呪くらっ!

平中なごん

壱 美術部 NEXT TO THE DOOR(一)

 ひらひらと桜の花びらが舞う急勾配の坂道を、一人の少女が駆け上がって来る……。


 淡いピンクの色に縁取られたその坂道には、彼女と同様、真新しい紺のブレザーに身を包んだ生徒達がいっぱいである。


「――ハァ…ハァ…ハァ…ハァ…」


 短い灰色のスカートの裾と天使の輪キューティクル輝くオカッパ頭の髪を激しく上下に揺らし、少女は一気に坂道を登り切ると、そこに建つ白い鉄筋コンクリート造りの建物へと向う。


 その正面の塔屋に時計を掲げた白亜の建造物――高校の校舎へと誘う校門の門柱には「神奈備かんなび高校入学式」と見事な筆字で書かれた大きな看板が紅白の紙花に彩られて縛り付けられている。


 そして、その看板のすぐとなりにポニーテールのよく似合う女の子が一人、ひどく待ちくたびれた様子で突っ立っていた。


 その子も初々しい糊のよく利いた制服に袖を通し、発展途上の胸には赤いリボンの花をくっ着けている。


 オカッパの少女は坂を駆け上がって来た勢いのまま、そのポニーテールの子の前まで走り寄る。


「ごっめ~ん…ハァ、ハァ…寝坊しちゃって…ハァ、ハァ……」


「もう! 遅いよ、まーな。約束の時間とっくに過ぎてるよ!」

「だから、ごめんて…ハァ、ハァ…昨日の夜、今日のこといろいろ妄想してたら、興奮してなかなか眠れなくてさ。鼻血出ちゃうし……」


「まったく、遠足の前の日じゃないんだからね~…ってか、あんたは思春期の男子かっ!」


 開口一番、プクっと頬を膨らませて遅刻を怒るポニテの子だが、荒い息遣いで言い訳をする少女のその女子高生らしからぬ理由に、思わず切れのよいツッコミを入れてしまう。


「ま、そこら辺がまーならしいっちゃ、まーならしいとこなんだけどねぇ……ハァ…しょうがない、全力疾走に免じて許してあげる」


「特別の御計らい有り難く存じ上げます……ところで朋絵、クラス別けもう見た?」


 それでも、あきらめの溜息まじりに赦してくれた友人に、なぜか武士のように畏まった口調で礼を述べると、少女は思い出したかのように尋ねる。


「うん。さっき、見てきたよ」


「で、どうだった?」


「へっへ~……」


 ポニーテールの子は鼻で笑いながら少し焦らすと、パッと明るい表情を見せて告げる。


「やったーっ!」


 その願っていた通りの結果を聞いた瞬間、少女は歓喜の声を上げてポニテの子に抱きついた。


「きゃっ! …い、痛いよ、まーな。それに人が見てるよ~…」


「やった~今年も朋絵と一緒だ~っ!おお、我が心の友よ~!」


「だから、痛いってばあ! …ってか、ジャ●アン? ――」




 ――キ~ンコ~ンカ~ンコ~ン…。


「え~皆さん、どうも始めまして。僕が今日からこの一年A組を担任する渋沢敬一郎しぶさわけいいちろうと言います」


 入学式を終えた後、ウェストミンスターのチャイムとともに始まった初のホームルームで、タン、タン…とチョークの乾いた音をリズミカルに響かせながら、彼女達のクラスの担任となるその教師は黒板に自分の名前をデカデカと書き記す。


「ということで、三年間、皆さんと苦楽を伴にするわけなんで、どうぞよろしく」


 そう断りを入れ、白い歯をキラリと光らせた渋沢と名乗るその教師は、見たところ歳は20代の半ばくらい。体格は細マッチョ系、爽やかな短髪に丸メガネをかけている。


 レンズの奥で細められた目はなんとも優しいイイ人そうであるが、緩めたネクタイと開いた襟元に、そこはかとなく危険な男の色気を感じる。


 ……なんというか……〝腐った〟ネタにはもってこいのタイプだなあ……ショタ生徒との禁断の恋って感じで……




「――せ、先生、だ、だめですよ。僕達は生徒と教師の間柄だし……」


「いいんだよ。今夜だけは教師でも生徒でもない。僕らは恋人通しさ――」




 ――キャーっ! 先生と教え子でそんなぁぁぁー! ……っと、いけない。いけない。また勝手な妄想をしてしまった……あ、涎が……。


 そうして新しい担任教師をうっとりと見つめながら、極めて主観的で腐女子的な脳内妄想をして盛り上っている先程のオカッパ頭の少女……。


 少女の名前は宮本真奈みやもとまな、15歳。友人達は呼びやすいためか、「ま」を伸ばして〝まーな〟と呼ぶ。


 そんな少々妄想癖の気がある彼女は、今日からこの神奈備かんなび高校――通称〝ナビ高〟の一年生なのだ。


 去年までのセーラーとは違う紺のブレザーの制服。新しい友達。カッコイイ先輩。楽しい部活動。そして、甘く切ない恋……。


 加えて小学校の頃からの大親友・桜井朋絵さくらいともえとも同じクラスになれて、これから始まる新たな学園生活への期待(妄想ともいう…)に、真奈の期待はいやがおうにも高まっていた。


