けしょうの千代姫

八咫朗

第1話 けしょうの千代姫

 大陸から海を隔てた列島の、太古の時の漂う神代の山河に、妖狐の母子が棲んでいた。

 母はその名を可奈といった。大陸の果てで生まれ、千年という時を生き、人世での幾つもの時代を越えて世を流離ってきた大妖であった。可奈はその白金色に輝く九つの尾に甚大な妖力を宿らせており、九尾の狐として列島の妖達にもその名を轟かせる存在であった。

 妖の高みに坐する可奈の最も得意とする能力が、変化であった。可奈は変化の天才であり、森羅万象にまで変化することができたという。

 後に一匹の学妖によって化け学というものが体系化されることになるが、それによれば、「九尾の可奈様こそ、化け学を極めたただ一匹の妖」と記されている。また、「他の高名な妖であっても、化け学という霊峰のせいぜい一合目まであたりに辿り着くのが精一杯であるのに、可奈様だけがその頂に上り詰め、その全貌を見渡すことができた。さらにその頂から、天上の領域に踏み込まれた。可奈様こそ、化け学の真理を体得したもの」ともある。

 大概の妖には大小の変化の能力が備わっているし、また精進によって新たな変化を体得することもできる。妖はその変化の力によって人を驚かせたり、怖がらせたりする。それはそもそも妖が人の感情を食み、糧とする存在であるからだ。妖にとって変化とは、生きていく手段であり、技術である。しかし可奈の変化の力は、そういったものとは次元を異にするものであった。

 可奈は人や獣はおろか、山河や湖そのものや、嵐や雷などの天変地異にまでその姿を変えることができたという。果ては、太陽や海にまで化けたという伝説も残されている。それが真であるならば、妖学者達によって編まれた『あやかし退化論』の分類表で、可奈が妖ではなく神獣の位に位置付けられているのも納得であろう。

その幼い娘の名を千代といい、九つの尾も生え揃わぬ子狐の妖であった。千代は、母とともに列島を旅しながら、母を師として変化の修行に明け暮れる日々を送っていた。

 千代は、あらゆるものに変化することのできる母を尊敬しており、九つの美しい尾を棚引かせて走るその姿に、心の底から憧れていた。母が長く美しい九つの白金の尾を持っているのに対し、千代の尾は長さもまちまちで揃っておらず、何本かは丸い玉がついているようにしか見えなかった。母が九つの尻尾を優雅に操るのに対し、千代は不器用に持て余すばかりで、駆けていて木々に引っ掛けてしまうことも度々であった。時には尻尾同士が絡まってしまい、解くのに一苦労することもあった。

 そんな千代であるが、さすがに九尾の娘であり、変化の才は並々ならぬものがあった。可奈が千代との旅で、尾に宿した九種の力の中から真っ先に教えようとしたのは、変化の術を身に付けることであった。母は娘にこう言っていた。

「変化こそ全ての力の礎、九つの尾の源。九つの尾を長く生え揃わせるためには、変化をこそ最初に体得しなければならない。残りの尾は、変化の一尾を大樹として伸びる枝葉のようなもの。千代よ、私は旅の中で、そなたに変化の根源を体得してもらいたい」

 母子の旅は奥深い山野を巡るものであった。樹齢数千年を越える大樹が生い茂り、多種多様な獣や鳥や虫が棲みかとする森、数多の魚が水中で跳ね、陽光の似合う清冽な川、悠久の時の流れと、その流れの中で繰り返されてきた命の営みを感じられるような神代の地を、二人は旅していた。

 可奈は気に入った地があれば、ばらくはそこを棲みかとし、千代とともにゆったりと時を過ごした。そして幾つかの季節を過ごすと、再び旅に出るということを繰り返していた。

 そんな旅をしながら、千代は可奈によって変化の修行を施されてきた。修行といっても、千代にとっては戯れと変わらない、楽しい遊びであった。それも子童特有の、全身全霊を尽くした真剣な遊戯である。遊び相手は、まずは可奈であり、それから山河や木々、植物などの自然であり、そして旅の先々で出会った獣や鳥、虫などであった。千代はそういったものと気持ちを通わせ、心を交わす術を母から学んでいった。

 千年を越えて生きてきた可奈は、変化の力を通して森羅万象と心を交わすことができた。獣や鳥や虫だけではなく、木々や花などの植物の声から、そよぐ風の囁き、太古の巨石の呟き、刹那の雷鳴や通り雨から声を聞き取ることができた。それも尾の能力であったが、千代の尾にはまだその力は宿っていなかった。ために、事あるごとにせがんでは通訳をしてもらっていた。千代は森羅万象と心を交わす母をいつも羨ましく思っていた。

 千代には、可奈を中心として世が輝いているように思えた。可奈の周囲だけが鮮明に、その細部に至るまで瑞々しく躍動しているように思えた。それは錯覚ではなかった。事実、可奈の体からは精霊の声や姿を顕にする霊気が流れ出ていて、一所に長く棲んでいると、木々や獣たちがその霊気に感化され、何事かを囁き始めるのだ。一所に留まっていると、千代にはその地での遊び相手や友が増え、それが変化の術を体得するのにとても役立つことになった。

 変化の修行には様々な方法があったが、どれもが遊びの要素を多分に含んだものであり、幼い千代を夢中にさせた。中でも、千代を最も興奮させる遊びは、「おにごっこ」と「かくれんぼ」を組み合わせたものであった。子童にとって時代も国境も種も越えた遊びの原形であり、それは妖の世でも同じであった。ただ異なるのは、それが変化の術を伴うものであることだ。

 かくれんぼでは、影役は変化をして隠れなければならない。そして鬼役は、影役が何に変化したかを突き止め、探さねばならない。そして変化を見破らなければならない。そして見つけ出した後は、影役は捕まる前に逃げださねばならない。そうしておにごっこが始まる。鬼役は、どういった姿で追いかけ、どんな手段で捕まえるのか考え、自身の変化を駆使しなけばならない。それは遊びでありながら、知略、技量、体力を総動員させた変化の修練であり、狩りに近い。

 可奈は紛うことなき変化の超越者であり、よっておにごっことかくれんぼの名人であった。ひとたび可奈が本気で隠れてしまえば、もう千代には探し出すことができなかった。木々の一本、花の一輪に変化してしまうと、たとえ目の前に並べられたとしても見分けがつかなかった。たとえ見つけ出したとしても、逃げられてしまえば千代には到底追いつくことができなかった。可奈は狼になって葦原を駆け、鳥になって山を越え、魚になって水底深くに沈み、匂いも足跡も残さずに姿を消してしまう。可奈が全力を尽くせば、幼い千代では永遠に辿り付くことができないのは明白だった。可奈はそれを承知で、十分に手加減をしながら赤子をあやすようにしてこの遊びの相手を務めてくれた。足跡を残し、匂いを残し、時にあからさまに、時に僅かな手がかりを残し、千代に己を追わせた。そして隠れようと変化をするときも、季節外れの花に変化したり、その土地では根付かないはずの樹木に変化して千代に見破らせ、発見する喜びを与えた。見つかったら見つかったで、千代の変化の種類や実力に合わせ、際どいぎりぎりのところで逃げ回って興奮させた。

 おにごっこでは逃げ出すほうがより楽しく、かくれんぼでは隠れるほうがより楽しい。どちらも、鬼に捕まえられるかもしれない、というスリルが味わえるからであろう。千代もやはり、捕まえるよりも逃げるほう、探し出すよりも隠れるほうを好んだ。

 千代がどれだけ完璧に変化したつもりでも、可奈は容易くその変化を見抜くことができた。千代がどれだけ巧みに逃げようとも、可奈は瞬く間に追いつくことができた。可奈は手加減をして鬼役を務めながら、千代を捕まえた後で、なぜその変化を見破ることができたのか、どうやって足跡を辿ることができたのかを説明した。そして次からはもっと上手く変化し、もっと遠くまで逃げられるように助言を与えた。

 千代は母を師とし、森の生き物たちを遊び相手としながら、変化の術における様々なことを学んだ。その中で千代が最も鮮烈に感じたのは、生き物によっていかに世の見え方、捉え方が違うか、ということだ。

 修行の一つに、尾心伝身と名づけられたものがあった。それは、まず可奈が千代の前で何らかに化けて見せる。そして尾の能力によって、千代の尾へと己の感覚を伝達するのである。それは憑依の力の応用であり、他の生き物に己の見ているものを見せたり、己の感じている痛みや匂いを他者に感じさせたりすることができる、妖学語で言えば、逆憑依という高等妖術である。それによって、種によって世の見え方がどう変わるのかを教えるのである。他の生き物たちがどのように世を見ているのか、どのような器官、感覚で世界を捉えているのか、それがどう異なっているのかを、尾心伝身の修行を通して、可奈は千代に伝えようとしていたのである。

 しかし千代の尾はいまだ短く、感度も微弱であった。触覚として未発達なために、なかなか上手くいかない。そんなとき千代は、己の未熟さを痛感し、もどかしい思いに駆られるのが常であった。

 上手く変化ができないとき、可奈は千代と尾を絡ませながらこう言った。

 「変化するのは己だけではない。己の形だけが変わるのではなく、この世が変化するのよ。己を変化させるということは、この世を変化させるということ。空を飛ぶもの、地を這うもの、海を泳ぐもの、河を流れるもの、木の上を住処とするもの、夜を生きるもの、昼を生きるもの、それぞれによって感覚の全てが新たなものへと組み替えられ、天地の形状や時間の流れさえ変わってしまう。変化とは、象られる世の姿を変容させること」

 狐としての千代には心地よい風の吹く寝床であったとしても、ひとたび蝶に姿を変えれば、気の休まることのない嵐にその体を弄ばれることになる。小さな湖が果てなき大海にもなれば、狭く浅い水場にしかならないことにもなる。川や海の中に一個とした別世界があるように、世が実に多層的で奥深いものであることを、千代は母との変化の修行を通して少しずつ経験していった。

 同じ四足獣である鼠や猪、鹿や狸などへの変化に慣れた頃に千代が憧れたのは、翼のある鳥であった。理由は、遥かな上空から自在に空を飛ぶその姿が羨ましかったからである。可奈にそのことを告げると、

 「そなたにはまだ早い、生来のものではない翼というものは、実にその扱い方が難しいのですよ」

 そういって変化の心得を教えてくれようとしなかった。千代は母の言葉が理解できず、

 「翼なんて腕を変化させただけのものではないか」

 そう思って、可奈の目を盗んで見よう見まねで鳥に変化してみた。姿かたちは何とか似せることができたが、いかに羽ばたこうと、翼は重たく垂れ下がるばかりで一向に浮かび上がらない。助走が足りないからだと距離を長く取っても、ばたばたと無様な音が鳴るばかりであった。高い木々から飛び降りればいいと思って実行してみたところ、ほんの二かきで翼を動かすことができなくなり、そのまま地面に叩きつけられそうになった。危ないところで、一部始終を見ていた可奈が姿を変えた鷲に助けられたのだった。

 「翼があれば空を飛ぶことができるわけではない。足があっても大地がなければ歩くことができないように、翼は風を孕んで舞い上がるためのものなのです。風の捕まえ方を知らなければ、いえ、それ以前に風の見方、有様を知らなければ、空を飛ぶことはできないのです」

