第39話 兄姉の悩み

 暫く寛いでいると、屋敷の外が騒がしくなり始めた。大慌てできたのか、その足音には乱れがあって、焦りが先行しているように感じる。

 その騒音は、ドタドタと足音をたてながら部屋に近づくと、思いきり扉を開け放った。


「ここにいるか! アルーゼ・エインフェルト!!」

「はいはいおりますよ、グランベルド・フォン・フレイヴィール国王陛下」


 隣の少女は一切気にせずにクッキーをつまみ、俺はのんびりと茶を啜りながら、悠々と答える。

 ちなみに、茶と言っても紅茶だから要注意。東方、大陸外には、東倭とかいう島国があるそう。そこに抹茶があると嬉しい限りだがな。

 ドカドカと入ってくるグランの後ろには、見慣れない青年が一人。確か、王族が揃う場で見た覚えがあるくらいだ。

 そして、後ろからまた五人ほどが姿を現し、部屋に入ってきた。その中には、まさかの親族までいた。


「イレーナ姉さん、リーネ姉さんも。久しぶりだな」


 イレーナ姉さんはゆっくりとソファに腰を下ろすと、俺の言葉に答える。


「そうね。久しぶり。もうすぐ貴方が何処かに旅立って六年になるかしら。元気そうで何よりだわ」

「そっちこそ。王宮魔法師団入りしてたんだな。息災そうで何より何より」


 次いで一人の女性が腰掛け、俺に手を差し出してきた。


「初めまして。私はリリアーナ・ベルクリオン。王宮魔法師団の団長を務めさせてもらっているの。今はイレーナちゃんの上司よ」


 そう言ってニコリと微笑む。その笑顔はとても甘美で、でも何処か薔薇のように、毒を持っているように見える。例えるなら毒蛾の如き艶やかさだ。


「ああ、《嗜虐の魔女》か。初めまして。アルーゼ・エインフェルトです。一応は《大魔導》なんて称号を貰っている身です。姉が世話になっているようで」


《嗜虐の魔女》。その異名を知らないものは、王国にはいない。

 王宮魔法師団団長でありながら、相手を痛ぶる嗜虐性があり、団員や貴族たちに恐れられる女性だ。

 ただし、どんな範囲であれ実力のあるものには相応の評価を下すので、一概に狂人とも言えないのが難しいところ。

 だが、俺の言葉に反応した彼女の部下は、そんなことなど気にしてないようで。


「待ちなさいアルーゼ。それじゃ私が迷惑かけているように聞こえるじゃない。訂正を要求するわ」

「それは仕方ない。何故なら姉さんは、意気込み過ぎて返ってやらかすタイプだからな」

「あ、確かに。それは言えてるって痛ぁ!? 何すんの!?」


 俺の評価に賛同した兄さんの脛にイレーナ姉さんの靴がダイレクトヒット。ブーツだが先端は尖っていて、絶対に痛い。

 仲のいい兄妹喧嘩を微笑ましく見ていると、リーネ姉さんが近づいてきた。後ろには髭面のオッサンと赤髪の綺麗な少女。多分俺より年上。オッサンは筋骨隆々で、少女の二倍ほども体格がある。


