第16話 ファーストダンス



『形だけの婚約者でいるのはやめよう。私は君が好きだ』


 殿下のあの言葉は、私にとってかなりの衝撃だった。

 確かに、私達は婚約者同士なのだからお互いが想いあっていた方が理想的なのかもしれない。

 だけど私は悪役令嬢ディアナだ。この世界には絶対的ヒロインがいることを忘れてはいけない。

 

 あの魔法祭から三ヶ月間、私はなるべく平静を装って過ごしてきた。この期間はちょうど総裁選があったからお互い忙しかったし、顔を合わせる機会も減っていた。

 それでも殿下は以前より私を優しい目で見つめてくるし、話す時の距離も心なしか近くなった。私はその度に心臓がバクバクして、落ち着かなかった。


 ちなみに総裁選の方は、残念ながら当選してしまった。あの時のグレンズ先生の嫌な予言は当たっていたみたい。


 あと三週間で、一年が終わる。

 なにかと忙しい一年だった。来月からは、ヒロインちゃんが入学してくるし、私はテネブライの総裁になる。だからきっと、もっともっと忙しい一年になる。そして殿下の心だって……ゲーム通り進んで変わっていくはず。……きっとね。




 


―――


 今日は、三年生の先輩方の卒業記念パーティーだ。学園の生徒は皆ドレスアップして舞踏館へ集まっていた。

 私は、殿下がプレゼントしてくれたビジューの装飾がついた大人っぽいシルバーのドレスに身を包んでいた。

 私達一年生は、あくまで卒業生をお祝いする側だ。だからなるべく目立たないように壁際でひっそりと過ごそうと思っていたけれど、会場に入った途端に殿下とリチャード様に話しかけられてしまった。もちろん一瞬で会場中の注目を浴び、壁際でひっそり過ごす計画は崩れ去った。


「ディアナ嬢、すっごく綺麗だよ!」


「うん、よく似合ってるじゃないか」


「ありがとうございます。二人はいつにも増して華やかですね」


 殿下はダークブルーの宮廷服、リチャード様はオリーブ色のエレガントなフロックコートを着ていた。お顔が綺麗だとどんな服も似合う。

 魔法学園では制服で会うことが多かったから、この装いもなんだか新鮮な感じがする。



「ディアナは私と踊ってくれるのだろう?」


 殿下はそう囁くと自然な流れで私の手をとった。ほらもう。こういうとこだよ! 最近の殿下は本当に心臓に悪い……。


「ええ、もちろんです」


 ちょっと声が裏返っちゃったけど気にしちゃダメだ。平常心、平常心。ただ踊るだけなんだから。


「ランドルフの次は僕と踊ってね。約束だよ?」


「はい、是非お願いします」


 そんな約束だなんてリチャード様も大袈裟だな。別に私は急にいなくなったり、帰ったりなんてしないのに。

 そんなことを思っていると、フロアに優雅な音楽が流れ始めた。

 ファーストダンスが始まる合図だ。

 私は殿下にエスコートされながらダンスフロアに向かった。リチャード様は私達に微笑みながら手を振って見送っていたけど、その後すぐに上級生のお姉様方に囲まれて姿が見えなくなってしまった。あらあら、モテモテなのね。


「リチャードが気になるの?」


「ふふ、だってあれ見てください。モテモテですよ」


 リチャード様って歳上のお姉さんにモテるタイプだ。綺麗なのに愛嬌があるから。

 そんなことを思いながら、殿下の方に視線を戻した。すると殿下は眉間を寄せて不機嫌そうな顔で私を見ていた。え、何?


「よそ見しないで」


 殿下は静かにそう言うと、エスコートしていた私の手をぎゅっと握った。

 急にそんな風にされると、なんだかまた変な気持ちになる。心臓が高鳴って、頭がぼーっとしてしまう。


 しばらくするとダンスの曲調が変わった。周囲には様々な色のドレスで身を包んだ令嬢達がパートナーとダンスを踊っている。

 私は息を整えて、殿下を見上げた。すると殿下の顔が思ったよりも近くにあって、目が合うと微笑まれた。

 綺麗な音楽と殿下のエスコートに身を委ね、私は緩やかに身体を動かした。揺れる度、私のドレスの裾が大きな百合の花のように広がる。そして髪がふわりとなびき、弧を描く。

 殿下と踊るこのひとときが心地良い。私の頬は思わず緩んでしまった。


「今私が何を考えているか分かる?」


 殿下は突然そう訊いた。


「え、なんでしょう……もう疲れたなぁとかですか?」


「全然違うよ。ほら、想像してみて。私とディアナが踊っているところを……」


「え、えぇっと……」


 そんな、踊りながら何かを想像するなんて器用なことできるかな……。



 私はそんなことを思いながら、頭の片隅に殿下と私の姿を思い浮かべて踊らせた。


 くるくると回って楽しそうにする私達。笑い合ってる。楽しくてたまらない。そう、楽しいはず。フロアの真ん中で踊ってる私達は幸せそうだ。

 だけどそこにもう一人現れる。そこにいたのは色白で小柄な少女。ブロンドの髪を靡かせた可憐なその少女は、天使のような笑顔で殿下を見つめている。

 そしてついに、殿下は私の手を離した。そしてそのまま美少女の手を取って踊り始める。二人はくるくると楽しそうに回る。私はそれをただ見ていた。


 あれ、私……なんでこんなこと想像しているの?








「……ディアナ大丈夫? すごい汗だ。ごめん難しいことを言って」


「え……ああ……はは」


 身体中から冷や汗が出ていた。殿下は心配そうに私の顔を覗き込んでいる。

 さっきのあれはゲームの中の一場面だったかもしれない。なぜ今、あんなのを想像しちゃったんだろう。


「少し休む?」


 殿下は足を止めて私の肩に手をやり、身体を支えてくれた。


「いいえ、大丈夫です。それより、殿下の考えていたことって何だったのですか?」


「あー、それは……その、この手を離したくないと思ったんだ。ディアナも同じことを考えてくれたら、と思ってあんなことを言ったんだけど」


「そう……ですか」


「ごめん、それはもういいからディアナは少し休もう。顔色が悪いし心配だ」


「……じゃあ離さないでください」


「……え?」


「簡単に手を離さないでください。来年もその次の年も、一緒にいてください」


 何言ってるの、私は。

 私の言葉に、殿下は目を見開いていた。


「……当たり前じゃないか。私がどれほどディアナのことを想っているか」


 殿下のまっすぐな瞳に吸い込まれそうになる。殿下のこの瞳が、私は昔から好きだった。


 



「はーい! ストップ! こんな場所でイチャイチャしないで。全くもう! 僕への当て付けなの? ほら、時間だよ。次の曲が始まるからランドルフは交代して」


 私達の間に割るように突然入ってきたリチャード様がそう声を発した。その衝撃で正気に戻った私は、先ほどの自分の発言を思い出して血の気が引いた。


 私ったら、おこがましいにも程がある。私は所詮、悪役令嬢なのに。ヒロインを差し置いてあんなことを言ってしまうなんて。

 目を覚まさなきゃ。私は断罪回避のためにヒロインの邪魔なんてせず、静かに暮らすんだ。殿下の心が移ってほしくないなんて……思っちゃいけないんだ。


「リチャード、悪いけどディアナは体調が悪いんだ」


「え、そうなの? 大丈夫?」


 二人の心配そうな顔を見ると、申し訳ない気持ちになった。


「だ、大丈夫ですから! もう良くなりました! ほら、ピンピンしてます! ではリチャード様、踊りましょう!」


 そう言って腕を振り上げて、元気だとアピールをしてみた。病気でもないのに心配させてしまうわけにはいかない。


「本当に大丈夫なの? これでも僕は魔法医の卵だから、また気分が悪くなったら診てあげるよ」


 リチャード様はそう言って私の手をとった。なんと頼もしい……。

 一方殿下はなんとも言い難い微妙な表情をしてた。さっき私が変なことを言っちゃったからかもしれない。



 どうやら私は一番の目標を忘れかけていた。

 一番の目標、それはもちろん断罪を回避すること。だから私はそれ以上を望んじゃいけない。せっかく殿下たちとのわだかまりも解消して、いい風向きになってきている。だからもう、これ以上は望まない。

 あとはヒロインちゃんに害を与えなければ、目標は達成されるはず。そうだ、私はひたすらそれを頑張ればいい。色々あって一番大事なことを忘れてた。


 だからヒロインちゃん、どんと来いだよ……!


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