幕間7

 クロガネは探偵事務所のデスクにてPIDを利用したオンライン会談を行っていた。会談の内容は、先日発生した〈サイバーマーメイド・日乃本ナナ〉に対するサイバーテロに関連するものだ。

 ホロディスプレイには壮年の男性が映っている。老人と言うにははばかる程の精気と威厳が満ちていた。

 男の名は獅子堂光彦――鋼和市の実質的支配者である獅子堂重工会長その人である。〈日乃本ナナ〉を開発し、今日の鋼和市の発展に貢献した大企業のトップであるため、この会談はある意味、国家安全保障会議に匹敵する程の重要性を秘めていた。

『……警察や専門家、国の国防担当とも議論を交わした結果、今回のサイバーテロは【パラベラム】によるものと結論付けた。犯行声明もなく、真偽の程は不明だがな』

 反サイバーマーメイド団体【パラベラム】。AI統治社会に異を唱え、様々なテロ活動を行っている国際指名手配中の犯罪組織だ。〈サイバーマーメイド・日乃本ナナ〉を開発した獅子堂重工にとって、まさに天敵といえる。

『それと、貴様と美優が作成した追加の報告書にも目を通させて貰った。本当に寄生型パラサイトウィルスを流出させた者は特定されなかったのだな?』

 念を押して訊ねてくる光彦に「はい」と頷く。

 今回の未帰還者事件の裏で〈日乃本ナナ〉に対するサイバー攻撃に使用された新型コンピューターウィルスは『寄生型パラサイト』と呼称された。

 そしてクロガネと美優が調査した結果、FOLを開発したジョイフルソフト社員の中にこのウィルスプログラムを仕込んだ者は存在しなかったのである。

「事実、各容疑者の端末から不審なプログラムは検出されませんでした。会社の内外で【パラベラム】関係者と接触した者も皆無です。〈日乃本ナナ〉から一時的に機能強化された美優の検索にも、該当者は特定されませんでした」

 立石からの依頼を達成した後、FOLが配信再開されるまでの半月の間にクロガネと美優は独自調査を行っていたのだ。これは二人が獅子堂家と深い関係にるところが大きい。

『ふむ……』

「美優が拾えないほど念入りにデータを削除したか、極めて前時代的アナログな手法を使っているか……いずれにせよ、【パラベラム】の犯行であるならば簡単に尻尾を出したりはしないでしょう」

 情報技術が進化し続けることに比例して、サイバーテロの手口も巧妙かつ狡猾なものへと進化している。国や自治体もセキュリティの強化や対策を行う一方でサイバー犯罪者の捜索や逮捕に力を入れているが、今も昔も変わらずイタチごっこやモグラ叩きをしている感は否めない。

『……クロガネ、私はね、今回のサイバーテロは獅子堂に対する挑戦……宣戦布告だと考えている』

 光彦が真剣な表情で厳かに言った。

「今後も【パラベラム】による犯罪が何かしら起きると?」

『その可能性は高いだろう。連中の狙いが〈サイバーマーメイド〉であるならば、全人類に敵対しているも同然だ。国も警察も連中に対して警戒と対策をしているというが、正直信用できない』

 平和ボケした税金泥棒などそんなものだろう。特にこの国の危機感のなさは異常だ。ゆえに、光彦は独自に【パラベラム】を叩き潰そうとしている。

『すでに所有権はこの国にあるとはいえ、〈日乃本ナナ〉を造ったのは我が獅子堂重工だ。我が子も同然な存在を守るのは当然の帰結だろう』

「……美優も守って頂けますか?」

『当然だ』光彦の即答に、クロガネは安堵する。

 安藤美優は彼の娘である獅子堂莉緒が開発したガイノイドだ。光彦にとっては孫娘同然の存在である。そして美優も〈サイバーマーメイド〉と密接な繋がりがあるため【パラベラム】に狙われる可能性がある。彼女を守れる存在は多いに越したことはない。

『近々ゼロナンバー全員を鋼和市に招集しようかと考えている』

「全員、ですか?」

 光彦の提案にクロガネは面食らった。

 ゼロナンバー。獅子堂家を護衛する専属の中でも、人間離れした技術や技能を有する影の部隊だ。時に暗殺や破壊工作などの汚れ仕事も行うため、その存在は非公式であり禁忌タブーとされている。故に『存在しない者ゼロナンバー』。

