第3話 宗教かマルチ商法か
店内の江上京子を見て、なぜか脈拍が上がってしまった。たぶん、このところ人と話す機会が少なかったからだろう。
すこし深呼吸して、何食わぬ顔でコンビニに入った。スナック菓子のコーナーを見るふりをして、雑誌と漫画の棚の方をうかがうと、面長で黒い髪の長い江上京子は漫画を読んでいる。見ていると顔立ちは本当に整っていた。もっと仲良くしておけばよかったなと思ったが、小学生時代は別に美人とも思わなかった。共に半袖短パンで遊んでいたのだ。
江上京子は漫画から顔を上げると、ぼくに気づいたのだろう。目を見開いて、大股で近づいてきた。
「長井、また会ったね」
「そうだね。今日はどうしたの?」そう聞くと、江上はニコリと笑って、持っていたアカギを突き出した。
「長井がこのまえ読んでた、麻雀で血を抜く漫画、面白い」
ぼくは立ち読みの漫画は棚の前から持ち出すのはマナー違反だと思っていたから、少しドギマギした。黙って漫画の棚の前まで歩くと、江上京子も付いて来た。
「こないだも聞いたけどさ、今何やってるの?」
これ、無職には最悪の質問だよ、覚えておいて欲しい、義務教育でも教えて欲しい。どうかまともに働いていなさそうな人には、もう少し気を遣う国になってくれ。
「いや……べつに、たまにバイトしたりくらいかな」
この回答が限界。これ以上探られたら厳しい。
「マジかー。そしたら長井の方がマシだね。私いま何にもしてない」
あれコイツ仲間か?そう思った。ただ、宗教とマルチ商法という線が残る。
「いまもあの家に住んでるの?公園のそばの」と聞いた。
「今年戻って来たんだ。今は実家ぐらし。息が詰まるね」と江上は答えた。ぼくは実家にしか暮らしたことがないから、ちょっと傷ついた。
「良かったらさ、今から私んち来ない?ひさびさで親も喜ぶと思うし」江上はそう誘ってきた。これは嫌な感じだ。普通、年頃の女が幼馴染で実家とはいえ、男をいきなり深夜に誘うわけがない。何か目的があるのだ。そう確信した。ついていくとおそらく、(神に目覚めたのよ)(自分が本当に輝ける仕事)あたりの話がでる。
「いやいいよ、ありがと、またね」そういって帰ろうとしたとき、江上が携帯電話を取り出した。
「交換しようよ。連絡先」
次の日の昼、寝ていたところに江上京子から着信があった。
「寝てた?家行っていい?」電話に出ると江上の声がした。
「どしたの無理だよ汚いんだよ部屋」寝ぼけながら出た。
「別に長井の部屋じゃなくていいよ、リビングで。おかあさんとかいる?」
母親に話すと驚いたが喜んで、30分後に現れた江上京子とにこやかに挨拶している。ぼくは慌てて身支度を整え、ユニクロのワイシャツにジーパンという無職の一張羅で1階のリビングに降りた。
母親はぼくがくるとバトンタッチして自室へ帰って行った(あとは若いものだけで)みたいな発想だと困るんだよな。そういう話じゃないんだよ。
「家変わらなすぎだよ」
よそ行きっぽいワンピースを着た江上はリビングを見渡しながら感慨深げにいった。でも化粧はしないんだな。多分口紅もつけていない。
「前にきた、小学生の時と同じ。匂いも。ビックリした」
江上はそういうが、うちは5年前にリフォームしている。まあ記憶なんてそんなものだろう。いちいち突っ込んだりしない。
「長井さ、多分だけど、私が宗教とか勧めると思ってない?」
図星過ぎてビックリした。
「壺とか売る気ない?」とぼくは返した。ちょっと気が利いてないかな。
「ないよ、マルチ商法も興味ないから。ひさびさで懐かしかっただけ。地元に友達いないしね」
「そうなの?女友達は?」
「私、中学から私立だから、小学時代の友達の連絡先しらないの。大体もともと友達少ないんだよ」