「それじゃ、一応、皆さんにも自己紹介してもらいましょう。名簿順に〝あ〟からということで、浅野くんから。そうだな、名前と出身校、それから趣味とか高校生活での抱負とか、何か一言添えてお願いします」


 と、真奈が妄想に花を咲かせていると、渋沢が学校初日にはお決まりの通過儀礼「自己紹介」をセオリー通りに始める。


「ゴホン…えっと、浅野一郎です。玉造たまづくり中出身です。え~と、趣味は…」


 名簿順――つまり五十音順に一人づつ、真奈の新クラスメイト達は自己紹介をしてゆく。真奈は宮本の〝み〟なので、五十音後ろの方な人間の性としてまだまだ先の最後の方である。


 とはいえ、自分もやることに変りはないので彼女も妄想を途中で切り上げ、他の者達の言葉に耳を傾けながら自己紹介の内容を考える……。


 こうした自己紹介において、人はおとなしく無難な内容の自己紹介をするか? それとも思い切ってウケを狙った自己紹介をするか? という、極めて重大な運命の選択に迫られる。


 ウケを狙った自己紹介をした場合、無事成功を収めれば一躍クラスの人気者へと上り詰めることができる……


 が、逆にもしも一度ひとたび失敗し、教室を氷河期の如き極寒の気候に貶めることにでもなれば、その瞬間から〝寒いヤツ〟というレッテルを貼られ、これから後の人生、その重い十字架を背負って生きていかなければならない……


 これは、非常に勇気のいる賭けなのだ。


 ……ハァ……ハア……こ、ここは、あの某伝説的なツンデレ創造主少女の衝撃的自己紹介を真似て一気にスターダムへと伸し上がるか……えっと、あたしは普通の人に興味は……。


 真奈はクラスの皆からちやほやされる未来を妄想し、非情な二者選択のゲームの中、危険な賭けのカードへと手を伸ばそうとする。


「桜井朋絵です。熊野中出身です。趣味は美術鑑賞とお菓子作りです。どうぞよろしくお願いします」


 今、親友の朋絵が自己紹介をしたが、彼女はとっても女の子らしい、男子受けのする理想の女子的な至極無難なものであった。


 ……いや、やっぱりギャンブルはよそう。ま、こんなところで無理して危険な賭けに出ることもないな。あたしも無難なものにしとこうっと。


 それよりも、あたしの興味はもっと他のところにあるんだ……。


 真奈も親友に見習い、あえて茨の道を進む人生の選択は避けると、再び目の前の現実から、どこか違う場所へと心を飛ばす。


 高校生活がスタートしたとはいっても、今日は父兄が来やすいようにとの配慮から土曜の午前中を使っての入学式である。


 他にすることと言ったらオリエーテーションと、後は教科書買うぐらいのもので、本格的な授業が始まるのは来週の月曜からとなる。


 なので、そうしたあまりおもしろみのない今日の日程よりも、真奈にとっての楽しみは放課後の方にあるのだ。


 ……そう。わたしが今日一番楽しみにしていることは放課後にあるんだ……。


「じゃ、次は宮本さん」


「は、はい!」


 不意に順番が回ってきて、油断していた真奈は慌てて返事をすると、担任の声に勢いよく立ち上がる。


「み、宮本真奈です。熊野中出身です。趣味…というか、好きなことは絵を描くことです! ――」




 そして、その日の日程をすべて終えての放課後……。


「――美術部の部室って、一階の一番奥だったよね?」


「うん。チラシにはそう書いてあったと思うよ」


 真奈と朋絵は二人して、部室やら生徒会の会議室やらが集まっている学生棟と呼ばれる古びたコンクリの建物へと足を運 んでいた。


 彼女達以外にも、周囲には同じような新入生の姿がちらほらと見られる……皆、お目当ての部へ入部の手続きをしに来た連中であろう。


 高校生活で勉強とともに最も重要なもの…いや、人によってはそれ以上に重大事なこと……それは部活動である。


 どの部に入るか? それを決めることも、新入生が入学して一番初めにしなければならない優先事項なのだ。


 それは、部活をしない生徒までをも〝帰宅部〟と、まるで一つの部活動であるかのように呼び称することからも覗えよう。


 いずれにしろ入学式当日は、上級生の側にとっても部の存亡をかけて新入部員を一人でも多く獲得せねばならない重要な日であり、自分達は休日であるにも関わらず、わざわざ朝から出てきて校門付近で勧誘のためのビラ配りをしたり、吹奏楽部や軽音部などは新入生歓迎のために特別演奏を行ったりする。


