魔導士は掃除したい
01. 神域の魔導士
帝都郊外に建つ石造りの屋敷は、打ち捨てられた遺跡にも見える。
外壁は煤で汚れ、前庭も草木が生えるに任せた荒れ方で、鉄柵が無ければどこまでが敷地かも判然としない。
魔城などと失礼な渾名で呼ぶ者もいるが、これが私の本拠地だ。
一階奥の蔵書室で、私は静かに古文書を紐解く。
魔導の歴史に想いを馳せ、神代文字が綴る秘密へ今日もまた一歩迫らん――としていた昼下がりだった。
爆音が我が沈思黙考を妨げる。
深く息を吐き出しつつ腰を上げた私は、渋々と玄関へ向かった。
すぐに扉を打ち叩く音が、玄関ホールに響く。
敢えてゆっくりと扉へ近づき、しばらくノックを放置した。
まったく、早く開けろと
諦めて
「おう、また仕掛けが凶悪になってるな!」
「外門に呼び出し用の鐘があっただろう。なぜ大人しく待てんのだ」
「これくらい、魔剣で斬り払えばどうってことねえ」
そうじゃなかろうに。
私の庭は、騎士殿を訓練するために
彼の名はテスラ・セン、帝国の蒼剣と呼ばれる騎士である。
粗野な外見は市井の冒険者を思わせるが、騎士団副長を務める実力を持つ。
現場主義を徹底する人物で、銀鎧を着るのは式典の時くらいのもの。今も軽防具の上に、年季の入ったマントを羽織っている。
斯く言う私も、服装はみすぼらしい。魔導士用の黒いローブは染みだらけで、これまた冒険者風か。
だが、私の名を知る者なら、そこらの魔法職と同列に扱いはしないだろう。
控え目に表現して、私は天才である。
断じて自称ではない。史上最年少の大魔導士、帝国の叡知、神を知る者――どれも私の才を畏怖した人々が送った二つ名だ。
メルルサーニ・デル・フォッセムバウス、この本名もまた私に相応しい。
私の名は、この初代皇帝を導いた賢者に因む。伝説さながらに、同月同日、青花が咲く森の中で拾われたらしい。
由緒正しく、誇り高き名前なのだが。
「メル、顔も洗ってないのかよ。真っ黒じゃないか」
「フォッセムバウス卿、だろう。およそ騎士の態度とは思えん」
「相変わらず
気安く肩を叩くのは止めてほしい。
彼が無断で屋敷へ侵入してくるのも恒例行事となりつつある。
普通の人間なら、庭に設置した
外門で待った
それだけの技能を備えているのは確かで、テスラも私とは道の違う天才ではあろう。
戦地での功績は枚挙に暇が無く、青光りする魔剣とともにその名は大陸中に知れ渡る。
「しかし、庭師くらい雇ったらどうだ? 樹海でも獣道くらいはあるぞ」
「草木なんて焼き払えばよかろう」
「以前、それで騎士隊が出動したよな? 大魔導士邸が襲撃されたって」
「ちゃんと保護結界は張った。燃えたのは草だけだ」
「見た目が派手過ぎるんだよ。自重してくれ」
広大な敷地を私一人で管理しているのだから、仕方ないではないか。
この屋敷は、私が成した業績に対して皇帝陛下より下賜されたものである。
思い返せば不思議な出生から約二十年、濃密な人生であった。
赤子にして膨大な魔力が観測された私は、ひとまず公爵家によって保護される。
先見の明がある立派な方だった。魔導士として英才教育を授けてもらえたことに、深く感謝している。
おかげで幼少から如何無く才能を発揮し、
支援者に恵まれただけだと
少なくとも、この耳に届くことは無い。
今は屋敷に独りで住み、魔導の深淵を覗くべく日々励んでいる。
助手も執事も不必要だ。研究には危険なものも多く、他者にうろうろされては不慮の事故も招きかねない。
食べ物は外門まで随時届けられるし、水は魔法で生めばよい。
大抵の日常雑務は、魔導の力があれば一人で事足りる。
「だからって、とても人が住む場所には見えんぞ?」
「む……」
私の肩越しに屋敷の中を覗いたテスラが、散らかし放題の惨状に顔を
床石がめくれ上がった箇所も多いが、踏み歩けるだけまだマシだ。
雨上がりの如くあちこちに液体が溜まり、中には煙を立てている場所もある。
廊下を真っ直ぐに進むのは不可能で、各部屋には安地を辿り蛇行して移動していた。
なまじ魔法で照明を行き渡らせているため、極彩色のガラクタが嫌でも目につく。