『それで今も〈アルファゼロ/アサシン〉が空席のままでな。貴様が良ければ』

「申し訳ありませんが、私は戻りません」

 光彦の台詞を遮り、きっぱりと断る。

 かつて、クロガネは『暗殺者アサシン』のコードネームを持つゼロナンバーであった。ロボット以上に心ない殺し屋として数多あまたの標的を仕留め、裏社会ではある種の伝説となっている。

「殺し屋には戻りませんが、そちらがバックアップをして頂くのであれば、一介の探偵として【パラベラム】撲滅のために協力は惜しみません」

『……ふむ』

 クロガネは美優を守ることを第一に考えており、それは獅子堂光彦と利害が一致している。例え相手がかつての雇い主であっても、独立した今はギブアンドテイクを信条に対等な立場を貫く。

 不意に前のめりになった光彦が口を開く。

『……美優はあくまでそちらに貸与しているだけだと忘れてないだろうな?』

 こちらの弱点を突いてきたな、とクロガネは目を鋭くさせた。

 三ヶ月ほど前の美優を巡る事件の折、クロガネは彼女を探偵助手にスカウトした。美優自身の意志もあって彼女の所有権は獅子堂家からクロガネに移譲したのだが、その際に莫大な対価を請求されたのだ。そして今も、全額支払い切れていない。

「……それは脅しのつもりですか? ゼロナンバーに復帰しなければ、美優を取り上げると」

『それは貴様の誠意次第だ』

出嶋でじま……〈デルタゼロ/ドールメーカー〉は獅子堂からの仕事を私に斡旋し、その報酬の六割を美優の代金として徴収すると言ってましたが? ちなみに私の方でも毎月少しずつ支払っています」

