第24話 避妊は大事なことです。

息が詰まる思い、という言葉がある。


今の僕がまさにそれだ。


……いや、思いどころか本当に息が詰まっている。


「…………」


酸素が十分に満たされているはずの空間で、僕はうまく呼吸をすることができずに硬直していた。


膝をついた足元にはふわっふわのラグ。目の前にはいかにも寝心地の良さそうなセミダブルサイズのベッドに、季節感を表現した水色や黄色など爽やかな色合いのクッションや枕。


それに白を基調にしたチェストや棚には、海外のものと思われる雑貨がセンス良く飾られている。


そう。今僕が正座しているこの場所は、莉緒さんの秘密の花園……


彼女のプライベートルームだ。


「なんでユッキー正座なんてしてるのさッ。私の部屋なんだから思いっきりくつろいでくれていいんだよ」


ベッドにひょいと座った莉緒さんが、クスリと笑いながら言った。


「……」


それじゃあご厚意に甘えまして僕もベッドにダーイブっ!


……なんて出来るわけなーいッ!


というよりもうすでに帰りたーいッ!!


僕はリズムカルに心の中でそんなことを叫ぶと、返事の代わりにゴクリと唾を飲み込む。


ケンタッキーよりもチキンな僕は、男子なら誰もが憧れるようなこのシチェエーションに、早くも尻込みしていた。


そりゃそうだ。僕みたいなミジンコ暮らし出身の人間が、本来莉緒さんのような偉大なお方のお部屋に足を踏み入れていいものではない。今を輝く女子の部屋を、この聖域を、勝手に汚してはいけないのだ。


そんな極度の緊張状態のためか、僕の五感はかつてないほど研ぎ澄まされていた。


莉緒さんの良い匂いがする……


すっとわずかに空気を吸うだけでも、まるで莉緒さんに密着されている幻が見えてしまいそうなほど、彼女の香りがそこら中に満ちている。危険だ……これはもう、マリファナなんかよりも100倍危険だ!


僕はできるだけあらぬ妄想をしないように、鞄から取り出した教科書へと意識を集中させる。


が、そんな自分の行動を見た莉緒さんがすかさず口を開く。


「えっ、ユッキーもう勉強始めるの??」


「……え?」


目をパチクリとさせる莉緒さんに、僕も同じように瞼をパチクリとさせる。


何か僕、間違った選択肢を選んだでしょうか? というよりこれって、勉強会ですよね??


思わぬ質問に僕が戸惑ったまま固まっていると、莉緒さんがクスクスと笑い始めた。


「せっかく二人っきりなんだからまずは色々と話そうよ! それに私、部屋に男の子入れるの初めてだからすっごく楽しみだったんだッ」


「…………」


えーッ!!


何このいきなりの責任重大な展開は⁉︎


僕、知らない間に莉緒さんの貴重な初めて奪っちゃってたの⁉︎ これぜったい配役ミスってるよね!?


「な……な……」


なんてことだ……と心の中で驚愕する自分に、莉緒さんは「何から話そうかなー?」と楽しそうに一人呟いている。


そんな彼女の姿をチラリと見て、僕はすぐに視線を逸らした。なぜなら……


あの服って……僕の前で着て大丈夫なの?


僕はそんなことを思うとまたもゴクリと唾を飲み込む。


今日は土曜日。そしてここは莉緒さんの部屋。つまり今の彼女は制服ではなく、私服だ。


自分の家ということもあるのか、莉緒さんが着ている服は外出用というよりも、白のTシャツに赤チェックの短パンと部屋着に近い。


いや、たぶん部屋着なのだろう。


「え? それサイズ小さくないですか?」と思わず聞きたくなってしまうようなTシャツが、それを物語っている。


もしかしたら本当は莉緒さんの身長に合ったサイズなのかもしれないのだけれど、彼女のはち切れんばかりに膨らんだ胸元がそれを小さく見せてしまっているのだ。事実、さっきからチラチラとおへそが見えている。


「…………」


これは非常にマズい。ただでさえ女子の部屋というだけでも落ち着いて勉強なんて出来ないのに、目の前にはあまりにも無防備な姿をした莉緒さん。


しかも、彼女が座っているのがベッドというのが、ろくでもない思考に拍車をかけてくる。


違う違う違うッ! 僕が今日この場所に来たのは勉強という尊い行いをするためだ!


