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冷めた二人 <カクヨム版>

冷めた二人 <カクヨム版>

 昼休みのオフィス、担当中の原稿を画面に表示して、コンビニのビニール袋を広げる。

 菓子パンとペットボトルの紅茶が、最近の定番スタイルとなった。


 メロンパンを食べながら、写真に付けたキャプションに修正指示を加える。

 市の外郭団体が発行する観光パンフレットは、さほど急がなくてよい案件だ。昼を潰してまでする仕事ではないものの、宙を眺めてランチを食べる趣味は無い。


 今年入ったばかりの新人は、部屋の隅でスマホゲーに精を出していた。彼の昼飯も、コンビニのおにぎりらしい。

 暑い夏の真っ盛り、弱冷とは言え、クーラーが効いた部屋から出たくない気持ちは分かる。


関坂せきさか部長」

「はい?」


 背後から声を掛けてきたのが、加嶋かじまさん。ややショート気味の黒髪が、常に明るい彼女の印象をさらに強めている。

 加嶋もこの春に配属された若手で、元気が溢れて仕方ないといった風だ。


「よかったら、たまにはランチをご一緒しませんか? 美味しいうどんのお店を見つけたんです」

「あっ、いや……」


 デスクの端に置いた写真立てを一瞥した彼女は、何かを察したつもりかなのか。返事を待たずに、勢いよく言葉を続けた。


「相沢先輩も一緒です。三人なら大丈夫でしょ?」

「ん、そうじゃなくて」


 戸口から駆け寄ってきたその相沢あいざわが、返答に窮する私に助け舟を出してくれる。


「加嶋さん、ダメだって。すみません、部長」

「いいんだ。二人でゆっくり食べてきて」


 加嶋は腕を引っ張っられ、部屋を後にした。

「部長は冷めたい物しか食べないの」と説明する声が、ドアが閉まる寸前に耳へ届く。


 私が温かい物を食べられない体質なのは、彼女にも伝えてあった。

 いつもコンビニ飯なのを見て、何か言いたげにはしていたが、ランチに誘われるとは計算外だ。


 うちの部は昨年まで四人で回す小所帯で、懸命に人事へ訴えた結果、どうにか二人の増員が認められた。

 ベテランを新人教育に当てる余裕が無く、加嶋は私の横について業務を覚え、先日やっと相沢へパートナーとして引き渡したところだ。


 ちょっと呑み込みの悪い子だけど、やる気はあるし、素直に言うことも聞く。三か月くらい組んで働いたおかげで、懐いてくれたのもいいことだろう。

 これで彼女の教育係も終え、順調に業務も捗ると期待した矢先にこれである。


 この日から加嶋は、昼になる度に私のデスクへ寄るようになった。

 やれ、駅近くに新しい定食屋が出来た。或いは、評判の良い中華の店を見つけた、などと言う。

 どの誘いも断ったし、相沢がいれば困った顔で彼女を連れ出してくれた。

 若い子にモテてて喜ぶほど、軽薄な人間ではないと自負している。第一、加嶋もそんなつもりで誘っているわけではなかろう。

 さっぱり理由に思い当たらない。


 そのうち外食を諦めたのか、勝手に私のランチを買ってきた。オススメの唐揚げだとか、食後に鯛焼きを食べようだとか。

 桃色の鯛焼きが明太子味とかいう珍味だったのは、不問に付しておく。


 問題にしたいのは、加嶋の食べ方だ。

 彼女の机は部屋の扉側の隅、私とは対角の位置に在った。そこから私の様子を窺うように、チラチラと視線を送って弁当を食べる。


 貰った唐揚げに手を付けると、彼女もそれに合わせて自分の分を食べ始めているようだった。

 なんだこれは。最近の学生は、こんなノリなのだろうか。

 しかし、仲良しランチもどきだけなら我慢出来る。

 勝手にしてくれと放っておくと、加嶋は次なる手段に訴えた。


 私がパンをかじる間に、何やらガタゴトと動く気配が聞こえる。

 仕方なく顔を向けると、彼女は席を移っていた。

 一つ隣の机へ移動して、やはり横目でこちらを見る。


「そこは相沢の席だろ?」

「許可は貰いました」


 ならいいか、と言うとでも?

