第27話
『よう氷上、久しぶりだな』
倉庫の中に身を潜める氷上に、スピーカーから俺の声が語りかける。緊張を隠して平静を装い、そしてできるだけ尊大に聞こえるように俺は意識した。
「この声は……啓介くんかい?」
『ああ、そうだ』
「……管理棟の放送設備か。おいおいどうしたんだ、こんな回りくどい真似をして? 君らしくないんじゃないかな?」
氷上は辺りをキョロキョロ伺っているが、その顔に焦りや恐怖は一切見えない。自分の勝利を確信している、気に食わない態度だ。
『真っ向からお前に向かっていっても考えは読まれるし洗脳も食らうし、とても敵わないからな』
「…………へえ」
俺の言葉に氷上はニヤリと邪悪に口元を釣り上げた。憎らしい顔だ。
「僕の能力についてはよく調べたみたいだねえ。で、何のつもり? 僕と交渉でもするつもりかい?」
『まあそんなところだ』
「ふーん……君も僕との圧倒的能力差に気がつけるようになったなんて、大人になったものだねえ……」
『それほどでもないさ』
余裕たっぷりに氷上はくつくつと笑う。殴りたい、今すぐぶん殴りたいが今は我慢だ。
『……なあ氷上、もうこんなこと止めにしないか?』
「止めにする? 何を言っているんだい? 僕はハルカちゃんという同志を手に入れて、これから世界に革命を起こすんだ。止めるはずがないだろう?」
出たよ、革命。本当にこいつはイカれてやがる。
『今刑務所に戻るならそれだけで、その他の重い処罰は見逃してやったっていいんだぞ?』
「……何だい、その言い方は? 気に入らないなあ。今彼女の命は僕が握っているんだ。手術を受ければ、彼女は簡単に僕らの同志になるんだ。その危険性、まだ分かってないの? ハルカちゃんの力があれば、世界は簡単にひっくり返る。君たち無能は、僕らに為す術もなく屈服するんだよ? いいかい、立場は僕が上なんだ。無能が僕に命令できるとでも思っているのか?」
氷上の口調が先ほどの鷹揚なものから、不機嫌そうなものに変わっていく。相変わらず沸点の低いやつだ。小物臭い。
「ああ、確かに今ここにミサイルを打ち込まれたりしたら僕だって一溜まりもないだろう。でも、そうなると君の大切なハルカちゃんも一緒に木っ端微塵だよ? かと言って近づけば読心と洗脳があるからねえ。君に、君たちに僕を倒す手段なんてないんだよ。分かったかい? だから僕に命令なんてするな、不愉快だからね」
氷上の言う通り、今の彼に隙は殆ど無い。
『……お前を倒す方法なら、あるさ』
だがしかし、俺はきっぱりした口調でそう言った。
「…………何だと?」
『氷上、お前が刑務所で引きこもって気持ち悪い洗脳能力なんて編み出している間にな、世界は大きく動いてたんだ』
十年の間、ずっと閉じ込められていたのなら急激な社会の変化など知らなくて当然なのだ。だから俺はそこに付け込む。
『科学の進歩っていうのは顕著なものでな、色々な技術が新しく生まれたりしたんだよ』
「だから何が言いたいんだ!? 科学なんかで僕の能力が破られるはずなどない! 特殊部隊が身に着けていた対テレパス装備も僕の前では無意味だったんだ、それ以上のものなんて」
氷上の反論を無視して俺は続けた。
『例えば、特定の条件に適った時にだけ効力を発揮する薬品って言うのがある。遺伝子の情報があれば特定の人物にだけ効果を与えることだって、簡単に出来るんだ』
そして倉庫の通気口から、白い煙が放出され始めた。
「お、おい何だこれは!?」
『今この倉庫には通気口からそう言った類のガスが送り込まれている』
「何だって言っているだろう!?」