それに自分には静さんという大切な初恋相手がいる!


そんな僕が、奥手で純情なそんな僕が、そう簡単に狼になったりしないのだ! ガォウっ!


そんなバカなことを一人考えていた時、「ねえユッキー」と莉緒さんの呼ぶ声が聞こえて僕はビクリと肩を震わせた。


「最近シズとどうなのさ?」


「……え?」


不意打ちのように出てきた好きな人の名前に、僕の呼吸が思わず止まる。それを見て、莉緒さんがニヤリと笑った。


「いやー、さすがにシズの前だと聞けないからさ。それに前に比べると二人とも仲良くなってるじゃん。今日だってユッキー、あの子のこと名前で呼んでたし」


「いや……まあ……」


恥ずかしさと気まずさを誤魔化すように、僕は右手で頭をかく。


そう。以前静さんに言われてから、僕は彼女に対して出来る限り名前で呼ぶようにしているのだ。


出来る限りと付け加えたのは、静さんが強烈な睨みを利かせてくる場面では、さすがにまだ名前で呼ぶ勇気はない。


……ちなみに、「しずしゃん」という恥ずかしい間違いはあれから三回犯している。


「同じ部活に入って名前で呼ぶこともできたし、あと敬語もなくなってきてるから……うんうん。なかなか順調だ!」


僕が達成してきたことを指で数えていた莉緒さんが、けらりと笑顔を見せた。そのあまりに眩しすぎる可愛い姿に、僕は一瞬目を閉じてしまう。


「この調子だと次は二人で遊びに行って、あっという間に付き合えそうだねッ」


「え! いくらなんでもさすがにまだ二人で遊びに行くのは……」


「でもユッキーだって早くシズとデートしたいでしょ?」


「…………」


イエス! いつ何時何が起こってもいいように、静さんとのデートは毎夜寝る前に頭の中で何度もシュミレーションを行なっている。


何なら授業中や休み時間でも無意識に考えてしまうほどだ。


そのシュミレーションの中では僕は百戦錬磨のイケメン男子がごとく、常に静さんを満足させて見事なゴールインを果たしている。


……もちろん、すべては妄想の域を出ていないけど。


そんな事実に思わずため息をついた時、「そうだッ!」と何か思い出したかのようにポンと手を叩いた莉緒さんがベッドから立ち上がった。


「この調子だといつ何が起こるかわからないからさ、ユッキーに心強い味方をプレゼントしてあげるッ」


「え? プレゼント?」


当然目の前に現れたサンタさんに、僕はきょとんとした表情を浮かべる。莉緒さんからのプレゼントなんて、何を貰ったとしてもプレミアがつきそうだ。


そんなことを思いながら、僕は遠足を翌日に控えた小学生のように目を輝かせていた。


莉緒さんは「えーと、たしか……」と言いながらチェストの引き出しの中を探っている。


「この前、美希が授業中に面白半分でこっそりくれたんだけど、私には使う機会ないから……あ、これだッ」


目的のものを見つけたようで、莉緒さんはくるりとこちらを振り返ると、満足そうな笑みを浮かべている。


なんだろう? と僕が興味津々で莉緒さんの顔を見つめていると、彼女はゆっくりと近づいてきて「ハイっ」と拳を握った右手を伸ばしてきた。片手で隠せるところを見ると、どうやら莉緒さんからのプレゼントはかなり小型のようだ。


もしかして、シズさん好みのアクセサリーとか?


さすが莉緒さんと一人勝手に感心しながら、僕は聖杯を受け取るがごとく両手を静かに差し出す。


すると彼女はゆっくりと指先を広げて、僕の手のひらの中にそれを託した。


「これで何が起こってもバッチリだねッ」


「………………」


ポンと手のひらの中に渡された物を見た瞬間、僕は一瞬それが何なのか理解できなかった。


外界に触れぬように厳重に密閉されたそれは、まるで世界の秘密を閉じ込めたようにも見える。が……


「なっ、なっ、なっ……」


少しずつその正体を理解していく僕の頭から、さぁーと血の気が引いていく。手のひらの上の物体はピクリとも動いていないのに、まるで活きがいい鯉でも捕まえたかのように両腕が震え始めた。


「り、り、莉緒さん……こ、これってもしかして……」


「ご想像の通りでごさいます」


なぜか改まった口調で返事をした彼女は、直後イタズラをしてしまった女の子のようにペロッと舌を出した。


その無邪気さ溢れる仕草と、手のひらに託されてしまったプレゼントのギャップがカオスだ。


ちょっと莉緒さぁぁーんッ!!


