第72話 昔の話11。
雨季の空はどんよりと重たい雲を浮かべていた。汗と湿気の混じる不快さを振り払う様に、私は急ぎ足でその場所に向かう。
国が保有する最大規模の医療施設、モンテス病院。その特別室に、ナルミの姿があった。
「……ナルミ、大丈夫か?」
「あ、ザイン君。ごめんね心配かけて。大丈夫。なんかちょっとふらっとしただけだから」
見た目には普段通り元気そうな表情をしていた。だけど、疲労が蓄積しているのかもしれない。……当然だ。ただでさえ勝手の違う異界の地で、しかも王位に就いてしまったのだから。私が感じる以上のプレッシャーやストレスを一身に受けているだろう。
それを支え、出来る限りの負担を軽減させてやるのが私の務めなのに……何をやっていたんだ、私は。
ナルミの傍らには器用にアーチェの皮を剥くトアが居た。ナルミにあげるのかと思いきや、そのまま自分で食べ始め美味しそうに顔を綻ばせていた。
「あー、トアー。私にも頂戴よ」
「もう一つ剥くから待っててお母様」
カゴに詰められた果物の中から、再びアーチェを手に取る。どうやら食べるよりも剥く作業の方が楽しいらしい。
「トア、ありがとうな。……ナルミ、無理をせずに何日か入院して体を休めた方がいい。ここ最近は確かに多忙過ぎた」
「大丈夫よ。むしろ暇過ぎて何もやる事無い方が体に悪いわ。ザイン君こそ、警備団体の仕事で怪我とかしない様に、ちゃんと体を休めてね」
……この状況で私の心配をされてしまった。全く、ナルミには敵わないな。
剥き終えたアーチェの実をトアから受け取り、美味しそうに頬張るナルミ。その時部屋にノックが響いて、ロジーが姿を見せた。
「ナルミ、調子はどうだ?」
「あー、ロジーおじさん! こんにちはー」
ナルミより先にトアが満面の笑みで迎え入れる。すっかりロジーに懐いているみたいだった。
「ロジー君まで、わざわざ来てくれてありがとう。みんな優しいわねー。全然平気だから心配しないで」
どうぞどうぞと、ベッドに腰掛けたまま椅子を促した。
「ありがとう。だが任務について少しザインと話があってな。席を外すよ。ザイン、いいかな?」
そう言って病室の外を指差すロジー。……任務の話? そんなに急な案件があっただろうか。
「わかった。……トア、お母さんを宜しくな。ちょっと仕事の話をしてくるよ」
「「いってらっしゃーい」」
二人に見送られ、ロジーと共に病室を後にする。壁には美しい風景画が並び、静けさと相まってまるで美術館の様な雰囲気が漂っていた。
通路を歩きながら、真面目な顔に変わったロジーは、静かに重々しく呟いた。
「……約、10年になるか」
「?」
「隠していたわけでは無いのだ。特別話す事では無いと思ったし、必要であればナルミから話があると思っていた。しかし様子を見るに、話は無かった様だな……」
「……何の話だ?」
ロジーは何を思うのか、どこか痛々しい表情だった。
「無ければ無いで……良かったと思った。きっと問題無く済んだのだろうと。だがもしも今回の件にそれが関係あるのなら、今日までそれについて触れずにいた事を……謝罪しなければならない。すまなかった」
珍しく酷く抽象的である。私にはさっぱり何の話か分からなかったが、ナルミが倒れた事について……ロジーは何か知っているのだろうか。
話をしている内に、とある部屋の前に辿り着く。そこには第一診察室と書いてあった。
「後でまた話をしよう。俺も詳細は分からないから、ひとまず医者から話を聞いてくれ」
ロジーが扉を開ける。「ザイン国王入られます」と促された先には、この病院の院長が座っていた。
「おぉ、ザイン国王。お呼び立てしてしまって大変申し訳ない。ロジー警備団長、ありがとう。お手数おかけしてすまなかった」
「構わないさ。それじゃあ私はここで。ザイン、後程」
そう言って退室するロジー。成る程、院長に頼まれて私を呼びに来ていたのか。だがなぜ任務について、などと嘘を吐いたのだろうか。
「本来なら私が出向くべきだったのですが……ナルミ王女の手前、躊躇しました。本人に何処までの認識があるか不明です。告知はひとまず、ザイン国王の意向を確認してからにしようと思いまして」
カルテを手に取り、姿勢を改めた院長。
……告知? 一体何の話だ?