突然送り込まれたガスに氷上は動揺して声を荒げる。
『条件が単純な分効力は絶大でな、二分吸い続けるだけで呼吸困難になって、死に至る。で、肝心の条件だけどな』
焦る氷上とは対照的に、俺は淡々と話し続ける。
『Y染色体の有無。すなわち男だけが、この殺人ガスの効果を受けるんだよ』
「そ、そんな馬鹿なことあるわけが……」
『さあ、説明している間に三十秒は過ぎたな。さよなら氷上、お前の命もあと一分半だ。あのまま素直に降伏していれば命を奪うこともなかったのになあ』
「く、糞っ!!」
氷上は倉庫の入り口へと走っていった。そう、扉を開けて外に逃げればこのガスは何も怖くない。密閉された倉庫の中でこそガスの特性は活かされる。
「このぉっ!!」
倉庫の重い扉を氷上は開いて、殺人ガスを逃れようとする。しかし鉄製の扉は重く、中々開かない。
「うぉおおおおお!!」
しかしここは自分の命がかかった状況、火事場のクソ力でも働いたのか氷上は辛うじて自分が滑り込める程の隙間を作り出した。頭だけをまずそこから出し、新鮮な空気を確保して――
「よ、よしこれで!」
「ご苦労さん」
そして、扉のすぐ前で金属バットを構えた俺と目が合った。
「へ?」
「よう、殺人ガスから逃げられて良かったなあ」
間抜けな顔で俺を見つめる氷上に、金属バットを振り下ろしその頭を強打した。
「ごはあああっ!!!」
氷上は顔から地面に崩れ落ちた。
「おら、まだ終わんねえよ」
その頭を俺は思いっきり踏んづけてやった。
「がぁっ……!!」
「ふはははははは、十年前の復讐だボケエ!!」
俺は高笑いしながら氷上の顔面をグリグリと地面に押し付けた。丸腰の油断しきった相手に唐突に圧倒的な暴力をお見舞いする。ああなんて爽快なんだろう。傍から見たら完全に悪役の行動だが、そんなことは別にいい、気にしない。氷上の言葉を借りるなら正義のためなのだ。うん、仕方ない。
「……き、貴様ぁ、何故、だ? 本部棟の管理室から放送をしていたはずじゃ」
「んなこと俺は一言も言ってねえよ、バーカ!」
氷上と会話をしていたのは全て録音済みの音声で、管理室ですみれが流していた。俺自体は放送が始まって氷上の注意がそちらに向いている間に倉庫の入り口に移動していたのだ。
放送で俺が遠くにいると思い込んだ氷上は警戒を怠る。その隙を俺はついたという訳だ。ちなみに中の映像もすみれの念写能力によって、リアルタイムで俺の携帯の画面に映し出されていた。
「ぐ、糞、がぁ……はっ! ガスが、殺人ガスが来る! 放せ、このままだとお前も死ぬんだぞ!?」
倉庫から漏れ出てきた煙に、氷上は怯えていった。
「ぷっ、お前あんなデマカセ信じちゃったの?」
「ま、まさか……」
氷上の読心能力は交渉の際、非常に強力な能力になりうる。しかし相手が遠く離れている場合には効果を発揮しない。まして録音された音声からその思考を読み取るなんて不可能なのだ。
「エロゲじゃねえんだからよお、男だけを殺す毒ガス何てあるわけねえだろうが、ぶははははは!!」
もしそんな毒ガスが開発されたら、開発された奴の手によって世界中の男どもは虐殺されているだろう。もちろん世界中の美女を独占するために。
「いくら浦島太郎状態でもそんなの信じちゃうなんて、お前俺よりとんでもないエロゲ脳なんじゃねえの? ぷっ」
普段誰かと話す際に、氷上は読心能力を使って圧倒的なアドバンテージを得ている。それに慣れてしまっているが故、その能力に頼りきっているが故に、それが使えない状況ではこいつの思考能力はがくっと下がる。それこそ、俺のあり得ない嘘を信じてしまう程に。
