第5話 天然な七海さんは気になる
椎名七海が保育士を目指した理由は、とても簡単で、純粋な子供の考えだった。
──小さい子供が好き、ただそれだけだ。
だけど保育士を目指した者のほとんどが、きっとそうだろう。子供を嫌いであれば、この仕事はしない。子供が好きだからこそ、働いていて楽しいと思える。
優しく接してあげれば、子供たちは彼女のことを『椎名せんせい!』と呼んで、甘えてきてくれる。
大勢の子供たちに甘えられて、みんなが笑顔を向けてくれたら、それだけで彼女は幸せだった。
けれど世の中の女性と自分は、少し違うらしい。
『……七海さ、これからもそんな生活でいいわけ?』
マンションで一人暮らしをする七海は、夜中に友人と電話をしていた。
綺麗な黒髪はお風呂上がりのため濡れて艶が生まれ、白肌はほんのり赤く熱を持っている。
そして、彼女はソファーに座りながら、スマートフォンを両手に持って首を傾げる。
「これからもって、どういう意味?」
『そのまんまの意味よ』
スピーカーフォンにしてるスマートフォンからは、呆れたような女性の声がする。
そして、通話相手である小学校からの友人【
『……子供ばっか相手してて、あんた、彼氏とかいるわけ?』
「えっ、か、カレシ!?」
大人っぽく清楚な雰囲気がする七海は、風呂上がりということ以上に赤く顔を染め、子供のような初心な反応をみせる。
「そ、そんな人、いないけど……?」
『はあ……いつから?』
「……生まれてから、ずっと、ですけど」
『はあー』
何度もため息をつく親友の声を聞いて、七海は「それがどうしたのよ」と問いかける。
『24歳にもなったのに彼氏も作らず、仕事仕事って……あんた、仕事と結婚するんじゃないわよね?』
「それはない、けど……」
『大きなお世話かもしれないけど、そろそろ彼氏でも作ったほうがいいんじゃないの? ただでさえ、男いない職場でしょ?』
「そうだけど」
保育士の多くは女性だ。とはいえ男性も少なからずいるが、七海の幼稚園には、幼稚園バスのおじいさんを除くと女性しか職員はいない。
『だったら尚更よ。今は美人さんだけど、これから年を重ねてったら肌も衰えてくる。そうなったら、ただでさえ男と付き合ったことない七海だと、関わり方がわからなくて、どんどん婚期が遠のくわよ?』
「と言われても……」
『前にあたしが紹介した男と、あれから進展は……』
「前に……あっ、あの人」
紹介されたことは思い出せたが、名前も顔も、七海は思い出せなかった。
けれど一つだけ思い出そうとして頭に浮かんだことがあった。それで苦笑いを浮かべる。
「あの人は、ちょっと……」
『なんでよ。結構いいとこの会社に勤めてたはずじゃない。顔も……たしか悪くなかったはずでしょ?』
「まあ、そうだけど……えっと、ははっ……なんか、自分の話ばっかで、自慢も多くて……」
『……いいとこの会社に勤める男なんてそんなもんよ。だけど良いところもあるはずよ、たぶん、きっと』
「そう、かもしれないけど……」
『んー、わかったわ! じゃあ七海の好きなタイプを教えてよ!』
華凛は面倒見の良い女性だ。
結婚相談所に勤めてるという理由もあるが、彼女は七海に、時々だが異性を紹介してくれる。
それはきっと、華凛の仕事柄、結婚をきっかけに幸せになった男女を見てきたからだろう。
仕事ばかりの人生を送る親友を、彼女は心配に思ってくれてるのだろう。
なので結婚願望がなかった七海は、好きな男性のタイプを本気で考える。
「……私は、子供たちみたいな……子供たちと結婚したい、かな?」
『……は?』
「ち、違うわよ! 別にふざけてるとか、そんなんじゃないのよ!?」
『わかってるわよ。わかってる……だけど、うーん』
スマートフォンから唸り声がする。
『じゃあ質問の仕方を変えるわ。七海は子供たちのどんなところが好きなの?』
そう聞かれて、ソファーに背を付けていた七海は、前傾姿勢になり、
「えっとね、えっとね、子供たちはすっごく可愛いの! 私の顔を見たら足にギュッて抱き付いてくれて、手を繋いだら幸せそうに笑ってくれるのよ! もう、その顔が凄く可愛いくて……あっ、あとねあとね、甘えてくると、もう、なんだろうな、この子に尽くそうって! この子の頼みなら何でもしてあげようって、そう思っちゃうのよ! あとはあとは──」
