ティナの堕ちた娘たちよ
あいうえお
第1話 『黒鉄』と『要塞』
敵本国奇襲の電撃作戦と言えば聞こえはよかった。
統帥部直属の精鋭部隊を一同に集め強襲する。如何に形勢を圧していても、敵国首都さえ落としてしまえばそこで戦争は終わる。敗戦の気配が濃厚になってきたこの国では、何よりも理路整然とした理論に思えた。
事実集められた部隊は精強で、装備も補給も全てに優先され、各員の体調管理まで徹底されていた。仮に作戦が完璧に実行されれば、本国を陥落させることは可能だったろう。
『ティナの娘』がいなければだが。
『天臨』、1000人に一人が備える人智を越えた力とその持ち主への総称である。内容は千差万別だが、この大戦の世においては戦いに役立つものが尊ばれ研究が進んでいた。
『ティナの娘』は、その開祖といっていい存在である。それまでは弱国に過ぎなかったヒンメルが、『天臨』のたった12人の戦士によって一躍覇権国家となりあがったのだから。
追随して『天臨』の部隊を用意した周辺国は星の数ほどあったが、いずれもがヒンメルには届きえなかった。『ティナの娘』の本質は継承にあったからだ、強力無比な『天臨』を女王が自由に分け与えられ、途切れることがない。この一点だけが他国を遥か後方に置き去りにしていた。
100年を待たず、ヒンメルは大陸の覇者となっていた。最早、他国は戦って屈服させられるか戦わずに屈服させられるかの存在でしかない。一国の軍事力がただ一人の力の前に敗北してしまうのだ、立ち向かう気持ちすら折れてしまう。統治者としてもヒンメルは気を配り、併合を歓迎する空気を作り上げつつあった。
それでも立ち向かっていったこの国は勇敢と言えただろうか。否、単に現実が見えていなかっただけだ。
「蠅は死ぬといいわよ~‼」
本国急襲作戦は『ティナの娘』の一人、『黒鉄』のヴェルサによって瓦解させられた。部隊はヒンメル首都を辛うじて視認できただけで、塵の如くに滅殺されてしまった。
「つっまんないわね~! すこしは頑張りなさい!」
ヴェルサに傷を負わせるどころか、触れることすら叶わなかった。二つ名と同じ『天臨』の攻撃は天変地異そのものだった、吹雪を起こし、高熱が大地を焼き尽くし、台風と雷が降り注いだ。
「あーあ、全くこんな面倒くさいことしないでよね!」
動くもののない死の大地にそう吐き捨ててヴェルサは帰還した。この戦いはヒンメル本国に『接近した』という点では一定の評価は得たものの、結局は『ティナの娘』とヒンメルの強大さを物語る伝説の一部にしかなり得なかった。
部隊も相手が悪すぎてはいたが、戦果を挙げられなかったことも事実であり然程話題にもされずに終わった。
ほどなくこの国は降伏し、その際保身を図った上層部が奇襲作戦を部隊発案と主張したために不興を買い処刑の憂き目にあった事件を除き、この国の名は、これ以降歴史の表舞台には出てこなくなった。
そう、併合されたとはいえ国家として存続した側は消えさり、その犠牲者というべき全滅したはずの部隊はその後も歴史に現れ続けた。
否、それどころか史上初めて『ティナの娘』と『渡り合い』果ては『破った』存在とすら言われるようにすらなった。
「隊長……みんな……」
死の大地に部隊の中でたった一人残った青年、ヴァンによってだ。ただ一人の部隊が、史上最強の『天臨』たちと渡り合った。
「絶対……やり返してやる」
人の輪郭を留めぬ肉片と化した戦友にヴァンは誓った。
後の世は彼の人生を奇跡とも謀られたものとも評したが、そのどれもが本質からそれていた。
彼が傷も負わず、ヴェルサにも見過ごされたこの時点で、彼は運命に『掴み取られて』いたのだ。
「若いの! しっかりしろ!」
「してますよ!」
半月後、ヴァンは帰国していた。とはいっても帰る家はない、孤児院で育ち部隊に送られた時点で独立した者として扱われており、その院も攻撃によって廃墟と化してしまっていたからだ。
止む無く他の大多数と同じようにその廃墟で雨風をしのいでいたヴァンは、とある農園の呼びかけに応じて臨時の農夫となった。徴兵で取られた労働力の補填と、戦争の爪痕の片づけに人員が必要だったのだ。