「おかえり。宣言通り、見返してやったわ」

「別に敵視する必要も無いだろ……。まあ、父さんに散々扱かれてたし、それにリーネ姉さんは努力家だから、なるようになっただけじゃないか?」

「ねぇアルーゼ? 私との評価の差は何?」


 俺の言葉にリーネ姉さんは、驚いて目を見張ると、即座に照れたようにそっぽを向き、イレーナ姉さんは評価の差に意義を申し立ててくる。

 旅に出る前には考えられなかったやりとりだ。一度離れて、また距離感を作り直した感じか。

 さて。


「で、アンタらは?」


 俺はリーネ姉さんの後ろにいる二人に声をかける。

 すると、オッサンの方は「おう」と返事をして自己紹介する。


「俺はレヴァン・ベルシュタイン。王宮騎士団の団長を務めている。で、コイツが」

「初めまして、《大魔導》アルーゼ様。王宮騎士団副団長、レミリア・アークライトです。よろしくね?」


 そう言ってレミリアが手を差し出す。

 二人の名前は聞いたことがある。有名な二つ名を冠する彼らを、知らないはずがない。


「名高き《剣聖》レヴァンに、《剣姫》レミリアか。聞いたことあるわ。よろしくな」


 手を取り、しっかりと握手する。

 こうやって触ってみると分かるのが、彼女の手の力強さだ。《剣姫》の異名に取られるほどに華奢な身体からは想像もできないほどの力を感じ取れる。

 少女から手を離すと、俺はレヴァンとも握手する。やはりガタイに比例して大きな手だ。そして何より、手の皮が硬い。歴戦をくぐり抜けてきた猛者なだけはある。

 初対面の人物との挨拶を終えて、俺は少し、踏み込んだ話題に入ってみた。


「ところで兄姉方、結婚生活はいかがなもので? 俺、帰ったら叔父になるんだろうなぁ、って思いながら帰ってきたんだけど」


 ぴしり、と。

 その場の空気が固まったことだけは、俺にも理解できた。


「あー、えーっと……」

「ここはやっぱり、兄様から答えるべきでは!」

「まさかのトバッチリ!?」


 我が愚姉二名は、即座に時間稼ぎの一手を選択。流れるようなキラーパスを被った兄さんとセフィアさんは、戸惑いを隠せていない。

 暫くすると、観念したように兄さんが白状した。


「子供は……、まだいないんだよ……」

「え、もしかして兄さん、種が!?」

「あるから! ……ただ、僕の方が体力がなくてね……。一度でヘタってしまうんだよ……」


 なるほど、深刻な悩みのようだ。口にするのを躊躇うのも頷ける。同じ男として(精神はオッサン、ただし童貞)、絶対に協力しなければならないだろう。

 別方向からは、姉二人の見下すような視線が兄さんに注がれている。セフィアさんは兄さんの肩をさすっているが、兄さんの居心地悪そうな表情を見て神妙な面持ちだ。

 ……よし。


「兄さん」

「何だい? 不能には言葉をかける必要も無いってかい?」


 その声は、酷く窶れ、何度も言われ叩かれたことなのだろうことがよく分かった。

 だからこそ、俺は救いの手を差し伸べる。


「今度、精力剤をあげます」

「!!! ……僕は、とても優秀な弟を持ったようだね……!」


 フハハハハ。拳を合わせて結託する。

 セフィアさんには頑張って貰わねばなるまい。何せ俺の作る精力剤の材料は水だけ。そこに《エンチャント》して要素を加えて完成である。

 ただし、今の俺は、命護龍ゼルクレアと契約した反動で、魔力から肉体から、その有り余る生命力の影響を受けているのだ。

 その生命力を受けた精力剤……何も考えないことにしよう。


「で、姉さんたちは?」

「「!!?」」


 問題を後回しにした彼女たち。その選択は大きな失敗だ。

 何故なら、


「わ、私は別に……」

「そ、そうそう! ほら、私はまだ結婚して一年くらいだし、まだ子供はいないけど! 姉さんならいるんじゃない!?」

「リーネ!! 裏切ったわね!?」

「いやいや、裏切ったというのなら、イレーナだって僕をさっさと売ったじゃないか。なら、仕方がないよね?」


 兄と妹に見捨てられ、激しく狼狽する姉を見ながら、俺は修羅場の雰囲気を感じ取っていた。

 イレーナが犯した失敗。それは、先に逃げ道を潰してしまったこと。兄さんという逃げ道を失ってしまったのだ。

 何故なら、「お前だって言わせたのだから、お前も言え」と言われて仕舞えば逃げられないのだから。

 加えて、リーネ姉さんは先に白状するという英断を下し、その結果、背水の陣となったのである。

 ……別に何も変なことは聞いていないはずだ。

 すると、別のところから声が出てきた。


「アルーゼ。聞いてやるな。イレーナはご傷心なんだ」

「そうよアルーゼ。イレーナの傷を抉らないであげて」


 父さんと母さんが、イレーナ姉さんを擁護する言葉を発したではないか。

 だが、俺はその一言で全てを悟ってしまう。


「……逃げられた?」

「グハッ!?」


 血を吐く真似をして、イレーナ姉さんが頽れた。


「ううぅ……、浮気されて、逃げられて、借金まで背負わされて、その上私はアバズレなんて……。死にたい」

「まあ、イレーナちゃんはワーカホリック気味だったから、少しは落ち着けばいいんじゃない?」

「ぐぅっ!」


 リリアーナの言葉に、更にダメージを負ったイレーナ姉さんは、涙を流して撃沈した。

 リーネ姉さんとリリアーナが、優しく起こして慰めている。なんだかなぁ……。


 その時、再び屋敷が騒がしくなった。足音が近づいてくることに全員が気づき、俺の投下した爆弾は消えていく。

 グランの時と同じように、バン! と大きな音を立てて扉が開く。


「兄さん!!」


 やっと会えた彼女の顔を見て、俺は思わず微笑んでしまった。

 何しろ、ずっと会いたかったのだから。旅の間も、彼女のことは頭から離れることがなかった。


「ただいま。——リディア」

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