第73話 昔の話12。
病室に向かう足取りがなんとなく重く、気付けば私は病院の食堂に辿り着いていた。
まだお昼を過ぎた程度だというのに外は薄暗く、今にも雨粒が降ってきそうな空模様だ。
ナルミの病状について、私から告知する事を院長に伝えた。これからの方向性についても。
問題はナルミ自身が自分の病気についてどこまで認知しているかだった。院長によれば、ナルミは症状について否定をしているらしい。
知っていて……心配をかけまいと平気なフリをしているのか。知らなくて……現実を拒絶しているのか。どちらにせよ、私は告げなくてはならない。
診察室の去り際、院長に言われた言葉が今も強く頭に残る。
『考えたくない話であろうとは思いますが……今のまま病気が進行すれば、ナルミ王女の余命はそう長くはありません。その事だけは、どうか肝に銘じておいて下さい』
余命……。まさかそこまでの事態と、誰が予想出来ただろう。このままではナルミは助からないと言うのだ。平静を装っても、内側にある絶望に飲み込まれてしまいそうだった。
愛する人が失われる……という事を、事前に知ってしまう。それは、どれだけの精神力があれば耐えられるのだろうか。私には途方も無い幻の様に思えた。
だが、それでも何とか理性を保っていられたのは、まだ希望が残っていたからである。
ナルミを、元の世界に送還する。
そこでなら、この世界よりも進んだ治療が受けられるはずである。少なくともその症状が未知である以上、この世界で出来る事は限られている。
私は改めてその意思を固め、全身全霊をもって送還の研究を進める事を誓った。
食堂の椅子に座り、ナルミへの説明の仕方を考える。するとそこに、両手に缶コーヒーを持ったロジーが現れた。
「よぉ。医者との話は済んだのか」
缶コーヒーを一つ差し出してくる。私はそれを受け取り、小さく頷いた。
「あぁ……。とても整理が追いつかないよ」
「……そうか。医者は何て?」
ロジーは何か知っている様子だったけど、詳細は分からないと言っていた。私は先程院長から受けた説明を、感情を込めず、出来る限り事務的に伝えた。
「成る程な…………余命、か。まだ考えるには若過ぎるだろう。トアちゃんだってまだ10歳だぞ」
苦虫を噛み潰したような顔で、ロジーが小さく唸る。ロジーの反応は自分の内面をそのまま投影しているかの様で、客観的に見る事で幾分冷静さを取り戻せた気がした。
「だがまだ手はある。未だに確固たる理論は構築出来ていないが、事故だろうが何だろうがゲートを通じてこの世界に喚び出した事は間違いないんだ。必ず、正しい方法で送り還す手段が存在する」
ロジーに貰った缶コーヒーを開け、一気に流し込む。不安要素は、何もかも奥底に閉じ込めるつもりで。
ふと窓を叩く音に気付く。どうやら雨が降ってきたようだった。増した薄暗さに伴って、人の少ない食堂内に一層の静けさを感じる。
缶コーヒーを飲む数秒の沈黙の後、ロジーが小さく呟いた。
「毎年冬になると、アーチ河にイルミネーションを見に行くだろう。わざわざ夜遅くに、消灯の時間に合わせて」
「……? あぁ。すっかり恒例の行事になっているな」
アーチ河のイルミネーション。ナルミの淹れてくれたコーヒーを持って、3人で消灯まで過ごすのが毎年の恒例になっていた。トアが生まれてからはトアが寝静まった後に集まる為、若い頃の青春みたいなものを思い出す、実に心地の良い穏やかな時間だった。
だが何故このタイミングでそんな話を……。
「その恒例が始まった最初の年を覚えているか? 俺がお前の部屋の前を通りがかった時、飛び出してきたナルミと出喰わして、そのまま強引に外に連れ出された……あの日の事だ」
「あぁ、もちろん」
覚えているとも。あの日、イルミネーションに囲まれたアーチ河のほとりで、私はナルミへの想いをロジーに見抜かれたのだ。
「実はな、あの時お前の部屋の前を通りがかったのは偶然じゃない。ナルミが心配で、様子を見に行ったんだよ」
「……え?」
「俺は見てしまったんだ。……その直前、ナルミが泣いている姿をな」