『あー、ストップストップ! もう結構ですー!』
饒舌に語りだす七海を、電話越しの華凛が呆れたように止める。
『あんたの好みは分かったわ。というより……はあ、そんな感じの相手は紹介できないわね。できるとしても、紐希望か、紐希望か、紐希望ぐらいね?』
「そうなっちゃうよね……アハハ」
七海が苦笑いを浮かべていると、華凛に『笑い事じゃないわよ』と言われてしまった。
『あたしも押し付けは良くないと思うし、まあ、結婚しなくても幸せな女の人は世の中に一杯いると思う。それぞれの価値観だからさ……だけど、この人にだけは本来の自分でいれるというか、ちゃんと支えるだけじゃなくて支えてくれる大切な人って必要だと思うのよ』
「まあ、そうだよね」
『それに子供たちだって、あんたとずっと一緒にいてくれるわけじゃないのよ?』
「うーん、そうだよね」
何を言われてもピンとこないのは、七海が恋愛に前向きではないからだろう。
そんなやる気のない親友の態度に苛立ったのか、華凛は「もういい!」と声を大きくする。
『あたしはあんたの事が心配。親友だから当然よ。だ、け、ど! それだけじゃないのよ!』
「と言いますと?」
『いい、初めて言うからよく聞きなさい! あたしはね──毎日毎日、夜になったらこうして二人で長電話するのが変だって言うのよ!』
「えっ、そう……? あっ、もしかしてメッセージアプリとかの方が良かった?」
『ちがーう! そういう問題じゃないわよ! もちろん、あんたと話すのは楽しいわよ、だけどこうするのは好きな異性となのよ! 決して、同性とじゃないの!』
んー、と首を傾げる七海。
一人暮らしを始めてからずっと、七海は夜になると彼女へ電話していた。
最初こそ華凛は喜んで電話を受けてくれた。
同時期に一人暮らしを始めて、寂しい気持ちが互いにあったからだ。
けれど日を追うごとに、華凛の対応は雑になっていった。
それを天然である七海は気付いていなかった。
『まあ、いまさらだけどさ』
落ち着いたのであろう、華凛は優しい口調で言った。
『あたしとの長電話、楽しいんでしょ?』
「うん、楽しい。華凛は楽しくない?」
『楽しいわよ。毎日じゃなくて、週一とかならね。いい、昔から思ってたけど、あんたは好きな男ができたら、きっと、人生はもっと明るくなるタイプよ。あたしが保証するわ』
「はあ……」
『だから相手を見つけることをオススメする。まあ、初彼氏ができて、七海がどうなるか……もしかしたら、あたしの想像とは逆の……悪い方の女になるかもしれないけど』
「えっ、悪い女ってどういうこと!?」
『……なんでもないわ。言ったら当たりそうだもの』
「えー、そこまで言われたら気になるじゃない!」
『知りたかったら男を見つけなさい。その彼を紹介されたときに教えてあげるわ』
そこで、華凛は『あっ、あたしこれから用事あるから』と電話を切ろうとしたが、そういえば、と何か思い出したようで。
『ちなみに、今は気になる男とかいないのよね? もしいないなら、七海に合いそうな男をまた探すけど』
「えーっと、気になる人は……」
七海は少し考える。
身近な男性といっても、あるのは幼稚園バスを運転するおじいちゃんか、同じマンションでよく挨拶をするおじいちゃんか、幼稚園へ子供を預けに来る妻子持ちの男性だけ。
後は……。
後は…………。
そうして少し考えると、七海の脳裏に一人の少年が浮かんだ。
「あっ、いる!」
『えっ、だれだれ!? ちょっとー、そういうのもっと早くちょうだいよー! だれ、誰なのよ?』
「えっとね、うちの幼稚園に妹さんを預けに来る高校生!」
『……は?』
「だから、うちに妹さんを預けに来る高校生! 名前はね、宇野陸斗くんって言って、その子の家庭環境が──」
『──犯罪者』
──ブチ。
そう言われて電話が切られた。
「えっ、気になる男の人って言ったじゃない! もう、どういうことよ華凛!?」
プープープー、と音を鳴らすスマートフォンに、七海は首を傾げながら声を向けた。
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