第60話 最初の授業
それから二日後のこと。
俺は珍しく、徹夜をせずに眠り、しっかりと睡眠をとっていた。
今日は朝から忙しくなるため、事前に計画していた予定があった。
この学舎での、最初の授業である。
俺が
基本、学舎の生徒たちは在籍クラスこそ決められているものの、好きな講演を選択して授業を受けることができる。定められた回数の授業数をこなせば単位が貰え、それが成績の要素の一つとなる。
契約上、俺の授業のタイミングは自由なのだが、今日だけは事前に決まっていた。講演のタイミングなど、まずは興味のある生徒のためにオリエンテーションが必要だったのだ。
もちろん、これには俺も理解し、クレイウスの言葉を受け入れている。これがないのなら、一度も開示されない情報で判断しろ、と言うようなものだからな。理不尽極まりない。
そのためにいくつか用意した道具の準備などがあったのだ。
必要な機材などは《アポーツ》で移動すればいい辺り、この世界は楽である。
割り当てられた大講堂は最大規模のもの。全校生徒はおろか、それ以上の人数まで収容できるという学舎内で最大の部屋だ。まるでコンサートホール。一体何に使うことがあるのだろう。
それほど人が集まるのか気になるところではあるが、そうも言ってはいられない。
いくつかの魔道具を準備する。魔法でできることは魔法で補いながら、効率よく作業を進めていく。
ちなみに手伝いなんてものはいない。当たり前だ。俺は今、一人の非常勤講師。優遇されることなどない。まして上司が
黙々と作業を進め、終わった頃には既に昼がまわりかけていた。講演は午後からなので、速やかに開場し、俺は少し部屋を離れる。
目立ちたくないので《インビジブル》を使い、ひっそりと教職員用のカフェテリアスペースへと急行した。
——————————
三十分ほどかけて優雅に昼食をとり、俺は担当の講堂へと移動する。
今日のカフェテリアは、なぜか一人も来ていなかった。いつもなら、誰かかれかはいるのだが、今日は珍しくものけのから。何があったと言うのだろうか。
頭に疑問符を浮かべながら歩いていると、校舎内の違和感を感じ取った。
いつもなら、誰かかれかが騒いで賑わうはずの廊下が、今日は完全に沈黙で満ちている。教室はおろか、どこにも彼らの姿がない。
一体どこに行ったというのか……寒気。なぜ急に悪寒が?
こういう時の悪寒はよく当たる。気をつけていかねば……。
そう思っていたはずだった。その光景を見るまでは。
あれほどの広々とした部屋に、満員に詰め込まれた人、人、人。行方を晦ました彼らは、全員俺の講演のためにこの部屋に来ていたようだ。
よくよく見れば、あちこちに教職員の姿を見かける。普段なら授業を行うはずの人間が、なぜこんな場所にいるのか。考えたくもないな。分かるけど。
そして人混みの中に、見知った顔がチラホラ。アイリスたちだ。クレイウス研究室のメンバーからラマジーク研究室のメンバーまで、はてにはあのラーファまで。おそらくこの建造物内にいるであろうすべての人間が、この部屋に集まっていた。
今の俺は、講堂の扉を軽く引いて覗き込んでいる状態だ。表情筋を痙攣らせて様子を見ていると、クレイウスを発見できた。
俺は即座に《アポーツ》で紙切れを引き寄せ、一言メモを書き、《メイクサーヴァント》で小鳥の使い魔を作り出し、メモを届けさせに仕向けた。
その場の人たちが周囲との会話に夢中になる中、静かに小鳥はクレイウスの肩へとたどり着く。嘴に咥えたメモを抜き取り素早く一読。即座に燃やした。暗号か何かのような扱いだ。
そのメモを見たクレイウスは、様子を訝しんだ周囲の質問を軽く流し、俺のいるところへとやってきた。扉から外に出て、すぐに扉を閉めた。
「で、何か用かな?」
「何か、じゃないだろ。なんだアレは、なんであんなに人が集まっているんだ!?」
「僕も正直予想外だったんだよ。まさか高等学舎内の全ての人が教えを乞う側に回るなんて。分かってはいたけど」
