十個の音が消えるまで [3,567文字] ※ホラー

「最近さぁ、だるまさんがころんだ流行ってんの?」


 中学二年の秋。

 教室に入って席に着くなり、前の席の穂波ほなみがそんな事を言った。

 最後にだるまさんがころんだを遊んだのはいつだったか。



「そうなの?」


「分からん。でもよく見る」


「小学校の子たちがやってるのをみるってこと?」


「ちっちゃい子たちもよくやってるっぽい。でも、高校生っぽいお姉さんがやってるのも見た」


「えー、近所の子供に混ざってくれって言われたとかじゃないの?」


「あー、まあ、そうかも。ちびっこに流行ってんのかー。いや、流行るとかじゃないか、別に。私もちっちゃい頃はよくやってたわ」



 担任の先生が入ってきて、その会話は終了する。

 だるまさんがころんだ。

 祥子しょうこは、自分がその遊びを苦手に思っていた事を思い出していた。


 運動神経も反射神経もあまりなかった祥子は、ほとんど進めない内に動いたと言われてしまう事が多かった。

 ゲームの前半で脱落してしまい、ずっと鬼と小指を絡めて立っているだけ。

 鬼が人気のある男の子だったりすると、他の女の子たちが怒って自分を睨んでいるようで、それも嫌だった。


 祥子が鬼になったところで、上手くないのは変わらずで。

 全然動いてしまう人を見付けられないまま、すぐに勝負が付いてしまうので、一緒に遊んでいる子たちはみんなつまらなそうな顔をしていた。



 どうにも、外で体を動かして遊ぶというのが苦手な子供だった。

 それは今も変わらない。

 けれど小学校の時と変わって、中学は休み時間に教室で本を読んでいてもそれほど奇異の目で見られる事はなかった。

 ずっと教室内で喋っている子たちも多いし、祥子自身、穂波と喋っている間に休み時間が終わる事もある。

 だるまさんがころんだで遊んであげていた高校生というのは、昔から、そういう遊びが好きだったのだろうか。


 帰宅途中に意識していると、確かにいろんなところでだるまさんがころんだという声を聞く。

 公園で、路地で、子供たちが遊んでいた。





 次の日、穂波が青い顔をして、その高校生が失踪したと言った。

 何か事件に巻き込まれたのか、詳細は分からないけれど、とにかくいなくなってしまったらしい。

 穂波自身が聞いた話ではなく、穂波の両親が話しているのを偶然聞いてしまって、そこに出てくる女子高校生が、自分の見た人と同一人物だと気付いたらしい。



「もしかしたら、私が見たのが最後かもしれなくて……どうしよう、け、警察に言った方がいいのかな……」



 放課後、一緒に交番に行き、警察官にその事を話す。

 あまり目撃情報がなかったらしくとても感謝されて、穂波はまんざらでもないようだった。


 二人で並んで交番から家に向かって歩く。

 ゆうやけこやけがスピーカーから流れ、門限を過ぎてしまったなと思った。

 遠くのスピーカーから遅れて聞こえる音のせいで、ぐわんぐわんとかき混ぜられるような感覚。


 どこかから、だるまさんがころんだと、叫ぶ声が聞こえたような気がした。





 女子高校生が失踪した後、別の地区でも男子中学生が失踪したという話が学校中を駆け巡った。

 それと同時に、もう一つ、噂が流れ始めていた。



『だるまさんがころんだに誘われて、見知らぬ子供と遊んでしまうと、死者の世界に引きずり込まれる』



 誰からともなく流れた噂は、すぐに保護者の耳にも入った。

 都市伝説じみたそれをまともにとりあう保護者はいなかったものの、誘拐犯がだるまさんがころんだを利用して犯行に及んだ可能性も捨てきれないという結論に至る。

 大人が表立って遊びを禁止する事はなかったけれど、だるまさんがころんだで遊ぶ子供たちはいなくなってしまった。

 放課後の子供たちは、他の遊びに夢中になっていた。





「だーるーまーさーんーがーこーろーんーだっ」


「やめてよ穂波!」


「ひひひ、祥子は怖がりだなー」


「ふ、フキンシン、だよ!」


「大人の真似っ子だ」


「もう!」


「あはは、ごめんごめん」


「穂波はだるまさんがころんだ、好きだった?」


「んー? 普通? 結構上手かったよ、ぴたっと止まるの得意なんだー」


「そっかー」



 そんな会話をした夜、家の固定電話が鳴った。

 母が出て、リビングでテレビを観ていた祥子に声を掛ける。



「祥子ー、今日って穂波ちゃんと一緒に帰ってきたー?」


「ううん、今日は吹奏楽の練習があるって言うから先に帰ってきたよ」


「そう……」



 どうして、そんな事を?

