久遠の勇士

山登チュロ

第1話 家出は、どうしようもない劣等感から

 そろそろ日付が変わろうかという時間に、コンコンとドアがノックされる。


「あの、兄さん。まだ起きてる……?」

「ああ、俺はまだ起きているが……こんな夜遅くにどうした?」


 俺の部屋を訪ねたのは4歳年下の弟のソーマだった。

 ソーマは右腕を背中側に隠し、控えめに俺の部屋のドアを開く。


「今日は兄さんが成人を迎える誕生日だから、誰よりも早く祝いたくて……」

「それでわざわざこんな夜遅くまで起きていたのか? 俺のために?」

「め、迷惑だった?」

「いや、迷惑なんかじゃない。嬉しいよ……ありがとうソーマ」


 そう告げると、ソーマは嬉しそうに顔を綻ばせた。

 そして時計の針が午前0時を指し、日付が俺の誕生日へと変わる。


「兄さん、お誕生日おめでとうございます。えと、これは僕からのプレゼントです」

「銀の腕輪……嬉しいが、高価たかかっただろう? どうして、俺にこれを?」

「兄さんだって、僕の10歳の誕生日に青い宝石がついた腕輪を買ってくれたじゃないか。本当は僕も宝石がついた腕輪を買いたかったけど、そこまでのお金は貯まらなくて……だからせめて兄さんの髪の色と同じ銀の腕輪がいいかなって」


 まったく俺には勿体無いくらいに優しく、できた弟だ。

 両親から貰える小遣いを何ヶ月貯めたらこの腕輪が買えるのか、少し考えただけでこの腕輪には本来以上の価値を見出せる。


「ありがとう……大切にするよ」


 さっそく、右の手首につけてみる。

 少しぶかぶかだったが、まだ15歳の体格だとこんなものか。


「少し大きかったかな?」

「いや、このくらいの方が長く使えるから丁度いい。当面は手首に布でも巻いてから着けよう」


 厚手の布を腕に巻いてから着ければ一応固定される。

 着用せずに大切に保管しておくという手もあったが、着けていた方が嬉しそうなのでやめた。


「この腕輪があれば、独り立ちしてもなんとかやっていけそうだ。ありがとな、ソーマ」

「兄さんがそう言ってくれるなら、僕も嬉しいよ。でも……成人の日の洗礼を受けたら、兄さんがこの家を出て行っちゃうのは寂しいな」


 15歳の誕生日を迎えると社会全体から成人と認められると同時に、神殿若しくは教会で洗礼と呼ばれる儀式が行われることになっている。

 洗礼を受けるとその人の宿命がわかるとされており、従うかどうかは自由だが多くの人はその宿命に従って人生を送るらしい。


 また、それと同時に王族や貴族などの特別な家柄でもない限り成人した者は家を出て独り立ちすることも推奨されている。

 これもまた強制ではないのだが、俺は家を出るつもりだった。


「これが一生の別れということでも無いんだ。会おうと思えばいつでも会えるさ」


 そう言ってはみるが、ソーマの表情は晴れなかった。

 心から俺との別れを寂しがってくれている弟にかける言葉の一つも見つからない。

 俺は最後まで兄として情けない姿ばかりを見せてしまうらしい。

 会話が途切れ、時計の針が時間を刻む音だけが聞こえる。

 もう時間がなかった。


「あー、ソーマ。もう日付が変わってから少し経つし、話はまた今度にしよう。それに夜は寂しさや不安を掻き立てるから、こういう話は明るい時にした方がいい」

「……うん、わかったよ」


 ソーマは浮かない表情のまま、俺に背を向けてドアへと歩き出した。

 このまま会話を終えてしまってもいいのかと言うと、それは違う。

 気持ち的にはもっとソーマと最後まで話をしたいのだが、それをしてしまうとせっかく固まった俺の覚悟が無駄になってしまうから、今はこうするしかなかった。


「でも、一つだけ約束して」


 ソーマの青い瞳と目があった。


「僕も成人したらこの家を出るよ。宿命がなんであろうと、ずっと夢だった冒険者になってこの広い世界を冒険する。兄さんが何になりたいかはわからない、でも一度だけでいいから……いつかその日が来た時は僕と一緒に冒険をして欲しい。これも、ずっと小さい頃からの夢だったから」