同時期の他の仕事に比べると、ヴァンがありついたこの仕事は相当条件が良かった。金品の報酬はないが、家畜小屋ではあるが充分な広さの寝床があてがわれ、何より食事はいつも満腹以上に食べられた。
敗戦したことで納入するはずだった大量の芋が余っていて、保存用を除いても膨大に残り腐らせるよりはと農場主が好きなだけ農夫らに与えたのだった。
仕事も重労働ではあったが、酷使されるというほどでもない。ましてヴァンを初め農夫の多くが元兵士であったから、軍時代の上官からの虐待の方が余程苦だと冗談が出るほどであった。
「ヴァン!」
「勘弁してくれよ疲れてるんだよ」
「やらないと父ちゃんに言っちゃうぞ!」
「わかったわかった……ほら、乗れよ」
「いっけ~! 走れ~!」
「ひひーん……なんだかなあ」
しかし、良いことばかりではない。
農場主の息子アフに目を付けられたヴァンは、馬の真似をさせられて遊びに突き合わされた。無下にするわけにもいかず、疲れた体で子供の遊び相手をさせられるのは堪えた。
息子は周囲に同年代の子がおらず、一番歳が近いヴァンを遊び相手にしたのだが、一人っ子だったのもあって次第に兄のように思うようになっていた。厳しい両親のように怒鳴らないし、遊びにも付き合ってくれる。
彼の外見も一因であった。金髪でどこかあか抜けない素朴な雰囲気があった、美男子とはいうまいが人好きのする顔である。
「僕は『白流星』だぞ!」
「『ティナの娘』はやめてくれよ、一応負けた相手なんだから」
「だって格好いいんだもん!」
ようやく解放されるとヴァンは食事にありつけた。大方の食事が終わってもまだまだ十分に残っていたが、味が良いのは無くなっていたり冷めたりしているいるので、再度ヴァンは火を起こさないといけなかった。
すでに食事を終え、寝入ったり、賭けに興じたり、茶を啜っている農夫の間では自然に戦中の話題が多かった。
「お前どこの部隊だ?」
「第7」
「聞いて驚け、俺なんか本国襲撃の生き残りよ。手を出すと痛い目にあうぜ」
「ばか、あそこは全滅してんだ。『黒鉄』にやられてな」
「っへ、これを見な。このナイフの紋章は『ドリット』のだぜ。俺はこいつで何人もの首を掻っ切って―」
「そんなもんどこにでも落ちてるぞ、粋がるんじゃねえ。そこの金髪の兄ちゃんだってそうだろ」
「これは交換してもらったんですよ」
炙った芋を齧りながらヴァンは応えた。
この時期、本国襲撃部隊の生き残りを自称する者を合計すると部隊の3倍ほどの人員になると言われていた。精鋭部隊と言うことで己が力を誇示したり、売り込みに利用する者が絶えなかったのだ。ヴァンを残して全滅した隊員たちの私物はそのままヒンメルに回収されたのだが、密かに他の兵士が持ち去ったり偽装したりで多くが市場に出回っていた。
「斧まであるじゃないか? 一つ目だから……『エーステ』かい?」
「そこらへんはわからないんですけど有名なんですか?」
装飾の施された斧を眺めながらヴァンは尋ねる。
「最強って言われてた部隊だよ、隊長のなんていったっけ……そう、シューターってのは相当な奴だったとか」
「っへ、そんなやつより生き残った俺の方がすごい! 大体負けた奴に相当も糞もあるか」
「わかったわかった」
ヴァンは喧騒をしり目に食事を終えると、芋の残りを容器に詰めだした。本物の生き残りであることを彼は語りたがらなかった。
「少し残しておくんだぞ、他にもいるんだし」
「わかってますよ」
「お相手がいてうらやましい」
農夫にも当然家族がいるものがいた。
夜な夜な、食糧難に苦しむその家族へ余った芋を流すものは絶えなかった。厳密に禁止されている訳ではないが、堂々と渡すのは気が引けたのと浅ましいとの気持ちがありいつしか夜中に運ぶのが通例になっていた。
農夫たちも見て見ぬ振りをした、自分の分が減るわけでないし咎める程の悪事でもない。流石に流用して金儲けを企んだり、食糧を傘に肉体や金品を要求するような不届き者には私刑の制裁が下されたが、それを除けば自由にさせている。
中には戦争孤児たちや単に食糧不足に苦しむものもいて、家族を持たない者は哀れんで彼らに施しをした。
農場主も廃棄予定の芋であるから、させるがままであった。
「よいしょっと……」
ヴァンが食糧を運ぶ相手は、農場からやや離れた場所の小屋にいた。みすぼらしい小屋で、戸を叩いただけで大きく揺れるさまは、風が吹けば倒れそうな程である。