 そう可奈は話した。更に、鳥もその種類によって翼の形が異なるように、翼の扱い方が異なること、風の捕らえ方も、滑空時間も、どれほど高く、早く飛べるのか、その持久力も鳥によって違うのだと説明した。千代がその言葉の意味が分かるようになるのはもっと変化の術に長けた後のことである。

 「千代よ、確かに鳥が空を飛ぶ姿に焦がれる気持ちは分かる。だが、四足で存分に野原を駆ける爽快感や、猿に化けて木々の間を渡っていく心地良さ、大地を踏みしめて立つ充足感もまた格別なもの。そなたがそれに気づかぬということは、未だ狐にさえなり切れていないということよ」

 そう諭されて千代はうな垂れ、改めて偉大な母を仰ぎ見るのだった。。

可奈は千代に変化の修行を施すのに、野の獣だけでなく、小さな虫や花などにも重点を置いていた。二匹で蜜蜂に変化し、どうやって蜜を探し出すのかを教え、また蜜がいかに美味であるかを教えた。一方で二匹並んで花に変化し、どちらがより多くの蜂を引き寄せられるかを競った。最初の頃、可奈が瞬く間に蜜を集めるのに対し、千代は蜂に変化してもどこに蜜があるのかなど探し出す方法が分からなかった。千代が蜂となって選び出した花には、蜜など欠片も持っていないのだ。また花に変化しても、可奈の化けた花が無数の蜂をひっきりなしに引き寄せるのに比べ、千代は一匹たりとも蜜蜂を引き寄せることができなかった。蜜蜂は千代の変化した花の上を素通りしていく始末だった。

「ただ姿かたちを真似るだけではいけません。その生き様、生の喜び、苦しみの全てまでを受け入れて味わい、堪能すること。如何にしてその生が世を肯っているか。それを経験として体得すること。強さだけではなく、弱さまでも体現すること。形だけでなく、魂までも変化させるということ、そこまでたどり着いてようやく、一つの変化を修し終えたと言えるのですよ」

 千代にとって可奈は変化の師であったが、それ以前に母親であった。可奈もまた意識して母であろうとしていた。それは変化の修行にも顕著に現れていた。鹿に変化するとき、可奈は雌の大鹿に姿を変えた。一方千代は、体のまだ育ちきらない娘の鹿になった。親鳥と雛鳥、親狼と若狼、親猿と若猿…二匹は無数の変化を繰り返したが、可奈は常に千代を守り、導こうとしていた。餌の取り方を教え、寝床の作り方を教え、危機を察知する方法から、天敵との戦い方を教えた。二匹を化生だと知るものが傍から見れば、滑稽であったかもしれない。年若い狸に変化した千代が本物の狼に襲われたとき、鳥になれば難なく空に逃げおおせるし、虎になれば狼と戦うこともできた。しかし可奈はそれを禁じた。千代に、狸としていかに狼から逃げ出すことができるのか、狸が如何にして狼という圧倒的な脅威を遠ざけることができるのかを教えようとした。そしてその教えを可奈自身も遵守しようとしていた。己自身が狸の姿のまま千代を庇い、狼と戦うほどであった。幼く未熟な千代だけでなく、大妖である可奈にとっても、変化の旅は命がけの修行であり、戯れであった。

 何度も危険な目に遭い、怪我をしたりすることを繰り返す中で、千代は不思議に思っていた。これは無意味なことではないだろうか、と。より大きく強いものに変化することにこそ意味がある。そしてより大きく強いものに変化することができたなら、もはやか弱いものに変化する必要などないのではないのか、そう思うようになったのである。

 無邪気な千代は、強いもの、大きなものに化けることに興味を示した。大蛇から猪へ、猪から野牛へ、狼へ、虎へ、熊へ。そして己の力を誇示したいがために、力を行使する快感に没頭して暴れまわるようになった。

 すると可奈は、千代を虎や熊の姿のまま子鼠ほどの大きさに変えてしまい、本物の獣に追わせて死の恐怖を与えた。必死で逃げ惑う千代を間一髪で救い出してこう諌めた。

 「変化とは、己ではないものの有り様に思いを馳せること。巨大となった己の足の下に草花のあることを忘れてはなりません。変化の術によって天と地は倒置されるもの。その狭間に己を置く構えを心得なければならないのです」

そして寂しそうな顔をして言うのだ。

 「それに、体が大きくなればなるほどに、世は小さくなってしまう。遠くまで見通せるようになったとしても、近くの小さきものには目が届かなくなってしまう。それは結局、世を狭めてしまうだけなのよ」

 千代はその言葉を理解したわけではなかったが、可奈の寂しげな顔に悲しみを覚え、微かな罪の意識を感じて頷くのであった。

 他の獣を圧倒する大きく強いもの、自由に空を飛び回る広い翼を持つものに憧れていた千代だったが。何にも増して憧れていた生き物がいる。それは母である可奈自身であった。他種の生き物たちがそれぞれ全く異なる世を見ていることを千代は知っていた。しかし同種の九尾の狐である可奈もまた、己とは全く違う存在であるように感じられていた。いや、同種族であるからこそ、他のどの生き物よりも、己と母との距離を感じずにはいられなかった。それは強さや自由さ、九尾の能力といった側面だけではない。千代の母への憧憬は、圧倒的な美しさに向けられたものであった。

 九つの尾を伸びやかに生え揃わせたその肢体は、他の如何なる獣より力強く、しなやかであった。他の如何なる花々より鮮やかで、艶やかな輝きを放っていた。周囲の森羅万象、有形無形に宿る精霊たちを魅了せずにはいられない、躍動する生命の美しさに、千代は心を奪われずにはいられなかった。旅をすればするほどにますます同じ妖狐とは思われず、変化を学べは学ぶほどに、さらに遠い存在となっていくように感じられた。

 己の短くちぐはぐな長さの尾をふらふらと空で振りながら、千代はため息をつくことが多かった。九つの尻尾にはそれぞれ異なる力が宿っている、そう可奈は言う。しかし千代の尾に確かに宿っているのは変化だけであった。他の尾にも能力の片鱗は垣間見えるものの、僅かなものでしかなかった。どうすれば己の尾に新しい力を宿すことができるのか、いやそもそも千代は、その力が何であるかさえ教わってはいなかった。千代が可奈に問うと、「私は千年という時を生きてきたのだ。千代よ、そなたはまだ幼い」と言い。まずは変化の力を伸ばすことを告げられるのだった。

 尾だけではない。可奈はその目で千代には見えざるものを見ていた。その耳で、千代には聞こえないものを聞いていた。その鼻で千代には嗅ぎ分けられない芳香を嗅いでいた。その口で千代には味わえぬものを味わっていた。千代は知っていた。同じ場所で同じ方角を見つめていても、可奈が己とは異なる世に身を置き、異なる風景を眺めていることを。可奈と己の違いはその千年に及ぶ中での経験、質量共に圧倒的な己の内なる背景にあることを悟っていた。

 野を渡る風の言葉を聴き、空を漂う魂の色彩を見分け、生命の移ろいを嗅ぎ取り、森羅万象の感情を味わう…そんな可奈の姿を目の当たりにするとき、千代は堪らなく羨ましくなるのだ。

 それは何より、その眼差しに現れていた。

その深遠なる光を宿した母の瞳、目にしているものの遥か彼方までも見通すような眼差しは、千代がどう真似しようとしてもできないものだった。憂えているようでもあり、悲しんでいるようでもあり、喜んでいるようでもあった。苦しんでいるようでもあり、怒っているようでもあった。悩んでいるようでもあり、答えを見つけたようでもあった。見ようによって幾らでも変わってしまうその眼差しは、千代を虜にした。その真意を読み取ろうと、千代はただひたすらに母の眼差しを眺めることもあるほどだ。そして幾度となく思ったものだった。己の感じている世など母の世の微かな残り香でしかないのではないか。母の見ている世を真物だとするならば、己の象っている世は、蜃気楼のような頼り無い幻に過ぎないのではないか、と。

 千代は母の隣でその眼差しの先を追い、己の瞳では何も捉えられない遠くを見つめながら、母との果てしない距離を感じずにはいられなかった。

 「変化を数千、数万と極めた母様の目に、この世はどのように象られているのだろう。母様のように世を見てみたい、母様のように世を感じてみたい」

 これこそが千代の願いであった。


 そのような戯れの日々を送りながら千代と可奈との旅は続いていた。

 可奈についていくだけであった千代は、その行く先に疑問を持つこともなかった。いや行き先があるなどという考えさえ長く持たなかった。母はただ己の気分のままに神代の地を流離い、私に変化の術を身に付けさせようと遊んでいるだけだ、そう思っていた。しかし旅の最中、旅烏の姿に身を変え、大樹の頂上に止まって遠くを見渡す可奈の視線の先を想って、ふと思ったのだ。「母は何処かを目指しているのではないだろうか」と。

 「母様、次は何処へいくの」

 出立に際し、新たな土地への期待に胸を躍らせながら問うようになるが、可奈答えはいつも同じであった。

 「やすらかな夢が見られる所よ」

 その言葉は、いつも千代を戸惑わせた。

 夢、というものを千代は見たことがなかったからだ。

 母の言葉によれば「眠っている間に生きるもう一つの世」だという。しかし千代は眠っている間は何も見ないし、何も感じることがない。目が覚めるまで、昏々と眠り続ける。だから夢の実感が全くないのである。

 「母様は夢を見るの?」そう問うと、母は答えた。

 「ええ。眠りは夢への入り口。夜毎に私は夢を見る。素晴らしい夢を」

 「どんな夢? 夢とはどのようなものなの?」

 「それは言葉にはできないものなのよ。己で体験してみるしかないの」

 「では、なぜ私は夢を見ないの? それも尾が生えていないからなの?」

 「夢を見ない? そんなことはないわ。覚えていないだけよ」

 いくら母が言うことでも千代には信じられなかった。そういう千代に、

 「夢とは不思議なもの。生きとし生けるものたちが見ているけれど、そのことに気づくものは少ない。なぜなら目覚めると同時に忘れてしまうから」

 そう母は話し、訝しげな顔をする千代に、

 「安心おし、いつかきっとそなたも、忘れることのない夢を、覚めることのない夢を見られるようになる。それも変化の修行の先にあるものなのよ」

 尾でやさしく千代の体を撫でながら話すのだった。

 いつまでも続くと思われた母娘の旅に、いつからか不穏な陰が差すようになった。しかもそれは、可奈が言う、夢、となって現れ始めた。その陰は、最初はちらちらと僅かに垣間見える程度のものであった。

 千代は幼い頃は可奈に抱かれて眠っていた。己より遥かに大きな可奈の体と、比べ物にならない九つの尾に包まれて眠りについていた。柔らかく温かな可奈の体、ゆったりとした鼓動、金色の毛に染み付いた、風や土、樹木や花々の馥郁たる香りを肺腑に満たしながら眠るのは、この上なく心地よかった。時折顔を九つの尾の間から出し、鼻と鼻を寄せ合わせて眠るのもよかった。太く長い尾に、己のか細い尾を絡ませながら眠るのもよかった。しかし千代が成長すると、可奈は千代を抱いて眠るのを拒むようになった。

