やり残したこと

アール

やり残したこと

とある医療刑務所の一室にて。


その老人は部屋の真ん中にある白いベッドの上で、静かに横になっていた。


そばには身の回りの世話兼、彼が脱獄せぬよう監視する役割の看護師が座っている。


だがこの老人に脱獄出来るほどの気力がないことはこの看護師の男含め、医療刑務所の職員全員承知していた。


だからこの老人につける監視役は彼ただ一人のみ。


しかしこの老人の世話に、あまりこの看護師は苦労をしていなかった。


何故ならこの老人よほど身体が弱ってきてるのか、いつも寝たきりだからである。


「……すまない、少しいいか」


突然、老人がそばに座っている看護師にそう声をかけた。


「どうしました?」


看護師はそう優しく答えた。


相手は犯罪者だが、その前に彼は病人。


何事にも優しく対応し、収監者が望むことなら出来る限りのことをする、というのがこの医療病院の決まりであった。


「……そこに、袋が置いてあるだろう?

中に入っている酒をとってくれないか……」


老人がそう言って指差す部屋の隅には、確かに黒い袋が置いてあった。


袋には

「面会者からの差し入れ品。

危険物は入っていない為、差し入れを許可する」

と書かれたメモが貼られてあった。


「しかし看護師の立場として、飲酒を許可するわけには……」


「まぁ、そう硬いこと言わんでくれ。

一杯だけだよ。

わしも、もう長くないは生きられないだろう。

人生最後の頼みとして、聞き入れてはくれないか」


「し、しかし……」


「頼む。

どうか飲ませてくれ。

たった一杯だけじゃないか……」


その後看護師が何度断っても、老人は熱心に

飲ませてくれと頼み込んできた。


とうとうその熱心さに看護師は根負けし、

「一杯だけなら……」

と言って酒瓶の栓を開けて小さなグラスへと酒を注いだ。


「ああ、すまないね。

ありがとう」


老人は嬉しそうだった。


ニコニコしながらそのグラスの中に入った酒を勢いよく飲み干す。


その老人の機嫌の良さに、看護師はふと疑問を持った。


いつも死んだような表情で寝ているだけの老人が、酒を飲めると分かった途端のあの機嫌の良さ。


「そんなに美味しいお酒なのですか?」


看護師はそう老人に尋ねた。


「いや、そうではないんだ。

それを話したいのだが、その前に。

…………その酒瓶の残りは捨ててくれないか。

私は独占欲が強くてね。

私以外の誰にもそのお酒を飲まれたくはないんだ」


看護師は言われた通りにした。


残りを全て排水口へと流し捨て、老人のさらなる指示通り、瓶の中を時間をかけて綺麗に洗った。


老人いわく思い出のある酒だから、酒瓶はコレクションとして保存したい、という事だった。


ようやく綺麗になった瓶を看護師は老人に見せる。


するとようやく老人は、肩何が降りたかのような顔をし、満足げにうなづいた。


「本当にありがとう。

これでわしの人生においてやりたい事は全てやり終えた。君のおかげだ、感謝している」


「人生のやりたい事、ですか?」


「ああ、そうだ。

人生なんてあっという間だ。

ボーッとしていちゃ、すぐに終わってしまう」


「確かにそういうものなのかもしれませんね」


老人の言葉に、看護師は相槌を打つ。


「だからわしは、若いころに決めたのだ。

人生においての、目標をな。

それがだったという事なのさ。

聞いたことあるだろう?

という言葉を」


「……もちろん知っていますよ。

知らない者の方が今の時代、そういないでしょう。

警察が手を焼いていた犯罪組織のリーダー。

麻薬の密売や強盗、誘拐まで。

ありとあらゆる犯罪を引き起こした大犯罪者だ。

………………まさかあなたが?」


勘のいい看護師は老人の正体にとうとう気づいたようだった。


犯罪王と過去に呼ばれていたその老人は、意地悪そうに笑いながらゆっくりとうなづく。


「そういう事だ。

刑務所側はパニックを防ぐ為、わしの正体を秘密にしていたからな。

気づかないのも無理はない。

……わしはせっかくこの世に生まれたのなら誰も成し遂げたことの無いような事をやってみたかった。

そしてそれが犯罪だったのさ。

君のいう通り、過去に私は部下たちを率いて大暴れしてやった。

ああ、あれは痛快だったなぁ…………」


そう言って、老人は回想するような表情になった。


「犯罪を美談のように語るのはやめて下さい。

貴方は英雄でもなんでもない。

ただの犯罪者でしょう?」


しかし正義感の強い看護師はあからさまに不快そうな顔を見せる。


「フフ、まぁ理解してはもらえまい。

……だがもういいのさ。

ワシは目標を全て達成できたのだから…………」


そう言い終えると、突然老人は苦しそうにうめき出した。


看護師はその異変に気づき、慌てて老人のそばに近寄る。


「いや、どうせ手遅れさ。

薬の効果は絶大だからな……」


「い、いったいどういう事なのです?」


うめきながらも、なおその表情に笑顔を見せる異様な老人の様子に、看護師は動揺しながら尋ねた。


「…………ワシは今まで様々な犯罪を犯してきたがまだやり残していた犯罪が二つあったのだ。

それはさ……」


そう言うと老人は、まるで最後の気力を振り絞るかのように肺に大きく息を溜め込むと、病室の外へ大きな声でこう叫んだ。


「げぇっ! だ、誰か! 助けてくれ!

看護師に毒を盛られた!

看護師に毒を…………………」


叫び終えると、老人の体は呆然とする看護師を置いて冷たくなっていった。


そして残された看護師。


手には、まるで証拠をもみ消そうとしたかのように綺麗に洗われた酒瓶が握られていた。


ようやく我に帰った彼は、病室の窓ガラスを椅子で叩き割ると、そのまま外へと飛び出した。


何故なら彼の耳に、飛び込んできたからである。


スタンガンを持って駆け出してくる、何十人もの職員の足音が…………。






















 





















  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

やり残したこと アール @m0120

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