「ちょっと待ってくれ。今一つ話が見えないのだが……。それは、ナルミの体調についての話だろうか」
「はい。やはりナルミ王女ご本人様からのご説明はありませんでしたか。受け入れられず拒絶しているのか、心配かけまいと平然を装っているのか……私にはその真意は分かりかねます。ですがナルミ王女は、あくまでも症状について否定を続けています」
「…………」
ナルミは大丈夫だと言っていた。私も、疲労が溜まっているのだと思っていた。だけどそうでは無いのだろうか。ロジーも院長も、どうにも濁した言い回しをする。まるで重大な問題に触れる事を恐れている様な。
するとカルテから顔を上げた院長は、覚悟を決めた表情で重々しく呟いた。
「結論から申し上げます」
「ナルミ王女の心臓には悪性の腫瘍があり、この国の医療では治療が不可能です」
「…………………………え」
院長の言葉を聞き終える前に、私の思考は完全に停止していた。ぐるぐると耳の奥で反響しているその語句の一つ一つの意味を、まとまらない頭が必死に追いかけている。
心臓……?
悪性の……腫瘍?
治療が、不可能?
安易に捉えていた容態との極端なギャップに、理解が追い付かないでいた。
誰の事を言ってる? ……ナルミが?
……バカな。先程も普段と変わらず元気な様子だったじゃないか。
「…………」
数秒か数分か。自分がどれだけその場で停止していたか分からない。その間、院長は私が落ち着くのをずっと待っていてくれていた。
「…………そう、か」
何かの間違いだ、などという悪足掻きは無意味だろう。そんな間違いはあってはならない。ナルミはこの国の王女である。病院側だって入念な診断の元、どうしようもなく結論を出したに違いない。
だが現実味がまるで感じられないというのが本音だった。信じられるか信じられないかの話では無い。ただ漠然とそこにある事実の、受け止め方が分からない。
ナルミの治療は、不可能……。
「それは、つまり……どういう事になるのだろうか」
現実に置き去りにされない様に、拒む心を抑え込み、受け入れる為に尋ねる。
「今現在、腫瘍が血管を圧迫し、心臓に痛みがあったり強烈な眩暈などの症状が起きているはずです。今回倒れたのもそれが原因でしょう。断定は出来ませんが、恐らく以前からあった腫瘍が大きくなり、今回影響を及ぼすまでに肥大化したのでは無いかと考えられます」
以前から……それは、いつだ。元の世界に居た頃の話か、生まれつきか。若しくはこの異世界に召喚した事が何か悪く作用したのだろうか。
そんな事を今更考えても仕方が無いのに、まるで逃げる様に思考が回転する。
「はっきり申し上げますと……この国ではこの様な症例は今まで見た事がありません。前例も無く、技術も知識も無い我々には、この腫瘍を取り除く手術は行えません。あまりにも無謀過ぎる」
出来る事は、抗生物質などで病気の進行を遅らせるくらいだと言う。経過を観察してみないと断言は出来ないが、それでもきっと肥大化は止められないし、完治に繋がる方法では無いという話だった。
「どうにか、ならないのか?」
「可能性があるとすれば……」
そこで言葉を区切った院長。その先は、私にもなんとなく想像がついた。ここミノンアーチ国にとってナルミの症状が未知なのは、ある意味で必然なのだ。
なにしろナルミは、異世界の人間なのだから。
「そうか……。ナルミが居た元の世界……そこなら、治療は可能かもしれない、と」
「あくまで可能性の話です。ナルミ王女の症例がどの様な要素に起因するかは不明ですが、少なくともこの世界よりは頼りになると思います」
ナルミを救う唯一の方法。
それは、やはり最初から同じだったのだ。
原因については分からない。だがもしも私がこの世界に召喚してしまった事がきっかけだったら? この世界での生活が、環境が、ナルミにとって何らかの悪影響を与えていたら?
ナルミを苦しめているのは私だ。
これは義務や責任では無い……ただひたすらの贖罪だ。
「ナルミを救う為にも……一刻も早く、ナルミを送還しよう」
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