第4箋 : 医術と魔術
踵を返したまま向かったのは宿だ。
来たばかりのこの街で宿を探すのには難儀しそうだったが、案外簡単に見つかるものだった。
「何泊するんだ?」
「そうさな…、取り敢えず1週間ほどか?」
「お客さん、観光ってわけでもなさそうだな…」
「事情があるのさ。取り敢えずそれで」
「ふむ…、あいよ。飯はいるか?」
「素泊まりでいい。飯屋くらいあるだろ?」
「そりゃあな。……ところで」
宿屋の親父さんは、そこからが本題だと言わんばかりに言葉を切った。
頭を掻いて、言いにくそうな言葉を紡ぐような感じ。あー、と前置いて。
「背中のお嬢ちゃん、俺の見立てが間違ってなけりゃシューシュタルの嬢ちゃんじゃないか?」
「ああ。ご名答、ってのも変な話か。やっぱ有名なのか?」
ああ、と首肯された。だが、街の人の反応は淡白に見えたのは気のせいだろうか?
それを問いかけてみると、あっさり答えてくれた。
「なんていうか、畏怖ってかな?知ってるとは思うがシューシュタルの家は大きな力を持ってる。村のまとめ役ではあるけれど、みんな好き好んで関わろうとはしないのさ」
特に、と間を置いて。
「あんたの背負う嬢ちゃんは、歴代でも有数の力を持つって専らの噂なんだ。先祖返りとかなんとかな」
「へぇ。初耳だが、この子が才能秘めてるのは分かるな」
「あんた、魔術師なのか?」
「いや。医者だよ。魔術師はおまけの肩書だ」
これでちょっとした情報も得られた。世間話くらいはしておいていい。人間関係は険悪よりも友好な方がいいのだ。
木製のカウンターテーブル。表面を炙ってあるからか、味のある焦げ目をしている。手触りは滑らかで、良く見れば店の建材は手作りのようだった。
そんなテーブルの幅は70センチほどだが、その上を鍵が滑ってやってきた。
「上の角部屋だ。防音とかはバッチリだぞ」
「そりゃどーも。…変なこと考えてねーだろうな?」
「さぁな。別にお客さんがロリk…ああいやその子と戯れようと大丈夫だ」
「隠したようで隠せてないような感じだなオイ」
突飛もない考えを頭ごなしに否定する。というかしなければ俺がまずい。
ロリータ・コンプレックスという概念はある。が、俺はそれには該当しない。
ミルはあくまで案内人であり、そして今回の患者であろう人物だ。
その認識は変わらない。あるいは俺の琴線に触れたのなら、何かが変わるかもしれないが。
「………」
右肩に顔を乗せたまま、少し上気した息を続けるのを横目で見て、俺はその思考を放り捨てた。
手にした鍵はシンプルな代物。小さな鈴が付いていたが、失くさないようにという気遣いからくるものだろう。
軽く礼を口にして、建物奥の階段を登った。
ギシ、と軋む音。程よく使い込まれた、不快には感じない音だ。
中天から傾き出した太陽はまだ白い。差し込む光はほのかに暖かいようだが、厚着越しでは分かるはずもない。
目的の部屋は二階の端だった。角部屋故の抜群の採光の良さ。置いてあるのはベッドとテーブル、クローゼットという程度の質素なものだが、十分にすぎた。
そしてそれよりも。
「セミダブル…なのか?まあサイズはちょうど良さそうだな」
ベッドの大きさは、1人には少し大きく、大人子供で丁度良いようなサイズになっていた。元々そういう部屋で、おそらく親父さんが気遣ってくれたのだろう。
俺はどこでも寝ることができるので、正直な話床に寝ても構わないのだが、さすがにミルを床に寝かせるわけにはいかない。
ありがたいといえば、多分その通りなのだろう。
そう考えている間に、ミルをベッドに横たわらせて、荷物を整理する。
着替えの類は最低限だ。大半を占めるのは診療器具と薬草やら薬品やらで、嵩張ってしまうからだ。
縦置きのドラムバッグをドスンと立て掛け、ガザコソと漁る。
丸底、平底のフラスコや乳鉢といった道具を机に並べていく。
「あったあった。底まで沈んでたのか」
聴診器。取り出したのはそれだ。取り敢えず医者としての仕事から始める。