いきなりこのプレゼントは無しでしょ!


っというより、本来僕が女の子からもらったらダメなやつですよね⁉︎


しかも友達からもらったって……女子は一体授業中にどんなやり取りをしてるの!?!?


パニック寸前で過呼吸になる僕を見て、莉緒さんがクスクスと肩を震わせてる。


「まあまあそんなに焦らなくても、御守り代りに持ってたら大丈夫だよ。これでシズの身もユッキーの身も守れるしね。それにお財布に入れてたらお金が貯まるって話しだよ!」


ね、と何が「ね」なのかよくわからないけれど、莉緒さんはそう言って僕にそれを無理やり握らせた。


これ以上この会話を続けることは、僕の精神崩壊を招くことになるので、ここは素直に従っておくことにしよう。


そう思い、僕は顔を真っ赤にしながら無言で鞄から財布を取り出す。


何に対してもオープンだとは思っていたがさすが莉緒さん、ワールドクラスで活躍した人は一味も二味も違う!


そんな刺激的過ぎるハプニングもありつつ、シズさんとの近況を根掘り葉掘り聞かれた後に、僕らはやっと当初の目的である勉強会をスタートさせた。


すでに莉緒さんからのドッキリプレゼントが衝撃的過ぎて、全く頭が働きそうにないのだが、これで少しは心を落ち着かせることができそうだ。


…………と、思ったのだが。


「うーん、やっぱり自分の部屋だとあんまり集中できないなぁ」


ローテーブルに二人分の教科書とノートを広げてから15分。早くも弱音を吐いた莉緒さんが天井に向かって大きく伸びをした。


既視感のある光景に彼女の姿を一瞬チラリと見てしまいそうになるも、僕の良心とシズさんの怖い顔を思い出したことがストッパーになってすぐに思い留まる。


伸びをした後そのまま立ち上がった莉緒さんは、僕の目の前を通過していくと再びベッドに腰を下ろした。どうやら彼女にとっては地べたよりもマットレスの上のほうが落ち着くらしい。


「そういえばさ、ユッキーは映画とか見るの?」


完全に勉強モードではなくなった莉緒さんが、ふとそんな質問を口にする。


同じくまったく勉強に集中できない僕は、「見るよ」とすぐさま答える。そもそも、女の子の部屋にいてあんなハプニングがあった後に勉強に集中できるほど、僕の心は菩薩ではない。


「そうなんだ! ね、どんな映画見るの?」


「そ、そうだなー……けっこうアクションものとか多いかも」


本当は『莉緒さんが登場している映画』とカッコよく即答したいところだったが、チキンな僕はそんな台詞を喉の奥へとすぐに押し込める。


「へーアクションものかー、私はあんまり見ないなぁ」


「じゃあ莉緒はどんな映画を見るの?」


「私?」と莉緒さんが綺麗な人差し指を自分の顔へと向ける。よしっ。今の僕、ちゃんと女子と会話ができてる。


「私は恋愛ものとか多いかなぁ。あ、でもSFとかもけっこう好きかも! 最近だと『スペースリバー』とか見たところだし」


「あ、それ僕もこの前見た! ニーベルト監督の最新作だよね」


「そうそう! 私あの人が撮影してるところ何度か見たことあるんだけど、映像を作ることに対するこだわりがほんっと凄いの! あれだけ壮大な映画をいつも作るのに、ほとんどCG使わないんだよッ」


「え? そうなの? てっきりCGメインで映像作ってると思ってたんだけど」


それがさー、と僕の言葉に莉緒さんが嬉しそうな表情を浮かべる。映画好きという僕の数少ない趣味がミラクルを起こし、僕らは勉強そっちのけで映画の話しで盛り上がった。


しかも莉緒さんは観る方ではなく、かつてスクリーンの中で活躍していた女優。SNSで流せばすぐに『1万いいね!』ぐらい付きそうな舞台裏の話しに、僕は無我夢中で聞き入っていた。


