第27話 作戦名は『トリプルS』

私は、犠牲を払った。


それが自分のアイデンティティで、最も大切な己の武器だとわかっていながら、私はそれを脱ぎ捨てることにした。捨て去ることにした。


……さよなら、『クールビューティ』。


もしもこの戯曲に名前をつけるとすれば、私はそんな言葉を添えるだろう。


勝ちたい。何としてでもあの女に、勝ちたい。


その強い思いが、彼への強い想いが、私をさらに一段成長させる。進化させる。そして、本当の自分の魅力を開花させてくれる。


私はまるで詩を読むかのようにそんな言葉を心の中で呟くと、視線を窓から教室の中へとそっと移した。


視界には、動揺を隠せない様子でこちらのことをチラチラと見てくるクラスメイトたち。そして……


「…………」


自分の姿を捉えたその黒い瞳と目が合った時、私は口元へと意識を集めた。普段はクールに結ばれている唇の両端を、まるで三日月でも描くようにゆっくりと持ち上げる。


言葉を越えて、距離を越えて、私の大切な想いが彼へと届きますようにという願いを、この『微笑み』に乗せて。


どうやら思った以上に私の気持ちは伝わってしまったようで、彼は恥ずかしそうにすぐに視線を逸らすと、机に頭を伏せてしまう。やめてよ。そんな仕草を見せられちゃうと、私の方まで恥ずかしくなっちゃう。


ポッと頬に熱が灯そうになるのを咳払いで誤魔化すと、私は手元に広げたノートをじっと見つめる。


もちろん、見ているのは美しく綺麗に書かれた英文などではない。その右端斜め上、余白に小さく刻まれた文字。


――作戦名『SSS』


そう。昨日丸一日部屋に閉じこもっていた私が、幸宏くんの心をあの不埒な女から取り戻すために考え抜いた作戦。


その信念と戦略を心に刻むために、私は目のつくところにこの作戦名を書いておいたのだ。


こうすることで、万が一臆病になり逃げ出したくなっても、この文章が私の心を戒めてくれる。


こんなにも私の笑顔が効果的だったのであれば、もっと早くに披露しておくべきだったわ。


つい先ほど、教室の扉の前で出会った時の幸宏くんのことを思い出し、私は思わず口元を緩めそうになる。


彼のあの時の顔、あれはまさに私の笑顔に心奪われていた顔だ。


実の双子である姉と戦うためには、今までの私とは違う、より強力な武器がいる。


相手は何と言っても元女優。しかもハリウッドという絶大な影響力と威力を持った武器がある。


いくら双子で顔や容姿が一緒(認めたくないけど)だとはいっても、普通に勝負してしまえば私の方が圧倒的に不利。事実そのせいで、一昨日私は、世にもおぞましい光景をこの瞳に映してしまったのだ。


「…………」


順調に進んでいく作戦に気を良くしていたはずの私の心が、嫌な映像を思い出してしまい急速に萎えていく。何重にも蓋をして記憶の奥底に沈めようとしても、しつこい姉と同じように、隙あらば勝手に浮かんでこようとするのだ。


でも……この作戦なら、いける。いけるはずッ!


私はもう一度ノートに刻んだアルファベット3文字をじっと睨みつける。


たとえ向こうがどんな強力な武器を持っていたとしても、私にだってできることがある。いや、こんな私だからこそ、姉よりも遥かにインパクトを与えることができる武器がある。


それこそが、今までの私のイメージを覆す、天使のような微笑み。つまり、ギャップだ!


今日まで築き上げてきた黒髪美人のクールビューティという肩書きを捨ててしまうのは非常に心苦しいけれど、幸宏くんのハートをゲットする為には、もう悠長なことは言ってられない。


本当に手に入れたいものがあるのであれば、多少の犠牲は必要なのだ。


私はそんなことを思うと、いつもより桜色に染まった唇を小さく噛む。


今日の目標は、彼と二人っきりになり、一昨日の真相を聞き出し、そして姉よりもさらに一歩進むこと。その為に、念密で念入りな作戦を立ててきて、今こうやって実行中。


「勝負は昼休み……」


私はぼそりとそう呟くと、昨夜寝る前に行ったイメージトレーニングを再び思い出す。


昼休み、彼を誰もいない多目的室へと連れ出し、そしてすぐに内側から鍵をかける。


お互い逃げ場を失った中で、彼から姉とどこまでの関係を持ってしまったのかを問い詰めながら、ゆっくりと近づいていく。


もしも何もなかったのであれば、セーフ。


けれど、少しでも関係を持ってしまったというなら、その時は私も同じことをする。


だって私たちは、『双子』。


だからあの女が彼に行ったことは、いや……もしかしたら犯してしまったことは、双子である私にも犯す権利がある。


もちろんそれは私が許容できる範囲の中での話しだけれども、姉に対するこの煮えたぎる闘争心と己の殻を脱ぎ捨てた今の自分なら、彼の唇の色を私の唇と同じ『桜色』に染めることならできると思う。いや、きっと出来るはずだ!


私はイメージだけで早くなっていく胸の鼓動を感じながら、ゴクリと唾を飲み込む。


ここまで大胆な決意と行動を起こせる機会なんてそうそう無い。


ましてや、過去の自分のトラウマとも向き合うことになるのだから、これを乗り越えた暁には、きっと幸宏くんもお姉ちゃんから私へと振り向いてくれるはず。


そう、これこそが私が一晩かけて考え抜いた作戦……


即効で、桜色に、め上げろッ! だ。

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