どれもこれも長き研究の記録と言え、テスラにはゴミだとしても資料価値は高い。
ああ、嘆かわしきは、その価値を理解し得るのは私のみであることか。
「叡知とは、百の失敗の末に獲得する一粒の輝き」
「失敗なんだな、これ全部。屋内で実験するからだ」
「庭でやれば、それこそ兵が飛んでくるだろうに」
「あの噴き出てるのは
認めるのは癪に障るものの、現状に
空いたスペースを実験場所にしていたのだが、どうにも手狭になってきた。
この広さなら十年は好きにやれると、屋敷へ移り住んだ際は喜んだのに。
「屋内を焼却するのは難しいか」
「おい、物騒なセリフが聞こえたな。何でも焼こうとするなって」
「滅菌にもなって合理的だろう。もっとも、
「……廊下の端で震えてるやつ、気になるんだけど。妙な波動が出てるよね?」
「あれか。聖剣に各種耐性を上乗せ出来ないか試した。形状維持が難しい」
「何やってんの!? あの金属スライムが国宝かよ!」
「元国宝だ」
いずれ剣に戻して返却する予定だが、今のところは失敗続きだ。
聖剣の強化には、のんびり取り組む予定なのだが――。
「まさか聖剣を取り返しに来たのか?」
「違う。違うが、不安になるな。今日来たのは、
もう十年近く前、帝都の西方で地割れが発生し、地下への穴が露出する。
調査隊によって、それが帝国より遥かに古い遺跡への入り口だと判明した。
神話の記述には、邪神を地下深くに封印した地下迷宮が登場する。
この遺跡が何階層にも及ぶ迷宮だと分かると、帝国は精鋭を集めてより深部へと挑ませた。
邪神は本当に封印されているのか。
突如起きた地割れは、邪神と関係があるのか。
大人数が関与する一大探索に、テスラも部隊長の一人として参加している。
「ようやく地下五階に到着したんだけどさ。守護者がいやがったんだ。そいつを倒さないと先へ進めねえんだが――」
通路を守っていたのは、動く石像――ガーゴイルの群れだそうだ。
魔法は無効らしく、刃なら通る。だが羽で自由に飛び回る素早いガーゴイルを、剣で斬るのは困難を
接近した一匹を魔剣で斬り倒したそうだが、戦果はそれだけで、撤退を余儀なくされる。
参考までにと、厳重に布で包まれたガーゴイルの魔核をテスラから手渡された。
「でさ、メルに預けてあっただろ。三種の聖具の一つ、飛ぶ魔物には――」
「聖弓か」
「それそれ」
聖弓は、撃ち出す矢の速度を極限まで高める。
たとえ聖なる加護を無効にされても矢そのものが強力で、光の一閃は魔を貫くだろう。
しかし。
「正面階段の右脇」
「ん? 二階へ行くのも難儀しそうだな。足の踏み場も
「階段じゃない、その右だ」
「……プルプルしてるな。さっきの聖剣と一緒か。おい待て、お前まさか」
「あれが聖弓。元聖弓だ」
「何しとんじゃあぁーっ!」
属性を足そうと考えたのだ。聖属性だけでは、対処仕切れない魔物も多いからな。
さっさと元に戻せとテスラは唸るが、そう簡単な話ではない。
元の性能で構わないなら、復元魔法を使うのが一番手っ取り早い。
「強化は要らん。早く元通りにしてくれ」
「復元魔法には、変化前の形状を記憶させた魔石が必要だ」
「勘弁してくれ。記憶させてないのか?」
「いや、させた」
「じゃあ、それを使え」
「どこにあるか分からん」
「は?」
「戻すとは思わなかったからな。廃材のどこかに埋もれているかと」
「おま……! 掃除しろ!」
テスラは散々と喚き立て、次に来るまでに弓を直しておけと怒鳴りながら屋敷を後にする。
ああ、うるさかった。どうにも粗雑な男は苦手だ。
だがテスラを無視して捨て置けば、帝国からの厳罰も有り得た。
資金援助の停止など、研究に差し障りがあっては困る。
大魔導士たれど、金には弱い。世知辛いが、魔法で金は作れないからなあ。
「掃除……するしかあるまい」
何から手をつけるべきか、効率よく片付ける方法に思案を巡らせて、その日の午後を費やした。
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