 「眠るときも、変化した状態で眠ることを覚えなさい。眠りとは生き物にとて欠かすことのできない生業の一つなのだから」

 以前にように抱いて欲しくて駄々をこねる千代を、可奈はそう言って突き放した。千代は渋々、変化した姿のまま母の傍らで眠るようになった。やがて一人寝に慣れていった。

 可奈の眠りが軋むような不快音をたて始めたのは、千代がようやく一人寝に慣れた頃のことであった。

 可奈は自ら千代を寝床から突き放したにも拘らず、時折、思い出したかのように己の懐に掻き抱いて眠ることがあった。ある夜、千代が可奈と少し離れた場所で眠っていると、突然激しい勢いで引き寄せられ、その体を可奈の全身で包まれたのである。それは抱かれているというよりも、まるでしがみつかれている様に感じられた。千代は驚き、戸惑った。かつて安らかであった母の眠り、温かく心地よかった母の懐、それが変わり果ててしまっていた。ゆったりと波打っていた鼓動は、不規則な早鐘のように乱れていた。乾いた温もりを発していた肌は、冷たい汗でびっしょりと濡れてしまっていた。千代は怖ろしくなって可奈を起こそうとしたが、声をかけても、体を揺さぶっても一向に目覚めなかった。しばらくすると自然に治まり、心配した千代の声で目を覚ました。傍らの千代に気づくと、青白い顔をほっと崩した。

 「少し悪い夢を見ていたようだ」

 そして不安げな千代に体を摺り寄せると「もう大丈夫、この地はどうやらよくないようね。出立を早めましょう」といった。その地はまだ着いて数日しか過ごしていない森であった。美しい滝があり、川は生命で満たされていた。母は気に入り、その地で幾つか季節を過ごそうかと嬉しそうに言っていた。

 悪い夢がどのようなものなのか、千代が何度尋ねても可奈は決して話そうとはしなかった。

 一つの季節ごとに一度程度、悪夢は忘れかけた頃に可奈を襲った。悪夢の予感がする夜になると、可奈は千代を抱き寄せて眠るようになった。千代が隣に眠っているとき、うなされている可奈に気づくと、体をその懐に滑り込ませるようにした。可奈の体は冷たく、がたがたと震えていることさえあった。そんなときには、千代がどんなに起こそうとしても決して目覚めることはない。今、獣や妖魔に襲われてはいかな母であろうと無防備に過ぎると、千代は一睡もせずに母を守ろうとするのだった。

 悪夢から目覚めた後の母はぐったりと疲れきっていて、一夜にして痩せてしまったように見えた。千代はその悪夢という症状から母が解放されることを願った。しかし願いとは裏腹に、悪夢は次第にその頻度を増し、その症状も悪化し始めた。一つの季節に二度、三度と悪夢は母を苦しめるようになった。しかも、かつては朝になれば落ち着き、目覚めるようになっていた可奈が、昼を過ぎても目覚めることができなくなった。ときには二晩の間、苦悶の表情を浮かべ全身を強張らせながら、眠り続けることもあった。千代には母の姿が、目覚めよう目覚めようと、全身の力を尽くしているように見えた。

 「もしも母様がこのまま目覚めなかったらどうしよう」

 千代は母を捉えて離そうとしない「悪夢」という得体の知れないものの姿を想像して、怯えずにはいられなかった。

 ある夜のこと、可奈は三日三晩もの間、目覚めることなくうめき続けていた。全身からは夥しい汗が流れ落ちていた。艶やかだった金色の毛は見る影もなくがさがさになっていた。寝返りを痙攣のごとくに繰り返し、のた打ち回っていた。千代は幾度となく名前を呼んだり、体を揺さぶったりして何とか起こそうとしたが、目覚める気配はない。川にいって口中に水を含ませ、可奈の口から注ぎ込んだり、冷たい汗をその体でぬぐったり、強張った筋肉を舌や尾で解したりを繰り返し、何とか母の体力が落ちるのを食い止めようとした。痩せ細っていく可奈の姿に千代は恐怖に駆られ、ついには爪で体を引っかき、強く噛み付いた。母の血の味に背筋が凍りつくような気になったが、可奈は痛みによってようやく目を覚ました。可奈は千代が目覚めさせてくれたことに感謝し、褒めた。千代は可奈を傷つけてしまった悲しみと、目覚めたことの安堵で涙を流しながら傷跡を舐めた。

 可奈はその千代の涙を舐めながら、己も涙を滲ませて謝るのである。

 「心配をかけてすまなかったね。これではどちらが母で娘なのか分からない。本当ならば、母である私はそなたがよい夢を見られるよう、横でその寝顔を見ていてやらねばならないというのに。私が冷たい風よけとなり、邪気を払い、温かく、柔らかい、心地よい寝床となってそなたを守らなければならないというのに」

 千代もまたその言葉に胸を詰まらせて答えた。

 「いいのです、母様。私は母様の力になれて嬉しいのです」

 そしてまた尋ねるのだ。母様がどんな悪夢を見ているのか。己も母様の見ている悪夢を知りたい、そうすれば母様のために何かができるかもしれない、と。

 千代は母と悪夢を共有したかった。悪夢を共有することで、痛みや苦しみも分かち合えると信じていた。それは可奈が旅する中で教えてくれたことでもあった。千代は駄々をこねるように可奈にねだった。「自分も母様の苦しみが知りたい。悪夢とは何なのか、母様はなぜ苦しんでいるのか。私も分かち合いたいのです。尾の力を使えばそれができるはずでしょう」と。

 しかし可奈やるせなさそうな表情をするばかりで、決して千代には明かそうとはしないのだ。この質問をしたときばかりは、あの凛とした、まっすぐな眼差しを泳がせると、顔ごと千代から背けるのだった。

 かつての母の旅は気ままのようでありながら、何かを目指しているようでもあり、何かを探しているようでもあり、何かを追っているようでもあった。しかし度重なる悪夢の襲来と、新たな地への旅立ちを繰り返すうちに、千代は気づいたのだ。母の旅はやすらかな夢が見られる地を探すものであり、また悪夢から逃れるための逃避行でもあるのだ、と。母が変化を極めたのも、どこまでも追ってくる悪夢から身を隠すためのものではないだろうか、そう思うようになった。

 その考えを裏付けるように、可奈の悪夢は悪化の一途を辿り始めた。新たな症状が可奈を苦しめるようになったのだ。

 千代がその症状に気づいたのは、ある秋晴れの日のことである。川で心地良く水浴びを楽しんでいると、母が目の前で何か奇妙なものを見たかのように、びくりと体を震わせた。と、一瞬の間に千代の尻尾を咥えて後ろへと飛び退ったのである。母の剣幕とその体から溢れ出た闘志に、千代は妖魔か何かが襲ってきたのかと思い、全身の毛を逆立たせて臨戦態勢をとった。

 ところが前には何も見えなかった。匂いや気配さえ感じられない。自分を腹の下で庇うように立つ母を見上げると、きょろきょろを辺りを見渡しながら、怪訝な顔をしているのが分かった。

 「私の勘違いね、驚かせて悪かったわ」

 そう照れ臭そうに千代の尻尾を離したが、千代は作り物の表情の裏側に隠された、苦々しい動揺を見抜いた。

 それから時折、母は一瞬体を強張らせては、目の前の風景を見ながら前足で目をこするという仕草をしばしば見せるようになった。千代には何のことはない目の前の風景を、母はまるで信じられないものを見るかのような表情で見ている事が増えた。一瞬であった時間は少しずつ長くなり、目をこするだけでなく、首をぶんぶんと左右に振ったり、目をきつく瞑ってしばらく時を過ごしたりと、母が千代には見えていない「何か」を見ていることは明らかであった。その何かは、しばらく母の視界に現れると、幻のように消え去ってしまうようであった。母の仕草が幻を振り払うためのものであることは間違いなかった。そしてその「何か」が悪夢であることも疑う余地はなかった。

 悪夢は眠っているときに飽きたらず、可奈の現実を侵蝕し始めたのだ。

可奈は気が休まることがなくなった。眠ると、悪夢が襲ってくるのだ。可奈は娘である千代には懸命に隠そうとしていたが、眠ることそのものを拒んでいた。心配する千代のために、目を瞑って眠っている振りをしながら、実際には眠らぬように堪えていたのである。そして朝方になると、一睡もしていないにも関わらず、

 「今日はぐっすり眠れていい夢が見られたわ」

 そう話して千代を安心させようとした。千代は嘘を見抜いていたけれど、そのことを告白する気にはなれなかった。自分でも滑稽だと思いつつ、「よかったわね、母様」と引きつった笑顔を浮かべ、喜ぶ振りをするしかなかった。

 眠りを奪われた可奈は、見る間にやつれていった。そうしてまで悪夢から逃れようとした。それなのに、行き場を失った悪夢は、現実までをも侵し始めたのである。

 一所にとどまる事のできる期間は短くなり、旅から旅へと慌しい出発を繰り返すようになった。あんなにも軽やかだった母が、重たい体を引きずるようにして歩くようになった。憔悴した母を見ると胸が苦しかったが、何よりも、己が無力で母のために何もしてあげられぬことが千代には辛かった。かつては母が見ている世の姿の美しさに憧れたものだった。母の眼差しから見える光景を分かち合いたいと願った。それがいまや、母の苦しみ、痛みを分かち合いたいと願うようになっていた。

そしてついに千代は、「何か」に触れることになる。

 母の目にいったい何が映っているのか、千代は現に悪夢を捉えたその瞳を垣間見て呆然となった。かつて美しく世を映していた瞳に映っていたのは、目の前の光景ではなかった。瞳には木々の一本さえ映ってはいなかった。緑も、陽光も、樹木も、川も、空も、夜も映ってはいなかった。

 視線に気づいた母が、娘の方を見た。その目が、驚いた千代を正面から捉えた。母の瞳を覗き込もうとした千代は、本能的な嫌悪感に全身に怖気が走るのを感じた。反射的に目を逸らしたが、全身をねっとりと纏わりついた不快な感覚から逃れることができなかった。刹那にして猛烈な吐き気に襲われ、堪える間もなく胃のものをぶちまけてしまった。その千代の様子に、母は娘に起こったことに気づいた。千代はその夜、怖ろしさで寝付けず、一晩中がたがたと震えたまま母の体にしがみついていた。

 千代は母の悪夢そのものを見たわけではない。その断片、一端が視界を掠めただけであった。しかしそれは千代にとって悪夢以外の何物でもなかった。母のあの美しかった深遠な煌きを湛えた瞳が、どす黒く濁った、底知れぬ穢れを覗かせていたのである。そしてその瞳が己を捉えようとした時、そこに映っていたのは己の姿ではなかった。それが何であったのか、千代には分からない。思い浮かべることさえ恐ろしいあの眼差しを、千代は再び覗き込む勇気を持てなかった。思い出すことさえできなくなっていた。本能が告げていた。もしもあの瞳を、その深遠を正面から覗き込んでしまったら最後、己は飲み込まれ、抜け出すことができないだろう。そう確信を抱いていた。

