06.

 赤嶺にマウスピースを外してもらいながら、庸介は自分の経験した世界をおさらいする。

 最初は高校時の朝、起床から一限の終わりまでを再演した。

 二回目は中学時代、昼飯も食べずに葬儀ホールで呆然としていた思い出だ。

 正午前から午後二時くらいの時間を夢に見たと思われる。


 二度繰り返そうが、やはりそう簡単には夢と見抜けなかった。

 自覚すれば低活性が破綻するのだ、それで当たり前なのだろうが。

 喋れるようになった庸介は、今回もかい摘んで夢の内容を赤嶺へ報告し、同じ過去へはもう立ち返りたくないと告げる。


「中学、高校を排除すればいいんですね。じゃあ、残るのは小学校の思い出かなあ。まさか幼少期も辛い記憶があったりしませんよね?」

「平気だ。中高だって、我慢しようと思えば出来る」

「長期間に亘って眠ると、どうしても同じ夢が繰り返されます。不快な要素は取り除くに越したことはありませんよ。他に避けたい記憶は、本当に無いんですね?」


 返事に不自然な時間が生じてしまった庸介は、何か悟られたかと赤嶺の顔色を窺う。

 父が母を殴るのを止めようとして、一緒に叩き飛ばされたのは小学生に上がり立ての頃だ。

 幼稚園に通っていた時分は、両親の諍いを目にすることが多かった。

 家庭環境が原因ではなかろうが、小学校では深刻なイジメを受けている。


 実のところ、探せば辛い記憶など彼にはごろごろ存在した。

 成人してからも、いやその時の経験こそが一層酷い。

 精神鑑定で引っ掛からない方がおかしく、赤嶺にそれを告げたらサルメを中止しかねなかった。


 絞り出す思いで「無い」と答えたところ、一応は赤嶺も納得して追求を控える。

 居心地悪く感じた庸介は、強引に話題を変えた。


「低活性化だと時間の進みが遅いと聞いたが?」

「そうですね。一概に遅いとは言い切れませんけど、脳の働きは低下してますからね」

「もう四、五時間分の夢を見た。そろそろ実験も終了する頃合いだろ」

「あー、残念ながら、まだ一時間も経ってませんね。楢浜さんは眠ってすぐに緊急ボタンを押されてますので」

「そんな……! どういう理屈だ。あの夢は全部、一瞬の出来事だと言うつもりか」


 ジャーキング、という現象を知っているかと尋ねられ、庸介は眉をしかめる。

 選抜試験で耳にした気はするが、専門的な知識にはあまり興味を引かれなかった。


 庸介の表情から察して、赤嶺が解説を始める。

 少々嬉しそうなのは、こういった専門知識の披露が好きなのだろう。


 人間は入眠状態へ移行する際に、しばしば身体がビクッと動く。筋肉の不随意運動、これがジャーキングだ。

 これを経験した者は、自身の体感に説明を付けようとするのか、落下や感電に見舞われる夢を見ることが多い。

 ベッドから落ちる、空を急降下する、穴に吸い込まれる、そんな夢の例を挙げた赤嶺を、苛々と庸介は遮った。


「サルメで見るのは大脳皮質――だったか、そいつを刺激して得られる過去の記憶だろ。寝てる間の痙攣と何の関係があるんだ」

「結論を急がないでください。ジャーキングと夢の関連性には、少し妙なところがあるんですよ」


 不随意運動を起こしたことに理由付けするのが、例えば落下夢だとしよう。

 その際、因果は夢があとである。


 飛行機に搭乗し、空中で事故を起こし、扉が吹き飛んで空へ吸い出される。

 自由落下フリーフォールした挙げ句に地面へ激突する寸前、これは悪夢だったと跳ね起きるわけだ。

 この一連の流れは何分もの、下手をすれば何十分もの夢として体験するはず。


 起きる直前に、何十分も痙攣していたわけがあるまい。

 体感時間と、実際の経過時間には大きな差が生じている。


「ジャーキング後の夢は後付けだとされていますが、それだとこの時間差が説明しづらいんです」

「一瞬で、長々とした話を空想したことになるからか」

「そうです」


 本当にそんな一秒未満の短時間で、人は何倍もの長さの夢を経験し得るのか。

 違うと言うなら、未経験の夢を見たと思い込んだことになる。それもまた、驚異的な脳の働きであろうが。


「いずれにせよ、楢浜さんの場合、まだ本格的に低活性下へ沈んだとは思えません。ジャーキングが起こした悪夢に驚いて、覚醒しているようですね」

「待ってくれ、それじゃあこの現象は、誰しも起こし得るってことだろ?」

「まあそうかも。でも、緊急ボタンを押さなければ、さっさと違う夢へ移ると思いますよ」

「悪夢を耐えろって言うのか」

「ホラー映画を観たくらいに考えて、受け流してしまえばいいんです。なんなら、夢の中でさらに寝るなんてどうです?」


 自分の提案が面白かったのか、赤嶺はくくっと喉を鳴らした。

 半笑いの面持ちではからかっているようだが、寝てしまえば低活性が安定するのは事実らしい。


 なるほど、と庸介もその方法を検討してみる。

 緊急ボタンが出現するのは彼が相当に動揺したせいで、そこからさらに我慢しようとは考えなかった。

 しかし、母の葬儀はともかく、試験で失敗する程度で逃げる必要は無かったと考え直す。

 赤嶺も言っていた通り現在の彼には些細な失敗に過ぎず、笑い飛ばしてその場で眠ることも不可能ではない、か。


「再開しよう」

「分かりました。では、あなたの思う〝緊急装置〟を――」


 三度目になる手順を淡々とこなし、庸介は再びカプセル内に横たわった。

 ジェルに包まれて、次こそ平穏に眠れることを願う。

 固く目を閉じた彼は、流入してくる維持液を必死で吸い込んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る