雪の降った日
「……いきなり、どうした」
突然訪問してきた――のはそこまで珍しいことではないからともかくとして、扉を開けるなり抱きついてきたルカに、フィオラは淡々と訊ねた。
「フィー……。……雪が、降っていて」
「そうだな。温暖なこの国には珍しく、雪が降り始めたところだな」
「……雪は、いい記憶と、嫌な記憶を、同時に連れてくる……」
何となくわかっていたが、この親友が珍しくあからさまに弱っていることを察したフィオラは、とりあえず外聞だけどうにかするために扉を閉めようと身動きした。
それをルカの抱擁から逃れるためだと思ったのか、ルカはますますフィオラを囲う腕に力を込めてきた。
「落ち着け。扉を閉めたいだけだ」
「…………うん」
腕の力は元に戻ったが、解放する様子はないルカに、フィオラは密やかにため息をついて、魔法で扉を閉めた。問答するより早いと判断してのことだ。
「……ごめん」
「お前が平静でないのはわかってる。そういうときは仕方ない」
運よくフィオラの代償、『暴発』も起こらなかったのでよしとする。
「ごめん……」
「謝るな。心が弱るときは誰にでもある。それを誰かに頼って少しでも和らげられるなら、そうすべきだ」
普段、あんなに世話を焼いてくるわりに身体接触には慎重なこの男が許可も取らずに抱きついてきたのだ。緊急事態と言ってもいい。
それなら甘んじて、抱き人形にでもなるくらいには、フィオラもルカに対して情があった。
(まあ、他の人間に見られていたら、ちょっと困ったことになるだろうが……魔法使いの宿舎だ。廊下に他の人間の気配も感じなかったし大丈夫だろう)
これは恋愛の抱擁でも、友愛の抱擁でもない。実質的には治療のようなものだ。
抱きしめられているのに、縋られているような心地になるのがその証左だろう。
「この国でなら、雪を見ずに済むかと思ってたのに……」
「十数年に一度の、珍しい雪の日が今日だった、それだけだ。間が悪かったんだな」
フィオラの言葉にしばらく無言を返したルカは、ぽつりと零すように呟く。
「雪は嫌だよ、フィー……。白く、冷たく、何もかもを覆って、無くしてしまう」
「それが、『嫌な記憶』か?」
「……うん」
「じゃあ、『いい記憶』もあるんだろう。そっちを思い出せないか?」
「……いい記憶を思い出すと、それを嫌な記憶が塗り替えていくから、いやだ……」
「そうか。だったら、私との記憶を作るか」
「……え?」
ぽかんとした声に少し笑って、フィオラは続ける。
「この国で降る雪じゃ、文献で見るような雪遊びはできないが……。この様子なら、雪人形くらいならなんとか作れるくらい積もるだろう」
「…………」
「もちろん、雪見だけでもいい。『雪見酒』とかいう楽しみ方もあるんだろう? 部屋の中から、のんびり雪を眺めるのもいい。……私と雪を体験した記憶を、新しく作ったらどうだ」
そこでやっと、ルカの腕の力が緩む。代わりにフィオラの肩に、ルカが頭を預けた。
「……今の俺、すごくみっともない顔をしてると思うから……しばらくこのままでいてほしい」
「好きにしろ」
「それから……一緒に雪見酒、してくれる?」
「部屋に備蓄はないから、買いに行くことになるが。それでよければ」
「うん。……それも、雪とフィーの、思い出の一つになるだろうから」
そう囁く声が少し湿っていたことを、お互いに気付いていたけれど触れずに、フィオラはただ、頷きを返したのだった。
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