 どうも落ち着かなく、クリームパンがカサカサに乾いたみたいだ。

 もう一人の新人は、大人しく自分の世界に没頭してくれているのに、どうして彼女は私の昼を邪魔するのだろう。ちょっと無遠慮に過ぎないか?


 その席で二日食事を取った加嶋は、翌日、さらに隣へ移動した。部屋の中央近くになり、彼女の弁当のメニューが覗けるくらいに近い。

 相変わらず許可は得たと言う加嶋へ、それ以上は絶対に近づくなと警告する。

 あんパンが温くなったように感じて、昼食が一気に苦行になった。

 頼むから、冷たい食事をさせてくれ。いつまでも女学生気分で楽しいランチを夢見たりせずに、ちゃんと成長してほしい。

 そんなことまで教えないといけないのか? 教育係は、親代わりではないぞ。


 一応、彼女は言い付けを守り、三日ほど位置を変えはしない。

 代わりに奇天烈な行動に打って出た。


 咳ばらいをする加嶋。

 見てやるものかと無視していると、しつこく二度、三度と繰り返される。

 渋々見遣ると、そこには髭の加嶋がいた。


「なん……」


 付け髭に黒縁メガネの彼女が、真顔でこっちを向いてやがる。

 見なかったことにした。


 髭にコメントすると負けた気がする上に、パンも不味くなる。

 分からん。分からんぞ、若者よ。


 たかが髭、少女特有の奇行と思っておこう。思春期と言うには、少しとうが立っているが、まあ私からすれば少女だ。

 デザイン部に来るくらいなのだから、少々素っ頓狂な気質を隠し持っていたとしても不思議は無い。


 さらに次の日、加嶋の鼻が赤かった。

 さすがにマジマジと見て、何事かと確認してしまう。赤いスポンジの球を、どうやってか鼻につけているらしい。


「切り込みがあって、鼻を挟んでるんです」

「尋ねてない」


 一体、彼女は何がしたいのか。

 実害は――ある。寛容さを身に着けた大人にも、侵されたくない領域はあって当たり前だ。


 赤鼻と髭のローテーションを一週間続けた後、加嶋は遂に禁断の一線を越えてきた。

 より近くの机へ移動した彼女へ、自分の席へ戻れと叱る。


「温かいと食べられなくなるんだ。嘘じゃない。近寄らないでくれ」

「嘘だとは思ってません。お茶すら、ヌルいと飲まないですもんね」

「そうなんだ、胸がむかついてしまって……。分かったら戻れ」

「イヤです」


 あまりのキッパリとした物言いに、二の句を継げなかった。

 至って真剣な面持ちで、髭を外した彼女は、私の机にある写真立てを指差す。


「ずいぶん若い奥さんだなって、思ってたんです」

「あ、ああ」

「亡くなられたんですよね。ここに来てすぐ、相沢先輩が教えてくれました」

「もう昔の話だ」

「そう、昔じゃないですか。二十四年も前だとは知らなかった」


 病気で妻を亡くしてから、部長は冷たい物しか食べられなくなったのだと、加嶋は教えられた。

 知り合って日の浅い彼女にすれば、本人へ質問するにはセンシティブ過ぎる話題だ。三か月間、彼女はそのことに触れないようにして過ごす。

 しかし、死別したのが大昔と聞き、思うところがあったらしい。


「席を近づけても、パンが温まったりしません」

「いや、そんなことは――」

「しませんっ。部長がイヤがってるのは、誰かと一緒に食べることでしょ?」


 親しい誰かと食事をする。席を並べて食べ、お互いの顔を見て笑い合う。

 それが出来なくなった。

 そんなことは、彼女に指摘されずとも知っている。


「温かい物を食べろとも、奥さんを忘れろとも言いません。そんな権利は私に無い」

「そうだ。君は少しプライバシーに踏み込み過ぎ――」

「私と一緒に食べてください」

「なんで、そんなチャレンジをしなくちゃいけないんだ」

「誰かと食べる幸せまで、忘れちゃダメです」


 入社直後、妻に先立たれてから腫れ物に触るように扱われ、気づけば二十四年が経っていた。