「おーい、来たぞー」
ややあって、戸が開かれた。
「食べ物!」
「食べ物だ!」
「食糧です!」
3匹の獣が芋に飛びついて争うように貪った。
「私のだ!」
1匹は銀髪の美女である。赤い目と黒と金の混じった鎧が目を引き、長刀を携えている。
「俺のだ! ぶっ殺すぞ!」
2匹目は野性味あふれる緑髪の美女。褐色で傷と刺青だらけの肉体には下着しか纏われていない。
「僕のです! 頭脳派には体力がいるのです!」
3匹目はアッシュの半分しかない黒髪の美少女だった。雪国の赤子のように丸々とした衣服を着こんでいて、衣嚢には本が詰まっている。
誰もが平時であれば絵になるようだったが、今は貪欲な獣にしか見えなかった。そして、例外なくやせ細っていた。
アッシュは肩をすくめて小屋の中に入っていった。
外に負けず劣らずの貧相さで、備わっているものは何もない。唯一、物々しい一つ目の紋章が施された錠前のある扉があるだけだった。
緊張した面持ちのアッシュがそれに手をかざすと、鍵が現れて扉が開いた。そのまま内部に消えて、小屋の中は無人と化した。
「あ~」
「少しは落ち着いたな」
「です」
容器一杯の芋を食べつくした3人には驚くべき変化があった。骨と皮ばかりだった肉体がすっかり健康体そのものへと戻っていたのだ。銀髪美女は鎧に負けぬ体躯をし、褐色美女は筋肉質でしなやかな肉体を誇示していた。黒髪少女もすっかり健康的に頬を赤くしている。
「しかし、芋ばかりでは力がつかん」
「肉がいいよな肉」
「ヴァンでは無理な話ですが」
「聞こえてるぞ」
扉を開けてヴァンが小屋に戻ってきた。その内部は靄がかかってきたように曖昧で伺えない。
「隊長たちに慰めてもらったのか、情けない」
「肉を寄越せよ肉をよ」
「3人とこの小屋では要塞になりません」
「わかってるって」
そう、この3人と小屋はヴァンの『天臨』であった。
ヴェルサから逃れたあの日に発現した力である。要塞と忠実な兵士を出現させ意のままに操ることができる。
「戦に必要なのはお金と物資なのです、一人が行動するにもたくさんのお金とご飯が必要なのです」
「だからこうやって……」
「芋だけでどうやって戦争するのだバカモノッ」
「農場襲って金盗むくらいしろよ」
「で、できるかそんなこと!」
ただし、維持のための金銭と食糧諸々が必要であった。金と物資をつぎ込めばいくらでも強大になる反面、なければ小屋とこの3人以外に出現させておけなかった。更に、命令はできても屈服はさせられず批判や文句はいくらでも受けなければいけない。
「あの部屋はなんだ、あんなの出すくらいなら私たちに寝具でも置いておけ」
「隊長に泣きついてるんだろ」
「違うって……」
「不必要なのです」
3人は扉にも不満だった。紋章とヴァンしか入れないことから、恐らく中には部隊の仲間を模した存在なりがいて、そこで過去に浸っているのだろうと睨んでいる。彼が絶対に口を割らないことも拍車をかけていた。
「そういうんじゃない」
「ともかく覚悟が足りない」
「肉! 肉! 肉!」
「あ~、なんでこんなのが来たんだろう?」
『天臨』に目覚めた時、ヴァンはこれならばヴェルサを打倒できると思った。
『エーステ』の隊長と仲間たち、そして他の部隊を虫のように圧し潰した『ティナの娘』を倒す。それがヴァンの望みでありそれを成すがための力であったはずだった。
戦争に負けた事よりも、部隊が全滅したよりも、ヴァンはヴェルサの態度が許せなかった。片手間に虫を潰したかのような顔を見た、それは殺人でもなければ戦いでもない一方的な駆除だった。
物心ついてからヴァンが起こるのは、その侮辱を受けた時だった。孤児院の子供に、職員に、軍役の時の上官に、自身や仲間を軽んじるならば不利を承知で噛みついた。
何も持たず持たされなかった少年は、そうしてただ一つの譲れないものを持った。今回はその相手が『ティナの娘』であるだけだ。全てをかけて立ち向かわねばならない。
「聞いてるのかっ」
「わっ」
ともあれ今は、この3匹をどうにか宥めなければならなかった。
「知ってるかい、『ティナの娘』がここらをうろついてるんだってよ」
「うえっ?」