そういって、出されたリプトンの紅茶を飲んで、小さく切られたカステラをフォークを使わず、手づかみで一口で頬張った。ちょっとビックリするくらい、12歳のころの江上京子から仕草が変ってなかった。
「大学は東京だっけ、一人暮らししてるって聞いた」
「そう、で、大学院に入って、いろいろあって辞めたの。もうせいせいしたね」
「彼氏とかは?」少し無神経かもしれないが、そう聞いた。
江上京子の顔が一瞬で固まって、歪んだ。これはマズい。
「あ、ごめん!ほんとごめんな!今のなし」
江上は目を赤くしてぼくを睨んでいる。
「いいの、いやよくない、普通、いきなり聞かないよ」といって黙った。
気まずい空気の中、ぼくも紅茶を飲んでカステラを食べた。30秒ほどの沈黙の後、京子は口を開いた。
「今のお詫びにさ、頼みがあるだけど、聞いてくれない?」なんなんだよ。
「なに?」
「うち来てくれない?これから」
もしかしてこれは、家庭内のトラブルかなと思いながら、気まずさから引き受けた。
30分後、ぼくと京子の二人は彼女の家にいた。彼女の家はうちの2倍くらいの大きさがある。子どものころ母は「江上さんの家はおばあちゃんも暮らしてるから大きいのよ」と言っていたが、どうみても経済的な格差がある。
玄関を開けると、昔の記憶がよみがえってきた。確かに、昔嗅いだことがあるような気がする匂いだ。
「なんかさ、子どものころの記憶の匂いだ」といった。
「でしょ!?私も長井の家で思ったんだよ」そういって、京子はもう一言付け加えた。
「親はいないから、気を使わなくていいから」
嘘だろう?23歳の女の子だぞ?幼馴染で、昼で、実家っていったってさ、それはおかしいよ。心拍数がいきなり上がった。これってさ、もしかしてって話だよ。いやでもおかしくねえか?ぼくそんな美男子だったか?
京子の部屋は広い。8畳以上あるんじゃないかな。整然としていて、女の子の部屋って感じだったが、それ以前にぼくは女の子の部屋に入るのが初めて…じゃないな、この部屋に何度も来ているんだ、でもそれって小学生だったからノーカウントで、ややこしいけど、思春期以降では初めての女の子の部屋だった。
「でさ、長井さ、聞いてる?」
聞いていなかった。
「子どものころの勉強机、まだあるの?」と聞いた。記憶のままの机が、ビニールのデスク保護シートもそのままに鎮座していた。
「え、あるよ。長井んちないの?」
「ないよ」
「大学受験の時までこれ使って、そのあと家出てるから、そのまま、っていうか、話聞いてよ」
なんだよ、無職だと親がうるさいとか、説得してくれって、幼馴染の無職が現れていったら、逆効果どころかぼくも殴られるぞ。
「今のままでいいと思ってる?」
あーこれはマズい。宗教でもマルチでもないといっておいてこれは酷い。騙し打ちじゃないか。
「どういうこと?ちょっと俺この後予定が……」
「露骨な嘘つかないでよ、宗教でもマルチ商法でもないよっていってるのに、なんで信じないのよ」
口調が早く、荒くなってきて怖い。若い女性の勢いのあるしゃべり方は苦手かもしれない。
「はあ……じゃあ何でしょうか?」しぶしぶ聞いた。
「タイムマシンって知ってる?」
予想できない言葉を聞いたとき、うまく聞き取れないというか、理解するのに少し時間がかかることがある。ぼくは数秒黙ってから、声を出した。
「ドラえもんとかのあれ?」
「なんか他に知ってるの?」
「バックトゥザフューチャー?」
「まあいいよ、この家にそれがあるっていったら、信じる?」
信じないっていったら、刺されるかもと、ぼくは思った。
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