 親は結婚前に他界しており、誰に気兼ねすることもない独り暮らしだ。

 叱る誰かも、心に踏み入ってくる者もいなかった。

 彼女が現れるまでは。


「このままでいいと、思うんですか?」


 そんなこと――。

 即答するのは、とてもじゃないが無理だった。

 私にどう思われるのか、自分の考えが本当に適切なのか、加嶋は自省したりはしないのだろう。

 ただ正しいと信じることを、直球で投げるだけ。


 馬鹿な小娘だ、と鼻で笑うのは簡単なのだが、それを許さない自分もいた。私は立派な大人なのだと、胸を張って言えるのか?

 加嶋は急かすようなことはせず、よく考えてみてくれと言って、その日のランチは終了する。

 食べ残した菓子パンは、結局ゴミ箱行きになった。


 土日を挟み、週が明けると、全て元に戻る。

 彼女は自分の席で弁当を食べ、髭を付けて気を引くような真似はもうしない。


 相沢と喋る機会があり、彼女と何を喋ったか聞いてみた。

 彼にも、加嶋はしょっちゅう私の話をしているそうだ。

 私まで彼女に興味を持ったと勘違いされ、妙な微笑みを返されてうんざりした。


 もっとも、今は食事をどうするかが最優先に考えることであろう。

 このままでいいのか改めて問われると、迷いもするし、悩みもする。

 私は自己矛盾の塊だ。加嶋のストレートなお節介は腹立たしくも、眩しい。彼女を受け止めることが出来るか、試されているようにも感じる。


 月曜、火曜、仕事の指示を伝えるだけで、ランチでの話が蒸し返されはしなかった。

 水曜日、一度、加嶋を呼び止めはしたが、画像の補正漏れを指摘して誤魔化す。


 夜の九時近くまで会社に残った木曜日、帰りにコンビニへ寄った。

 チキンとナスのパスタをレジに持って行くと、マニュアル通りに店員が説明を添える。


「温める場合は、電子レンジで五番のボタンを押してください」


 いつもなら冷たいままの弁当を手に、マンションへ帰るところなのだが。

 この日、初めてコンビニのレンジを利用した。


 自室に戻り、着替えもしないでパスタをテーブルに置いて蓋を開け、暫し立ち上る湯気を見つめる。

 赤いソースが絡むパスタを、思い切って口に入れた途端、嘔吐感が食道を逆流した。

 目を滲ませ、駆け込んだトイレで半日分の食事を吐き出す。

 人肌を思わせる温度は、まだ私には耐えられなかった。


 金曜日の昼、弁当を広げる加嶋へ、前夜の顛末を訥々とつとつと語る。

 温かい食事は無理だった、と。


「そうですか……」

「冷えた食事なら」

「え?」

「冷たければ、食べられるかもしれない」

「私とでも?」


 多少、自信無くも頷いてみせた。前に進むのは、若さの特権でもあるまい。

 弁当を包み直した彼女は、冷やし中華を食べに行こうと提案する。


「いや、せっかくの弁当が」

「そんなのいつだって食べられますっ。早く列ばないと、昼休みが終わっちゃう!」


 結論から言うと、この日の昼飯は半分を残してしまった。

 それでも上出来だと、加嶋は飛び切りの笑顔で受け合う。

 彼女は知らない。この一歩に、どれほど逡巡したかを。その屈託のない笑みが、凍った私を溶かす報酬なのだと。

 二十年以上も止まっていた時計は、また動いてくれるだろうか。


 ランチの帰り道、冷たい料理ならいくらでもあると、加嶋は楽しそうに並べ立てる。

 どうやら、これから毎日、外食するつもりらしい。


 親子ほど歳の離れた彼女は、私のランチ友達だ。

 一本取られたような気分だが、私にだってまだまだ教えたいことはある。誤字の多さを笑って誤魔化す悪癖――こいつをまず直させよう。


 二人の冷めた関係は、こうして始まったのだった。

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