氷のチワワ、溶かしちゃいました。
末松燈
1、風紀委員室へ呼び出しです。
綺麗な女の子が泣いている。
ひとりきりで、泣いている。
◇
ここは、僕の「秘密基地」。
学校近くにある河原の土手。
放課後はここの芝生に寝そべり、誰にも邪魔されることなく、そよ風に吹かれながらお気に入りのライトノベルを読む。
それが僕の癒やし、何よりのストレス解消だ。
だが、今日は先客がいた。
芝生にぽつんと、立ち尽くす少女。
制服のリボンとスカートの裾が、風にはためいている。
遠目にもわかるほど整った、白い横顔。
濡れたように艶めく髪が、陽射しのなかできらきら輝いている。
思わず息を呑んだ。
現実(リアル)に恋するなんて自分に限ってはありえないけど、普通の男子ならひと目ぼれしてもおかしくない。
それほど綺麗な女の子が、泣いている。
目に沁みるほど青い青い空の下で、はらはらと。
大粒の涙をこぼしているのだった。
(冬城さんじゃないか)
彼女の名前を、僕は知っている。
同じ高校、同じ二年生の有名人だった。
冬城千和(ふゆしろちわ)。
「氷のチワワ」とあだ名される、とびっきりの美少女だ。
校則通り肩に触れないよう切り揃えた髪は清楚、清潔。ぱっちりとした黒目がちな目は子犬のような愛らしさで、いつも濡れたように光っている。全体のシルエットはすらりとして、それでいて出るところは出ている完璧ぶりだ。
唯一の欠点は、背丈が中学生レベルで留まっているところだが――それもまた、彼女の愛らしさを際立たせる魅力と言えなくもない。
朝の校門でも、昼時の学食でも、夕方の昇降口でも、彼女のいるところだけぴかぴか光って見える。
男子からの人気も絶大で、一年生のときは学年問わず狩猟者ハンターが殺到した。そして全員、玉砕した。以降は、遠くから眺めて愛でられる愛玩犬、チワワと化している。
氷のチワワだ。
なぜ「氷」なのかというと――それは彼女の役職に理由がある。
冬城千和は、風紀委員だ。
生活指導教師のサポートとして、服装検査や持ち物検査などに立ち会う役目を負っている。
好かれる役職とは言えない。
校則違反者――たとえばスカートを短く詰めることに命をかける女子からしてみたら、厄介者でしかないだろう。
真面目で融通のきかない性格も災いして、一部の生徒からは煙たがられている。
そんな彼女が、泣いている。
童心に返って芝生を転がりたくなるような青空の下で。
ひとりきりで、涙を流している。
(……なんだってんだよ……)
胸が締めつけられるような気分を、僕は味わった。
女の子が泣いているのを見るのなんて、いつぶりだろう。
透明な雫がつたう横顔を見ているだけで、自分まで悲しくなる。
実は最初、彼女の姿を見つけたとき、怒鳴りつけて追い出すつもりだった。
冬城千和は、僕の「天敵」だから。
僕は生まれつき髪が茶色い。目つきも悪い。普通にしてても、にらんでいると誤解される。ついたあだ名は「オタクな不良」。そんな僕だから、冬城さんにはしょっちゅう注意されている。
さらに許せないのは――僕が愛するラノベを目の敵にしてくることだ。
僕は文芸部に所属している。ラノベの感想を部で議論するため、それらを学校に持ち込むことがある。あくまで、部活のためだ。野球部がグローブを、吹奏楽部が楽譜を持ち込むのとなんにも変わらない。
そういうことを、「氷のチワワ」はわかってくれない。
ラノベなんていかがわしい、と言って没収しようとする。
だから僕としては、大切な本を守るため、彼女と議論するハメになるのだった。――まあ、これまでほとんど全敗なんだけど。
天敵である。
憎い仇である。
校内ですれ違うとき、お互い目も合わせない。
だけど、こんな姿を見かけてしまったら――。
(しょうがないな)
校則違反のぼさぼさ髪を、右手でかきまぜる。