「分かってるんじゃねぇか!! 俺この人数を相手に講演をするの? 俺無理だよ?」
もともと前世から、誰かにものを教えるということがとても苦手だった。
他人が何を理解し、何を理解していないのか。そこを知ることが出来なかったのだ。
だからこそ正直、この契約内容は妥協を重ねたものであったのだ。こと契約において、俺側から提供できるものが、自身で積み重ねた経験や知識、見分のみだったから。
あの時、一度に教えることのできる人数を絞っておくべきだった。後になって契約の内容に後悔するようでは意味がない。営業マンとしての技術がないのが、こんなところで帰ってくるとは。異世界転生で無双する奴は、総じて前世でも高スペックな奴のようだ。
「でもほら、君だってもう大人だ。出来ないでは済まされないことがあるのも知っているだろう?」
「それをいうなら、この場にいるほぼ全員が大人だな、うん。でもまぁ、お前のいうことが正しい」
納得せざるを得ない。というか純然たる事実だ。むしろ今は、俺が駄々をこねる子供のようだ。受け入れてやり遂げることしか、誰も求めてはいない。
大きく深呼吸。その様子を見てもう大丈夫だと判断したのか、クレイウスは講堂へと戻っていった。
暴れる心臓を必死に抑え、深呼吸を繰り返して緊張をほぐす。できるだけ自然体に。出ないと、幾つも用意した魔道具の起動に失敗するかもしれない。俺の場合は、魔力を流す回路がショートしてしまう危険がある。魔力量が多いからといって、いいこと尽くめではないのだ。
何度か深呼吸を重ね、心臓を抑える。大丈夫。怖がることはない。俺を見て侮辱する奴はいないのだから。
——よし。
講堂内に入ると、一斉に注目がこちらに向けられたことがわかる。
事前に講堂内の照明について色々と調整しているため、全体的に講堂は暗い。俺が行うのは、授業ではなく講演のイメージだ。
教壇に置かれた机には、幾つも広げられた魔道具の山。コンピュータを再現すべく作った演算装置だ。
原理を簡単に説明すると、魔法の中には、効果の発生中に自身を変質させるものがある。それをもとに、その変化を演算に置き換え、新しい魔法、《コンピュータ》を生み出したのだ。要するに、この魔法を用いた魔道具だと思えばいい。さらに複雑な原理があるが、説明が面倒なので
空中に設置した《
コンピュータのディスプレイで操作。あそこに置いてある魔道具と連結してあるが、無線なので楽だ。
画面上で選択。教壇の後ろ側には大きなスクリーンが張られている。白で光をよく反射する。これは普通の道具だ。
これら三つの魔道具こそ、俺が今日のために制作した魔道具。やっぱり外には出せないが、正体をバラさなければいいのでは、と考えるもの。
いつかの《大魔導》叙勲の際、その存在をハッキリと理解させられた魔法、《ブロードキャスト》。それを有効に活用し、さらに便利にした俺の努力。
空中の魔道具に信号を送信。それはしっかりと起動し、俺の用意した
そう、プロジェクターである。
案の定、見たこともない道具と光景に、その場の全員が驚きの声を上げている。努力した甲斐があったというものだ。
ふと、とある席に目が止まった。リディアの席だ。
彼女は俺の方をしっかりと見ていたため、ばっちり目があってしまう。
それに気づいたリディアは、胸元で拳を握り、頷いた。
頑張れ、と。
声をかけられたような気分だ。
纏ったローブの感触が、異様にハッキリと分かった。緊張がほぐれて周囲を感じられるようになった証拠だ。
俺は小さく頷き返す。それをしっかりと彼女は見てとり、微笑んだ。
画面に映るのは、「魔法の授業」とだけシンプルに記載されている。俺は何故かあるイヤーセットマイクを口元へと移動させて、声を上げた。
「さて。これから気まぐれにお前たちに授業をすることにされたアルーゼだ。まずはオリエンテーションといこうか」
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