第21話 あ〜んの波状攻撃
食事が始まり、皆目前の料理に舌鼓を打っている中、ここでラティアナの視線が桔梗の料理へと向いた。
「ごしゅじんたまの、かれーらいす?」
言って、強制上目遣いのラティアナが首を傾げる。
なる程、確かにカレーしか知らない彼女がそう思ってしまうのも致し方がないと言えるだろう。
桔梗はハハハと柔らかく笑うと、優しい口調で、
「惜しいねー。これはビーフシチューって言うの」
「びーふちゅー」
「ビーフシチュー」
「びーふしちゅー」
未だ辿々しいがほぼほぼ正解である。この辺りは流石ラティアナだ。
桔梗はうんうんと頷くと、
「そそ。食べてみる?」
「うん!」
満面の笑みで頷くラティアナ。その口元にはオムライスのケチャップが付いていた為、ひとまずこれを拭う。
そして綺麗になった所で、ビーフシチューをスプーンで掬うと、ラティアナの口元へと持っていく。
「はいあーん」
言いながら口を開いて見せると、それを真似る様に、
「んあーー」
とラティアナが大きく口を開ける。桔梗は周りを汚さない様に注意しながら、その口へとビーフシチューの乗ったスプーンを入れた。
ぱくりとラティアナが口を閉じる。そして──
「……っ! おいしい!」
咀嚼の後、まん丸の目をキラキラとさせながら大きく開き、その美味しさを表現するように身体を小さくバタバタとした。
……どうやらお気に召した様である。
ラティアナの喜ぶ姿に、桔梗は満足気な笑みを浮かべた。
その後、正面に向き直り、再び食事に戻ろうとした所で、
「リウも……食べたい」
と、右斜め前方から声が聞こえてきた。視線を向けるとそこには、表情は変わらないが、どこか羨ましそうな雰囲気を醸し出しているリウの姿が。
……そっか、ビーフシチューは食べた事無いもんね。
桔梗はそう納得をすると、自身のお皿を彼女へと渡そうとし──しかしそれよりも早くリウが口を大きく開けた。
「……あーん」
食べさせてという事だろう。
その姿に「リウはまだ幼い」と認識している桔梗は、しょうがないなぁと思いながらも、食べさせてあげる事とした。
「はい、あーん」
言ってビーフシチューを掬ったスプーンをリウの口元へと持っていく。リウはそれをぱくりと口にすると、もぐもぐと咀嚼する。
「……おいしい」
と言いつつも表情は変わらず、相変わらずの眠た気な目。が、どうやら本当に美味しかったようで、その頬は興奮からか若干赤らんでいる。
……気に入った様で良かった。
思い、ニコリと微笑む桔梗。そんな彼へと目を向けたまま、リウは再度口を開く。
「桔梗が……食べさせてくれたから……余計に……おいしい」
言って柔らかく微笑む。その直接的な物言いに少し照れる桔梗。
そして──それを羨まし気に見つめる少女達。
しかしその意味あり気な視線に気づかない鈍感な桔梗は、再び食事へと戻ろうとビーフシチューへと視線を移し──
「桔梗」
ここで再度前方から声が聞こえてくる。
「ん?」
顔を上げ、どうしたと目前の少女、彩姫の方へと目を向ける。
その視線の先で、彩姫は両人差し指の先を触れさせながら、もじもじとしている。しかしそれも数瞬の事。すぐに意を決した様子でギュッと口を結んだ後、うんと頷くと、
「あ……あーん」
と言いながら、恥ずかしげに、また遠慮がちに口を開けた。
「…………え?」
突然の行動に思わずポカンとした表情で声を漏らす桔梗。彩姫はあーんの表情のまま、顔をポッと真っ赤にすると、
「ちょ……これ恥ずかしいんだから早くしてちょうだい!」
「いや、恥ずかしいならやめれば──」
「──夢だったのよ」
「…………ん?」
「……漫画で見てから、ずっとあーんしてもらうのが夢だったのよ!」
衝撃の事実である。まさか男嫌いで常に凛としていた彩姫がそんな可愛い夢を持っていたとは。
驚く桔梗。その前で、彩姫はしおらしい様で、
「だから……お願い桔梗……」
「ま、まぁ別に良いけど」
特に害があるわけでもないので桔梗は了承する。彩姫はパッと表情を明るくした後、
「じゃあ……あ、あーん」
と言って目を閉じ、恐る恐る口を開けた。
赤らむ頬。どうやら、夢であっても、恥ずかしいものは恥ずかしいらしい。
その姿をチラと見た後、桔梗はビーフシチューを掬う。そしてそれを彩姫の口へと運ぼうとするが……何故だろうか、先程までとは違いえらく緊張してしまい、思わずゴクリと喉を鳴らす。
しかし最早やめるという選択肢は選べない状況である為、桔梗は恐る恐るスプーンを彩姫の口へと運んだ。
彩姫の口へとスプーンが入り、艶かしく開く唇が閉じられる。
「…………んっ」
口を閉じたのを確認し、桔梗はスプーンを抜き取る。
ドキドキと鼓動を鳴らしながら彩姫へと視線を向ける桔梗。
その視線の先で、彩姫はもぐもぐと咀嚼した後、チロリと舌で小さく唇を舐めた。
「……お、美味しいわ」
「そ、そっか……それは良かったよ」
顔を赤らめ、視線を少し逸らす彩姫と桔梗。
何か照れくさい、変な空気が2人の間に流れる。
と。そんな2人を羨まし気に見つめる少女がいた──シアである。
シアは、何やら甘酸っぱい雰囲気を醸し出している桔梗と彩姫の姿をじっと見つめながらふと思った。