 対して新入生の方はといえば、この日の放課後より各部の活動しているところを見回って品定めをしたり、一方、すでにどの部に入るかを固く心に決めている者達は早々と、その部へ出向いて入部の手続きをすませてしまうだ。


 真奈達二人はというと、後者の方だった。


 真奈は絵を描くことがとても好きである。


 別に絵を描くのが頭抜けてうまいとかそういうわけでもないが、小さい頃から絵を描くことが無性に好きなのだ。


 絵を描くだけでなく、絵や他の美術品を見るのも好きだ。朋絵と親しくなったのも、同じく彼女も美術鑑賞が好きであり、そうしたことでお互い気が合ったからというところが大きい。


 そんな二人は中学時代に美術部であったこともあり、高校でも二人して美術部に入ろうと以前から約束していたのである。


「……じゃ、行こうか」


 昭和な香りのするレトロな学生棟の玄関を入った所で、朋絵が意を決したように言った。


「……うん」


 真奈は相槌を打つと、朋絵とともに建物の奥へと一階の廊下を歩み始める。


 校内のあちこちに張られていた勧誘のチラシによると、美術部の活動はもちろん美術室で行っているのであるが、部活時間外は学生棟にある部室にいることも多いので、その場合、入部希望者はそちらへ来てほしいとのことだったのだ。


 所々、壁にヒビの入った古く薄暗い学生棟の廊下を、目的の場所目指して二人は黙々と進んで行く……。


「あ、そうだ!」


 だが、そうして廊下の真ん中辺りにまで来た時、そこにあったトイレに真奈はちょっと寄って行きたくなった。


 ただ入部届けを出すだけなのであるが、それでもやはり緊張しているらしい。


「朋絵。わたし、ちょっとお手洗いに寄ってくから、先行っててくれる?」


「あ、うん。わかった。じゃ、先に行って部室の場所確かめとくね」


「うん。お願い。すぐ行くから」


 そう告げてトイレの中へと消える真奈を残し、朋絵は独り、そのまま建物の奥へと再び足を向ける。


 美術部の部室はその廊下に面して横一列に並ぶ各部の部室の〝一番奥にある〟部屋である。


「美術部……よし、ここで間違いないな」


 朋絵はその部屋の前で立ち止まり、錆びた鉄製のドアの上にかけられた「美術部」という表札を確認してから大きく頷く。


 ガチャン…。


 と、その時。不意に目の前のドアが予告なしに開いた。


「あ、やっぱり来てた!」


 そして、中からは上級生と思しき目をキラキラと輝かせた一人の女生徒が現れ、朋絵を見るなり話しかけてくる。


 前髪ぱっつんに三つ編みのおさげをした、いかにも美術部っぽい素朴な感じの先輩だ。


「あなた、美術部入部志望の人?」


「あ、は、はい。そうですけど……」


 予期せぬ先輩の登場に、朋絵は少々戸惑いながら首を縦に振る。


「じゃ、入って! 入って!」


「あ、いえ。一緒に入部することにした友達がもうすぐ来るんで待ってないと……」


「あ、そうなんだ! 一度に二人も来てくれるなんて余計にうれしいな。でも、そんな所じゃなんだから中に入って待ってなよ」


 部室に入るよう勧められ、朋絵は真奈の到着を待とうと説明するが、それでも先輩は親切に彼女を中へと誘う。


「いや、でも、その友達の子、思い込みが激しい上に方向音痴でよく迷うし……やっぱり、ここで待ってた方が……」


「な~に、こんな狭いとこで迷う人間なんていないって。それに中にいたってその子が来ればすぐにわかるし。その子、ここの場所は知ってるんでしょ?」


「あ…はい。まあ……」


「なら心配いらないって。さっ、入った入った。今日は特別、ケーキも用意してあるんだから」


「えっ! ケーキ! ……そうだよね。いくらまーなでも、こんなとこで迷ったりはしないよね……」


「さ、早く早く!」


「あ、はい。じゃあ、お言葉に甘えて……」


 とはいえやはり心配になり、朋絵は振り返って廊下の先を見つめてみたが、結局は「ケーキ」という名の女子を魅惑してやまない甘美な響きに勝つことができず、迷いながらも部室の中へと入って行った……。

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