第2話 お嬢様、何かの水を全部抜く
「ねぇ、イルワーク。私、やってみたいことがあるの」
「承りましょう」
「クラスメイトから聞いた話によると、池の水を全部抜くと面白いことが起こるらしいの」
「まさかそんなことが」
「にわかには信じがたいけれど、そうらしいのよ」
「しかしお嬢様、我がリリアンダルス家の敷地内に池はございません」
「早速暗礁に乗り上げたわね」
「領内に湖はございますが、その水をすべて抜くとなりますと、果たして何日かかりますやら……」
「そうね。それに、さすがにお父様のお怒りを買うわね」
「恐らくは」
「まぁ、その辺はすべてイルワークになすりつけるとしても」
「穏やかではありませんね」
「でも、何日もただただ水が抜けるのを眺めてたってつまらないわよね」
「おっしゃる通りでございます」
「でも私、抜いてみたいのよ。やってみたいの」
「お嬢様がそこまでおっしゃるのであれば、このイルワークが一肌脱ぎましょう」
「残念だけど、あなたの裸を見る趣味はないわ」
「ただの慣用句でございます」
「ただの渾身のボケよ」
「失礼致しました」
「良いのよ、イルワークには少々高度すぎたようね」
「申し訳ございません、精進致します」
「さて、イルワーク、あなたさっき『一肌脱ぐ』は慣用句だって言ってたわよね」
「はい」
「あなたのその恰好は何?」
「海パンです」
「今年の夏に着ていたものとは違うわ。いつの間に新調したのかしら」
「シーズンオフで半額だったものですから、来年用にと買ったのです」
「思わぬところで披露する運びとなったわね。大丈夫? 来年履いたら丈が短すぎて予期せぬセクシー展開になるんじゃないのかしら?」
「ご安心ください。大人になりますと、ほぼ成長しません」
「大人ってそういうものなのね。学んだわ」
「またひとつ賢くなりましたね」
「それから、私に用意したこれも水着よね」
「左様でございます」
「これも初めて見るやつだわ」
「お嬢様のは30%オフでした」
「さすがに半額ではないのね、安心したわ」
「お嬢様に半額の水着なんて買えるはずがございません」
「30%オフなら買うのね」
「ギリギリ許容範囲かと」
「そうね。30%オフなら仕方がないわね。良い買い物をしたわね、イルワーク」
「ありがとうございます」
「そんなこんなで物理的に数枚脱いでる件について、申し開きはあるのかしら」
「説明させてください」
「どうぞ」
「そもそもの話として、何かしらの水を抜くということは、つまり、水のあるところで作業をするということでございます」
「そうね、そもそもの話として、水がなければ水を抜いたりは出来ないわね。真理だわ」
「真理でございます。そして、水があるということは、すなわち、その水によって濡れてしまう可能性もあるということです」
「充分に考えられる話ね」
「お嬢様のお召し物が濡れてしまっては一大事でございます。ですが、もしこれが濡れてもOKなコスチュームだとしたら……?」
「想像に難くないわね。濡れてもOKなわけだから、何の問題もないわ」
「そういう訳で、水着をご用意させていただいた次第でございます」
「さすが私の執事ね、見直したわ」
「ありがとうございます」
「でも、私の服が濡れるのは一大事だけれど、あなたが濡れ鼠になるのは特に問題ないと思うんだけど」
「お嬢様は私が鼠レベルでびしょびしょになることを想定していらっしゃる」
「ええ。頭から引っ被る可能性が無きにしも非ずだと思うわ」
「水を抜くという作業で何をどうしたら頭から引っ被る事態に陥るのかわかりかねますが、まぁ良いでしょう。私も一応人の子ですので、身体が冷えれば風邪も引くのだということをこの機会に声を大にしてお伝えしておきます」
「それはさておき」
「はい」
「私は確かに水を抜きたいと言ったわ」
「はい、おっしゃいました」
「一応確認するけれど、今回の目的地はここであっているのかしら」
「もちろんでございます。例のごとく、人払いも済ませてあります」
「結構。でも、いまいち納得がいかないのだけれど、ここはお風呂よね?」
「お風呂でございます」
「しかも、従業員専用のお風呂よね。男湯ではなくて? 私が立ち入っても良い場所なのかしら」
「大丈夫です。この時間は女湯です」
「だとしたらあなた即刻出ていきなさいよ」
「大丈夫です。マデリーンメイド長は買収済みです」
「抜け目ないわね」
「冗談はさておき」
「どこまでが冗談なのか判断がつきかねるわね」
「今回は特別に『水を抜くため』の風呂ということで、事前にしっかりと清掃を済ませておりますので、メイド達のあんなものやこんなものが出現する危険性は限りなく0となっております」
「あんなものやこんなものの内訳が大いに気になるところだわ」
「そこはプライベートなところですから。さぁ、それでは早速抜いてみましょう」
「わくわくするわね」
「お嬢様、ご覧ください」
「見てるわ」
「少しずつ水位が下がって参ります」
「そうね」
「お嬢様、少々テンションの方が低いのではございませんか?」
「だって、聞いていたのと違ったんだもの」
「聞いていたのとは?」
「クラスメイトの話によると、池の水を抜いていると、底の方から何か珍しいものとかが出てくるらしいのよ。これじゃただただお風呂の水が減っていくだけじゃない。どうせ何も入っていないんだし」
「お嬢様、ご安心ください。まだ浴槽の水はたったの3分の1程度しか減っていないではありませんか。これからですよ、これから」
「これから? ……ということは、もしかして? イルワーク、あなた……!」
「もちろんでございます。ですから、お嬢様には最後まで見届けていただきたいのです」
「わかった。わかったわ、イルワーク。私、最後まで見届けるわ」
「その意気でございます、お嬢様」
「見て、イルワーク! あれは何かしら?!」
「出ましたね。あれは、旦那様の秘蔵のワインでございます」
「これは怒られるわね!」
「減俸間違いなしでございます」
「あれは何かしら、イルワーク!」
「あれは大物、奥様の毛皮のコートでございます」
「よくここまで浮かんでこなかったわね」
「リビングに置いてあったアメジストの原石を重石にしてみました」
「さすがねイルワーク。これはマデリーンも敵に回したわよ」
「色々ひっくるめて首覚悟で沈めてみました」
「あなたの勇気には敬服するわ」
「お嬢様のためですから」
「お父様のゴルフセットにお母様の夜会服、料理長のへそくりに、キース先生の望遠鏡と、色々出て来たわね」
「楽しんでいただけましたか」
「もちろんよ。でも、大丈夫なの、イルワーク?」
「大丈夫、と申されますと?」
「ここまでやらかしたんだもの、あなた、下手したら火あぶりよ?」
「そうですねぇ……」
「私、あなたがいなくなったら困るわ」
「ご安心ください、お嬢様。この後、しっかり乾かして素知らぬ顔で戻しておきますから」
「大丈夫なの?」
「そのために人払いを済ませておいたのです。明日の朝までこの屋敷には我々しかおりません」
「さすがね、イルワーク!」
「ありがとうございます」
「……ということは、今日の夜と明日の朝食はどうなるのかしら?」
「ご安心くださいお嬢様。私がご用意致します」
「イルワークが作ってくれるの?」
「いえ、ピザを注文するのです」
「確実な方法ね」
「その通りでございます」
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