笑えないのに笑える私の動画は消去するように [1730文字]

 朝起きたら、笑えなくなっていた。



 正確には朝起きて歯を磨いたり顔を洗ったりした後、朝ご飯を食べながらバラエティ番組を見ている最中に笑えないことに気が付いた。



 いや、正確には一緒に食パンを齧っていた桐浜きりはま先輩に「野中、真顔で笑い声上げるなよ、キモいぞ」と言われて初めて、自分が笑えていないことを知ったのだった。



「え? 普通に笑ってるんですけど」


「いや、真顔だから」


「えぇ? マジすか」



 私は慌てて洗面所へ向かった。


 しかし既に洗面所は起き出してきた寮生でそれなりの賑わいを見せていて、女子力皆無の私とはいえ流石に不特定多数(全員顔見知りではあるが友達ではない)の中で表情の確認をする訳にはいかない。


 とりあえず食べ切らずに放置してきてしまった朝ご飯を食べてから自分の部屋で確認しようと、私はくるりと身体を反転させて食堂へと戻った。



 食堂に戻った私は、自分のトレイの上の目玉焼きとヨーグルトが消え去っているのを見て絶望した。これが漫画であるならばガーンという書き文字が添えられているに違いない。


 犯人は分かりきっている。目の前で腹を抱えて震えている先輩だ。



「てめぇこのやろう!」


「め、目玉焼きとヨーグルトでそんな滅んだ世界に一人残されたみたいな顔……うわははははははははは」



 先輩は大口を開け、目に涙を溜めて爆笑した。


 さっきの私も、ここまではいかないながらもそれなりに爆笑していた筈だったのだが……。



「私の大事な目玉焼きとヨーグルト分、私の表情確認に付き合ってもらいますからね…………」


「わ、分かった! 分かったから俺に向かって醤油さしを構えるのをやめろ!」



 真っ白なTシャツを着た先輩は、青い顔をして何度も頷いた。



□■□



 それから数分後、私と先輩は寮の裏手の木の下に置いてあるベンチに座って向かい合っていた。


 何故、私や先輩の部屋ではないのかといえば、それは『異性の部屋への連れ込み禁止』という寮の規則のためである。


 私の部屋が何者の進入をも拒むレベルで散らかっているからという理由ではない。断じて。



「まあとりあえず、笑ってみろよ」


「なんか面白いこと言ってくださいよ」


「お前、その発言のハードルの高さ分かって言ってる?」


「勿論です先輩」


「クソむかつくな、その真顔」


「笑顔のつもりでした」


「真顔だよ」


「うーむ……」



 先輩は唸る私を尻目に私の前に三脚を立ててビデオカメラの準備をすると、スマホを弄り出した。YouTubeのアプリを開き、何かを検索している。


 何かと思えば私の大好きなお笑いコンビの漫才動画だった。



 新進気鋭の若手コンビ”冴えないオッズ”を私はずっと応援していて、テレビに出れば録画もして何度も爆笑し、もちろんライブにも行き、ライブを収録したBlu-rayが出ると知るや予約するレベルで好きなのだ。




 先輩は彼らの動画を見せてきた。安易だ。安易すぎる!


 しかし私は爆笑する。だって面白いんだもん。



「ぶは、ぶははは! ひぃー! ひぃえへへへへへへへへ」



 ひとしきりコントを楽しんだ私に、先輩はビデオカメラを見せてくる。小さな液晶画面には、爆笑しているにも関わらず真顔のままの自分が映っていた。



「げぇぇ何じゃこら気持ち悪ぅ」


「な?」


「っていうか真顔だと私の笑い声のヤバさも際立ちますね、死にたい」


「おお、そこに気付けたとは。良かったな野中、悪いことばかりじゃなくて!」


「どういう意味ですか!」



 しかし、どうしたもんか。


 何故こんなことになってしまったのかも分からなければ、解決方法も分からない。別に困ることはないのだけれど、これ(真顔の笑い)を見せられる友人たちが可哀想だった。



「まあ、気楽に行こうぜ。お前の笑顔が見られないのは寂しいしな」


「せ、先輩……」


「俺は、全力で笑うお前が好きなんだから」


「………………気持ち悪っ」


「おい!!!!!! そこは先輩への愛に気づいて笑顔を取り戻すところだろうが!!!!!!」


「いや、無理ですって、ほら鳥肌」


「ひどいっっ」



 先輩が三脚を片付け、一度部屋に戻るというので私も自室に戻ることにする。


 前を歩く先輩の背中を見つめ、私はニヤけそうになるのを必死に我慢していた。


 部屋に戻ったら、もう一度鏡を確認してみようと思う。



 どうやら先輩の思惑通り、愛に気付いて笑顔を取り戻したようだから。

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