『それとは別に、誠意を見せてくれないか? 他でもない、この私に』

 ……ああ、なるほど。そういうことか。

 ここで言う誠意とは金ではない。獅子堂光彦が納得するに値する誠意とは。

「私は……いや、俺は殺し屋には戻らない」

 あえて敬語を捨て、堂々と言い切った。

「美優の教育に悪いだろ?」

『……ほぅ、では貴様は獅子堂に敵対すると?』

 光彦が鋭い眼光を向けてくる。画面越しとはいえ支配者の眼力は相当なものだ、常人ならば思わず身を竦めてしまうだろう。だが退かない、退く理由がない。

「一度は通った道だ。そちらが仕掛けて来るのなら、徹底的に戦ってやる。それとご当主、貴方は一度鏡を見た方が良い」

『何?』

「今の貴方の顔は、美優に悪影響だ」

 睨み合う両者の間に重苦しく、不穏な雰囲気が漂う。

 あまりの息苦しさに呼吸するのも難しくなってきた。

 五分は経過したか、それともまだ一分も経っていないのか……額から冷たい汗が一筋伝う。

 だがこの男から目は逸らせない、逸らしてはいけない。

 美優を守るためにも、何より自分自身のためにも。

『……ふっ』

 不意に光彦が噴き出し、長く感じた沈黙は終わりを迎えた。

『ははははははッ! なるほど、探偵を始めてから随分とまた肝が据わったようだな』

「……なにぶん、敵が多いもので」

 それでいて殺さずに無力化させるとなるとかなり難しい。意図せず周囲にも被害が及び、クロガネがトラブルメーカー呼ばわりされる所以ゆえんでもある。

『それは日頃の行いだろ。だが美優を雇ってからは、トラブルはぐっと減ったようだな』

「それだけ美優のサポートが優秀であり、俺も彼女を守るために努力は惜しみません」

『ほぅ、随分とあのガイノイドに入れ込む』

「彼女を守る、それが莉緒お嬢様の依頼ならば」

 今は亡き娘の名を聞いた光彦は、目を細くした。

『……なるほど、それが貴様の誠意……いや、覚悟か』

 クロガネは胸元に拳を置く。その下にあるのは、だ。

「お嬢様が生かしてくれたこの命、美優を守るために使いたい。だから」

 まっすぐに、当事者美優にすら打ち明けていない本心を伝える。

「俺に託してくれたお嬢様の依頼を、俺から奪わないでください」

 深く頭を下げる。これがクロガネに出来る精一杯の誠意にして覚悟。あとは行動で示すしかない。

 もしもご当主が実力行使で美優を取り戻しに来た際は戦争だろう威勢よく啖呵を切った手前もはや引き返すことなど不可能だ正直戦力差は絶望的な上に相手はゼロナンバーがいて武器も豊富まともにぶつかり合ったら秒で死ぬ戦術的に勝ち目はなくとも戦略的には可能性は僅かにあるならば元暗殺者らしく頭を押さえればいいご当主の所在を突き止め最短最速で辿り着き人質にすればいやいやいやまずは美優の安全確保が最優先だろう彼女をどこかに匿って海堂は無理だ俺の交友関係は向こうにも知られている上に彼女を巻き込めないしかも海堂を人質に取ることも考えられるこうなったら二人まとめて安全な場所に隠してそれにも無理がある今この場でご当主と敵対してしまったら真っ先に海堂を押さえられてしまうくそ何てこった軽率に迂闊なことを言うべきではなかったが今更遅い二人を同時に守ることが出来ないならばせめて美優だけでも――

『……解った。貴様の提案を呑もう』

「残念だ、やはり戦争……えっ」

 思わず顔を上げる。今なんと?

『貴様は何を言っているんだ? とにかく、私は私立探偵の貴様と対等な契約を結ぶ。【パラベラム】撲滅のために協力して貰うぞ』

「アッハイ、ありがとうございます」

 平静を装いつつ、無血での戦争回避に内心は狂喜乱舞していた。

 開戦すれば確実に死人が出ていた……俺がな。

「あ、それとあくまで依頼と言う形で。報酬も弾んでくれると嬉しいです」

『やれやれ……了承した。ああ、たまには美優を連れてウチに遊びに来い。しばらくは出張の予定はないし、ブラボーゼロとシエラゼロも喜ぶだろう』

 時代錯誤な剣の達人ソードマスターにヤンデレ気質のある狙撃手スナイパー。かつての仲間の顔を思い浮かべたクロガネは、思わず渋面を作る。

「……ぅ…前向きに検討しておきます」

『では二人にそう伝えておく』

「ちょ」

『ふふっ、じゃあの』

 勝ち誇ったかのような笑みを浮かべ、光彦が通信を切った。



「くっそ、狸ジジイ……」

 忌々し気にPIDを見下ろす。

 年の功に加え、相手は大企業の長だ。論戦では勝てるわけがない。

「まぁ良いか……成果は概ね上々だ」

 美優の処遇に関しては現状維持。口頭とはいえ組織のトップである光彦と直々に契約を結んだ以上、今後は獅子堂のバックアップも期待できる。一方で獅子堂から厄介な依頼も来るようになるだろうが、利害の一致である以上は致し方ない。

「疲れた……」

 久しぶりにかつての雇い主と正面からぶつかり合ったのだ。相手は雲の上に居るような存在であるため、緊張でひどく消耗した。歯向かったのはいつぶりだろう? 確か……獅子堂莉緒が健在だった頃、彼女の処遇に関してだったか。

 ……芋蔓式に嫌な記憶まで思い出して気が滅入っていると、

「ただいま戻りましたー」

「ああ、おかえり」

 買い出しに出掛けていた美優が帰って来たので、切り替える。

 美優を守ると言っても、四六時中どこでも一緒ではない。仕事以外では明るい時間帯で人目に付く場所に限り、彼女を自由にさせていた。お互いにプライベートな時間はあって然るべきだ。