窓を叩く雨音が強まる。外はすっかり暗くなって、時間の感覚が曖昧になりそうだ。
ナルミが……泣いていた? ロジーの言葉は、私にとって非常に意外なものだった。あの明朗活発で強気なナルミが、泣いている姿など見た事が無かったからだ。この世界に喚び出された時も、敵に人質に取られた時も、危機感の無い平気な顔をしていたのに。
「ナルミの部屋の前を通った時にな、泣き声に気付いて……声を掛けたんだ」
『ナルミ、どうしたんだ?』
『あ、ロジー君。何でもないの。ちょっと眠れなくて』
『眠れなくて泣いていたわけでは無いだろう。何かあったのか?』
『あー……、はは。うーん、実はね……』
「そうしてナルミはこう言ったんだ。『私もうすぐ死んじゃうんだ』と」
「な……」
死んでしまう……? という事は、今問題になっている病気の件を知っていたのか。しかし、もう10年も昔の事だぞ。
「どういう事か尋ねても詳細は教えてくれなかった。俺も、それ以上踏み込むべきか迷い、追求もしなかった。だがあの頃から何かを抱えていたのは確かだった」
「……さっき言ってた、謝らなければならないって……この事だったのか」
あの日、私は部屋で資料の分析をしていた。そこに淹れたてのコーヒーを持ってナルミが現れたのだ。いつも通り明るく無邪気で、泣いていたなんて様子は微塵も感じさせなかった。
「あの日以降ナルミからその話は無かったし、結局今日まで元気に過ごしていた。ついにはトアまで無事に出産してるしな。まるであの夜の会話が嘘だったかの様に時が過ぎていった。……かと言ってそんな下らない冗談を言う女でも無いだろう。だからきっと何かあったのは間違いのだけれど、結局何の問題も無く済んだのだと思っていた」
思っていたんだ……、と、顔を歪めるロジー。
そうか。だからあの夜、ロジーは私にこんな事を言ったんだ。
『ナルミの事、ちゃんと守ってやれよ』
ロジー自身も知り得なかった、ナルミを脅かす何か。知りきれなかったからこそ、私への忠告にとどまったのだ。
「『死んでしまう』と呟いた直後。振り切る様に、ナルミは途端に明るい表情に変わった。たった一言の弱音を吐き捨てる様に、楽しそうに笑ったのだ」
『はー! どうせ眠れないなら何処か出掛けたいわね。ザイン君起きてるかしら。コーヒーでも差し入れに行こうかな』
ナルミの声で鮮やかに再現されるセリフ。弱気になっていた自分を払拭するかの様に、勢い良く部屋を飛び出したのだと言う。
あの時、背景にそんな事があったなんて知らなかった。イルミネーションに包まれて楽しそうにはしゃぐナルミを、ロジーはどんな想いで見ていたのだろう。
「あの時のナルミの発言が今回の事に直結しているかは分からない。だがもしも関係があるのだとしたら……あの段階でしっかりと追求し、検査等していれば、もしかしたら事態は好転していたかもしれない」
「……悔やむな、ロジー。今更言っても戻れない。もう10年も経っている事だ。それにその時のその発言だけでは、見過ごしてしまっても無理は無いだろう」
一体誰がロジーを責める事が出来よう。伴侶となり10余年もの間そばに居ながら、気付かなかった私の方が大馬鹿者だ。
時計を見ると、時刻は夕方。強かった雨は些か弱まって、厚い雲の隙間から焼けた空が滲み出していた。
「ザインよ。お前は事ある毎に言っていたな。ナルミを元の世界に送り還す、それが事故で喚び出してしまった自分への贖罪なのだと」
「……あぁ」
「ならばそれは俺も一緒だ。ナルミの発言について、今日まで胸に秘めていた事に罪悪を感じずにはいられない。せめてお前にだけは話すべきだったのだ」
「ロジー……」
「……ザイン、お前にだけ負担を背負わせるわけにはいかない。俺の方でもナルミを救う手段が無いか、出来る限り手を打ってみる」
そして強い決意を内包した力強い口調で、ロジーは言い放った。
「当事者で無くても送還が可能な方法があるかもしれない。言わば……強制的送還術。俺はそれを必ず見付け出す。それが、俺にとっての贖罪だ」
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