このまま無視して、行ってしまうこともできる。
だが、泣いている女の子を放っておくのは、自分のなかの「何か」が歪む気がした。
「どうかしたのか」
わざとぶっきらぼうに声をかけると、綺麗な髪が大きく揺れた。
白い顔が、おそるおそる、こちらを振り向く。
真っ赤な目が見開かれて、僕を見上げる。
あわてたように、濡れた頬を手の甲でぬぐった。
「な、んですか? 真田(さなだ)くん。どうしてここに?」
「ここは僕の秘密基地なんだよ」
「……そうですか」
彼女は声を取り繕った。
なんでもない表情を作ろうとしている。だが、涙のあとは隠せない。湿ったくちびるが小刻みに震えている。泣き顔を見られたことに狼狽しているのは、明らかだった。
「使えよ」
ハンカチを差し出した。
彼女は驚いた顔で、僕とハンカチを交互に見つめた。
何故優しくするのかと、顔に書いてある。
「別に罠とかじゃないから。ちゃんと洗ってある」
「ハンカチくらい、持ってます」
怒ったような手つきで、ポケットからハンカチを取り出す。
敵のほどこしは受けないと言わんばかりに見せつける。
ところが――。
「あっ」
「あ」
女の子らしいピンクの布が、指をすり抜けた。
風にあそばれて、西日を照り返す川面へ飛んでいった。
途方に暮れる彼女。
意外とドジなのかなと思いつつ、僕はハンカチを押しつけた。
「やっぱり使えよ。返さなくていいから」
「……。ありがとう、ございます」
「もう来るなよ。大事な読書場所なんだ。学校じゃ誰かさんがうるさいから、ここで読むハメになるんだからな」
突き放した言い方をした。
こんな風に言えば「優しくされた」なんて勘違いしないだろう。
「じゃあな」
彼女が何か言う前に背中を向け、さっさと歩き出した。振り向くつもりはない。自分はただ、己のなかの「何か」を守っただけなのだから。
ぼそぼそと何か言うのが聞こえたが、無視して立ち去った。
小さな声は、やがて風にかき消され、聞こえなくなっていった。
◆
帰りのバスの車窓から、秘密基地の河原が見えた。
夕暮れに沈む芝生の上に、彼女の姿はない。もう泣いている女の子はいないのだ。そのことに、自分でもよくわからない安堵を覚えた。
(ガラにもないこと、したかな)
そんな気持ちもあるにはあるが、気まぐれもたまには良しだ。
百均のハンカチだし、別に惜しくない。彼女もいちいち気には病まないだろう。
(チワワさんも、これでしおらしくなってくれればなぁ)
そんな甘い、ほのかな期待も抱いた。
その時は。
◆
翌日の昼休み、教室前での出来事だ。
「あっ、バカっ! 公太!」
悪友の吉澤公太(よしざわこうた)を注意したときには、もう遅かった。
受け取ったライトノベルは僕の手から滑り、廊下の床にばさりと落ちた。
書店でもらったカバーが取れて、表紙が露わになる。
ラノベの表紙というのは、お色気重視のイラストが多い。
ヒロインの胸がこれでもかと強調されていたり、太ももが惜しげもなくさらけ出されていたり、あるいはそれ以上のものも――。
「……いやらしい……」
そんなつぶやきとともに、雪のように白い手が本を拾い上げた。
あちゃあ、という公太のつぶやきが聞こえる。
きのう秘密基地で出会ったつぶらな瞳が、鋭く僕を見つめた。
使命感みなぎる風紀委員の目だ。
「これ、あなたのですか?」
頷かざるをえなかった。
貸していた本を、こんな人目につくところで返してもらったことを、今さら後悔した。
しおらしさなど微塵もない、綺麗だけど冷たい声で、冬城千和は言い放った。
「この本は預ります。放課後、風紀委員室まで来てください。――真田亮介(さなだりょうすけ)くん」
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