星拾い

星拾い

 緑が覆う山の上に、石造りの家がぽつねんと建つ。

 背は低いが、太い煙突が高く伸び、ふもとからも容易に見つけられた。


 人が住む街から離れ、獣が集う森からも遠い。普段は扉を閉ざす、誰からも忘れられた空き家だ。

 だが、雨期が明けて晴れ渡る夏の一日にだけ、その家に人が訪れる。


 夜明け。

 腰の曲がった男が、夏草を踏みしだき山を行く。樹は少ないものの獣道すら無く、薮が鬱陶しい。

 開けた頂上についた頃には、全身が汗で濡れそぼっていた。


 毎年と同じく、家は無言で彼を迎える。

 家が喋るはずがなかろうよ、そう自嘲するのはもう何回目であろう。言葉が欲しいからといって、建物に期待するのは道理に外れている。


 艶の無い厳つい鉄鍵で扉を開け、背に負う布袋をテーブルに置いた。

 大人が一人、すっぽり入る大きな袋である。元は白かったのだろうが、長年洗いもしていないので黄ばみが酷い。

 彼の服も土にまみれ、汚さは袋と似たようなものだ。


 平屋の家には、部屋が三つしか存在しない。

 男は玄関に直結した居間にいる。簡素なテーブルと椅子が二つ、壁際には巨大な暖炉が一基。

 残る二部屋はどちらも狭い物置で、寝室も台所も無かった。

 人が住むための家ではないのだから、これでいい。


 椅子に腰掛けた老人は、ふうっ、と深く息を吐く。

 節立った腕は、何も持たずとも小刻みに震えた。まして丘を上ったあとの脚は、休息を訴えてやまない。


 ろくに身じろぎもせず、昼まで座ったまま袋を見つめた。

 手入れがされていない家の中、窓から差し込む陽光が埃をちらちらと照らす。


 トン。

 扉を叩く音に、老人は身をすくめた。

 小石をぶつけた程度のうるささでも、予期していなければ狼狽うろたえもする。

 恐る恐る戸を開くと、まだ幼い男の子が首を傾げて老人を見上げた。


「呼ばれた」


 絶句する老人も、しばらく目を閉じたあと、搾り出すような声で問う。


「……名前は?」

「テオ」

「どこから来た?」

「しらない。名前しかおぼえてない」


 山に登れ、そう何者かに導かれたと子は言った。

 どこか聞き覚えのある、或いは全く知らない声によって。

 そうであろう。そうあれかしと、誰かが願うのだから。

 馬鹿なことを尋ねてしまったと、老人は首を横に振り、子を中へ招き入れた。


 椅子は二つ在る。長らく一つは空席だった。

 テオは机を挟み、老人の対面へ座る。


「今夜は星を拾う。横について、やり方を覚えるといい」

「うん」


 日が沈み、夜が更けるまでに、二人が交わした言葉はそれだけだった。

 テオは星の子だ。

 星に祈りを託し、延々と星を集めることだろう。


 喋りこそしなかったものの、老人の顔には様々な思いが映り行く。

 喜びも、嘆きも。

 とうに擦り切れたはずの心が軋み、弾んだ。


「そろそろ始まる。外へ出よう」

「わかった」


 テオは素直に従い、袋を手にした老人を追って家を出る。

 少し歩いて場所を見繕った男は、立ち止まって満天の星空へと顔を上げた。

 それを真似して、テオも目映まばゆい空を眺める。


 虫も獣もいない山に、草を撫でる風がかすかな音を響かせた。

 まだ早かったのか、二人は首が痛くなるまで待つことになる。


 我慢し切れず、質問しようとしたテオを老人は右手を上げて制した。

 その手を斜め上に挙げて、空の一点を指差す。


「……あっ、うごいた!」

「目を離すなよ。見失わないように」


 ゆっくりと、星の一つが揺れていた。

 右へ、左へ、また右へ。

 彷徨さまよう光点は、じわじわと大きくなっていく。

 地表に近づいているからだ。


 その落下速度は、雪よりも、落ち葉よりもずっと遅い。

 それでも動きが止まることはなく、星は着実に下へと向かう。


 落ちる地点に見当をつけて、老人は星の真下へと移動した。

 見上げるのは更に辛くなるが、すぐに手が届くだろう。


「星は手で受けてやった方がいい。地面に落ちたときは、そっと土ごとすくってやれ」

「こわれるの?」

「いや、光が濁るんだ。少しだけな」


 袋をテオに持たせた老人は、両手で椀を作って星を待つ。

 構えたその位置に、見事に光の球は着地した。

 手に持つと、星は案外に大きい。子供の拳と同じくらいか。


 テオが開いた袋の中へ、老人は静かに星を入れた。

 袋越しにも、未だ光が透けて見える。

 色は白、混じりの無い純白の光だった。


「これでおしまい?」

「まだまだ続く。次はあっちだ」


 続いて二つ目の星が、家の近くに降る。

 屋根に落ちると拾うのが面倒だと、老人は星に視線を向けたまま子に語った。

 物置の奥に梯子が据え付けてあり、そこから屋上へ出られるのだとか。


 三つ目は、また家から離れた所へ。

 そこから時計回りに山の上を歩き、四つ五つと袋へ収めていく。


 同時に二つの星が降ることはなかった。

 間隔は疎らながら、順に袋の星が増える。

 袋が眩しいくらいに光を湛える頃、次が最後の星だと老人は宣言した。


 十八の星を集めた彼らは家に戻り、暖炉の前にしゃがみ込む。

 まだ日の出は遠い。


「ここからもう一仕事ある。星を還さないと。お前もやってみるか?」

「うん、どうしたらいい?」


 作業自体は単純なものだ。

 袋から星を一つ取り出し、暖炉の中へ据えるだけ。

 置かれた星に向けてこうべを垂れ、ただ一心にゆるしを乞う。

 行動はなぞれても、テオには心持ちの説明が難しかったらしい。


「なにをゆるしてもらうの?」

「罪だ。咎人とがびとは、一心に救いを願うしかない」

「……よくわかんない」

「そのうち分かる。星を拾い続ければ、少しずつ思い出すだろう」


 老人の思いが通じると、星はふわりと浮き上がり、煙突を通って天に昇った。

 星を置くのは子に任せ、老人は暖炉から離れて祈りに励む。

 十八の星を順に送り返しつつ、彼は伝えるべきことを話し続けた。


 内なる声へ、耳を澄ますように。

 山は各地に点在するので、声を頼りに次へ赴け。

 繰り返すことに意味がある。飽かず、疑わず、逃げないように。


 罪は消えたりしない。非道を為した者は、それに見合うあがないが用意される。

 そうと知っていれば、男は踏み止まっただろうか。

 問いに答える者は、ここにいない。


 次の山では、星が十九に増えるだろう。

 星は星に。

 悔恨は天へ。


 袋から溢れるほど星が増えたとき、何か変わるのか。

 これもまた、問う価値の無い疑問である。


「ねえ、おじいさんの名前は?」

「それもいずれ分かる」

「ずっとこれをつづけるの?」


 返事は無い。

 訝しんだテオは、後ろを振り返る。

 老人はどこにもおらず、彼が座っていた床には、まだ小さな星が落ちていた。


 暫しその星を眺めた子は、優しく拾い上げ、暖炉の中へと移す。

 この世界は、テオのために造られた。テオしかいない。


 老いたテオは星となり、煙突を昇っていった。

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