 去り際、振り返ったソーマを寂しさに表情を沈ませていた年相応の少年と同一人物とは思えなかった。

 青い瞳でこちらを見据え、自らの夢を語り、「一緒に」と手を差し伸べる言葉からは相手から「YES」を引き出すカリスマを感じた。


「ああ、いつか……な」


 俺はそう答えるだけで精一杯だった。


「本当に!? やった! 兄さんは昔から絶対に約束は破らないから心配してないけど、絶対! 絶対にだからね!」


 小走りで近寄ってきて小指で約束を結ぼうとする様子はどう見ても11歳の子供なのに、たまに垣間見えるあのカリスマだけが特異だった。


「兄さん、おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」


 ソーマは満足したのか、割と明るい表情で自分の部屋へと帰っていった。

 ……呆然としてはいられない。

 そうだ、ソーマが特別な人間だってことは11年前からわかっていたはずだ。

 だからこそ俺はこの日に、洗礼を受けずに家を出ることに決めたのだから。

 俺の中のちっぽけなプライドを守るために。


 ーーこの世界において妊婦の出産は女神像のある神殿か教会で行われる。

 これは家を持たない民も同様だった。

 貧民街の住民でも出産は神殿で行われるし、それに対してお金が取られることは無い。


 それは何故か。


 人材は宝だという如何にも出来そうなトップが実権を握っているから……ではない。

 それは……この世界では誰でも一目見れば分かるほど明らかに特別な人間が生まれてくるからだ。

 神殿や教会に女神像が置かれている理由もその為だ。

 女神像は一体の例外も無く赤子を抱くような姿体をとっている。


 ここまでくれば何故、出産が女神像のある神殿か教会で行われるのか、そして特別な人間はどのようにして生まれてくるのか勘のいい人ならわかるだろう。


 ごく稀に母親の胎内から直接生まれ落ちず、女神像に抱かれた状態でこの世に生まれる子供が現れる。

 こういった子供は「神子」と呼ばれ、種類は様々だが髪や瞳の色と同じ色の武器や道具などの「神具」を持って生まれてきた。


 神子は洗礼においても神から直接宿命を与えられる。

 この国の長い歴史の中でも、英雄と呼ばれる人間は全て神子だった。


 類稀なる才能と、この世に2つとない最高の武器、道具を合わせ持った存在。

 俺のように普通に生まれた人間は一生努力し続けても届かない。

 生まれた時から勝てないことが決まっている。

 それでも、俺は兄弟というだけで比較の対象にされてきた。


 ソーマは神子だ。

 青い髪と瞳、蒼剣を持って生まれてきた4歳年下の弟。

 俺が勉学や剣術、体術を必死に鍛えても大人は見向きもしてくれない。

 両親は俺達を平等に見てくれたが、世間は違う。

 俺自身を見てもいないのに凡庸な兄と神子の弟を比べようとする世間の目が嫌だった。


 皮肉にも、俺のことを一番見ていてくれたのはソーマだった。

 ソーマが10歳の時、嫌味も何もない純粋な目を輝かせて俺のようになりたいと言ってくれたときは内心複雑だが嬉しかったーー


「ソーマが、もっと嫌な奴だったらよかったのに……」


 俺が何度も思ったことだ。

 俺には勿体無いとすら思う弟に、11年間抱き続けた劣等感をぶつけることなどできるはずもない。


 だが今日の洗礼で宿命を告げられ、もし凡庸な一生を定められでもしたら、強制ではないと言えども俺は立ち直ることができないだろう。

 自分でも弱く情け無いとは思うが、これは俺がソーマの兄であるために守らなきゃいけない最後のプライドだった。


 机の上に手紙を置く。


『家族へーー

ーー俺は家を出ることにしました。

両親が平等に接してくれていたにもかかわらず、今日まで弟への劣等感を払拭できず、こうする決断に至った狭量な自分にはもう合わせる顔がありません。

ソーマはきっと俺とは違い、あなた達にとって誇らしい息子になってくれるでしょう。

父さん。母さん。

俺を生み育ててくれてありがとうございました。

このような形での別れとなってしまったこと、どうかお許しください。お元気で……

クオン』


 手紙でしか本音を語ることのできなかった自分にほとほと呆れてしまう。


「急ごう」


 時計を見ると、もうギリギリの時間だった。

 最低限の荷物と、ソーマから貰った銀の腕輪を持ってこっそりと家を出る。

 両親の小遣いはこの日のために貯めていた。仕事もしていた。

 最後の最後、15歳の誕生日まで家を出るという決断を下せなかった優柔不断さゆえにそこそこのお金が貯まっている。

 当面の生活費は賄えるはずだ。


 夜の王都の大通りを走り抜け、目的地に着いた時には肩どころか全身で息をしていたがどうやら間に合ったらしい。


「リゲイン行きの切符をくれ。席は一番安い席でいい」

「はい、リゲイン行きで一番安い席ですと六万カロになります」


 高い切符を購入し、無口な駅員に切って貰ってから汽車に乗り込む。

 深夜の汽車にも乗客はそれなりにいるようで、窓の近くの席に座った俺の隣には恰幅のいい中年男が座ったことで少し狭い。

 仕方なく窓から駅内を眺めていると汽笛がなり、汽車が動き始めた。

 ついに王都を離れる。

 改めてそう実感すると、やっぱり寂しい。


「俺もソーマのこと言えないな」


 込み上げてくるものを堪える。

 俺は誤魔化すようにして目を瞑った。




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