 可奈はその時から、千代の視線から己の瞳を隠すようになった。千代から己の目を逸らすようになったのである。

 母子の旅は、かつての穏やかな戯れとはかけ離れたものになっていた。それは紛れもなく逃走であった。

 悪夢の片鱗に触れて以来、千代もまた眠るのを恐れるようになった。浅い眠りから深い眠りに入ろうとすると、無意識から恐怖心が湧き上がり、跳ね起きてしまうのだ。千代もまた浅い眠りを断続的に繰り返すようになり、やすらかな眠りから遠ざかるようになった。可奈がどんなに慰めようと、その体を優しく包み込もうと、一度見ただけの悪夢への恐怖は心に深く刻み込まれていた。

 ある日のこと、可奈が最も恐れていた事態が引き起こされた。眠りを拒むようになった可奈であったが、いかな大妖といえど、睡眠の誘惑に抗うことは並大抵のことではない。疲労は癒えることなくどこまでも堆積していき、いまや体は鉛を飲み込んだように重くなっていた。僅かな油断が、可奈を転寝へと誘った。たちまち転げ落ちるように、可奈は深い眠りへと落ちていった。

 異常に気づいたのは千代である。眠りを少しずつでも摂らなければ母は命が危ない。といっても悪夢に憑かれてしまえば、更に体力を奪われてしまう。千代は眠り込んだ母の眠りを少しでも安らかなものにしようと懐にもぐりこんだ。その状態であれば、悪夢が訪れそうになったら鼓動の変化ですぐに察知できる。体が震えだしたら温めてあげることもできる。悪夢がひどいようならば噛み付いてでも目覚めさせなければならない。そう思ったのだ。

 母の呼気がやや荒くなった、そう思ったときにはもう遅かった。千代は母の体と九つの尻尾によってきつく締め上げられていた。母の体が燃え上がりそうな熱を持って千代の体を押しつぶそうとしていた。一部の隙もない母の懐中で、身動き一つできず、呼吸さえできず、死への恐怖を感じる余裕もない。圧倒的な力が千代の命を飲み込もうとしていた。千代は瞬く間に暗闇の奥底へと引きずりこまれていった。

 意識を取り戻した千代が見たのは、目に涙をためて繰り返し己の名を呼ぶ母の姿であった。母は目覚めた千代を強く抱きしめようとし、一瞬ためらうと恐る恐るその体を抱き寄せた。

 「よかった。もう少しで取り返しのつかないことをする所だった」

 可奈は震えていた。寒さのせいではなく、安堵感からでもなく、ただただ己の犯しそうになった過ちへの恐怖で。

 その夜、千代は母とともに星空を眺めていた。山から張り出した大きな岩の上に立った母は遠い星に目をやり、その隣で千代は、一つ一つ流れ星を数えていた。母の雰囲気が変わったことに千代は気づいていた。疲れ果てていた母の体が、微かなながら艶を取り戻していた。内側から満ちてきた意志の力を全身に漲らせていた。久方ぶりに千代は、母の全身が生気で溢れているのを見た。

 「千代よ、私は決意したぞ」

眼差しを虚空に彷徨わせながら、千代は母のその言葉を聞いた。

 「逃げるのはもうやめじゃ。探し出し、闘うことにする」

それは高らかな宣言ではなく、堅固な決意といった風でもなかった。実に自然で軽い感じで、恰も「散歩にでもいくことにするか」といった具合の物言いであった。何かがふっ切れたかのような、諦めにも似た吐露であった。

 その言葉に千代の体は竦みあがった。「あれ」と向き合うと想像しただけで全身の毛が逆立ち、震えとともに体中から粘ついた汗が吹き出るのだ。凍りつくような寒さに歯はがちがちと鳴り始め、心とともに萎縮した筋肉は、一歩を踏み出すことを不可能にさせた。一度垣間見ただけの「あれ」は、千代の魂に恐怖と嫌悪感を刷り込んでいた。かつては母と同じ悪夢を見たい、母とともに闘いたいと願っていた。しかし一度その悪夢の片鱗に触れて以来、千代は立ち向かう勇気を完全に失ってしまっていた。その邪悪なイメージは、途轍もない不吉そのものであった。いかな母であろうと、あの途方もなく邪悪な「何か」と闘うことなどできない、ましてや勝てるはずがない。千代は躊躇なくそう悟っていた。母があの「何か」に呑み込まれてしまう姿を思い描いてしまい、千代は泣いて止めようとした。しかし母は、取り戻した涼やかな眼差しを千代に向けて言った。

 「大丈夫、そなたを連れて行きはせぬ。これは私の戦よ。そなたは私が帰ってくるまで待っておればよい」

 「そんな、私もいくわ。母様と一緒に。そして戦う」

 がくがくと足を震わせながら、へたり込みそうになる体を何とか気力で支えてそう叫んだ。「あれ」と母様をたった一匹で戦わせるわけにはいかない。

 しかし可奈は娘を諭した。

 「そなたにはまだ力が足りぬ。変化の修行もいまだ半ばであり、九つの尻尾さえ生え揃っていないではないか。そなたがいても足手まといになるだけ。そなたを庇いながら戦って勝てる相手ではない。それが分からんのか」

 たとえそれが事実だと理解していても、千代には納得できることではなかった。ずっと千代は母と旅をしてきた。千代には母しかいなかったのだ。それなのに、死地と分かっていながら母を送り出せるはずがなかった。何より、一人になってしまう、そのことが千代を怯えさせた。

 半狂乱になって千代は母を止めようとした。その体にしがみ付き、懇願した。行ってはいけない、行かないで欲しい、どうしても行くのなら私も連れて行って欲しい、と。

 「私だって未熟者じゃない。変化だって、もう大抵のものには姿を変えることができる。決して足を引っ張ることはないはず」

 取り縋る千代に、可奈は提案した。

 「そうか、ならば化け比べをしようではないか。その勝負にそなたが勝ったら、そなたの力を認めて連れて行ってやろう。そなたが負けたら、母の言うことに従い、母が帰ってくるまである場所で待ってもらう。それでよいかや」

 千代は仕方なく頷いた。もしここで拒んでも、母はきっと一匹で行ってしまうだろう。もしそうなったら千代には追いかける術がなかった。僅かでも可能性があるならば、化け比べの勝負に賭けるしかなかった。

 最初の立ち合いを「かくれんぼ」に指定すると、母は承諾した。互いに鬼を一回、かくれる側を一回ずつの二本勝負となった。

かくれんぼは場所を一山に区切り、半日の間、隠れていることができれば勝ちであった。日没してから日の出まで、千代は息を潜めて隠れ続けた。そしてついに夜が明けた。朝日が森を照らしたのだ。勝負に勝ったと思った千代は、変化を解いた。すると、何と辺りは夜であった。母が太陽に変化して、千代を欺いたのである。

千代が鬼になり母を見つけ出す側になった。母は時間だけでなく、場所も区切って千代を有利にした。なんと目の前にある僅か一本の大樹の何処かに身を潜めているというのである。千代が大樹を背にして数を数え、振り返った。母はもう何処にも見当たらなかった。千代は大樹を調べつくした。虫の一匹一匹から、葉の一枚一枚まで。しかし何処にも母の気配は感じられなかった。千代には信じられなかった。母が本当にこの一本の巨樹のどこかに身を潜めているとは思えなかった。

 日没とともに、千代は驚くべき光景を目にした。日没によって消え行く大樹の影から母が姿を現したのである。

 二匹の化け比べは、鬼ごっこや化け試合、化け問答へと続いた。その勝負で、千代は己の全霊を尽くした。勝算も千代なりにあった。しかし終わってみれば完敗であった。力を使い果たした千代はそのまま眠り込んでしまった。心地よい疲れの中で、千代は初めて夢を見た――

 圧し掛かってくる悪夢の気配、果てしなく濃い虚無に千代は飲み込まれようとしていた。変化して逃げようにも踏みしめる大地はなく、翼に孕む風もなく、掻き分ける水もなかった。方向感覚は完全に失調していた。恐怖のため振り返ることもできず、半狂乱になって暴れ狂う千代の前に、黄金の煌きがちらちらと見え始めた。それは揺らぐことのない道標となった。その煌きから地平線が一筋の光となって走り、千代の足元まで伸びた。大地が千代の足下に出現した。千代はそちら側へと必死になって走った。煌きは次第に大きくなっていった。猛烈な速さで千代のほうへ向かってくるようだった。その光に押されて、背後から襲ってくる気配が和らぐのを感じた。閃光となって千代を包んだのは、全身を黄金色に輝かせる母であった。

 「母様っ」

 可奈は悲鳴を上げる千代を背後に庇うと、九つの尾をするすると伸ばし、その周囲に張り巡らせると、完全な戦闘態勢をとった。眩い光が一気に放射され、陽光のように悪夢を消し去った。

 千代が目覚めると、可奈が己の毛づくろいをしながら、変化で凝り固まった体をほぐしてくれていた。あたりは見知らぬ森の中であった。

 「ここは?」

 「この地は、私が残しておいたとっておきの隠れ場所。竜脈に連なる神代の森の一つ、その要の霊山」

 辺りには巨木が鬱蒼と茂っていて、霊気で満たされていた。一呼吸するごとに、千代は疲れが癒えていくのを感じていた。優しく濃い霊気は、千年を生きるという千代からしても、途方もない時の流れの中で培われたものであった。

 「母様、私、初めて夢を見たのよ」

 千代は己の見た夢のことを話した。母が黄金色に輝き、悪夢を消し去ったことを。それを聞いた母は誇らしげに言った。

 「それはきっと正夢。そなたは私が悪夢に打ち勝つ未来を見たのね」

 「未来?」

 「そう、九尾の能力の一つは、時を越えて未来や過去を見ることができるものなの。そなたにもその力がある。その片鱗が夢となって現れたのよ」

 そう話すと、母は千代の体を全身で撫でた。千代は幼い頃のように頭を摺り寄せ母へと体をもたれさせた。

 「千代よ、この霊山で私を待っていなさい。必ず帰ってくるわ」

 「本当?」

 「ええ」

 「いつ帰ってくるの?」

 「いつかは分からないわ。でも、きっと帰ってくる。それまでこの山河を棲みかとなさい。変化の修行を怠らず、私が愛する美しい森を守っておくれ。いつ私が帰ってきてもよいように」

 それから千代は、可奈によって霊山の麓の森に棲む一人の山姥へと預けられた。

「山姥を師としてその傍らで変化を学びなさい。山姥は憑依の術を持った山の守人。霊山を守護し、妖たちを見守り、人里を支配する山霊。山姥について憑依の術を極めるのよ。そなたはけしょうの姫なのだから。妖を統べる九尾の姫になるのだから」

 そう言い置くと、可奈は夜空へと高く舞い上がった。全身を黄金色に輝かせ、闇夜に九つの尾を長く棚引かせながら。月に向かってどこまでも遠ざかっていった。そしてそのまま月の光に紛れると、何処かへ去っていったのだった。


 その山姥の名を宮古と言う。その面相は夥しい皺で覆われ、滲みだらけで醜怪の一言に尽きる老婆である。ただ老婆にしては背筋がまっすぐと伸び、美しい色合いの着物を身に纏っていて、その異様な風体が小柄な体を大きく見せていた。この老婆、顔だけを見れば一見して齢八十は下回らないと見えるが、実際は数百年を生きてきた妖である。そもそもは人間であったが、山神によって山霊としての力を得た、いわば半霊半人の妖である。

