彼女達にとって、フラーゼ侯爵家はそんなに信用無いのかな?」


「さ、さぁ……? 何ででしょうね」


 スキルの事を話す訳にはいかないので、ステラはしらばっくれる。


「警戒する必要なんかないのに。ねぇ、ステラ。僕の主の母君が、君が作った『聖ヴェロニカの涙』の香りを気に入っちゃったんだ。だから製作者に折りいって頼みたい事があるんだって。僕がここに来たのは、製作者を探し出し、フラーゼ家にお連れする為なんだ」


 自分が作った胃腸薬で死人を出したかと思っていただけに、少年の話が意外だった。

 迷惑をかけるどころか、赤の他人の心を動かした。

 ステラは動揺する。

 自分が作った物を認めてくれた人に会ってみたい。


 でも、他人に迷惑をかけたいわけじゃないのだ。

 抱いてはいけない願望を、なけなしの精神力で抑え込む。


「すいません。私はこの修道院を出ません。諦めて下さい」


「侯爵様の母君の依頼を聞いてくれたら、君の両親を探してあげると言ったら?」


 凄い踏み込みようだ。

 だけど、この提案はステラを誘惑するどころか、冷めさせた。

 少年はどういう方法かで、ステラの身の上を調べ、最も心の隙間を突ける案を提示している。そこまで手間をかけるのが怪しい。


 ステラは壁側に追い込まれつつも、しっかり顔を上げて、睨み付けた。


「お断りします。自分を捨てた人達の事を、知りたいわけないじゃないですか」


 少年は残念そうな顔をしてみせつつも、ステラの前から退かない。


「まぁ、それもそうか。でも断られちゃったら、強行手段に出ざるを得ないんだよね」


 腕を掴まれる。それも、かなり強い力で。

 何らかの力の流れを感じ、ヤバイと思った時には遅かった。

 少年が「ゴメンネ」と呟くのを聞きながら、ステラの意識は遠のいた。

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