なんか……不思議だな。


莉緒さんの話しに相槌を打ち、一緒に笑い、話しをする中で、僕はふとそんなことを思った。


目の前にいるのは、本来自分のような人間では挨拶どころか近くことも許されない女の子。


なのに僕は今、かつてないほど自然体で話しができている。


もちろん話しの内容が好きな映画ということも影響しているのだろうけど、これは莉緒さん本来の雰囲気が僕に合っているのだろう。


あれ、これって何だか……


莉緒さんと一緒に手を叩きながら笑っていた僕は、かつてないほどの居心地の良さを感じていることに気づき、ふとその手を止めた。


すると指先で涙を拭った彼女が、「そういえばさ!」とベッドサイドにある棚に手を伸ばす。


「ユッキーこの映画見たことある?」


「え、どんなやつ?」


僕は莉緒さんが手に取ったDVDケースを見ようとして立ち上がると、ベッドの方へと近づこうとした。


が、久しぶりに立ち上がった両足は言うことを聞かず、方向も定まらないままローテーブルの脚部に思いっきりぶつけてしまう。


「痛いッ!」


思わず情けない声を出してしまった僕は、そのまま体勢を崩してしまい、あろうことかベッドに座っている莉緒さんに向かって一直線に倒れこんでしまった。


「キャっ」と莉緒さんの小さな叫び声を聞いたのは一瞬のことで、両腕で自分の身体を支えた僕は慌てて閉じていた目を開けた。


……そして、絶句する。


「…………」


莉緒さんに激突するところを間一髪でま逃れた僕だったが、どんな神がかりな技を使ったのか、伸ばした両手は物の見事に莉緒さんの両手をキャッチしていた。


つまり、僕はいま莉緒さんを『押し倒した』ようなポーズになっている。


……え?


不覚にも、あまりにも近い距離に莉緒さんの顔があったせいで、僕は一瞬状況が飲み込めずに固まってしまう。


莉緒さんの香りが、柔らかい手のひらが、そして唇から溢れる吐息が、そのどれもが想像を超える近さで感じてしまい、僕の顔が急激に熱くなる。


「ご、ご、ごめんなさいッ!!」


同じように頬を赤くしている莉緒さんから逃げるように、僕は慌てて立ち上がろうとした。


が、その瞬間。


僕の両手に莉緒さんがぎゅっと指を絡めてきた。


「……へ?」


予想もしなかった莉緒さんの行動に、僕は思わず間抜けな声を漏らしてしまう。


すると莉緒さんはこんな状況にも関わらず、クスクスと笑い始めた。


「り……莉緒さん?」


わけがわからず困惑する僕に、莉緒さんはその潤んだ唇をゆっくりと開いた。


「ユッキーさ……このまま私と、『キス』してみる?」


「…………」



……………え?



僕は数秒の間、意識がなかった。


いや、五感の感覚が消えた。


魂が抜けたように固まってしまった僕に、莉緒さんは再び口を開く。


「ほらユッキー、まだキスしたことないって前に言ってたでしょ? だからシズとする時にちゃんとリードできるように私で練習するのはどうかなーって思ってさ」


「………………」



えぇぇえーーーッ!!


ちょっと待ってちょっと待って⁉︎


き、キスって事前に練習しとくものなの⁉︎


って、その場合みんな誰とやってるわけ⁉︎



ファーストキスの概念が崩壊しかけている僕に追い討ちをかけるように、莉緒さんはさらに言葉を続ける。


「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ! 『ちゅっ』ってすればいいだけなんだから」


ね? と余裕な莉緒さん、まさかのウィンク。


いやーダメだこれ! マジでヤバいやつだ!

何なら意識し過ぎてさっきから莉緒さんの唇しか見てないよ僕! チキンが本当に狼になっちゃうやつだよこれ⁉︎


たぶん莉緒さんの悪ふざけだ、と思い込もうとした僕だったが、彼女は本当に練習台になるつもりなのか、僕の手のひらに絡めた指を離さない。


そして、静さんと同じアーモンドのようなくるりとした瞳でじーっと見つめてくる。


「…………」


ダメだダメだダメだッ!


何を早まろうとしているんだ僕は!


よく考えろ! 僕なんかが莉緒さんと口づけを交わしてしまったら、彼女の人生に一生の汚点を作ることになるんだぞ⁉︎


そう思い僅かに理性を取り戻した僕は、ゴクリと唾を飲み込むとゆっくりと口を開いた。


「ちょ……ちょっと待って……これじゃあ莉緒さんが傷ついて……」


男である前に紳士であれ。


そう思い勇気を振り絞って繰り出した言葉は、しかし莉緒さんの明るい声ですぐに一刀両断される。


「私はべつにユッキーが相手ならいいよ」


「なっ……」


見事なゴールイン。17年間恋愛経験が無かった僕にもついに光が…………


って、ちがーっう!!