もう面倒なので、街の状況をここから把握して、原因不明の件の病と思しき症状がミルのそれ以外に無いことを視た。
アイシャの忠告は最早無視しているに等しい。だが意識していれば流されない。自己を強く保つことが肝要なのだ。アイシャはそこを気にしているわけだ。
されど使わないに越したことが無いのは本当だ。だから、かなり制限して視た。必要最低限ということだ。
シューシュタルの家に一報入れるくらいはしてもいいのだろう。むしろしなければならないはずだ。
だがしない。というか既にバレている。
実は先にシューシュタルの家の門に着いた時、探知のルーンとして『
探知として刻んだこのルーンには視覚同調が出来るため、少し時間を遡って覗き見ると、懐かしい姿を見た。
(来やがったか…。まあ遅かれ早かれ話はすることになってたしな)
苛立ちというか不安というかで、肩が怒っている爺さんの姿だった。
…殺されはしないだろうな。
それは兎も角、取り敢えず検分してみることにする。
何人の医者が見たかは知らないが、兎も角まともなアプローチでは太刀打ちできないだろう。
本来医療という行為に対し、魔術は干渉しない。生体は純粋な化学反応により均衡を保っており、根底に『歪曲』という概念を持つ魔術は相性が悪い。
魔術による治癒を行えるのは、戦場が主だ。その場しのぎでいいのなら、人体の本来持ち得る能力を無視して強制的に傷を塞いだりは出来る。
だが、それは均衡を崩しかねない事態である。故に治癒魔術というのは他者に施すことは無い。せいぜいが自分の怪我で終わる。
「取り敢えずどのルーンにするかね…。ふむ……」
ところがこれがルーンになると少し変わってくる。
ルーンは大神の魔術基盤より生み出されたものだ。ここで言う大神とは、北欧と呼ばれる地域で未だ語り継がれる神。
ーー名をオーディン。
己が目を代償に全知となったとか色々な話があるが、ここではそれは関係ない。
神が作った魔術。要はその一点に収束する。
すなわちルーン文字とは、世界という存在が読み取れる数少ない文字ということだ。
魔術が歪曲するのは世界。それを世界は許容しない。故に限界が存在し、魔術は永続しない。
だが世界からその変化をもたらされたのなら。強制ではなく自発なら。
長ったらしいが要は、ルーン魔術による効果は水の循環や天候の変化と同じ、自然なものとして万象に認識される、という一点に尽きる。
そうでなければ刻んだだけで魔術的現象は起きない。
「さて、まずは音から」
厚着を脱がす。主人の格好から察せられる、このくらいが普段着なのだろうというラインまで。
その格好のまま聴診器を当てて耳を澄ませる。
数回の呼吸の間、時間が止まったように静かになっていた。
「…水泡音…か」
プツプツ…と、呼吸の1サイクルに明らかな雑音が紛れていた。
…カルテが欲しい。
アイシャから聞いた情報ではあまりに足りなさすぎる。既存の情報が手元に無いのだ。
シューシュタルの爺と会わせる為か。これも策の一環かと思うとため息が止まらない。
ともかく、取り敢えずは呼吸器系の疾患を持っている可能性はあることがわかった。
熱もあることから、これだけだと肺炎に近い症状だ。
間に合わせだが、肺炎の治療を行う。
「『
ルーンによる治療。本当なら投薬やらで行うが、辛そうなので妥協する。医療との相性がいいルーンで、活力や症状の停滞、治癒を促していく。
「…っ、弾かれた…?」
だが、本来ならその効力を遺憾なく発揮するはずのルーンは、ミルに吸い込まれる直前に弾かれ、崩れ落ちた。
「なにごと…?」
思わず頭を抱えた。
だが、はたと気づいた。
雪山でミルが使っていた魔術が、まだ続いている。その効力はかなり落ちているし、虫の息とでも言えるものだが、まだ保たれている。
厄介な…、と零した。思っているより面倒なのは、間違いなかった。
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