 では山霊とは何かといえば、山神によって山野に仕える役目を与えられた、山野の守人である。宮古がなぜ山姥になったのか、それはまた別の話である。山姥となった宮古は、山野に縛られる代わりに、幾つかの力を得た。その一つが寿命である。山霊となった宮古は、人を遥かに越えて生きることができるようになった。実際の年齢が幾つなのか、千代は知らない。聞けば宮古は平気で百年単位でさばを読んだし、時には「心はいつも十六歳よ」「実際の年齢よりずっと若くられるのは、童顔だから」などといって醜怪な顔に笑みを浮かべてはぐらかした。

 また宮古は、数百年という時を経てきたせいか、目は全く見えず、耳も遠く、鼻も効かず、五感の多くを失っていた。にも拘らずこの老婆は山霊となって身に付けた能力の一つで、何不自由なく日々を暮らしていた。その能力とは、憑依である。これこそ可奈も尾の一つの宿らせていた力であり、山姥を師として千代に学ばせようとしたものでもあった。

 憑依とは即ち、己の精神を肉体から遊離させ、他の動物や虫に宿らせる力のことだ。そして憑依した生物の感覚を用いて世を体感することができる。つまり、憑依することで、その生物の体を乗っ取り、操ることができるのである。

 宮古は憑依の術の達人であった。獣はおろか、虫や鳥にまで己の精神を宿らせることができた。その力で、地上にいながらして、鳥の目で山野を見渡すこともできたし、犬の鼻であらゆる匂いを嗅ぎ分けることができた。蝶になって花の蜜を味わうこともできたし、狼になって風の声を聞き分けることもできた。

 山犬に跨り、肩には烏を乗せ、その傍らに猿や猪、鹿など、山霊の手下として手なずけた獣たちを従えていた。宮古は傍らの生き物たちの五感を借りることで、不自由な己の五感を補っていたのだ。

 霊山一帯の守人である宮古との暮らしは、千代にとって新鮮な、新しい発見の日々であった。宮古は一所にとどまらず、霊山の周縁に沿って季節を巡りながら四季折々の風物を求める旅をしていた。それは、母との旅とは若干趣の異なるものだった。宮古は霊山の守人であるため、見回り、巡回といった役目を兼ねた旅だった。見回りとは、人間たちを監視するものである。可奈は人の入り込めない山奥だけを旅していたが、宮古は山奥だけではなく、人里にほど近い場所を巡っていた。その旅に千代は同行することになったのである。

 「千代様、私のお役目は、山神様から与えられた尊いもの」

 宮古は自らの旅の目的、山野の守人としての役目を、一つ一つ数え上げながら話した。

 「霊山の周縁を巡り、人によって荒らされていないかを見回ること」

 「人里のものたちが霊山を畏れ、敬っているかを確かめること」

 「人里と霊山の狭間に棲む妖たちの声を聞くこと」

 「しかし何より大切なのは、私自身が四季折々の風物を味わい、楽しむことなのです。山霊に仕えるとは、そういうことなのです」

 といっても、宮古のしていることは、憑依の力を使って人の巫女と成りすまし、祭事や神事において自分勝手なお告げをすることであった。お告げは社の建造、増築であったり、祭事の催促、誘致であったり、供え物の要求であったりした。霊山の周縁に建造された社は、宮古が人里の者たちをけしかけて作らせたものであった。また、山奥には社とは別に、山守の宿が建てられていて、宮古はそこを仮宿として旅をしていた。それぞれの社では、時期になると周囲の人里のもの達が集まり、季節ごとに色々な祭事や祭祀が行われていた。宮古はそれらがしっかりと行われているか、各地を巡りながら確かめていたのだ。

 「祭祀は人間たちの、山神や森羅万象の精霊たちへの畏敬、感謝の表れ。それがしっかりと親から子へ、世代から世代へと受け継がれているかを確かめなければなりませぬ」

 そう宮古は千代に話した。千代からしてみれば、宮古は祭事で社に捧げられる様々な供え物(その土地での料理、季節の果物、着物、簪、化粧道具など)を楽しみにしていて、食べ歩きをしているようなものだった。また、人間たちが行う祭りを、獣に憑依して物陰から楽しそうに眺めるのが常だったし、時には人間に憑依して祭りに参加することもあった。

 宮古は人間たちの前に直接には姿を現さない。ただ山神の使いとして、憑依の力によってその存在を知らしめるだけである。それは巫女に憑依してのお告げであったり、獣に変化しての災いであったりと土地によって異なっているが、人々が恐れ、敬う存在の顕現としての役割をこなしていた。そして人々は宮古を、姿は見えないが確かなものとして存在する山姥様として、畏れていた。

 祭祀が疎かであったり(或いはお供え物が粗末だったり、着物の柄が一方的に気に入らなかったり、社が掃除されていなかったり、壊れた箇所が修理されていなかったりする場合など)、憑依の力を使って巫女に宿り、山神の代弁者として不平不満を話したり、或いは大きな猪になって不信心なものの家を壊したり、畑を荒らしたりするなどして、「山神の祟り」を演出するのである。

 これも宮古に言わせれば、

 「人間たちが山神様の存在を忘れぬようにするための大切なお役目」

だそうだが、千代からすれば殆ど悪ふざけやたちの悪い悪戯といったものであった。

 霊山の周縁を廻る旅は、棲みかを変えながらゆっくりとした歩みで進んでいく。山姥の宿から宿へと移動しながら、宮古はその山野一帯の季節を堪能するのだ。山姥の宿を棲みかとしている間、宮古は社の結界を越えて人が霊山に入ってこないかどうかを監視している。また霊山の深く、精霊の宿る霊木が荒らされていないか、神代の森に人の手が入っていないかを確かめるのだ。

 社を中心とした人里との境界を、人々はけしょうの森と呼んで畏れていた。

 けしょうの森とはその名の通り、化けて生きる森であり、森そのものが姿を変えることのできる、一個の妖である。名を変え、姿を変え、形を変え、宮古とともに山野を彷徨う、いわば生きる森のことである。宮古は己を中心にしてけしょうの森を現出させることができた。そこには色々な妖が棲み、人間を驚かせたり、怖がらせたりしながら暮らしている。その妖たちは境界を守る妖であり、人を迷わせ、怖がらせ遠ざけることで、神代の森に人が入ってきて破壊するのを防いでいるのだ。宮古はその妖たちの纏め役でもあり、妖達から報告を聞いたり、その仕事ぶりを評価したりするのも、山守としてのお役目の一つであった。

 では妖とは何か。その明確な答えなどない。妖と一口にいっても多様多彩で、精霊が人格を持ったものから、獣が土地の持つ力を得て変化したもの、器物が年を経て魂を宿したもの、死した人の霊魂が現世で形を持ったものなどなど多様であり、一言で説明できるものではない。ただ川には魚が棲み、野には獣が棲むように、その住処によって棲息する妖の種は異なり、また魚にも多様な種類があるように、一つの土地の妖にも様々な種があった。そしてそれぞれの土地で、異なる独自の生態系を保ちながら暮らしているのである。

 妖たちは人里と霊山の辺縁に棲むことを好むが、これは妖が人の感情を好んで喰らい、糧にする生き物であるからだ。妖は人里に出没しては人を驚かせ、怖がらせ、時に喜ばせる。そうして人間の感情を喰らって生きているのである。

 山姥はその人と妖の関係を調整する役目であった。ときに妖たちの悪戯が度を超してしまい、人からの訴えが山姥に届けられたりすることもあったし、逆に妖から人間たちの悪行を諌めて欲しいという依頼が来ることもあった。また、妖とはそもそも突然変異的な存在であるが、中から妖たち自身にまで悪影響を与えてしまうような妖が出現することもあった。そういった妖を懲らしめたり、退治したりすることもあった。

 霊山を守り、人里を監視し、その境界に棲む妖たちを治める。山姥はそのお役目を果たすため、社を拠点としながら人里を巡回していたのだ。

 千代は、そんな宮古との暮らしの中で憑依の術を学んでいった。それは体の形を変化させることとは異なる力であった。体の形を変えることは、いわば体そのものを精神と同化させることにあった。そして精神の形を変えることで、体そのものを変化させる。それに比べ、憑依の術とは、まず精神を肉体とを完璧に分離させることにあった。肉体をただの抜け殻と化し、衣服を脱ぎ捨てるように魂だけを脱皮させるのである。

 そうすれば、そもそもの肉体は眠りにつき、魂だけとなって現出する。そしてその魂を他の獣や鳥に入り込ませ、別の肉体を、衣服を着るように身に纏うのである。といっても、ことはそう単純ではない。衣服を着替えるようにはいかない。まず、肉体にはそもそもの宿主の魂が入っているのだ。眠っている状態であるならばことは難しくはないが、魂が目覚めている状態で憑依するならば、強引にその魂を押しのけて乗っ取らなければならない。

 それができたとしてもまだ憑依は成功ではない。生き物によって魂の器の形状は異なり、それに合わせて己の魂の形を変化させなければならない。魂の器とは、即ち五感のような感覚器官のことである。全く異なる生き物であれば、五感そのものが違う。その波長を合わせることは至難の業であり、一朝一夕でできるようなことではない。

 その上、憑依した体を自在に操るためには更なる修練が必要であった。

 これら一連の手順を踏む憑依の術を、宮古はいとも容易くやってのけた。老いのために己の五感や肉体は弱っていても、山霊としての力は老いることによって充実し、己の魂を自在に他の生き物に宿らせることができた。千代の場合、憑依をしても、そもそもの肉体から離れすぎてしまっては感覚が鈍り、操作も覚束なくなってくる。それに比べて宮古は、霊山一帯の生き物に自在に憑依することができたし、肉体から離れてもいても苦もなく操ることができた。これは宮古が山霊であるからであり、数百年もの間、憑依の修練を積んだからであった。

 宮古は己の髪を他の獣の体毛に紛れ込ませることで、離れていても憑依を可能にさせた。宮古によれば、その髪は霊糸と呼ばれる特殊な物質であり、人間は持っていない触角としての役割を果たすのだという。伸縮自在の細い髪を、蜘蛛のように周囲に張り巡らせることで、その糸を切って結界を越えて来るものを探知することもできる。その髪によって、宮古は逆憑依の術を使うことができた。己の髪を十数本、千代の皮膚に植えつけることで、憑依した宮古の感覚を千代へと送り込むことを可能にさせた。これによって千代は、憑依の感覚を掴み、魂の形状を変化させる術を学んだのである。

 それは実に刺激的で面白い体験であった。他の生き物たちがどのような感覚で世を生きているのか、他の生き物たちにとって世はどのように見えているのか、憑依の術を一つ覚えるたびに、世はその全貌をがらりと変えた。けしょうの森が入るものによってその姿を、性質を変えるように。世は如何様にでもその姿を変化させた。母との旅では、尾を絡ませる一時だけしかそういった世を見ることはできなかった。千代も未熟であり、姿を虫や花に変えても、感覚器官は妖狐のまま抜け出せなかった。母が悪夢を見始めてからは尾を絡ませることもできなくなっていた。しかし宮古に付き従って旅をする中で、少しずつ千代の一本の尾が成長してきたのである。

そもそも狐の化生である千代は、人と同じように五官の感覚器官を主として世を捉えている。それに髭や尾、霊魂が加わって、世を象っている。一方、母は十三もの感覚器官を有していたという。

