第85話 六権

 王城の門を抜けて、城内への扉の前に停車した馬車を降り、俺たちは黙々と入城する。その間、クレイウスはどこからともなくハットを取り出して被った。明治から大正にかけての正装に近いものを感じる。

 扉を開いた先には、メイド服を纏った若い女性が、恭しく頭を下げながら待っていた。


「ようこそお越し下さいました、《大魔導》の御二方。フレイヴィール王国城のメイド長、アスカリットと申します。議場への案内を申しつかっております」


 アスカリットと名乗ったメイドは、下げた頭を持ち上げてから挨拶した。

 クレイウスも帽子を脱いで一礼する。それに続いてイデアもお辞儀した。


「クレイウス・アグドノイアだ。召集に応じて参上した」

「側付きとして参りました、イデアと申します。本日はどうぞ、よろしくお願いいたします」


 俺も軽く一礼し、互いに会釈を終える。するとアスカリットは踵を返し、城内へと促し、先行していった。俺たちもそれに続き、歩き出す。

 城内には、以前よりも多くの衛兵が駐留し、俺たちを見ては敬礼してくる。俺は無視しているが、クレイウスはにこやかに手を振って応えた。

 気のせいか、今日は城内の空気が荒々しい。何か興奮しているような、緊張しているような。独特な熱気を感じ取れる。

 それはそうだ。なにせ今日は、王国政界の最も重大な会合があるのだ。


 六権会議——六つに分けられた国の方針を決める権利者たちが一様に揃い、決議を行う非常会議である。

 フレイヴィール王国には、政務院、財務院、法務院、軍務院の四つの部署があり、それぞれがそれぞれの議案優先権を持っている。

 例えば、予算案決議なら財務院が、軍事演習などは軍務院が、それぞれ優先的に意見を飲ませられるということだ。

 そしてそれらを統括し、王国の方針を定める最終決議権を持つのが国王。王族は特級階級として多数の権利を有しているが、政治的決定権は国王本人しか持っていない。

 そして、その決議に待ったをかけ、あらゆる議決に拒否権を持つ特級階級こそ、《大魔導》なのだ。

 この拒否権は、個々の武力を特定の権力に集中させないようにするためのものである。

 例えば軍務院が俺たちを囲い込んだとする。すると軍事力は飛躍的に上昇するだろう。「魔法の歴史を大きく進めた」というのは、その技術力への称賛と同義なのだ。

 だが、これは同時に、クーデターも起こし易くなるということになる。王家が消滅すれば、国政は瓦解し、国家の存続が不可能になるだろう。

 分かりやすい一例として軍務院を挙げたわけだが、日本の歴史を振り返ってみると、昭和初期の陸軍の台頭が、議会への発言権を増大させていったという事実もある。

 政府に進出した陸軍の行動は、政権を事実上破壊していったと言っても過言ではない。

 司法権の暴走もまた、十分にあり得る。かつて欧州にて広く取り入れられていた絶対王政において、裁判権は国王が持っていたが、愚王はそれを濫用し、自身の政策に反発する人々を悉く処刑していった。

 と、武力とは国政を大きく揺るがす重要な要素の一つである。権力が最も必要とするのは武力だが、権力が最も恐れるのも、また武力なのだ。

 王権、行政権、軍事権、財政権、司法権、特別大権。これら六つの権利を総称し、六権とするのだ。


 そんな、ストッパーのような役割を持つ俺たちは、豪奢な装飾にてふんだんに彩られた城内を進んでいく。俺も何度か王城に入ったので、ある程度の道は記憶できているので、道に迷うことはない。