翌朝、畑で小石の除去作業に勤しんでいたヴァンは同僚からの言葉に奇妙な声をあげた。
「どうした?」
「い、いやびっくりして……なんでまた?」
「わからん、とにかくうろついてるらしい」
当然、ヴァンは自分を探して殺しに来たのではと危惧する。
「ヴァン!」
「え? あ、ア……おぼっちゃん」
「『白流星』がくるって!」
アフがはしゃぎながらやってきた。『ティナの娘』に会えるかもしれないと興奮しているのだろう。
「『白流星』が来るんですか?」
「そこまでは俺も知らないよ」
「馬になれ! 遊ぶぞ」
「だめだめ、今は仕事中だし」
「なんだよ、父ちゃんに言うぞ」
「言ってもいい、仕事なんだからだめ、俺はこれで飯もらってるんだから。それと、お前も勉強の時間じゃないのか?」
「勉強なんかいい! おれ将軍になって『白流星』と会うもん!」
「将軍になるのも会うのもいいけど、勉強しないとどっちもできないぞ」
ヴァンは言いつけて小石拾いに戻った。
アフは騒いでヴァンに縋りついたが、彼は断固として応じなかった。
「遊ぼうよ!」
「だめ」
「なんで!」
「勉強させてもらえるから。やらないなんてもったいないぞ」
「もったいなくないよ! つまんないもん!」
「でも大事だ。俺が応じて遊んでやったら、お前は大きくなってからよくもやったなって俺を恨むぞ」
「なんだよ!」
膨れ面でアフは家に戻っていった。禿げ頭の教育係が少年を出迎える。
同僚は微笑ましくアフとヴァンを見比べて作業に戻った。
ヴァンは思う、孤児院にいたころならアフを嫌って虐めただろう。衣食住が揃い、教育も両親の愛も受けている少年は全てが自身と対極の存在であった。
しかし、今になるとそんな気がまったく起きない。むしろ勉学に励ませ、受けられる恵みを存分に味合わせてやりたかった。
何故か。
自分にもわからない、疲れているところにじゃれてきてこうして労働している間に
「おい! こっちでかいのあるんだ! 頼む!」
「あ、はい」
呼ばれてヴァンは向かう。アフをちらと見ると、禿げ頭に促されて家に入る所であった。
「お前はそっち、いっせいの―」
「……?」
寝ているはずがなかった。
ヴァンは石を皆でどけるために集まっていたところだ。なのに、気づくと横になっている。仕事に集中して疲れ果てて記憶が飛んでいるのだろうか。
「あっ……」
腕に痛みがあり、見ると乾きかけた大きな傷があった。が、それよりもヴァンは周囲の見覚えのある光景に衝撃を受けていた。
あらゆる破壊にさらされた大地と死した同僚たち。無傷のヒンメルの首都の代わりに、農園の残骸が散乱している。そう、それは部隊が壊滅させられた時の写しであった。
空を見るに時は一刻も経っていない、ならばアフが入っていただろうあの家だった塊には少年の身もあるだろう。
そして―
「よ~し! ここも終了!」
「嘘だろ……」
『黒鉄』のヴェルサが頭上にいた。
体に密着した黒い光沢を放つ服。赤く鋭角な胸当てと翼。逆立った白髪と黄色の尖ったもみあげ。勝気な幼い顔までもがあの日の悪夢のままであった。
「全く、なんで生き残るのよ! 死んでれば面倒ないのに! わかってないわよね!」
「……‼」
侮辱までもが変わらなかった。否、今回はより不満が大きい。
引き起こしたであろう惨状の感想は、被害者への憤りだけだった。
「お?」
「なんだあ?」
「あれれ? なんですかここ⁉」
「―あああああああ!」
吠えた。
ヴァンは吠えて、小屋と3人を呼び寄せ斧を構えた。許せなかった、許してはいけなかった。
「さて次は……っと、面倒くさい!」
そして少年の憤激と全てを賭けた反逆は、ヴェルサにとってそよ風ですらない。
彼女の胸当てが発光したのを最後に、ヴァンの意識はまたも断絶した。
「あう……」
目覚めと同時にひどくむせる、空気が乾燥しきっている、というよりも焼き付いている。あちこちで火の手があがり、岩や土からは湯気が漂っていた。
ヴァンは頭部に激痛を感じて触診し愕然とした。斧がこめかみに突き刺さっている。意識を失う衝撃を受けた時に、自身で意図せず執行してしまったのだ。
「! !」
ともかく、この場にいては焼け死んでしまう。ヴェルサもアフも農園も全て忘れてヴァンはともかく安全な場に逃れるために動き出した。