 千代に対して母はこう言っていた。

 「変化とはただ姿かたちを似せて変えることではない。五感そのもののを全く異なるものに作り変えてしまうこと、魂の器ごと形を変えてしまうことであり、それは即ち世の形そのものを変化させてしまうことである。世は相対的なものであり、あるがままの世など何処にも存在しない。いかにして世を象るのか、その作法は種の数だけ存在する。また動物とも植物とも異なる異形の存在である妖は、一匹一匹が生態の違う固有種であるから、固体の数だけ異なる形の世が存在するのだ」

 千代は宮古と暮らすことで、その言葉の意味がようやく分かったような気がした。

 そうして宮古について憑依の術を学びながら、千代は旅から旅、季節から季節へと山野を遊びつくした。いつか帰ってくる母を待ちながら、己の華麗な変化を見せるために。帰ってきた母が、足手まといではなくなった自分を連れて行ってくれるように、変化の術を磨き続けた。

 山野を駆け回りながら、様々な生き物に化けてその生を堪能するなかで、、蜜蜂に化けて花の蜜を吸うことの美味を知り、小熊に化けて親熊の懐で眠りに付くことにまどろんだ。猿に化けて木々を自在に渡る楽しみ、疾走感を味わい、朝露を集めて飲むことや、果実の美味、花々の美しさ、季節の移ろい、清流に遊び、野原を駆けていくことの楽しさを、自由の喜びを知った。

 鳥の歌を聴くこと、風の囁きに耳を傾けること、雨宿りをすること、野草の旨さ、月夜の美しさ、夜と昼はまったく違う顔を見せる、季節によっても同じである。そして、山野には同じ一日など、一日たりとてないのだ。かけがえのない一日が過ぎることを日々感じながら、朝日を眺め、夕闇に紛れ、千代は味わっていた。季節の中で生きることを、山野の一日たりと同じ顔を見せない豊かな表情を。そこには毎日のように発見があり、新鮮な喜びに満ちていた。多彩な感覚を駆使し、好奇心を満たしながら、全身の細胞を震わせるようにして生きた。それは獣としての性であり、いわば自由な犬のような、冒険心と、探究心と、遊び心に満ち満ちた日々であった。毎日が不思議であふれ、冒険に満ち、新たな発見があり、そして新たな疑問が見つかった。山野はどこまでも未知なる世界であり、日に日に姿を変え、時間と共に姿を変え、着飾り、脱皮しているように思えてきた。小さな川であっても、小魚に化ければそこは大河となった。狭い湖であっても、蛍に化ければ果てしない大海であった。

 教えを請う先達たちはそこら中にいた。

 化けることによって、世は如何様にも姿を変えた。大きさも、深さも、小ささも、狭さも、見え方も千変万化であった。四季により、一日の時刻により、場所により、そこに住む生き物により、無数に世界は姿を変容させた。そこには森羅万象、小宇宙ともいうべき世界があり、一日として同じ日はなかった。

 それは山霊である宮古の望むところであり、行方をくらませた母、可奈の願いでもあった。山野と共に生きる、その術と、喜びと、豊穣を知ること。可奈は娘に、妖の姫としての原風景を刻むため、山野に遊ばせたのである。可奈は知っていた。千年を生きようという妖狐であっても、幼い頃の数年がその後の千年にも勝る時間であることを。幼い頃の記憶は、一方ではその後の支えになり、或いは呪縛になる。喜びの源泉にもなれば、苦しみの古傷にもなるのだ。

 同種のいない妖狐、千代は、山野の生き物たち一匹一匹を友として生きた。そうして千代は山河の美しさ、不思議さ、豊かさ、醜さ、悲しみ、喜びを存分に学んだ。いや、学んだというよりも、体験した、遊んだといっていいだろう。それは尽きせぬ喜びに満ちた戯れであり、体に刻み込まれた決して消えることのない鮮明な記憶となっていった。


 月日は流れ、千代の尾もそれなりに育った頃のことである。千代は近隣ではけしょうの姫として一帯の妖たちを統べるまでになり、霊峰の妖狐として、その名を遠方の妖の口の端に上らせるようになっていた。何より、かつて列島全土の妖にその名を轟かせ、忽然と消えた九尾の可奈の娘として、妖たちの噂に語られるようになっていた。

 待ち続けた母が、ついに千代の前に姿を現したのである。

 懐かしい気配に目を覚ますと、夜であった。月に照らされて薄く輝く母が己を抱いていた。千代の下には柔らかな母の尾が敷かれていて、ふわふわと浮いているような心地であった。別の尾でそっと千代の体を包み込み、優しく撫でてくれていた。

 千代は歓喜の声を上げ、母の胸にしがみついた。かつてやせ細っていた母の体はしっかりと肉付き、体毛は黄金の艶が波打っていた。その鼓動は力強く躍動していた。千代姫は尋ねた。

 「母様、ついに勝ったのですね、悪夢との戦いに。母様に悪夢を見せ続けていた大妖との戦に」

 母はゆっくりと首を横に振った。

 「いいえ、まだ終わっていない。これから本当の戦いが始まるのよ」

 千代は言葉を失った。あの悪夢は未だに母様を苦しめ続けているのだろうか。

 「千代よ、私は再び、行かなければならない」

 「そんな、いったい何処へ? 母様の戦っている大妖とは何なのですか?」

 そして千代は再び母に頼み込んだ。己を連れて行ってくれるように。

けしょうの森での暮らしで話したいことは幾らでもあった。千代は己がこの霊山でけしょうの姫として認められていること、様々な問題や事件を解決したことを話したかった。何より、憑依の術を学んだことで、己の変化に一層の磨きがかかったことを話したかった。

 「もう今では、森に棲むあらゆるものに変化することができるようになったのよ。ほら、尻尾もこんなに伸びたわ。これなら母様の足手まといになることもない。今度こそ、私も母様と行くわ。そして戦う。今なら母様を助けてあげることだってできる」

 そう千代は訴えた。

 「ええ、そなたの活躍は噂で聞いているわ。その話がいかに私を勇気付けたか。よくがんばったわね、千代」

 可奈は笑みを浮かべて千代を褒めると、顔をすり合せた。

 「噂だけじゃないわ、ほんとに私は成長したのよ」

 千代は母に実際に見て欲しかった。己の変化の術を、そうすることで、何処かへ去っていこうとする母を繋ぎとめようとした。

 「そうね、千代。では私に見せて頂戴。そなたの変化を、そなたの成長を」

微笑ましそうに頷くと、可奈は言った。

 「懐かしいわね。さあ、千代、化け比べよ」

 そうして久方ぶりに、二匹の妖狐の母子のかくれんぼとおにごっこが始まった。

 霊山中をどこまでも駆け、飛び、渡っての化け仕合は三日三晩に渡って続いた。繰り返し繰り返し互いを追いかけては見つけ出し、逃げ出しては隠れる。鬼と人を入れ替えては、見つけ出しては追いかけ、隠れては逃げ出す。それは華麗な化け比べであり、優雅な戯れであった。

 千代も可奈も、幾度となく互いを探し出し、追いかけ、捕まえた。千代は母がどこに隠れ、何に化けても見つけ出したし、絶妙な変化を繰り出して追いかけは捕まえた。それは可奈もまた同様であった。千代はこのままでは勝負は付かないのではないかと思った。そして己の変化が母の領域にまで達していると確信した。速さでも、強さでも、母様に負けないだけの力を身に付けたのだ、そう思った。

 可奈は千代を抱き寄せ、すっぽりと体で包み込んで愛撫した。

 「千代、素晴らしいわ。私には手にとるように分かる。そなたがこの森でどれほど豊かな時を過ごしてきたのか。」

 千代は母の瞳から一筋の涙が流れるのを見た。

 「母様、どうして泣くの? 何が悲しいの?」

 動転する千代をきゅっと抱きしめ、可奈は、

 「悲しい? いいえ。私は嬉しいのです。そなたがこの山野を愛してくれて」

その言葉に千代も涙し、嬉しくても涙は零れるのだと己の身を持って知った。

 「さあ、千代。まだ化け比べの決着は付いていない。次は私の取って置きの変化よ」

 可奈はゆっくりと、名残惜しそうに千代の体を離すと、九つの尾を扇状に広げ、千代の視界を遮った。月光も遮られ、千代は闇に包まれた。と、闇は刹那にして剥ぎ取られ、再び視界を取り戻した千代の前には、月光に煌々と照らされる森だけがあった。母は気配も残さずに消えてしまっていた。

 微かな残り香だけが漂い、淡い月光が残像のように波打つばかりで、千代には母がどの方角に逃げたかさえ分からなかった。匂いを辿ろうにも、すぐに掻き消えてしまっていた。足跡もなく、行き先を告げる風の揺らぎさえ感じられなかった。それまでと違い、母は一切の手がかりも残さず、完全に、忽然と消えてしまっていた。

 千代は山野を駆けながら、感覚を研ぎ澄ませて母を探した。化け比べの定め事では、この山野のどこかに母はいるはずである。どこかに変化して身を潜めているか、或いは見つからないように逃げ回っているか。

 その日から夜の間、千代は山野の果てから果てへ駆け、隅から隅まで母を探し続けた。しかし、それまでは何処かしらに残っていた母の痕跡が、その僅かな欠片さえ見つけられなかった。

 途方にくれた千代は、大樹の天辺に立ち尽くしていた。もはや何処を探していいのか分からなかった。どちらの方角に向かえばいいのかも分からず、辺りを眺め渡していた。ふと、母との思い出が蘇った。幼い頃のこと、千代がかくれんぼの最中に己の居場所を見失ってしまったことがあった。千代は己が何処にいるのか、何処に向かっているのか、それが分からなくなってしまったのだ。母の元に行きたくて、全力で駆け出したくとも、どちらに向かえばいいのか分からなくなってしまった。間違った方角に行けば、近づくどころかますます遠ざかってしまう。そう思うと、一歩もその場から動けなくなってしまった。

 心細さと不安で泣き叫びそうになった。それを察知した母はすぐに駆け戻ってきてくれたのだ。そのとき、怯える千代に、母はこう言った。

――迷子になったら、月をみなさい、と。

 「何処にいても、私は月の光の元にいる。どんなに遠く離れても、私はそなたと同じ月を見ているのよ」

 その言葉に千代は心の底からほっとしたものだ。月によって己と母は結ばれ、繋がっているような気がしたからだ。

 あの時、迷子になったときと同じように、自分は途方にくれていた。小さかった己の体は、今は成長している。千代は泣きたくなるような懐かしさに空を見上げた。

 そして気づいた。

 そう、私がどこに逃げても、容易く見つけ出された。

 あの月の光、優しく夜を照らし出す、あの輝きは、母様のもの、母様の瞳。

 何処に逃げても、何処までも追いかけてくる。

 逃げられぬはず、隠れられぬはずだ。母は月となり全てを視ていたのだから。

 千代は空へと駆け登った。月に向かって、母の瞳に、眼差しに向かって。いつもならば決して近づくことのできない月が、次第に大きくなっていった。千代は巨大な月に向かって飛び込んだ。眩い光が千代に降り注ぎ、温かな液体に体が濡れた。千代は液体に全身を包まれたまま、ゆっくりと下降していった。その体が黄金の大地に落ちた銀色の柔らかな草が風に揺らいでいた。見上げると、そこには巨大な母が涙を流していた。母が大きくなったのではない。己が小さくなっていたのだ。そして涙と共に母の瞳から零れ落ちたのだ、そう気づいた。