 当然のように歩く俺とクレイウスの後ろをイデアが物珍しそうに見渡しながらついてくる光景を見ると、自身の内面で構築されつつある権力への慣れがよく分かる。

 風貌もさることながら、驚くべくはその規模の全容だ。そんな規模にも目移りしなくなった俺の感性が恐ろしい。

 それはともかく。


「なぁ、お前。大分冷や汗を流しているが、もしかしなくても緊張してるのか?」


 俺の言葉に、ピクリと反応した男が一人。


「え、緊張? アスカリットちゃんは緊張してるのかい?」


 面白そうな話題のネタに、がっつり食いついてきたクレイウスを、イデアと二人で遠い目で見ていると、アスカリットが口を開いた。


「いえ、別に」

「そうか? 上手く隠しちゃいるが、心拍、呼吸共に細かくなっている。それは緊張時の反応だと思うんだがな?」


 ビクッ、と体を震わせたのを、俺は見逃さなかった。

 俺がそれを見極めたのは、単にゼルクレアとの契約の反動である。困ったことに、注意して感じれば、相手の心拍数や呼吸音の変化など、生体反応の機微を敏感に感じ取ってしまう。

 ……まあ、お陰で色々と気づけるようになった訳だが。嘘を見破ることも意外と容易い。

 するとアスカリットは、さらに呼吸を早めて肩を縮こませた。心拍が上がり、額から冷や汗が垂れている。

 これは過度な緊張から来るストレス反応だが……ストレッサーは何なのか?

 と、その時。


「アルーゼ君、それ以上彼女を虐めるのはやめてあげたまえ」

「……珍しくお前が良識的なことを口にしたことに色々と思う節はあるがそれはさておいて、虐めるってのはどういうことだ?」


 口を挟んだクレイウスの方を見れば、呆れたようにため息をついていた。


「君、今の言動だと、男爵辺境伯なんかみたいに下使えの小さなミスをチクチク口に出す嫌な奴のようだよ?」

「……え、嘘。そんな風に捉える?」

「僕らはともかく、普通の人からすればそう捉えるよ。君の性格からすれば、きっと『緊張しなくていい』と言いたかったんだろうけどね。普通の人の感覚なら、間違いなく何かまずい事をしたのかと考えるよ」


 ……確かにな。


「え、そうだったのですか?」

「ああ。だからもっと肩肘の力を緩めて歩け。そんなに緊張されると、こっちだって悲しくなる」


 緊張するのは当然だ。俺だって今、政治の場に立ち続けてきた父さんと兄さんの二人と共に会議に出るのだ。緊張しないはずがない。

 ただ、過度な緊張は体に負担を負わせてしまう。緊張は適度であるべきなのだ。

 ホッ、と胸を撫で下ろす姿を見ながら、俺は何とも言えぬ感覚を覚えた。

 なにせ美味しいところを全て持っていったような感じだしな。狙いあっての行動も、その狙いごと理解した上でそれを妨害するような人間だからこそ、いけすかない人物なのである。

 ともあれ、大分緊張が和らいだ様子だ。まだ多少の緊張は残っているが、それは必要な緊張であると言えるだろう。

 結果オーライなのだが、クレイウスが邪魔した結果が良いものであるという事実が気に食わぬ。悪い方向にいかないのが、クレイウスの性の悪い点である。糾弾することができないのだ。何しろ結果はいいものだから。

 本当に、俺はこいつが嫌いだ。


 暫く歩いていれば、自ずと距離は縮む一方である。

 ようやく辿り着いた大部屋には衛兵が何人も集い、守護を固めている。携えているのはランスなのだが、こんな室内で振るにはあまりにも相性の悪い武器なのではないかと思うが、そこは価値観の差異である。

 二言三言連絡を交わしたアスカリットは、衛兵が扉の横に退けたと同時にこちらを振り返った。


「どうぞ。この先でございます」

「ああ、ありがとう。助かったよ」


 クレイウスが笑って会釈した。俺は軽く一礼して扉を開くべく取手に手を触れる。

 冷たく冷えた金属の温度が俺の手に触れる。氷のように肌を突き刺す怜悧な感覚に身を晒した。

 ここから先は国政の中心。多くの国民の生活に関わることが決定される。その中には間違いなく、俺の見知った人々もいるだろう。

 ひとつ深呼吸。辺りを歩き回る兵士たちの全身鎧の音でバレることはないが、やはり緊張していることを悟られたくはないな。

 ……腹を括れ。

 心の中で一言だけ口にしてから、俺はその扉を無心に開いた。

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