「貴様ぁ、許さん、許さんぞぉ、この無能力者がぁ……」
「ああ? 許さないってよお、具体的にどうすんだよ? この状況でさあ!」
俺は氷上の頭をガンガン踏み続ける。十年前小学校の体育館でやられたように、今度は俺がこいつをボコボコにしてやるのだ。
「ぼ、僕の洗脳能力で……」
「ダウト、それが俺に効かないことはお前も分かってるんだろう?」
――そう、氷上の洗脳は俺たちに効かない。
「ど、どうしてそれを!? さっきは俺の洗脳が怖くて近寄れないと」
「つくづく馬鹿な奴だ。それだって、お前を油断させるためにそう言ったんだよ」
なぜ俺に氷上の洗脳能力は効かないのか。対テレパス装備すら持たず、そしてすみれのような高レベルの超能力者でもない俺は、どうして洗脳を食らわないのか。
理由は簡単だ。
『あの娘の十年前の記憶操作能力は、後先考えない結構強引なものだったっていうか……そのせいであなた達は一切の記憶操作、洗脳なんかを受け付けない身体になっちゃったのね』
すみれが車の中で言った言葉。十年前ハルカの力任せな記憶操作能力を受けた俺と透子は、洗脳に耐性がついているのだ。
もちろんその言葉だけで氷上の洗脳能力が効かないと完全に証明された訳ではない。それだけを信じて特攻するのはあまりにも危険だ。判断材料はもう一つある。
氷上がハルカを攫いに来た時、あいつは俺と透子にはその能力を使わなかった。すみれや部隊の人間には使用したのに、だ。俺たち何の脅威も持たない一般人にそこまでする必要もないから、という理由も考えられるが、そいうことではないと俺は考えた。
氷上が俺たちに接近したのは、俺達を人質にとってハルカをおびき出すため。人質にするならば洗脳してしまったほうが、銃を突きつけるよりもよっぽど簡単で確実だ。
だからこいつは俺達に洗脳を使わなかったのではない、使えなかったのだ。俺はそう判断した。
「十年たってもメンタルの弱さは克服出来なかったみたいだな、氷上くんよお」
「貴様ぁ、殺す殺す殺す殺してやるぅううううう!」
「だからどうやって殺すんだよ! ゴラア!」
もう一度俺は金属バットを氷上の頭に振り下ろした。何だか俺は、とっても不良みたいだ。だが気にしない、こいつは世界に危機をもたらそうとするテロリストなのだ。このまま意識を奪って、機関に引き渡そう。
「これで、トドメだ!!」
そして俺は最後の一撃を振り下ろした。
「ぐあああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」
「…………ふふふ、ふふふふふふ、ふは、あひ、ははははははハハハハハハハ!!!!」
夕暮れの港に響く叫びと、笑い声。
ついに俺は氷上に完全勝利した――――
「ハハハハハハ、見たかこの糞ガキがあ!!」
――――はずだった。
「ぐ、ああああ、あああああ!!」
気がつくと、俺は吹き飛ばされていた。
大きく吹き飛ばされて、背中からコンテナに激突。
呼吸ができなくなる。全身が痛い、壊れてしまいそうだ。
「ははは、目覚めたぞ目覚めたぞ目覚めたぞ! 貴様への憎しみで、僕の新しい能力が目覚めたんだ、やはり神は僕を見捨てていなかった、ハハッ、ハハハ、ハハハハハ!!!」
氷上の高笑いが聞こえてきたが、俺は猛烈な痛みと混乱で皮肉の一つも返してやれない。何が、一体何が起きたんだ。
「げほっ!! はあ、はあ……嘘、だろ? お前に、そんな能力は」
氷上の能力は読心と洗脳の二つだけのはずだ。こんな強力な念動力なんて持っているはずがないのに。
「ああ無かった、無かったよ! でも今目覚めた! 見ろこの強力な念動力!! ふは、ふはははははは!」