 千代は驚愕とともに知った。あの月は母の瞳だったのだと。己が駆け回った山野は母の瞳の中に存在したものであり、己自身もまた母の瞳の中で戯れていたのだということに。

 全ては母の、瞳の中での出来事だったのだと。

 母を見上げると、千代ではなく遥か遠くを見つめていた。千代は己の眼差しを重ね合わせるようにその視線を滑らせた。

 何処までも連なる山野があった。平野があった。河があった。見慣れた風景であったが、それが今や、全く異なるものに変化していた。

 千代は己の驕りを思い知っていた。変化によって己を変えるだけでなく、この世さえ容易く変えられる、この世は己の思うまま、自由自在なのだ。そう思っていた。千代は己の小ささを知った。己が姿をいかに変えようと、いかに世の形が、見方が変わろうと、あらゆる想像も、思想も、全てを飲み込み、包み込む、変わることのない全きものが、己の眼前にあった。

 千代は震えていた。この世の大きさに、広さに、深さに、果てしなさに。そして姿を変えるということの奥深さに。それまで意識では理解をしていた。いや、理解していたつもりであった。あるがままの世など存在しないということも、この世がどこまでも続くということも、時間が果てしなく流れるということも、しかしそれはただの言葉、或いは貧弱な想像でしかなかった。その想像自体は広がりも深さも持たない完結した夢であり、閉ざされたものでしかなかった。

 しかし今、千代は母の懐の中にあって、その包まれた小さな世からの、途方もない広がりを感じていた。己の魂、感覚を駆使して、この世を存分に味わってみたい、そんな衝動が心の底から湧き上がっていた。

 時の流れには終わりがないように、始まりもまたない。しかし、今この瞬間、千代は何かが始まろうとする気配を己の内から溢れさせていた。今、ここから何かが始まろうとしている――再会を待ち望んでいた母の懐から、もう飛び出したくて仕方がなかった。心も体も、うずうずとしてたまらなかった。

 「千代、世はお前が考えているよりも遥かに広く、深い」

 今、己は母と同じ眼差しをしているはず。母も自分と同じように果てしない世の広がりと深さを感じているはず。そんな想いを抱きながら、千代は頷いた。

 「ええ、母様。今度こそ私を連れて行ってくれるのでしょう」

 千代は母が再び己を伴い、新たな旅に、大妖との戦いに連れて行ってくれるはずだ、そう確信を持って尋ねた。だが母の言葉は予想に反し、千代の希望を打ち砕くものだった。

 ふるふると首を振り、可奈は言った。

 「いいえ、千代。私はお前を連れて行くことはできないのよ」

 「そんな!」

 それは悲鳴のような千代の叫びだった。また母に置いていかれるのか、まだ力が足りないのか、自分には母を助けてあげることはできないのだろうか。そんな己への不甲斐なさと、なぜ母は己を連れていってくれないのか、なぜ戦っている相手が何であるかを教えてくれぬのか、何を隠しているのか、そんな母への不信感が相俟った悲憤であった。

 母の体に縋り付こうとして、千代は己の体が金縛りのように動かすことができないことに気づいた。

 「千代よ、私はこれより最後の変化を行う」

 可奈は千代を己の体から降ろすと、すっくと立ち上がった。長い首を天空へと伸ばし、胸を反らした。

 「あらゆるものに変化することのできる私が、最後の最後に辿り付くことのできた変化。それは究極の変化。千代よ、泣くでない。私がそなたを連れて行かぬのは、そなたの力が足りぬからではない。むしろ私はそなたに礼を言わねばならない。そなたのお陰で、私は変化の極みへと辿りつくことができたのだから」

千代はその体を抱き寄せられ、名残惜しそうに体をすり付ける母の温もりを感じた。

 「千代よ、そなたがさっきの化け比べで感じたように、この世は果てしない。この山野の外には、そなたの知らぬ世が何処までも広がっている。千代よ、千年を生きることになる、我が愛しい娘よ。山野を降りて旅に出るのよ。未だお前は幼く、か弱い。私がついていてやれぬことが不安だ。だからそなたのために、共に旅をする三人の従者を選んだ。そなたはまずその三人をお探しなさい。その三人を見つけ出して、従えなさい。きっとそなたのいい御供となってくれるであろう」

そういうと、一本の尾から見たこのない道具を取り出し、千代の傍らに置いた。

 「これは変華鏡という道具。これをそなたに授けます。千年を生きるそなたを、きっと助けてくれるでしょう」

 千代は再び去っていこうとする母に、救いを求めるように尋ねた。

 「母様、いったい何に変化するの? 何処へいってしまうの?」

――千代よ、私を追いかけなさい。

 そういうと、可奈は優しい微笑をちらと千代に向け、刹那の後には夜空へと翔け出した。全身を黄金色に輝かせ、闇夜に九つの尾を長く長く棚引かせながら。月の光は弱く、夜空は星で満ちていた。そのまま天空の闇を貫くと、一点の星になるまでどこまでも遠ざかっていった。千代は母が何れかの星に紛れてしまったのではないかと眼を凝らした。と、一つの星が弾け飛んだかと思うと、夜空に無数の流星が降り注いだ。一つ一つの星の輝きも、方向も、落ちる速度も異なる奇妙な流星群であり、それぞれの流星が意志を持って舞うように、或いは夜空を彷徨うようにして流れ落ちていった。

 その流星群が弾ける刹那、千代は確かに母の言葉を聞いた。


――変化の術の果て。この世の何処かで、何かに姿を変えて、私はいつまでもそなたを待っている。だから千代よ、私を探しなさい。かくれんぼよ。


 目覚めたとき、辺りは未だ夜であった。夢だと思うには、その夢は鮮明に過ぎた。いや、たとえ夢であったとしても、それは母様がその九尾の能力で見せた夢に違いなかった。傍らには、母が忘れ形見のように残した、一つの変華鏡が転がっていた。

 千代はその後、母の言葉に従い、霊山を降りて旅に出ることになる。三人の妖を探し、御供として従えて。母を探すその旅は妖の世、人の世、その境界を巡る長いものとなる。千代は旅の先々で姿を変え、名を変え、様々な形で足跡を残していく。やがてけしょうの姫の名を轟かせることになる。

 各地で散見される千代姫に纏わる伝承、伝説、挿話、逸話は、小話から大河物語まで多岐に及ぶ。その物語に共通する奇妙な流れ星の件が史実であったのは、天文の徒である陰陽師たちによって記録されるところである。


掌――おもかげ追想


 千代と一行の、母を探す旅の途上である。

 風の吹く野原の夕暮れ、千代は一人の娘の姿となり、草に座っていた。辺りには、旅を共にしてきた従者たちが、思い思いの場所で休息を取っている。

 野風という天狗は年若い楽士の姿に変化し、背中を木の幹にもたせながら、誰に聞かせるでもなく、空に向かってつらつらと笛を吹いている。笛の音が野を渡る風に紛れて擦れていくのに、じっと耳を傾けている。即興にも関わらず、奏でられる音の連なりは、遥か昔からそんな旋律があったかのように、千代には思われた。その音が、己のうちに眠った様々な情景を呼び覚ますのに心をまかせていた。天狗もまた、彼だけの胸の内に仕舞われた情景を反芻しているのだろう。

 雲斎という入道は深編笠を被り、木陰に座って漢籍に目を通している。時々、何事かをぼそぼそと呟きながら、一人頷いたり、首を傾げたりしている。暇があれば書物や巻物を読み、何事かを考え続けているこの雲の妖は、言葉に取り付かれているといってもいい。あらゆる言葉を貪欲に集めようとし、全ての事象を言葉によって説明付けようとする。実に博学多識で様々なことを知っている。時折、自らも筆を取って何事かを書き連ねたりもしているようだ。そういうとき、普段は堅苦しい表情のこの妖が、何やら悦に入っているように見えることがある。以前、千代が好奇心にかられて手元を覗き込むと、千代という文字が見えた。雲斎は慌てて隠したが、どうやらこっそりと千代に関する話を記しているらしい。書き終えたら見せるというが、いまだその約束は果たされていない。

 紅緒という山姥は、見目麗しい妖艶な美女である。さっきまでたくさんの草花を摘んできて、それで花冠を編んでいたが、いつの間にか花占いへと転じている。好き、嫌い、好き、を延々と繰り返しながら、飽きもせずうっとりと花びらを千切っている。周囲には無数の花びらが落ちていて、その着物にも花びらが散っている。ひたすらに好き、嫌いを繰り返すその眼差しは異様にも思える。さも嬉しそうに、好き、嫌い、好き、嫌いを繰り返しては、結果に満足し、或いは落胆し、そして艶然と微笑むのだ。花占いに没頭するあまり、花畑を枯らしたこともあるという冗談も、強ちうそではないかもしれない。

 毛毬という化け狸は、一風変わった一人遊びをしている。助走を付けて丘を駆け下り、風が吹いたところで大きく跳び上がって凧へと姿を変えるのだ。うまく風に乗ることができれば、凧はふわっと浮かび、空に舞い上がることができる。風がさほど強くなく、気まぐれであるため、凧は少し舞い上がると落ちてしまう。すると再び狸に戻り、また丘を駆け上がると、再び風に向かって助走しはじめるのだ。鳥に化けられないこの狸は、空が飛びたいがために、何とか一人で凧になって飛ぶ術を身に付けようとしているのだ。しかし、舵の利く翼とは違い、凧は風任せで制御不可能な代物だ。ともすれば風に攫われて何処へ連れていかれるか分からない。それが分かっているだろうに、化け狸は飽きもせず、諦めることもなく繰り返し凧変化を繰り返している。恐らく、子供がただ駆けることが楽しいように、この狸はただ風に遊ばれることが楽しいのだろう。見ていると、こちらまで愉快になってくる。この狸の愚かさを笑うと、何だか自分が無粋な人間になってしまったような気になるのは不思議なことだ。

 四人を眺めながら、千代はそれまでの旅を思い出していた。

 母と別れた夜、千代が無数の流星を見たように、各地で流星が確認されていた。母が何に変化したのかは分からぬが、その流れ星にこそ手がかりはあるのではないか、そう思った千代は、流れ星の軌跡を辿ることにした。

 流れ星の落ちたらしい場所では、その先々で奇妙な出来事が起こっていた。その現象の源は、地上に落ちた流れ星であった。不思議な石が、様々な不可思議な現象を起こしていたのである。関わった人々によって殺生石と名づけられた石は、曰く、人の願いを叶えてくれるだの、手にしたものに災いを引き起こすだの、幸運をもたらすだの、魂を吸い取ってしまうだの、運勢を自在に操ることができるようになるだの、心を狂わせてしまうだの、人外の力を得ることができるだのと、様々な噂が巻き起こっていた。そして殺生石を手にしたもの達に纏わる、実に多様な逸話も残されていた。その軌跡を辿ると、確かに殺生石は、人や獣、あるいは妖に取り込まれたり、飲み込まれたりして、奇妙な事件を起こしていた。

