4. 父

 恵が先に屋敷に着き、十分ほど遅れて淳士が姿を見せる。揃った二人を伴って、桂木はアトリエへと戻った。

 時刻はちょうど午後一時。


 蓮周の机で工作していた矢崎を呼び、桂木が簡単に各々を紹介する。

 捜査協力者という説明に、一瞬眉をひそめた淳士だったが、美術工芸のエキスパートと言われて得心がいったようだ。


「で、作品は見つかったんですか?」

「その前に、いくつか質問させてください」


 床を指差した矢崎は、ここは昔からアトリエだったのかと尋ねた。

 兄と妹が、同時に違うと否定する。


「子供の頃は、テレビがある居間だった。緑のカーペットが敷いてあって……そうだよな、恵?」

「本棚に百科事典が並んでた。家を出た時は、まだ同じ状態だったはず」


 書斎、寝室、家政婦の控え室――矢崎が挙げた部屋は、どれも以前は別の目的に使われていた。

 キッチンとダイニングは場所が入れ替わっており、昔のままと言い切れるのは風呂とトイレくらいだと言う。


「母のために改装するのは分かる。だけど、ここまでメチャクチャにしてるとは知らなかった」

「父さんはこの家が好きだったから……」

「なら昔の部屋割りを保つべきだろ。歳を食って身勝手さに拍車がかかったんだよ、アイツは。自分の好みが最優先なんだ」

「理想の家にしたいって、一度言っていたのを聞いたよ」

「これが? 大金を費やしてすることか?」


 父への悪口が加速しそうな淳士を、矢崎が右手を挙げて制した。

 二人の感想は、どちらも正しいと彼が受け合う。


 蓮周は確かに屋敷を好きだったのだろう。だから独りになっても住み続け、遺言にも家を維持するように書いた。

 だが、独善的とそしられても仕方ない。画家ならではの我がままが、彼を改築に走らせたのだと矢崎は指摘した。


「アトリエには、もっと窓があったのではないですか?」

「その通りです。窓は壁の端から端まで並んでた。あんなちっちゃな窓じゃなかった」

「光を制限したんです」


 小窓は東壁に設けられており、朝の一時いっときだけ日が差し込む造りである。

 スポットライトのように部屋の中を照らす朝日――蓮周は各部屋を絵の舞台に見立てたのだと、矢崎は推理した。

 父の絵に少しは関心を持っていた恵は、彼の説明に疑義を唱える。


「舞台と言うからには、それを描いたってことですよね? 美術館へ寄贈した絵も見ましたけど、そんなものはなかったはずです」

「寄贈したのは、もっと過去に制作した作品でしょう」

「じゃあやっぱり兄の言うように、最近になって描いた作品があると?」


 右の人差し指を立てた矢崎は、それが箱だと背後へ視線を向けた。

 四つあった箱の内、最も小さいものが作業机の上に置かれている。


 彼らは机の前へ移動して、矢崎が完成させた箱に注目した。


「箱に足りない二面を、ボクが補った。応急処置だけどね」


 箱に合わせて切った紙を、彼はメンディングテープで欠けた面へ貼り付けた。

 四面は木製、上面は薄い和紙、残る一面は黒塗りされた厚紙だと説明される。この黒い面が前方だ。

 黒紙とは反対の側には、鏡を組み入れたとか。

 箱の中には小さな溝が切ってあったらしく、そこへ鏡の下端を当てて、斜め後方に立て掛ける仕組みである。


「棚に積んであった鏡が、ピッタリのサイズだった。もっと捜せば、他の箱用の鏡も出てくると思う」

「どういう作品なんだ、これは」

「カメラだよ。黒紙には、真ん中に穴が空けてあるだろ? 穴を壁へ向けてみてくれ」


 桂木が立ち位置を調整したところで、矢崎が箱の上に黒い布を掛けた。


「これが遮光布。少しめくって、上面を見てごらん」


 布を持ち上げて中を覗いた恵が、「あっ」と小声を発した。

 薄紙の表面に、アトリエの光景が綺麗に映し出されていたからだ。

 正確な写真そのものだが、紙を通した像は淡く、どこかはかなげな印象を与えた。

 カメラ・オブスクラ、という名を矢崎は口にする。


「最初期のカメラで、小さな穴を通した光が像を結ぶ現象を利用してる。鏡で反射させて、上面に映すんだ」

「カメラ……ですか。これで見ると、なんだか絵のようですね」

「そう感じたとしたら、恵さんも知っているからでしょう」

「何を?」


 蓮周の作品を調べた矢崎は、人物画にこそ彼の志向が色濃く現れていると考えた。

 窓辺で手紙を書く女、バイオリンを練習する少女、鏡で身なりをチェックする青年――。

 どれも室内の構図で、窓越しに真横から当たる陽光が美しい。志向と言うより、これが蓮周の原点か。

 似た構図と光線で、市井の人々を描いた希代の天才がいる。


「フェルメールです。お父さんの作品からは、その影響を強く感じる」

「たぶん……知っています。小学生の頃、展覧会に連れて行かれたのがフェルメールだった気がする」


 恵が愚図っても蓮周は絵を飽きずに眺め続け、動こうとしなかったらしい。

 あまり楽しい思い出ではないものの、ミルクを注ぐ女性像には、子供ながらに惹かれるものがあったそうだ。


 蓮周は自分の屋敷を改造して、フェルメールを再現しようとした。

 部屋の配置を換えたのも、不要な家財を物置へ突っ込んだのも、その目的のためだ。

 光の取り込み具合、雰囲気のある小物、特にキッチンの手の込み方は見事だと矢崎は評した。


 箱を床に置いた桂木が、なるほど、と手を叩き合わせる。


「そのカメラなんとかを使えば、名画を簡単に再現できるわけだ」

「カメラ・オブスクラ」

「それこそが蓮周の遺作。だから屋敷を残そうとした、だろ?」


 今回は自分の推理が正しかったと言う桂木は、にじむ喜びが隠しきれない。

 絵画作品が無い理由はこれで説明がついた――その結論に矢崎が言葉を返すより早く、淳士が声を荒げる。


「馬鹿馬鹿しい! 結局、親父は何も子供に残さなかったんじゃないか」

「兄さん、屋敷だって遺産だよ」

「この家は先々代が建てた。親父の遺産なもんか。芸術なんてクソ喰らえだ」


 屋敷は売却する、そう言い立てる兄に、恵も反論はしなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る