支倉家の兄妹化計画

稀山 美波

支倉家の兄妹化計画

平穏な暮らしのエピローグ、支倉兄妹のプロローグ

1

 とても大切なことなので、まず初めに言っておこう。

 俺の身に降り注いだ今回の出来事を語る上で欠かせぬことなので、簡潔に、単刀直入に。


 俺の母は、ろくでもない人間である。


 こんなことを言うと、『これこれ自分の親を悪く言うんじゃない』だとか、『お腹を痛めてあなたを産んでくれたのよ』だとか、使い古された著作権侵害も甚だしいお決まりの批判が飛んでくるに違いない。


 そう言える人間は、きっと立派な両親に、立派に育てられ、立派に道徳心とか身に付けられ、立派に成長した人間なのだろうよ。


 間違っていない。その人たちの言葉及び思想はなんにも間違っちゃあいない。親は尊く、敬うべきだ。ぜひその価値観を忘れずに生き続けてもらいたい。


 じゃあかくいう俺はどうなのかと言われれば、もちろん間違っている。

 この女は十中八九俺の母だ、間違いない。腹を痛めて俺を生んだ、まあきっと間違いない。それをきちんと理解した上で、それでも言わせてほしい。



「よおポンコツ、生きてたかよ」



 俺の母は、ろくでもない人間である。


 自らの不出来を他人のせいにする訳ではないが、そもそもこんな母に育てられた人間が全うに育つはずがないのだ。そんな俺だからこそ母を尊ばない台詞を吐いても許されるはずだ。いや、許してほしい。


「……なにしに来やがった、阿婆擦れババア」

「おうおう相変わらず吠えよるわ、この捨て犬が。愛らしいママンが久々に顔を見せてやったんだから、泣いて喜ぶものかと思ったが」


 泣き喚くの間違いじゃないのか、とはツッコまないでおく。


「黙れ。てめえのヘドロがへばりついたようなくっさい口で『ママン』とか言うんじゃねえ。哀らしい、の間違えだろ」

「喚くな、殺すぞクソガキ」

「死ね」

「そっちこそ死ね」


 母と息子、感動の再会に、お互い喜びの言葉と笑顔を禁じえない。

 ああ、なんて素敵な親子愛なのだ。親子感動の再会ドキュメンタリーと称して全国ネットで放映しようものなら、テレビ局の電話が三日三晩苦情で鳴り続けそうだ。


 現在、日時は日曜の朝。一週間の中で、最も快い一時と言ってもいいだろう。

 カーテンの隙間から差し込む光、小鳥のさえずり、俺を二度寝へと誘わんとする温かい布団、寝ぼけ眼でつけたテレビの音……。数分前に感じたそれらはすべて、もうどこか遠い。


 今日は三月二日。三月と言えばグレゴリオ暦で年の三つ目の月であり、我らが日本では皐月などと呼ぶ――まあそんなことはどうでもよくて、ようするに春を迎える月なわけだ。

 しかしまだまだ春と呼ぶには肌寒く、つい先日も雪がちらほらと降ったばかりである。だが冬と断言するにはいささか心地よく、今日も今日とて何とも言えぬ空気の朝だった。


 純然たる社会人にとって、日曜日という存在は制汗剤のようなもので、労働で疲れ切った体に癒しを与えるかけがえのないものだ。それはおそらく、日本人ならば老若男女誰もが共通した考えであることと思う。俺だってそうだ。いつもは陰鬱とした気分になる朝も、今日は、今日だけは快適であった


 だからこそ思う。

 なぜ、いつもは無視を決め込むチャイムの音に反応してしまったのかと。

 なぜ、部屋の扉を開けてしまったのかと。


「だから早く死ねってババア」

「いやお前が死ね」

「今死ね」

「むごたらしく死ね」


 部屋の扉を空けなければ。

 築ウン年、ボロアパートの二階で、こんな言い争いは起きなかったはずなのに。

 

 そんな俺を責めるように、昨日の雪が嘘だったと言わんばかりの太陽が俺の目を焦がす。笑顔で罵りあう俺たちなぞ関係なしに、つけっぱなしにしてあったテレビの音声が背後から聞こえてくる。


 ――関東地方は雲ひとつない快晴、洗濯日和の休日となるでしょう


 ああ、確かに快晴だ。俺の心と反比例するかのような、青空だ。開いた扉の分のスペースからしか空を仰ぐことはできないが、雲ひとつ見つけることができない。この嫌すぎる現実から目を背けるかのように、左手で開いたドアを支えながら、俺だだっぴろい青を見つめていた。


「ばーか」


 もちろん、口だけは罵詈雑言を囁くことを忘れない。


「ああもう、埒が明かん。口喧嘩なら今度買ってやるわドラ息子、今日はそんなことをしにきたんじゃないんだよ」

「ばーか」

「口喧嘩はまたの機会にしろ言うのが聞こえんかったかこのクソガキが」


 母――支倉理子はせくらりこは怒鳴ると同時、何度も地団太を踏む。タンタンと決まったリズムがアパートの踊り場に響き渡るのが煩わしく、俺は視線を空から母へと戻した。


 相変わらず濃い化粧だ、と思う。

 最後に見たときは黒髪だったかと思うが、今はくるくると巻かれた茶髪をしている。髪型オシャレ事情に疎い俺には、その髪型が何と言う髪型かはわからないが、どこかの芸能人がそんな髪型をしていた気がする。


 そんな芸能人じみた風貌に加えて、高級そうなネックレスに高級そうなバック、追い打ちをかけるように高級そうな指輪もはめている。


 もうとっくに四十路は超えているはずだが、実の息子から見たとしても若々しい。認めたくないし、気味が悪いとも思うが。エステにでも通っているのだろうか、まだ肌にも艶が残っている。体系もスレンダーといって差し支えない。


 ええいともかくだ。二十代半ばだと言われても別段疑問も抱かないような、そんな容姿をしているのだ。支倉理子という女は。


「うるせえし見苦しいから地団太やめろや」

「ハッ、偉そうに」


 肥溜めでも覗いているかのように冷めた表情の中、母は鼻で笑ってみせる。かなりイラッとはするが、うるさい音は止んだのでまあよしとする。


「何しに来やがったんだ、このクソ女。まさか息子の顔を見に来ただけー、ってなわけあるめえしよ」

「ハッ、誰が好き好んでてめえの顔なんざ拝みにくるか」

「お互いに、な。俺のとこなんかより、愛人のとこにいた方がいいんじゃねーか?」


 皮肉をたっぷりと込めてそう言ってやると、『愛人のとこ?』と俺の言葉を反芻する。先ほどの態度とは打って変わり、そこには皮肉や嘲笑といった感情は感じられず、ただひたすらに分からないといった感じに見える。



「愛人って、どの愛人だよ」



 母は、支倉理子は、こういう人間なのだ。

 とっかえひっかえに男を変え、男から金をむしり、男を骨の髄まで啜り尽くす。ハマってしまったが最後、底なし沼のような女なのだこいつは。


 しつこいようだが、改めてもう一度。


 俺の母は、ろくでもない人間である。

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