 千代が探し出した殺生石には、母の匂い、妖気が染付いていた。それがあの夜、流星となって降り注いだ欠片であることは間違いなかった。どんな小さな欠片からも、微かに母の匂いが香った。千代にとって、それは母の欠片であり、究極の変化を解き明かす鍵のように思えた。

 殺生石には不思議な力が宿っていた。母の九つの尾に宿った九つの異なる能力、その力の一端が秘められていた。また殺生石は、触媒のような特殊な性質を持っていた。人や獣、道具や植物など、様々なものと融合し、力を授けたり、姿を変化させるのである。その際、殺生石を引き付けるものは、祈りや願い、そして感情、欲望といったものである。可笑しなことに殺生石という触媒は、自らの意思でそういった強い感情や欲望、祈りや願いを探して世を彷徨っているようであった。そして祈りや願いと結びつくと、化け学反応を起こし、融合した対象を変化させるのである。殺生石に憑かれることによって、人や獣は己の感情や欲望を行使する力を得ることができたし、感情や欲望を己の肉体に物質化して纏わせ、姿を変えることができた。それらはすべて、母の能力の片鱗を想起させた。

 旅の中で、殺生石を一つ集めるたびに、千代は己の力が充実し、九本の尾が少しずつ長くなるのを実感していった。まるで母が己のために、足跡を残してくれているような気がしていた。

 その旅は、千代の知らない母の姿、大妖、九尾の可奈の姿を追い求めるものであった。

 母である可奈は誰もが知る大妖であり、各地に伝説が残されていた。伝説の内容は様々であり、可奈を神のように崇める土地もあれば、村全体で忌み嫌って憎んでいることもあった。国生みの立役者として奉られる一方で、数多の国々を滅ぼした最悪の妖としても語り継がれていた。それらは千代の知らない母の姿であった。千代が知っているのは、山野での母だけであった。伝説を集めていくうちに、千代は母のことが次第に分からなくなっていった。自分が母について何一つ知らなかったことを思い知った。母は千年を越えて生きてきた大妖狐、己といた時間など、僅かでしかない。母は私を産み落とす以前、いったいどのような生を送ってきたのだろう。そう考え、様々な伝説を鑑みると、母が、混沌とした、矛盾に満ちた存在のように思えてきたのだ。

 例えば、千代の旅に同行する三人の従者からして、可奈への思いはまったく異なるものである。千代が母である可奈について尋ねたとき、紅緒は、こう語った。

――可奈様は、妖の中でも最も美しい妖。幾多の王、帝を、傑物たる生粋の英雄達をその魅力によって狂わせてきた、私の憧れ。

 紅緒によれば、母は絶世の美女に変化し、その美貌と手管で王に取り入り、堕落させ、幾つもの国を滅ぼしてきたのだという。

――あのお方の持つ魅力は、傑物であり人格者たる王に、国家の安泰をさえも放り出させてしまう。臣民たちの生活を省みることを忘れさせ、ただ一人の女のために国費を浪費させてしまう。数万の命と己の魅了を比べさせ、また王としての義務と、己への執着を天秤にかけさせ、決して負けることはない。それほど破滅的な恋情を抱かせる可奈様こそ、私の理想。

 美と刹那を追求し、己も数多の男たちを狂わせるような恋を続けてきた紅緒は、うっとりとしてそう話す。

 また、妖とは何かを思索し続けている雲斎はこう話す。

――可奈様こそ、あらゆる妖の頂点にして、終着点。変化の術を極め、九つの尾に宿らせた力で、時を越えることさえできた。私は知りたいのです。可奈様が変化の術の果てに、いったい何処へ消えてしまったのか、いや、いったいに何に変化してしまったのかを。私は考え続けてきた。妖とは何なのか、何処から来て、何処へ行くのか、その起源と果てについて思索し続けてきた。その答えは、可奈様と共にあるのではないかと思うのです。

 一方、人の世を長く流離ってきた天狗の野風はこう語る。

――可奈様は千年という途方もない時を、ある一匹の大妖と戦い続けていたといいます。宿敵ともいえるその大妖と戦い、勝つために、可奈様は九本の尾を鍛え上げ、変化を極めようとしていた、と。その大妖は、九尾を越える力を持った、最大にして最強の妖であったそうです。しかしおかしなことに、その妖のことを知るものは誰もいないのです。可奈様がその大妖と戦っていることを知っているものは各地にいるが、その大妖の姿を見たものも、名前を知るものさえいないのです。可奈様は一体何と戦い続けていたのか。千代様に言い置いたとおり、最後の変化がその千年の宿敵との決着をつけるためのものであったのなら、その二匹の大妖は何処へ消えてしまったのか。戦いの結末は、名もなき大妖の正体とは、一体なんだったのか。いや、そもそも、可奈様は何のためにその大妖と戦い続けてきたのか…。私はその謎を解き明かしたいのです。

 と、このように三者三様、それぞれ異なる伝説を信じ、異なる思いを抱きながら千代の母を捜すことを手伝っているのだ。

 また母の忘れ形見である毛毬という化け狸であるが、毛毬が母とともに旅をしていたことは疑いを得ず、恐らくは母について様々な逸話を知っているはずなのだが、それを聞き出すことはできない。なぜなら毛毬は、言葉を喋ることができないからだ。様々な道具に変化することに長けた毛毬は、千代にとってお気に入りの玩具であるが、時に千代はもどかしい想いを抱くこともある。なぜ毛毬は言葉を喋ることができないのだ、と。しかし何事かを表情と動きと変化の力によって必死に表現しようとするその滑稽な仕草は、千代をいつも微笑ましい心持にさせるのだった。

殺生石という不思議な石を探す旅を続けながら、千代は当初こう考えていた。この不思議な石は母様の欠片であり、各地に散らばったものをすべて集めれば、母様は復活して姿を現すのではないだろうか。母様は、私に九尾の力を極めさせるために、己を殺生石に変えて導こうとしているのだ、と。

 しかし旅を続けるうちに、その考えは変わっていった。母様は言っていた。変化の極意とは、纏うことではなく、脱ぎ捨てることである。つまり殺生石とは、母様が究極の変化を行った後に脱ぎ捨てられた衣であり、脱皮して打ち捨てられた抜け殻なのだ。殺生石とは、その抜け殻が砕け散った残骸なのだ、と。

 母様がいったい何に変化したのか、それは砕け散った抜け殻を集めて組み合わせることで形が顕になり、判明するのではないか。そう思うようになった。やがて数多の破片を集めて組み合わせるうちに、千代は再び己の思い違いに気づいた。確かに殺生石は、究極の変化を行った母が最後に残した殻であろう。だが、それは抜け殻ではなく、破れた卵の殻なのかもしれない。そう、母様は究極の変化の際、卵となった。そして殻を破って生まれなおしたのではないだろうか。

 そして結局、謎は再び振り出しに戻るのである。母様は一体何に変化したのか、と。

 千代は母の姿を探そうとする旅の中で、そこかしこに母の面影を見つけ出すようになる。たとえば夜、所在無く星を眺めているときは、母の寝物語を思い出す。

――千代よ、あの星々がどれほどの寿命を持っているのか、お前は知っているか。私は時を越えた地で話を聴いたことがある。永遠と思われる寿命の星々さえも、夜毎に無数に降り注いでいる。永遠に等しい時を越えて、一瞬流れては落ちていくのだ。それに比べれば、我の千年など刹那のことに過ぎない。夜毎に流れ落ちる星の一つに過ぎないのだ。

 そんなことを思い出しては、千代はふと夢想するのだ。母様はあの夜、無数の流星となって夜に降り注いだ。私はその星々を、母様が何かに変化をした余光だと思っていた。それが違っているのではないか。私は既にあの夜、母様の究極の変化を見たのではないか。

 それはすなわち、流星群。

 夜空を翔け、あるものにとっては願いをかける祈りの対象となり、あるものにとっては凶兆となる、一瞬の流れ星に、母様は姿を変えたのではないか。

 ある朝には、母のこんな言葉を思い出した。

――千代よ、毎朝、世は朝日と共に生まれ変わっているのだ。繰り返し、変わることなく日はくれ、沈み、夜となり、そして再び朝日は昇る。延々と繰り返されてきたこの理は、一体いつ始まり、いつ終わるのだろう。そなたには信じられるか。この世の生きとし生けるもののすべてに、同様に朝がきているということを。にも関わらず、それぞれがそれぞれの場所で、全く異なる朝を迎えているということを。

千代は旅の先々で、唯一の太陽がもたらす無数の朝に想いを馳せ、新たな一日が始まることに胸を高鳴らせながら曙光を迎えていた。そんなときは、母はは世を照らし出す光へと変化したのではないだろうか、そう感じることもあった。

 そのようにして千代は、旅をする様々な場所で、様々な季節に、様々な時に、世のそこかしこで、あらゆる事象から母の面影を見出そうとしている自分に気付いた。そうして母の面影を辿りながら、人の世を巡るうちに、千代は様々な人と出会い、別れを繰り返していった。やがて人という面白い生き物に、千代は魅せられるようになる。ときに、妖と比べればちっぽな人間たちにさえ、千代は母の面影を見出すことがあるのだ。それは醜く愚かな人間たちが、その儚き生の中で垣間見せる美しさや、強さや、優しさなどであった。高々数十年という生、か弱き命が見せる耀きであった。

 千代はいまだ、母を探す長く果てしない旅の途上にある。

しかしその途上にあって、千代は思うのだ。

――母様は息吹を風に変え、染まる頬を夕焼けに変え、眼差しを青空に変え、背を山並みに変えて、私を包もうとする。微笑を月光に変え、うなじを黄金の稲穂に変え、私をやさしく撫でようとする。

 母様、あなたが舞っているのが見える。この世のそこかしこに、あなたのひとひらがきらきらと光っているのが見える。私はこの世を、この世の美しさのそこかしこを貴女に例えるだろう。この世の音に、あなたの声を聴く。時に厳しく、時に優しく言葉を奏でるあなたの唄を聴く。

 いや、あなただけではない。私がこれまでにあった様々な儚い者達の面影を、世のそこいらに見るだろう。眼差しや、睫や、肌や、着物のゆれや、歩みや、人々の心持となって、世を想うだろう。夢現に憩うだろう。

 千代は己の前で咲き誇り、散っていった無数の命を思った。そのすべてが、母が変化したもののように思われた。少しずつ母の輪郭が象られていくように思えた。

――母様、かつて世を黄金色の風となって舞っていた母様。私はあなたを探しました。ひたすらに、その後ろ髪だけでも垣間見ようとしました、その残り香だけでも嗅ごうとしました。あなたを失った私は、あなたの輪郭だけでも掴もうと世を流離いました。少しずつ、世があなたを象っていくのを僅かな希望にして…

 ふと一迅の強風が吹き起こり、千代の頬を叩いた。野風の奏でていた旋律は風の音に掻き消され、雲斎の漢籍は風で飛ばされてぱらぱらと捲られ、紅緒に散っていた花びらは遠くへ流され、毛毬の変化した凧は風に煽られてくるくると回転して舞い上がった。一瞬の後、それぞれが風の緒を掴もうと、名残惜しげに目を細めた。

千代は風を吸い込むと、その風に乗せて呟いた。

 「母様、みーつけた」

 ふっと風が揺らぎ、母様が微笑んだような気がした。

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