「聞いてくださいクロガネさん。八百屋さんに行ったら、そこのご主人が大根をこんなにサービスしてくれました」

 二つ持ったエコバッグの内、片方は大根だけで一杯になっていた。

「そんなにか、得したな」

 しばらく食卓の一品は大根料理確定だ。

「それでご主人の奥さんが『やり過ぎだアンタッ!』と、ご主人の頬に季節外れで立派なモミジが出来てましたよ」

 つまり、八百屋の主人は美優の美貌に見惚れてサービスしてくれたのだろう。

「今後は美優一人でお使いに行かせたら、色々な所でおまけしてくれそうだな」

「お金をかけずにお得に食材ゲットですね」

 保護者が貧乏探偵だからか、庶民的な発想をするようになった。

 美優はキッチンで手を洗うと、

「そういえばクロガネさん、チャットでガーノとヒメノが『クロトは今度いつインするんだ?』って言ってましたよ」

 調達した食材を冷蔵庫にしまいながらそう言った。

 FOLの大規模クエスト終了から一週間が過ぎた。あれから美優は何度かガーノ達とプレイしているようだが、クロガネは一度もFOLにログインしていない。

「んー、そうだな……」

 デスクの片隅に置かれたPSギアを見やる。本来はジョイフルソフトからの借り物だったのだが、依頼達成後に記念品として貰い受けたのだ。

「手元にあるPSギアはこれ一つしかない。もう一台は海堂に返してしまったし、二人同時には遊べないだろ」

「だったらもう一つ買いましょうよ。いや、買ってきます」

 言うや否や、美優は緑色の義眼を輝かせる。通販サイトに接続しようとしているのだろう。

「いいよいいよ。実は俺、VRって苦手なんだわ」

「そうだったんですか?」意外な事実に驚く美優に「そうなんだよ」と頷く。

「昔、訓練で現実とVRの区別がつかなくなったことがあってな」

 クロガネはゼロナンバー時代、VRによる暗殺技能訓練を積んでいた。手にしたナイフや銃の感触から標的を殺害した瞬間の感触。大量の血飛沫が噴き出す凄惨な光景。血と硝煙の匂い。あまりにリアリティの質が高かったばかりに、現実での仕事暗殺をVRと混同して命を落とし掛けたことがあったのだ。

「それ以来、VRがどうも苦手でね。今回の依頼は美優や海堂が傍に居なかったら、たぶん発狂してた」

 例え苦手なものでも、仕事である以上はしっかりこなす。クロガネはプロの仕事人だった。

「そこまで……それじゃあ、FOLに入る前と出た後にVRを題材にした本を読んでいたのは」

「ルーティンというか、一種の自己暗示みたいなもんだな」

 参考資料でもあったけど、と言ってデスクに置いてあった文庫本を本棚に戻す。


『クラインの壺』……岡嶋二人・講談社文庫

『クリス・クロス 混沌の魔王』……高畑京一郎・電撃文庫

『ソードアート・オンライン』……川原礫・電撃文庫


 いずれもVRゲームを題材にした小説であり、ゲームの世界に囚われてしまった登場人物たちが現実世界へ帰還することを目指す、もしくはゲームの裏に隠された真相に迫る内容となっている。同時にVRに潜む危険性も示唆しており、こと未帰還者事件の調査にあたっていたクロガネにとって、これらの作品は現実世界に意識を繋ぐための拠り所になっていた。

「チョイスが古いですね」率直な美優の意見に、「だが名作だ」と即座に返す。

「誰かの心に残る作品というものは、どれほど時が流れても決して色褪せない。莉緒お嬢様が教えてくれた」

「お母さんが……」

 開発者母親の名を聞いて神妙になる美優に、クロガネは懐かしそうに語り掛ける。

「お前のお母さんにはとても世話になった。ただの護衛として仕えていた俺に、色々なことを教えてくれたよ。本や映画にゲーム……娯楽もその一つだ」

 まだ十代半ばだった少女が、ロボットよりもロボットらしい暗殺者にヒトの心を取り戻させた。本来ならば暗殺者には不要な感情を、当時のクロガネは自身でも驚くほど素直に受け入れたのだ。獅子堂莉緒という少女は科学者である以前に、何者の心を解きほぐす天才だったのかもしれない。

「……お母さんのこと、もっと聞かせてください」

「長くなるよ。時間がある時に話そう」

「約束ですよ」と綺麗に笑った美優に、クロガネは莉緒の面影を見た。血縁どころか人間ですらないのに不思議なものだと考えていると、事務所の呼び鈴が鳴る。

 来客かと思い、扉を開けたその先に。

「こんにちは、クロト」

 ガーノこと鹿野隆史、そしてヒメノこと姫川和美がやってきた。

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