ボロボロになりながらも、氷上は立ち上がって笑った。
「ああ何だこの感覚……気持ちいい、気持ちいい気持ちいい、気持ちいいよお!!」
氷上が右手を上げるとそれに呼応して、俺のすぐ近くのコンテナがフワフワと浮かび上がった。
「は、ははは、マジかよ……」
「何だこの開放感は!! あはははははは!!」
氷上が手を下ろすと、浮かんでいたコンテナが俺に向かって落ちてきた。あんなものに潰されたら、間違いなく死ぬ。
「うおおおっ!!」
地面を転がって、間一髪の所で落下するコンテナを俺は躱した。
「無様だねえ啓介くん、さっきまでの余裕はどこに行ったんだい?」
「るっせえ! 急に新たな能力に覚醒とか、そんなの卑怯だ!」
そういうのは主人公に許された特権であって、悪役に起こっていいイベントじゃない。
「卑怯? おいおい止めてくれよ、君だって僕を騙したじゃないか。君のほうがよっぽど卑怯だよ」
氷上は新たの能力の発現で、完全に余裕を取り戻している。糞、状況は最悪だ。あいつの弱点は攻撃能力を持たないことだったのだ。それが補われた今、俺には為す術もない。
「これほどの力があれば、ハルカちゃんが居なくたって、僕一人で革命を起こせるぞ、ふひ、ふは、あははははは!! ああ、やはり僕は神に愛されていたんだ、僕こそが救世主になれるんだ!」
勝利を確信した氷上は、完全に自分に酔っていた。このナルシスト、何が救世主だ。
「まずはこの世界を浄化しよう、僕とハルカちゃんが居ればそれくらい余裕だな。他の能力者も、軍隊も敵じゃない! 世界中が僕にひれ伏す、僕がこの世界の王になるんだ!」
大声で、気持ち悪い妄想を垂れ流す。彼の目は完全にイッてしまっていた。正気じゃない。
「僕が王で、ハルカちゃんは女王。ふふふ、能力者が支配する世界だ。この地球は僕らのものになるんだ! ふふふ、僕とハルカちゃんとで子供も作ろう、きっとまた強い能力者が出来るはずだ! そして僕らの子孫がこれから一生地球を支配し続ける!! あはははは、最高だ最高だ最高だよ!!」
ふざけんな最低だ。絶対に許さない。こいつをこのまま生かしておいてはいけない。
「……黙れよ、その気持ち悪い妄想を垂れ流すのは止めろ」
全身の痛みを堪えて俺は立ち上がった。これ以上、こいつの言葉を聞きたくない。
「俺は、寝取られ属性はついてねえんだよ……」
倒れてしまわないよう、震える脚を殴って気合を入れる。
「何を言ってるんだい? うるさいよ」
氷上が俺の方に手をかざす。
「ぐあああっ!!」
それだけで、右腕に何かに締め付けられるような激痛が走った。
「もう君が僕に勝つ道なんてないんだ。諦めなよ」
「う、うるせえ……ハルカをお前なんかに渡してたまるか……」
「物分かりが悪いなあ」
「う、がぁあああああ!」
次は左腕に痛みが走る。これではもう、どちらの腕も使えない。俺には、何も出来ない。それでも倒れない、倒れたくない、こいつには負けたくない。
「……ふふふ、君のその精神力だけは本当に評価するよ。でも状況、どうするの? 諦めない、負けない、それだけで逆境が覆るほど現実は甘くないんだよ? 君は何にも分かってない」
逆境、確かにどうやって打破していいか分からないほどの逆境。ここからの勝ちは全く見えない。
でも、だけど、しかし、
「……ふん、『逆境』か。お前さ、知ってるか?」
それでも俺は不敵に笑ってみせた。氷上が微妙に顔をしかめた。愉快だ。
「知ってるって、何をだい?」
何にも分かってないのは自分の方だと、こいつは一切理解していない。