 嫌な予感がした。

 電話を終えた母を問いただすと、穂波が帰ってきていないのだと。

 穂波が。

 だるまさんがころんだが得意だと言っていた穂波が、いなくなってしまった。


 祥子はそれからの自分の行動を覚えていない。

 気付けば朝になっていて、自然と体は学校に向かっていて、目の前の席は、空っぽのままだった。





 穂波がいなくなって、あっという間に一週間が経ってしまった。

 何の手がかりもないまま、穂波のお父さんも、お母さんも、ひどく消耗しているみたいだった。

 マスコミによってテレビで大々的に報じられるという事はなかったものの、狭い地域で短い期間に何人もいなくなってしまったというのはいいネタであるようで、週刊誌の記者と名乗る人たちが町のいたるところで見掛けられるようになった。


 祥子も、何人かの大人に声を掛けられた。

 彼らはみな、穂波について聞きたいらしかった。

 両親や教師から無視するように言われていた祥子は、何を言われても耳を塞ぎ、走って家に帰った。





 秋の終わりが近付いても、穂波は帰らなかった。


 周囲の小学校は集団登下校を行うようになり、中学校でも、可能な限り複数人で登下校するようにとの通達があった。

 子供たちの遊ぶ姿はほとんど見られなくなり、町全体がどんよりとした空気に包まれているようだった。


 公園の遊具も落ち葉にまみれ、時折風が吹いてそれを片付けてくれるだけ。

 本を読んでいる時には耳障りに感じさえする、甲高い笑い声も叫び声も泣き声も、聞こえなくなると寂しく思えるのは何故なのだろう。


 放課後、いつもの帰り道をクラスメイトと二人で歩く。

 家まであと二ブロック、三叉路でさよならをした。


 誰もいない道路、響き渡るゆうやけこやけ、ぐわんと、世界が揺れる。



「あーそーぼ」


「っ!」



 

 背後から掛けられた誘い、紛れもなく穂波の声だった。



「だるまさんがころんだ、しようよ。祥子が、鬼だよ」


「…………」



 だるまさんがころんだと口にしたら、振り返ったら、始まってしまう。

 だけど、振り返ったら、穂波が、いる?


 祥子は、抗えなかった。

 震える口から、か細い声で、けれどしっかりと、それは始まった。



「だーるーまーさーんーがーこーろーんーだっ」



 振り返る。

 遠くに見えるセーラー服。

 膝下丈のスカートに、短く白い靴下、運動靴。

 ああ、穂波だ。


 けれど、穂波の両腕はどちらもあり得ない方向に曲がって伸びていて、髪の毛を振り乱した顔は祥子の方を向いていない。

 ああ、穂波は、穂波ではなくなってしまったのだ。



「だーるーまーさーんーがーこーろーんーだっ」



 振り返る。

 祥子と穂波の距離は、半分ほどにまで縮まっていた。

 通常ならあり得ない距離の詰まり方に、祥子は息が上手く出来なくなる。

 今のままでは、次に、もう終わってしまう。

 早く。

 早く。

 穂波の腰が後ろ向きに曲がり、そこから立ち上がった顔が真横を向いている。

 脚はただただ直立していて、それが却って異常さを際立たせていた。



「だるまさんがころんだっ」



 咄嗟に目を瞑って振り返った。

 嫌だ。

 嫌だ、目を開けたくない。

 震えが止まらない。

 ヒュウヒュウと口から空気が漏れていく。

 上の歯と下の歯がぶつかりあってガチガチと音を立てる。


 祥子は震えを止められないまま、せめてもの抵抗として下を向いてから、瞼を、ゆっくりと、開いていった。


 ぼんやりとした視界が、ほとんど目の前に立っている穂波を捉える。

 汚れたセーラー服、穂波の下半身。

 えた臭いに吐き気が込み上げた。

 腕も腰も脚も真っ直ぐ、気をつけの姿勢を取っているのが分かる。

 このまま元の体勢に戻ってしまえばいい。

 けれど祥子は、どうせ死ぬのなら、逃げられないのなら、最後に穂波の顔を見て死にたかった。



「う、うううううう……穂波……ほ、なみ……」



 だから、顔を上げた。


 穂波の顔が、逆さまに付いていた。

 歯を剥き出しにした、笑顔で、ぼさぼさの髪に、口の端から垂れた唾液が絡んでいる。

 穂波の目は祥子を真っ直ぐに見つめていた。

 今にも叫びたいくらいに怖いのに、穂波が、ぴたっと止まれているでしょうなんて得意げに話す穂波が見えてしまって、祥子は、溢れ出る涙を止められなかった。



「穂波、穂波ぃ……うぁああああああ……っ!」



 穂波は動かなかった。

 祥子が泣き止むまで、ぴくりとも動かなかった。

 祥子は涙が枯れるまで泣いて、泣いて、泣いて、覚悟を決めた。



「だるまさんがころんだ」


「つーかまーえた」


「私も、つかまえた」



 木枯らしが、誰もいない道路を吹き抜けて、冬が始まった。

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