彼岸と言えば <カクヨム版>

彼岸と言えば <カクヨム版>

 ようやく秋らしい風が吹き始めた九月の末、墓参りのために帰郷したいと夫へ申し出た。

 自室で書き物をしていた彼が、億劫おっくうそうに首を回す。


「今年はやめとこう」


 返事は予想通りと言うか、あっさり却下された。

 今年は、だなんて、誤魔化しにもほどがある。

 結婚してもう五年、一度もお参りしていない。

 ここは少し粘ってみよう。


「お彼岸だし、連休は予定も無いし」

「みんなが帰郷するからって、真似する必要はないだろう。渋滞でうんざりするだけだ」


 啓介けいすけさんは、わざとらしく肩をすくませてみせた。

 細面ほそおもてに黒縁眼鏡、日にも焼けていない彼は、少し不健康そうにも見える。

 大学で古文書の研究をしており、家でも本ばかり読んでいる超インドア派だ。


「外出もたまにはいいでしょ。山の空気は気持ちいいよ?」

「それだよ。あんな山奥、考えるだけでぐったりしちまう」

「運動もしないと、贅肉増えても知らないから」

「冬にはいい防寒具になるんだよ」


 ああ言えばこう言う。夫婦の会話はいつもこんな感じ。


 夫婦、か。

 最初は気恥ずかしかったけれど、自分たちを夫婦と呼ぶのにもやっと慣れてきた。


 さあ、議論は終わりだと、啓介さんは机へ向き直る。

 ダメダメ、今回は諦めませんよ?


「ご先祖さんに、ちゃんと報告したいの」

「……律儀だね」

「私一人で帰るから――」

「ダメだ。一人は絶対ダメ」

「じゃあ、二人で一緒に行く? 啓介さんは実家がイヤなんでしょ」

「それは……ん……」


 結婚前に、彼は両親へ挨拶した。

 夫が私の故郷へ来たのは、そのただ一度切りだ。


 私に気を遣ったのだろう、こちらへ戻ってからも、彼の方から故郷の感想を言いはしなかった。

 だけど、丸っきり感想が無いのも変な話で、私が問い詰めたところ渋々不満を口にする。

 食べ物が合わない。何だか肌寒い。両親の言葉が聞き取りづらい。

 細々あっても言いたいことは一つ、要はひどく居心地が悪かったらしい。


 仕方ないのかな、と思う。

 私だって、彼の御両親に会った時は、冷や汗が出そうなくらい緊張したもの。


 だから啓介さんには車で送ってもらい、一人で墓参りを済ませるつもりだった。

 実家には一泊するかな。

 両親は引き留めかねないけど、そこはキッパリと断らなくちゃ。


 また車で迎えに来てもらい、次の日には帰宅する。

 これなら反対されないと思ったのに。


「運転したくないから?」

「いや、そんなことは。渋滞は勘弁してほしいな」

「それは私もイヤ。でも我慢してくれるよね?」

「まあ、多少なら」


 啓介さんは優しいから、渋滞くらいで文句は言わない。

 逃げる理由に持ち出しただけ。


 では、彼が反対する本当の理由は何だろう。

 実家に寄るのを嫌がってるんだと、そう予想したのになあ。


「お墓参りって、普通よね?」

「最近はしない人も増えてる。盆の時のみ、とか」

「普通よね?」

「ま、まあ。する人が多いかもしれない」

「私がしたいのは、おかしい?」

「…………」


 叱られた子供みたいに、啓介さんは視線を落として黙る。

 もう一度、同じ質問を繰り返すと、力無く「おかしくない」と答えた。


「私は少し怒っています」


 ゆっくりと告げた言葉に、項垂うなだれる啓介さんはビクッと身体を震わせた。

 利くんだよね、このセリフ。

 まだ二回しか使う機会は無かったけども。


 覚悟を決めたのか、彼はやっと頭を上げて私の目を見た。

 よろしい。

 では尋ねよう。


「ちゃんと理由を教えて。なぜ私が帰郷しちゃいけないの?」

「……から」

「え? もう一回」

「……離れたくないから」


 ポンっと顔から音がした気がする。

 たぶん、頬は真っ赤だ。

 ここでプロポーズの言葉を再現されるとは!


 いやいや、だけどおかしいって。

 啓介さんは、私と比べたらクールで大人だよ?

 ちょっと離れるくらいでゴネたりしないでしょ。

 それじゃ仕事へ行くたびに、なだめなきゃいけないじゃん。


“キミと離れたくない!”

“ダメよ、お仕事だもん。私は待ってるから。あっ、そんな、朝から――”


 これを毎日?

 悪くないなあ。

 ……ちょっとやってみたいけど、そうじゃない。


「いつもベッタリってことないのに、どうして帰郷だとイヤなの?」

「なんて言うか……取られる気がしてさ」

「まさか私が浮気するとか?」

「違う。上手く説明出来ないな。もう帰って来ないんじゃないかって不安になるんだ」


 そんな馬鹿な、と強く強く否定する。

 私の戻る場所はここ、啓介さんの隣。

 そう誓って結婚した気持ちは、今も全く揺るいでいない。


 言葉を尽くし、懸命に想いを伝えると、彼も最後には納得してくれた。


「たかが墓参りに、考え過ぎだったかな」

「そうそう。こんな心配性だなんて、初めて知った」

「キミのことになると、いつも心配だらけさ」


 わずかに苦く、でも穏やかな笑顔で彼は私を見る。

 この人なら、と結婚を決めた優しい顔だ。


 普段は私が甘える役なのに、この時は逆になった。

 座る彼へ近づき、その頭を抱き寄せる。

 たまにはこういうのもいい、そう感じた夕方だった。





 墓参りを決めてから三日後、二時間のドライブを経て故郷へ帰る。

 激しく蛇行する山道の末、目的の登り口の脇で車を停めた。


 山頂へ向かう脇道は、車が通れるような幅は無い。

 ここからは徒歩じゃないとね。


 頂上近くには古いやしろがあり、遥々と来て参詣する者たちによって、道は一応踏み固められている。


「こんな辺鄙へんぴな場所へも、結構お参りにくるんだな」

「ちょっと早く着き過ぎちゃったね」


 午後三時過ぎ、ちらほらと参道を行き交う人が見える。

 夕方が近くなり、下りてくる人が多い。


 ここは外灯も整備されておらず、日が落ちてしまうと危なっかしい。

 もうすぐ参詣客は消え、虫の音が大きく響く時間となる。


 鬱蒼と樹々が茂る山の中、私たちはシートに身を沈めて時を待った。

 太陽は葉に隠れて窺えなくても、時間の経過は明るさと気配で分かる。


 やがて山陰に日は沈み、夕靄ゆうもやが辺りに漂い出した。

 黄昏たそがれ、闇が混じる薄明かりの時刻。


 運転席の彼へ頷き、私は車外へ出る。

 二人で登り口の前まで赴き、しばしの別れを惜しんだ。


「ちゃんと帰って来てくれよ」

「分かってる。また明日ね」


 重なった唇が離れると同時に、私の身体を毛が覆う。

 ぴょこんと立った二つの耳に、ふさふさの尻尾。


 刻限だ。

 混じった闇が光に勝る大禍時おおまがどき――彼岸のこの時、世界を隔てる壁が溶ける。

 道は現世うつせから逸れて、幽世かくりよへと通じた。


 こーんと一鳴きした私へ、啓介さんは右手を挙げて応える。

 さあ、急がなくっちゃね。


 今では懐かしくなった幽世へと、一歩踏み出す。

 久方ぶりの故郷を目指し、私は全力で霧の中を駆け上がって行った。

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