「この流れ、私もあーんしてもらえるやつっす!」……と。
という事で、
「ご主人」
シアは狼耳をピクピクと動かしながら、期待の篭った声音で桔梗の名を呼んだ。……因みに、狼耳や尻尾は桔梗達にしか見えていない。
桔梗の視線がシアへと向く。
シアは注目が自身へと向いた事を認識すると、ワクワクとした気分のまま意気揚々と、
「あーん……っす」
と言いながら口を開けた。
桔梗はその様をじっと見つめ……頬をほんのりと赤らめながら視線を逸らすと、
「えっと……遠慮しておこうかな」
「なんでっすか!?」
まさかの拒否にシアは素っ頓狂な声を上げる。対し桔梗は、ポリポリと頬を掻くと、
「ちょっと恥ずかしくなった」
「いや、リウの時は普通だったじゃないっすか!」
「リウは幼いから」
「わ、私も幼いっすよ!」
「それは流石に無理がある!」
思わず声を上げたシアに、桔梗は思わずツッコんだ。
「……うぅっ」
へにゃりとシアの狼耳と尻尾が力を無くす。
その姿があまりにも悲し気で……。
桔梗は一度小さく息を吐くと、自身の恥ずかしいと言う感情を何とか抑え込む。そして──
「あー……うん、ごめん。確かに不公平だよね。……わかった、やるよ。だからそんな悲しそうな顔はしないでシア……ほら、ルミアも」
瞬間、パーっと明るい表情になるあーん未経験組の2人。
全く、あーんがそんなに嬉しいかと思わなくもないが、彼女達の笑顔は桔梗にとって嬉しいものである為、あまり気にせずやってあげる事とする。
「じゃあまず……シア」
言いながら桔梗はシアの方へと身体を向ける。対しシアは、
「……は、はいっす! あ、あーん……っす」
名を呼ばれた瞬間ピクッと反応を示した後、目を瞑り、口を開けた。
その様に、ビーフシチューを掬いながら桔梗はふと思う。
改めて、この世のものとは思えないほど美しい少女だな……と。
向こう側が透けて見えるのではないか、そう錯覚してしまう程に真白で透明感のある肌、人形ですら平伏してしまいそうな程に整った容貌、そして何よりもその存在を高尚にしている艶やかな白髪。
この日本という国に、この瞬間存在している事があり得ない程の幻想的な美貌──
普段もその美しさは勿論認識しているが、中々こうまじまじと見る事は無い訳で。
見てしまうと、そして今からその美少女にあーんをすると考えると、どうしてもドキドキと鼓動が早くなってしまう。
が、彩姫の時同様最早やめるという選択肢はない為、桔梗はビーフシチューをシアへと食べさせた。
「……んむ……へへ……おいしいっす」
言って頬をほんのり赤らめながらはにかむシア。やはりお互いに照れくさい。
しかし、これで終わりでは無く。雛鳥の様に今か今かと待っている美少女が1人。勿論、ルミアである。
桔梗は彼女の方へと向き直ると、
「次は……ルミア」
柔らかい表情でその名を呼ぶ。
「は、はい! 桔梗様……」
その声を受け、ルミアは胸の前で両手を組み、潤んだ瞳で桔梗を見つめる。そして数瞬の後、優しげなその目を閉じると、控えめに可愛らしい唇を開く。その様は、まるでキスを待っているようで……一体幾度目か、桔梗の鼓動が早くなる。
がこれも何度目か、辞める訳にはいかない為、桔梗は意を決してスプーンを彼女の口の中へと入れた。
ルミアは上品に咀嚼すると、
「……はぁ……美味しいですわ……」
言って、感嘆の溜息と共に恍惚の表情を浮かべた。
その姿を見て、桔梗は満足気にうんと頷く。
「……よし、じゃあそろそろ元に──」
言って、自身のビーフシチューへと視線を向けようとし……しかしそれよりも早くラティアナが口を開いた。
「ごしゅじんたまも、あーんってするー?」
純粋な瞳で桔梗を見つめるラティアナ。
大方、自分だけが貰うのは悪いとでも思っているのだろう。幼いながらに優しさを持ち合わせた彼女らしい提案である。
しかし、流石に桔梗もビーフシチューを早く食べたかったし、そろそろ周囲から向けられる視線も嫉妬からか厳しくなってきた。
その為「大丈夫だよ」と言おうとした所で、少女達がラティアナに同調するようにうんうんと頷く。
「確かに、貰ってばかりじゃ悪いわよね」
「……え」
「そうっすね、申し訳ないっす」
「……いや」
「貰ったらお返しをする……当然の事ですわ」
「……んー」
「……リウも……やるべき」
「……んぇーっと」
全員の視線が桔梗に向く。そして──
「「「「「桔梗(ご主人)(桔梗様)(ごしゅじんたま」」」」」
「……はい、お願いします」
──このあと滅茶苦茶あーんした。
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おまけ
──数日前、水森邸にて。
「……なっ!?」
「……え、えっ……こんな事までしちゃうの!?」
「あ、あーん……もし桔梗にしてもらったら…………っ!」
枕に顔を埋め、足パタパタ。
帰還後、恋というものを知った彩姫は、恋愛ものの漫画にハマっているのであった。
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