斧が頭に刺さり、全身に火傷を負って火に巻かれている。どうあっても彼には死しか待っていないように思えた。
「しっかりしろ!」
「お前が死んだら俺たちも消える!」
「生きるのです!」
だが、彼には要塞と3人がいた。
彼の『天臨』であるからには彼が死亡すれば彼女たちも消えてしまう。だからこそ必死にヴァンを救命せんと動いた。
「! !」
「喋るんじゃないのです、体力を使うのです」
彼が生還した理由は複数あった。
1つに、小屋と3人の存在。あばら家と人に見えても『天臨』で創られたものであるから、過酷な状況でも動くことができ、且つ存在意義が対象であるから全てに優先して行動がとれた。
1つに、ヴェルサの目的。彼女が農園を襲ったのは部隊の生き残りを抹殺するためではあったが、ヴァンを狙ったのものではなかった。そもそも奇襲作戦で生き残りがいたなどと彼女は思ってもいない、その一件すらそれほど強く記憶している出来事ではなかった。
問題は、真偽は別にその生き残りを称して彼女の名誉を傷つける輩の存在だった。
『ティナの娘』は本国奇襲部隊を全滅させた、それが彼女の全てであって例外は赦せない。それを名乗ることは彼女の業績を否定することで侮辱することなのだ。
『ティナの娘』であること、それがヴェルサの唯一持ちしものだった。
故に、彼女はヴァンをそもそも認知しておらず不埒者の一人として払うだけに留めていた。狙い撃ちにされていれば間違いなく命はなかっただろう。
「!」
「喋るんじゃないですって!」
1つに、ヴァンの運命。彼はこの状況にあっても死することはなかった。
彼の復讐心は益々強くなり、決して死んでたまるかとの信念を産んだ。痛みも、苦しみも、必ずヴェルサに返してやると誓った。
アフを、同僚たちを、農場主と家族を殺戮した罪を決して赦しはしないと決意した。
「……」
「わっ、だ、誰だ?」
そしてそれが、あらゆるものを運命に引き寄せていった。
「……?」
小屋であったが、自身のものでないと目覚めたヴァンはすぐにわかった。家具があり生活感があり、何より清潔だ。
ベッドに寝かされて手当もしてある、頭が軽いから斧も取り除かれているのだろう。痛みは残っているが動くことは十分に可能だ。
状況を確認しようと立とうとしてみたが、足が萎えていたため派手に転んでしまう。頭の痛みが強くなり思わず呻いた。
「おー、派手な音がしたなあ」
部屋に入ってきたのは愛くるしい丸顔の少女だった、最初に言葉を伸ばす妙な話癖がある。一方で体躯は縦にも横にもヴァンの2倍程も大きく、小顔と相まって造り物めいた奇怪な雰囲気を醸し出していた。
「もー、少しねてろ」
「あ、っ! っ!」
ヴァンはひどくせき込んだ。声を出そうとして喉が傷んでいることに気づく。
「あー、ほら、飲め」
少女はヴァンにスープを差し出した。
警戒も忘れて喉の荒れようを癒そうと、スープを飲もうとしたヴァンはぎょっとして動きを止める。
水面に映る自身の前髪の一部が、真っ赤に染まっていたのだ。
「あー、そこの血出てたろ。染みついちまったんだな、拭っても落ちないから治ったら洗ってみろ」
阿保面でヴァンは少女を見る、状況に反して得られた情報は多すぎ、解説は乏しすぎた。
「目が覚めたかしら?」
「おー、来たか。友達だろ?」
「ええ、初めて会うけど」
もうヴァンは追いつけなかった。
新たに現れたのは長身で白い鎧を纏った縮毛短髪の少女だった。凛々しい顔立ちで一見すると少年にも映るが、確かに見ると少女だとわかる。左肩から天井に届きそうな数本の突起が突き出ている。
「初めましてヴァン、私はヴァイス。こういった方がわかりやすいかしら? 『白流星』よ」
「……『ティナの娘』か」
ベッドを支えにしてヴァンは立ち上がり、ゆったりと構えた。どたばたと足音がして、3人組が顔を出す。
「起きたか!」
「誰だこいつ⁉」
「動いていいのですか⁉」
「ここでやるかい?」
満身創痍でもヴァンの闘志は沸き上がる一方だった。
それはそれとしてスープを呑んで喉を潤す、味は薄いが出汁が良く出ている美味なスープだった。
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