だから教えてやろう、俺達の世界の常識を、理を。
「幼馴染ってのはさ……逆境でこそ、輝くんだよ」
――――瞬間、氷上の背後の倉庫の扉が消失した。
吹き飛んだのでもなく、破壊されたのでもなく、そこから音もなく消え去った。
氷上はそれに気が付かない。気が付かず、笑う俺を不思議そうな目で見ているだけで、そして、
「え?」
氷上発したその一音を除いて何の音もなく、その場から射出された。
その後に、轟音を立てて氷上は積み重ねられたコンテナの山にぶつかった。
「…………おせえよ、馬鹿」
「うん、ごめんね。でも啓介だって私のこと散々待たせたでしょ?」
彼女が、苦笑いを浮かべながら薄暗い倉庫から現れる。
「また、こんなに無理しちゃって」
「うるさい、本当なら今頃こいつをボコボコにしきってるところだったんだよ」
「ふふ、見事にボコボコにされちゃってるね」
「だからうるせえっての、大体誰のためにこんな……」
彼女は俺の正面にとことこ歩いてきて、
「私のため、だよね。ありがとう」
俺を正面から抱きしめてそう言った。
「……お帰り、ハルカ」
あの時は、十年前は恥ずかしくて回せなかった両手を、今度はしっかりハルカの腰に回す。力強く、抱きしめ返す。もちろん死ぬほど腕は痛いけど、今ハルカを抱きしめられないなら、きっと俺は死んだほうがいい。だから少しだけ、滅茶苦茶、俺は無理をする。
「うん、ただいま、啓介」
十年前よりもずっと成長した、女の子っぽくなった、綺麗になったハルカ。中庭遥香じゃなくって、やっと出会えた俺の大切なハルカ。
「ずっと、ずっと啓介に会いたかった」
「うん、俺も」
「嘘だよ、私のこと忘れてたくせに」
「いや、だって、それは……」
「ふふふ、でもちゃんと思い出してくれたから許してあげる」
十年ぶりのハルカの笑顔。涙が出そうになる。
「さてと。それじゃあ決着、つけてくるよ」
「ああ、頼んだ。見せてくれよ、この十年の成果」
「任せて。しっかり見届けてね、『正義の味方』になった私を」
正義の味方、その言葉で十年前の記憶がふいに蘇る。
『ふーん、正義の味方が好きなの?』
アニメに夢中だった俺は、その言葉に多分適当に返したんだと思う。
「…………お前って本当に」
「本当に、何?」
馬鹿だ、と言おうと思った。そんなことまで覚えているなんてアホだと茶化してやろうと思った。でも実際に口から出てきたのは、
「……最高の、幼馴染だな」
そんな俺の本心だった。
「あ、ありがと……」
「何、照れてんだよ、バーカ」
「け、啓介こそ泣きそうになってるじゃんか!」
「俺は良いんだよ、バーカ」
「も、もう行くから! また後でね!」
「おう、行ってこい」
ハルカは氷上の飛んでいった方向に、凄いスピードで飛んでいった。それを俺は見送って、そしてその場に倒れた。
もう身体が限界だった。氷上にぶっ飛ばされた影響で身体中が無茶苦茶痛い。今まで立っていられたのが奇跡だったんじゃないだろうか。
夕焼けの空を見上げる。ハルカと氷上が空中戦を繰り広げていたが、明らかにハルカが優勢だ。氷上は何とか持ちこたえているが、きっともうすぐ勝負がつくに違いない。
「あいつ、本当に最強のエスパーなんだな」
俺があんなに苦戦した氷上を軽々と圧倒している。凄い、としか言えなかった。
「お疲れ様」
そうやってボーっとしている俺に、落ち着いた、透き通った声がかけられた。
「よう、透子か。お疲れ様……って、真っ白だな。あはは」
「誰の立てた作戦のせいよ、この馬鹿」
透子は身体中真っ白い粉にまみれていた。
「悪い悪い。でもあの通気口に入れるのは、スリムなお前だけだったんだって」