なんで莉緒さんこんなに心広いの⁉︎


もしかして神? 神の化身か何かの⁉︎


完全に抵抗する言葉を失ってしまった僕に、莉緒さんは「あのさ……」となぜか少し甘えたような声を漏らす。


「ユッキーは……私が相手だと、嫌?」


「…………」


一瞬、天国が見えた。


それぐらい、僕は意識を失いかけた。


あの莉緒さん相手に……あの元大女優で絶大な人気を誇っていた莉緒さん相手に……キスを迫られて嫌がるバカがどこにいる?


じゃあするのか? 心の中のもう一人の自分が問う。


その言葉に、別の自分がうーんと首をひねる。


さらに別の自分が、「練習ならいいんじゃないか?」と言ってきて、他のみんなが同意する。


だって莉緒さんは静さんと双子の姉妹。


それはつまり、莉緒さんとキスをすることは間接的に静さんとのファーストキスを成し遂げ……


る、わけないだろッ!!


静さんのことを思い出した僕は、ぐっと唇を強く噛むと目を瞑る。瞼に浮かぶのは、ずっと昔から想いを寄せる初恋の人。


そうだ……僕には静さんが……


「い、い、嫌とかじゃないんだけど……」


キレの悪い言葉で抵抗を試みる僕に、じーっと僕のことを見つめていた莉緒さんがクスリと笑った。


「やっぱりユッキーはシズのこと好きなんだね」


「…………」


まるで本音を見透かされたかのような言葉に、僕の頬がカッと熱くなる。


そんな僕の顔を、静さんと同じ瞳で莉緒さんが黙ったまま見つめる。


何だかとてつもなく罰が悪くなった僕は、

「ごめん……」と小さく声を漏らした。


「なんでユッキーが謝るのさっ! 私のほうこそ変なこと言っちゃってごめんね。……でも」


そこでふと言葉を止めた莉緒さんは、ふっと一瞬真面目な顔を見せた。


そして、さっきとはまるで違う落ち着いた声色で言う。


「ユッキーが相手ならいいって言ったのは、本音だよ」


「……え?」


突然告げられた言葉に、僕の頭は再びフリーズを起こす。


何なんだ、この意味深過ぎる言葉は……


呆然と固まったままの自分を見て、莉緒さんはまたもクスッと笑うと、強く握りしめていた僕の両手をそっと離した。


その薄れていく温もりに不覚にも寂しさを感じつつも、僕はホッと息を吐き出す。


そう、これでこれで良かったん……




カシャーーンっ!!




突然背後から大きな音がして、僕と莉緒さんは慌ててベッドから起き上がった。


そして音が聞こえた扉の方を見て、僕は思わず目を見開く。


「し、し、し………」


壊れたロボットみたいに声を発する僕の視線の先にいたのは、同じように呆然と立ち尽くしている静さんだった。


その足元には、無残に中身が散ってしまったコップが二つと、お盆が一つ。


どうやら、自分たちのために飲み物を持ってきてくれたらしい。


「…………」


僕の人生史上、究極に凍りついた空気が辺りを包み込む。


弁解の言葉をフルスピードで探す自分に、生気を失った目をしている静さんがぼそりと口を開いた。


「……失礼しました」


恐ろしいほど感情のない無機質な声でそう呟いた静さんは、そのまま幽霊のようにさーっと部屋を出ていき、そしてゆっくりと扉を閉めた。


残ったのは、僕ら二人と、巨大な沈黙。


「あちゃー……」と声を漏らした莉緒さんの言葉で、僕はやっと意識を取り戻す。


「ちょっとシズには刺激が強かったかな」


「…………」


ペチンッと小さく自分のおでこを叩く莉緒さんの言葉が、どこか違う国の言葉に聞こえてしまうほど、僕の思考は止まっていた。


足元から何かが崩れて落ちていく感覚。


見られてはいけないものを、覗かれてしまった恐怖。


にっちもさっちもいかなくなった僕の心と状況に、ある言葉が頭の中にポンっと浮かぶ。


そうか、これが……『修羅場』というやつか!

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