「はあ……もう最悪よ」
透子は体についた粉を払いながら俺の隣に座った。透子がどうしてこんな有様かというと、今回の彼女の二つの重要な役目のうちの一つのせいだ。
「まあ、あの氷上が毒ガスだと思って焦ってるのを見れたのは楽しかったけどね」
まず一つ目。透子には放送が始まった後倉庫の通気口に入り込んでもらって、そこから消火器を噴射してもらった。
「お前も結構性格悪いのな……」
「あんたほどじゃないわよ。氷上を殴ってた時のアレ、完全に悪役だったわよ」
「仕方ないだろ、あれは……。まあ、何にせよ上手く行ってよかったよ」
「ええ、本当にハルカちゃんが目をさますのがもう少し遅かったらどうなってたことか」
そして透子の役割の二つ目。俺が氷上と交戦に入ったら倉庫内に侵入してハルカを救出すること。
「なあ、まさか氷上があんな能力に覚醒するとは……」
「ま、それは一撃で意識を奪えなかったあんたが悪い」
「うるせえなあ、俺は文化系なんだよ」
喧嘩なんてほとんどしたことがないのだから、一撃で失神させるなんて出来るはずがないだろう。俺は繊細で非力で純粋な少年なのだ。
「……これからはこういう時のために鍛えといたほうがいいんじゃない? 陸上部でも入ったら?」
「馬鹿言え、そう何度もこんなことあってたまるかよ」
「そっか……」
何だか透子の表情が残念そうなように見えたが、きっと気のせいだろう。
ひときわ大きい爆発音が頭上から鳴り響く。
「決着、ついたみたいだな」
汚い男の叫び声も聞こえたので、ハルカが勝ったのだろう。一安心して、さらに力が抜けた。
「決着、か……」
「ん? どうしたんだよ透子」
「あのさ、と……ううん、啓介くん」
それは十年前の呼び方。それを使っていた時の透子は、今よりずっと頼りなくって、ドン臭い女の子だった。良くここまで変わったものだと思う。
「け、啓介くんは……その……」
「何だ?」
透子にしては珍しく歯切れが悪い。何が言いたいんだろうか。
「……やっぱり、何でもない」
「ああ、そうか……」
気にはなったが、俺も疲れているので追及するのは止めにした。
「今言ったら、卑怯だもんね……」
「何か言ったか?」
「何でもないわよ、遠山」
微笑む透子は、夕日のオレンジを浴びて綺麗に輝いていた。本当に、いつもこんな風に笑ってたら男子の人気も出るだろうに。勿体無い。
「二人共ー! 勝ったよー!!」
空から元気なハルカの声が聞こえてきた。遠くから手をブンブン降っている。
夕日に負けないくらい綺麗で、眩しい笑顔だった。
俺達の幼馴染が、空を飛んで、こちらにやってくる。
あいつが来たら、何を話そうか。
言いたいことは沢山ある、聞きたいことも沢山ある。
楽しかった十年前のことや、会えなかったお互いの十年間のこと、やっと会えたのに思い出してやれなかったこれまでのこと、そしてこれからのこと。
十年前に止まった俺たち三人の時間が、今からやっと動き出す。
動き出して、どこに行くのか。全くさっぱり分からない。
分からないけれど、それでも不安はない。
だって俺は、一人じゃない。
ハルカが居る。
透子が居る。
幼馴染が、二人もいるのだ。
きっと、楽しくなる。十年前よりも、きっと楽しくなる。
だからハッピーエンドは、もう少し先になるだろう。これからが本番で、本編なのだ。
ここで終わられたら困る。ディスク叩き割ってメーカーに送りつけてやる。
そう、だから。
俺達はまた、ここから始まるのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます